26 男が洗濯に集まり、話すことには
晴れた週初めの共同洗濯場には、大きな盥一杯に洗濯物を抱えた、一帯の住人たちが集まってくる。
ベレタ村の洗濯場は、代表のエピの発案で村の住人以外も利用できるよう広々と作られている。
特に汚れ物の多い赤蹄騎士団など、拠点の洗い場では足りず、はるばるやってくる団員もいるほどだ。
赤い煉瓦敷の一区画には、足の踏み場もないほど桶や洗濯板が並び、石鹸の淡い匂いが辺りに漂う。
週に一度の盛大な賑わいを迎えた広場を満足そうに眺めながら、エピは洗濯桶にぬるま湯を注ぐスヤンのほうへ向き直った。
「それで……シャオさんに謝りたいけど、謝り方が分からない、ですか?」
「そうだ」
スヤンはそう頷くと、ゆったりとした作業着の裾をたくし上げて、覗き込むように桶の中のシーツを踏んだ。
洗濯中に傘を差す訳にもいかず、くらくらするような日差しはタオルを被って我慢する。
足踏みする度、はしゃぐように飛沫が跳ねる。透き通った欠片が午前の太陽に祝福されて散らばっていった。
「そんなん『すいませんでしたー!』いうたら『かまへんでー!』で終わりやん」
そう言うラディアンテスは、洗い場に腰かけたまま、スヤンが入れ忘れた洗剤を片手間に投げ込む。
「それで許してもらえるのか?」
「まあ許してくれんやつもおるけど、そういうやつは何でか大概、次の仕事からは帰ってこやんし!」
「何ででしょうねえ……」
洗濯板を立てかけながらエピが苦々しげに笑う。
少し離れた場所では、副官のエミリオが順番待ちの団員を整列させていた。
「僕が考えるに……重要なのは謝ろうと思うことで、許してもらえるかどうかというのは関係ないですよ。許してもらうために謝るのではありませんから」
何か経験があるのか、エピは自分の娘を諭すのと同じようにスヤンを窘めた。
そう言われるとどうにも悪い想像を掻き立てられ、スヤンの表情が曇る。
それを見て、エピは慌てて言葉を付け加えた。
「もちろん、ちゃんと伝えればお二人なら仲直りできますよ!」
「だが、何と切り出せばいいのか……」
洗い場から見える森の入り口では、シャオがジョスランやチコと何か楽しげに話しながら薪を拾っている。あれは友だちというやつだとストラスが言っていたのを思い出した。
悩むスヤンの横を過ぎ、牧人ルセロが追加の洗濯物を主人に渡す。
「さすれば、詫びの品を用意するのがよかろうて」
彼は微笑ましいとばかりに目を細め、老賢人めいて助言した。
「物を渡すばかりが心遣いではあるまいが、口を開くきっかけくらいにはなろう」
すると、エピは何かを思い出したように手を叩いた。
「そうだ! 今度、メルカードで工房市が開かれるんですよ」
「ほう」
「イザリア北部のあちこちから工房が集まって、この日のために準備した最新の製品を売り出すんです。その日だけはみんな夜中までお祭り騒ぎで、花火や見世物もあって賑やかですよ!」
元来、工房の魔術師たちが自分たちの技術力を自慢するための発表会だったものが、国境を越えて買い付けにやってくる商人、新しもの好きの近隣の住民で賑わうようになり、いつしか一つの祭りとして商館が主催するようになったらしい。
魔術師を志すジョスランも毎年これを楽しみにしていて、小遣いを貯め込んでいるとエピが笑った。
「魔術瓶は当然、武器も家具も、ぬいぐるみだってありますし〜、シャオさんが喜びそうなものをプレゼントしたらいいんじゃないですか?」
エピの提案に、スヤンは噛み砕くように小さく言葉を繰り返した。
「シャオが、喜ぶもの……」
「例えば、新しい剣はどうでしょう? シャオさんっていつも作業の合間に木の枝で稽古なさってますよね? ちゃんとした道具があれば、もっとやる気が出ると思うんです」
スヤンは足踏みを止め、驚いて目を丸くした。
何となしにエピが言ったことは、スヤンにとっては寝耳に水だった。
「……知らなかった」
「あれっ、そうなんですか?」
すぐに謝るエピに、スヤンは首を振って返した。桶をひっくり返し、流れていく泡を見つめて呟く。
「隠しているんだろう。俺は、シャオに剣を抜くなと言ったからな」
イザリアに来てすぐのことを思い返す。
