◆ 過ぎた一年と、始まりの一年のために ◆
「そう珍しくはありません。よく知られるパワーストーンです」
特別だと話していた割にクロウは反対のことを言うのかと、私は首をかしげ、元いた席にしずしずと向かう。
魔術師は皿のオニキスを見ると、私の瞳をのぞき込んだ。帽子の影からの眼差しに、鼓動が早鐘を打つ。そこに渦巻く金色の光の集まりに、ぐいぐいと引き込まれてしまう。
「貴方もまた、世に刺激を与えたがるようですね」
ボトンッ――と、悩みの池に魔術師の言葉が落ちた。
「でも今は、前より腕や感覚が落ちたような気がしている。ここに来てから、よりその悩みがぷんぷん匂っていたよ」
「はあ……確かに、たまに分かりやすいと言われたりはします……」
思い出すほど身体中に熱さが広がっていく。
「十月三十一日は、一年の終わりの日。新しい一年に向けて再出発をする。心を入れ替え、次の準備をする。それを補助するのが貴方の場合、羅針盤オニキス」
言い終えると、魔術師は指を鳴らした。
私は皿から腕にかけて振動を受けると、浮かび上がる小さな金の魔法陣に呆気にとられる。そして、バチンッと、誰よりも大きくて強い光が弾けた。まばたきも忘れ、そろり、皿に寝そべるものを摘まんだ。
ゴールドの緩やかなS字を描く、平たい棒。その先端にオニキスが揺れている。
「ブックマーカー……?」
まじまじと眺めていると、底面があるのに気づいた。本に挟んだ際に、地でしっかりと固定されるようになっている。そして、それだけではないと、そっとそれをカウンターに立ててみた。すると、小さな街灯が立つような装飾雑貨に変わる。
「光を見ていれば、いつか冷静さを取り戻せる。そして心が安定し、ゆっくりであれ確実に、負の感情は光に吸収されていく」
魔術師の静かな声の中、クロウがカウンターに皿を置いた。その時、全ての皿がそこへズラズラと吸い寄せられ、最後に私が手にする一枚が、するりと抜けていった。
「吸収されていくというのはなにも、くすんで濁り、黒くなるというわけではない」
魔術師は杖の先の“夜の地球”に手をかざし、ふわりと回した。じわじわと金色の大陸が浮かび上がってくると、細かな光の明滅が現れた。
「新しい力に生まれ変わり、次の行き先を灯してくれるということ」
私は回転を止めない“夜の地球”から、その言葉に導かれるようにブックマーカーを取った。そして、半端な気持ちが散ばる悩みを振り返った。
「三つの物語を書きました。でもその度に、作家への壁は高くなっていきました」
その原因はたくさん思い浮かぶけれど、今の自分が気になるのは、文章が上手くならない、その形式がイマイチ納得できないというモヤモヤした感情だった。
「夢を声にしていい気分になったのは、初めてです」
私は言うと、ドラキュラの仮装をした人を見た。その人は何も言わず、ただ笑い返してくる。
ああだこうだと言って書き直したもの。見ていられなくて捨てたもの。何が言いたいのか分からないと言われたもの。そこから、どうしてよいか分からない感情に陥り、書きたくなくなったこと。あるいは、これが自分の表現だと強引に押し通したこと――あらゆる出来事を、凹凸のあるオニキスの中に見つめた。
ブックマーカーを揺らすと、チロチロと放たれる艶に、目力が強まっていく。
「今日まで、現実や恥じらいを言い訳にばかりしてきました。そして言いなりにもなった。“やれるわけがない、現実的になれ”という言葉に」
実際、やれていない。三つの作品の分だけプロセスを踏んでも、周りが、何より自分が納得できるものを得られていない。
「でも皆さんを見てて、そんなこと、どうでもよくなりました。私は今、自分をどう表現するかが大事なのかもしれません……」
ふぉっふぉっふぉ、と、老人の笑いが先立った時、ここにいる一人一人の柔らかな声援や、手を叩く音がした。とても心地よかった。
「貴方が表現しようと苦しみ、その果てに形になったものは、決して嘘ではない。イシ(・・)は示すことができ、また、そのためにある」
魔術師はスタウトビールを飲み干すと、カウンターにグラスを打ちつけ、ニヤリとした。
「お陰様で主は嬉しそうです。自身を語るように、その石を語る」
クロウの凛々しさは、本当に紳士のようだった。
そのイメージを、魔術師が控えめな咳払いで濁してしまう。クロウがピタリと話すのを止めた様子から、やはり二人の間に漂う空気はどこか違っていた。
クロウがカフスボタンの位置を直している隙間から、水晶らしき透明の石が淑やかに煌めいた。私はそれに目を奪われていると、再びくちばしが動き出す。
「パワーストーンは、“迷い人”の心に絶対的に潜んでいる“強さ”を引き出す。その力は、魔法と予知の夜であるOíche Shamhna――ハロウィンの夜にこそ輝きます」
そして、私が初めての言葉に目をしばたいていると
「アイルランドの言葉です」
お決まりのようにクロウは言い足し、指を鳴らした。どこからともなくドコドコと音がしたかと思うと、テーブルや床にカブやカボチャが転がっていく。
「ランタン作りではお怪我のないように。帰る際に表の焚火で灯して下さい。魔物についてこられては、新年の備えが台無しになります」
周囲が再び盛り上がり、帰り道用のランタンをこしらえるぞと、私は手を引かれてしまう。手元が器用でない子ども達や老人の見守り役に、あっさり任命されてしまった。
そしてその最中でも、また二人のひそひそ話に耳が持っていかれ、チラとカウンターをうかがった。




