21 甘い計画を立てること
鋭い銀光が薄い白肌を衝く。
「痛……」
指先にぷつっと吹き出た赤い雫を軽く齧り取り、スヤンは再び針を持ち直した。
今日、指を刺したのはこれで二十六回目だ。それでも前より随分と裁縫が上手くなったと思う。完成した巾着を見て驚くシャオの顔が目に浮かぶようだ。継続は力である、スヤンは純真な心で信じていた。
シャオが庭仕事を楽しそうにこなしている間、スヤンはレイユンやコラソンの世話をしたり、掃除や洗濯を済ませたりして過ごしている。
ストラスは基本的に何もせず、庭で茶を飲んでばかりだが、時折ふらりと出かけては白砂糖や胡椒など貴重な品を持ち帰ってきたり、二人の疲労を見計らったかのように暖かい食事を振舞ったりしてくれた。
イザリアに来て、ひと月が経とうとしていた。
ルセロの話では、渓谷のあちこちで竜の雛が孵り、一帯が賑やかになり始める頃だという。あと二月ほど後には、飛べるようになった雛を連れ、竜たちは再び北へ渡っていく。
ベレタ村に借りた新居も、なかなか様になってきた。庭の畑も、香草など成長の早いものは収穫さえできる。そういったものを卵やパン、ほかの野菜と交換してもらい、日々の生活が成り立っていく。
庭に咲いた菫を砂糖がけにした菓子に至っては、森番に渡したところ、一頭分の鹿革が返ってきた。
日用品や布など物々交換では難しいものは、エピから頼まれるお使いをこなし、小遣いをもらって買いに行く。今、スヤンが縫っている布地も、そうやって手に入れたものだ。
本日二十七回目の刺し傷を作ったときのことだった。
乱暴に扉が叩かれ、返事をする前に外から大声が轟いてくる。
「ワシやワシーーー!」
ラディアンテスだ。騎士団長という仕事はどれだけ暇なのか、このように彼はこの一か月の間、何回かスヤンの元を訪れていた。用件は勿論、手合わせの誘いだ。
スヤンは溜息を吐くと、針を山に戻し、厚い木製の扉の前に立って彼の言うことに耳を傾けた。
「商館から麦芽を買い付けたんやけど、ついでに上等な麦酒も運んでもろたんで友好の証に持ってきたで! なっ!」
最近ようやく取り付けた覗き穴から窺うと、ラディアンテスは確かに木樽を肩に担いで満面の笑みで立っている。
扉を少しだけ開けて、スヤンはそっと顔を出した。
「本音は?」
「酔ったら理性も鈍って剣抜いてくれるやろと思て」
ラディアンテスは柄を弄りながら素直に白状する。
それでスヤンは、先日、メルカードでストラスと戦ったときのことを思い出した。最後のほうはあまり記憶にないが、衝撃と失血で頭が回らなくなり、どうやら随分な無茶をしかけたらしいと聞いている。
あのとき、ラディアンテスはスヤンに自分と遊んでもらう方法として学習したのだろう。
スヤンは顔を覗かせたまま、ラディアンテスをじっと見上げた。
「ラディアンテス」
「うん!」
初めて見るスヤンの穏やかな微笑みに、ついに念願叶うかとラディアンテスは一層目を輝かせる。
スヤンは答えた。
「俺は清酒しか呑まない」
閉扉。
ラディアンテスは無残に取り残され、その場に崩れ落ちた。
「スヤーーーーン!」
「……はあ」
見苦しく扉に縋りつく男の背中を横目に眺めながら、シャオはシャベルを担いで汗を拭いた。
その吐息に安堵の色が混じっていることに、ストラスはしっかりと気づいていた。
林檎の木陰に用意した席に着き、どこからか持ち込んだ高級茶を味わって、くすくすと笑う。
「心配性だね。老若男女、あれに近づく人間には焼きもちを焼こうというのかい?」
「ち、違いますよ」
あまりに不名誉な物言いに慌てて否定しながら、シャオはこっそりラディアンテスを指差した。
「あの方、これ見よがしに鯉口を切るでしょう。その度、兄上が殺気立つのでひやひやするんですよ」
シャオに戦うなと言うからにはスヤン自身も逸らないようにと抑えているのは明白だ。
そうやっていかに剣を抜かず自分たちの身を守るか神経質になっているところへ、彼が挑発を繰り返すものだから、いつ張り詰めた糸が切れてしまうか分かったものではない。
今日のように冗談めかしてあしらってくれる内はまだ一安心できようという訳だ。
そうか、とストラスは頷き、それきり押し黙った。
再び作業に戻ろうとしたシャオのところに、ラディアンテスがやってきて声をかける。
「嬢ちゃん」
「団長殿」
何の用かと顔を上げると、足元に大きな麻袋を一つ置かれた。
「嬢ちゃんも酒はまだ飲まんやろけど、麦芽ならどうや? 一袋、置いてくで」
「ああ、ありがとうございます」
麦芽は貴重な甘味の一つであるし、薬に用いる方法もある。村の皆にお裾分けしても喜ばれるだろう。彼のスヤンへの欲に思うところはあるが、これは領主の好意として素直に受け取っておくことにした。
そこへストラスが横から口を挟み、ラディアンテスをからかう。
「支配者ともあろうものが一介の小娘に随分と親切だね」
「だって嬢ちゃんに気に入られれば一戦くらい口利きしてもらえるかもしれへんしィ……」
もじもじと言うラディアンテスを、シャオは呆れた目で見る。
「懲りないんですね……」
「自分と同じ目線に立てそうな人間をやっと見つけたものだから、いい年してはしゃいでいるのさ」
才能のある人間はいつも、対等な好敵手に飢えている。
ストラスがそう言うと、ラディアンテスはつまらなさそうに頭を掻いて答えた。
「そりゃ雑魚狩りなんかおもんないわ。趾のババアはもうあちこち痛くて同格相手は辛いんやろけど」
ストラスは静かに茶を呷った。
次の瞬間には地面にめり込んでいたラディアンテスが、そのままシャオを見上げて懇願する。
「なあ~~~、あいつの好きな食いもんとか何かないんか、ワシ何でも持ってくるで」
「好きなものですか……」
確かにこの間は魚を食べたいという自分のお願いを聞いてもらった訳だから、同じことをスヤンに返したいという気持ちはある。
しかし、元々スヤンは食事に無頓着なほうで、何かを喜んで食べる姿はあまり思いつかない。酒にしても結局は、副頭の晩酌の付き合い程度だったはずだ。
何か好んで食べていたものはあっただろうか。
そういえば、と、目の前の麦芽を見つめ、シャオは呟いた。
「じゃあ、水飴を作りますか」