言葉が足りなかった所為で、シャオは何度か「剣を使わずに」戦おうとした。
その度にスヤンが正すので、鍛錬もいい顔をされないと思ったのだろう。
「剣を禁止したのは、どうしてですか?」
遍歴騎士として名を上げたらしいエピの目から見ても、シャオは筋良く見えるようだ。心から不思議そうにする彼に、スヤンは濡れたシーツを絞りながら答えた。
「……面倒に巻き込まれると俺の手が届かない。特に、シャオの腕がいいなら尚更だ。戦いに飢えた気狂いが寄ってくる」
「そら怖い話やな、見回り増やそか?」
「お前だ」
辛辣な返事にもめげず、ラディアンテスは鼻を掻いて言う。
「せやけど結局コソ練してるってことは、納得してないってことやんな」
「…………」
「嬢ちゃんが大事やってのも分かるけど、本気でやりたい言うてることをやらせやんのもよくないわ」
お前より背も大きくなった一人前の女の子やろ、と言うラディアンテスの表情は、いつになく真面目なものだった。
「……そういうものか」
スヤンは静かに言葉を返した。
近頃はあまりに楽しくて忘れていたことだ。
いつか、シャオとは別れ、普通の人生へ送り出さなければならない。
守ってやれるのはこの一瞬だけだ。いつしか、その一瞬がすべてになりかけていたけれど。
手を放し始めてもよい頃合いが来たのかもしれない。そうも思った。
「エピ、相談があるんだが……」
スヤンの言葉にエピは首を傾げた。
***
洗濯を終え、帰って少し休憩を取る。身体にはまだ泡の香りが残って、爽やかな正午のひと時を彩っていた。
椅子に座ったスヤンは、茶の仕度をするシャオの背中を見つめ、三回も口を開きかけてはやめる。四回目、ようやく喉が震えて声が出た。
「シャオ」
「はい」
何の用かと不思議そうな顔で振り返る彼女に、スヤンはおずおずと切り出した。
「その、お前が学校に通っていた頃だが……」
予想外の言葉にシャオの目に困惑の色が浮かぶ。
スヤンは淡々と続けた。
「同級生と祭りに行きたいと言ったのに、行かせてやれなかったことがあるだろう。三日も拗ねて……」
「い、いつの話をしてるんですか! 何で覚えてるんですか!?」
耳まで顔を赤くして、シャオはスヤンの肩を揺さぶる。
シャオの望みを聞けなかったことはスヤンも幾つか覚えているが、理由はどれも副頭が渋ったからだ。
晴れ着も買ってやれないのに可哀想じゃないかと副頭は言っていたが、今にして思えば、彼は睡花会の人間が人目につくのを嫌ったのだろう。
その副頭も、スヤンが重ねて言えば渋々許しただろうが、スヤンはそうしなかった。
シャオはそのうち、学校をやめた。
「来週、街で工房市があると聞いた」
ぐわんぐわんと揺らされながらスヤンは、過去を掻き消すように本題へ入る。
「エピの娘とストラスは魔術の展示会を見に行きたいそうだ。剣も良品が並ぶという」
「……それは、私も先ほど聞きましたが!」
「一緒に行って、好きなものを選んでこい。……斬っていいのは巻藁だけだぞ」
シャオがスヤンの迂遠な言葉を理解するのに、数秒かかった。
しかして途端、揺さぶる手がぴたりと止まり、シャオは上擦った声で尋ねてくる。
「……いいんですか?」
「うん」
スヤンが頷いた瞬間、とんでもない力で抱きしめられた。
「やったーーーー!!!!」
幼い子どもに返ったかのように、シャオはスヤンに抱き着き、歓声を上げる。
すっかり大きくなった図体に埋もれて、スヤンは首が折れる前に顔だけ抜け出した。
「夕べは……すまなかった」
本当に言いたかったことがようやく言えた。
それは昨日よりもずっと前から、言えなかったことなのかもしれない。
「あれは美味かった」
そう呟いて、恐る恐る抱きしめ返す。空っぽになった戸棚が目についた。
「────許してくれるか?」
鼻先を寄せ、訊いた。
スヤンが顔色を窺うように首を傾げると、シャオはきょとんとしてから、笑みを溢して答えた。
「最初から怒ってなんていないですよ。一度だって……そんなことはなかったんです」
素敵な日だった。
陽射しは高く、木々は力強く、川の流れは柔らかでいて止まらない。
竜の渡りが終わるまで、まだ遠い。




