◆ Happy Halloween ◆
まばたきするともう、本棚の前にいた。左手に抜き取った一冊、右手に、例のブックマーカーを手にしたまま。私は思わず辺りを見回すと、通路からスタッフが顔をのぞかせてきた。
「申し訳ございませんが、もう閉館でして……」
「へ!?」
腕時計を見ると、八時が近づこうとしていた。驚きを隠せないまま、私は足早にそこを離れた。けれども、やはりどうしても確かめたいことがあった。
「あのー?」
誰もいないカウンターの奥から、長年ここに勤めているスタッフが出てきた。見知っているとはいえ、今日まで特に会話をしたことはなかったが、その人になら訊けそうな気がした。
「丸いメガネをかけた、黒髪の女性のスタッフさんは、もういませんか?」
「んー? さぁ誰だろう、メガネの人はたくさんいるしねぇ」
私は更に記憶をさかのぼり、その人の特徴をゆっくりと伝えていく。ほんの短い時間に向き合っただけなのに、鮮明に覚えていた。
「ウェーブがかかった黒髪の……ああ、ここではお団子にして後ろで纏めていたんですが。もう帰られましたかね……あ、そう、このチラシ! これを案内してくれました」
スタッフはチラシを受け取ると、それを何度か前後させ、内容に目を通していく。しかし
「んー、これはうちのイベントじゃないなぁ。お探しの人もここにはいないよ。僕は管理者だから言い切れます」
頭が真っ白になってしまった。何かの間違いではありませんかという声が宙を切るのだけ分かると
「そう、ですか……」
口だけが、力を絞り出すように応じた。
外に出た頃には、こちらの風も冷たくなっていた。先の大通りの賑わいが現実を呼び戻してくると、溜め息がこぼれた。
「あの人だと思う」
まるで押してはいけないボタンか何かに触れ、強制退室を余儀なくされたような気分だ。BARではなるべく気持ちを抑え、大人しくしていたつもりだ。そしていざという時に踏み込んだそこは、一発アウトの領域だったのだろうか。
「じゃあ何で聞こえる……」
ぶつくさ言いながら歩いていると、ピタと足が止まった。自分にだけ聞こえていた――その状況に、“特別”という表現が閃いた。
鞄をかき回すと、スマートフォンを見つけ、はっとする。
「返されてる……!」
その手で検索画面を開くと、“オニキス”というパワーストーンを調べた。あらゆるオニキスのアクセサリーが出てくると、その中でも原石の画像とともに、意味や石言葉が綴られているページを開いた。
「所によっては災いを呼ぶものか……でも、魔除けや幸福を呼ぶ守りの石でもある……」
他にも、層による縞模様があるものがオニキスと認められるらしい。その石の歴史は長く、だんだん画面をスクロールする手が速まっていく。すると、ある石言葉が目に入った。
「“秘密”?」
それがどういう意味なのかは具体的に説かれていない。誤情報と受け取れなくもないが、何故かその石言葉に惹かれてしまった。
スマートフォンを仕舞い、ブックマーカーをもう一度ポケットから出してみる。街灯のかすかな光を受け、漆黒と金色の縞模様が煌めいた。特別な雰囲気を醸し出すオニキスから底面の部分まで、じっと目を這わせていく。
「秘められているものを、表に出すか出さないか……」
表に出ないことの上品さ。外に出ることの華やかさ。守ることの美しさ。
じょじょに広がる意味を追いかけているうちに、図書館を振り返っていた。そこはもう、すっかり眠りに落ちている。
あの時間は決して夢でも嘘でもない。それをブックマーカーが証明している。だとすれば、この出来事を伝えたい。伝えねばならないと、胸がトクトクと踊りだす。ただ、今手が止まっている自分にそれができるのだろうか。
“イシは示すことができ、また、そのためにある”
ふと耳に過った真っ直ぐな声に、顎が上がった。
「いし……イシ……石……あ、意志っ!?」
雷が落ちたような気分だった。そのせいで、横を犬と歩いていた人が跳び上がり、私は慌てて頭を下げてそそくさと離れた。
答えを確かめたくてもBARには行けず、まるで置いてけぼりだと肩を落としたその時――鞄の中の小さなメモブックに気づいた。
絵、詩、歌、言葉、いつかの気持ちを綴った一文が連なっている。ページをめくるにつれ、それらが小説を書くためのあらゆるキッカケであることを、改めて思い返していく。
ただ掘り起こされただけの、汚れを残したままの作品が、いずれ光ると、誰かのためになると言ってもらえたらば、それほど嬉しいことはない。それに似た体験を、ブックマーカーのオニキスを通じて思い出した。世界には色々な人がいる。それを教えてくれた貴重な時間もまた、一緒に。
街灯の中を通っていくと、シュルルッと、金の光がブックマーカーを迸った。
“~Happy Halloween~”
素敵な新年を願う今年最後の言葉が、自分を表現できない悩みを“できる”に綴り直されていく。
本棚のすきま――その向こう側を、またのぞいてみたい。でもそれは、新たな悩みの機会まで取っておいてもいいかもしれない。その方が、新しいイシに出会えるような気がした。
Fin.




