5 シトラスの香りと、目覚める前世の記憶
しなやかな野獣のような父親と名乗る男は、おれに何の説明もしなかった。
側にいる、爺さんはそんなわけの分からない有様を、涙ぐみながら静観している。
「旦那さまが、こんなにお喜びになって……」
違う気がする……
「爺さん、こいつを何とかしてくれ。暑苦しいって!」
わたしの虹……と、首にかきついたまま繰り返す男は、シトラスのいい香りがした。
言っておくけど、おれは誰かの持ち物になったことなんてないし、これからだってなるつもりもない。わたしの……って何なんだ!?
「離れろ、おっさん。聞きたいことが山ほどあるんだ」
やっと引っぺがした父親は(面倒くさいので、もういいや父親で……)黒曜石みたいな澄んだ瞳で、おれの顔をまじまじとのぞき込んだ。
「当然の権利だと思うのだが……何でも聞いてくれ。わたしの虹」
だ~か~ら~!いちいち「わたしの」ってつけるのもやめてくれ。こっ恥ずかしいからっ!
「何から聞きたい?」
そんな満面の笑顔でのぞき込まれても、困る。
だいたい施設育ちは、うんと人恋しくなるタイプか、誰も信用しないタイプに別れるんだと思う。
おっさん、残念ながら後者なんだ、おれ。
「爺さんが施設長に言った、ふざけた身の上話、あれ嘘だろ?」
父親は目をみひらいた。
「本当のことを言ってくれ。きっと驚かないから。大体、いきなりやってきて施設長に大枚渡そうとするのはおかしいだろ?」
父親は、倒れていた椅子を起こすと、長い足を組んで腰かけた。
「思ったより利口なんだな、わたしの虹。金に食いつかなかったか……」
「施設はいつも金に困ってるし、一人でも減れば待ってる次のやつが入れる話も知ってる。だから話を聞いてから、あんたを信用するかどうか決めさせてもらう」
「理解が早くて助かるよ。では、さっそく聞くが、これに見覚えはあるか?」
指を鳴らすと、壁面のドレープの寄った布がするすると開いた。
「……見覚え……?」
大きな額に入った、それは何か古い旗のように見えた。
聖杯と細長い十字が描かれていた。
それに二人の天使。
天使が誰なのか、おれはそれを知っている気がする。
おれはきっとこの旗のすぐ側にいたはずだ。
……あの時、海側の南蛮船から砲弾が飛んできたのだ。
白い綸子の袖が、ちぎれて風に舞った……
「・……四郎さまっ……!」
身体中を包み込むように既視感が襲ってきて、おれはその場にぶっ倒れて痙攣した。
「虹っ!」
駆け寄る南蛮具足の武士の手の中で、過去のおれは息絶えたのだ……




