◆ 支えにするもの ◆
バームブラックを崩すかたわら、横で皿に目を近づけて懸命になる老人がちゃんと石を見つけられるか、そばの子ども達が誤って石を呑み込まないかと、私はヒヤヒヤしながら見守った。そうしていると、ひそひそと二つの声が耳に流れ込んできた。
「表現のこだわりが強くなったのでは、ヘッド? いずれ副業との境目が判別できなくなるかもしれませんぞ」
「心配なあまり酔っちまったんだね。大丈夫さ、その役割はこの先も変わらないよ、ポストマン。ただ近頃は忙しくなってきたじゃないか。表現者がどんどん増えてるのは、世界を飛び回るあんたが一番よく知ってるだろう」
「いかにも。貴方が人間界に赴く頻度が増えすぎても、あまりよくはない。それを担当する存在が別いてもいい、というお考えですな」
「長い目で見て、だね。まぁ、今はまだ私だけでやれるさ……」
カチャッ――と、思わずフォークを止めてしまう。私は二人の謎めいた会話に気を取られ、石探しどころではなかった。
胸にたくさんの疑問が渦巻いていく。でも、口を開きかけたところで止まった。バタバタと何人かが皿を持って魔術師のもとへやって来てしまった。
おかげで私はその場から押しやられ、いよいよ席を立たずにはいられなくなり、魔術師からどんどん遠ざかってしまう。そしてカウンターから距離ができると、先ほど耳にした二人の話し声をなぞりながら、“迷い人”と魔術師のやりとりを眺めた。
シマ猫の人の皿にころがる淡いピンクをした石には、透明感もあった。魔術師はそれを見つめ、ゆったりとまばたきすると、視線を上げた。
「貴方を抱きしめるローズクォーツ」
同時に、指の音がした。ジリリと、皿の上で小さな火花がささやかに弾ける。
「溜まりに溜まった気持ちを解放し、想い人に今の貴方をちゃんと見せてやってはどうだろう。貴方自身がまず温もりを得て、前向きになるためにね」
それを聞いて、その人はちょろちょろと笑いをこぼす。
「我慢しようと思ってきたのに、だんだん耐えられなくなって。全部裏目に出ちゃったら、めちゃくちゃワガママな自分が見えて……そうやって崩れてみすぼらしくなっていくのが、ほとほと嫌になったわ……」
その気持ちがイマイチ相手に伝わらないと、今度は空笑いを見せる。
「どこかでは分かってた。私が今の私を嫌々ながらも認めるみたいに、あの人にも今の私を知ってもらわなきゃって。いつも明るくは、もういられない……疲れた……」
「長い旅路を歩いていると、関係の糸がもつれることもあって自然だよ。貴方が今吐き出した気持ちを胸に、まずはストーンで自分を愛し、心を許しておやり」
その人は皿のものを摘まみ上げると、片耳につけた。ローズクォーツのピアスが煌めいたかと思うと、顎ラインの髪の影にスッと浮かんだ震える微笑みから、一粒の光が滴り落ちた。
骨付き肉になったコミカルな人がやって来るそばから、魔術師はクスクスと笑いが止まらないでいた。その人の真面目な顔が、よけいにそうさせているらしい。けれども、皿に乗っかるものを目にするなり首を振って納得を見せた。
「自己実現の旅の盾ターコイズだね」
鮮やかな水色の石に魔方陣が浮かび、エネルギッシュな火花が音を放った途端、その人は大きく跳び上がる。それにもまた、どっと笑いが起きた。
「ブッチャーなんだね。店を継いでまだ日が浅いようで」
「おうよ。全身全霊でやってるぜ。いや、別にいつもこんな格好ってわけじゃないぞ」
「つまりこの時季だからってことだね。それで今日は、仕事が終わったその足でここに来たと」
その通りと言いながら、その人は皿の上のものを何度か慎重に触れ、そっと摘まみ上げる。黒革でできた輪は腕時計にも見えたが、ターコイズが埋まるシックなブレスレットだ。
「ビール販売のために随分と足を使っているようだね」
魔術師の労いが滲む言葉に、その人は平気そうに笑うも、顔には少々疲れが出て見えた。
「そうさ、あっちこっち営業してる。ステーキハウスをやってる仲間と手を組むことになって、俺もビールやワインに興味が湧いたんだ。ただ、そっちの道は俺にとっちゃ真新しい。そうすぐにゃあ軌道に乗らねぇもんよ」
勢いある性格の印象だが、新しい企画の話となると職人らしい顔になる。
「肉を提供する横で酒もすすめられたらいいもんだ。そういう夢を追ってる。やるなら徹底的に、真面目に、ウマさにこだわるためにプロフェッショナルにするもんだろう? そして面白くだ」
その言葉に、ドクンと、私の心が身体を打った。精肉加工もお酒も全く分からないのに、その中で何か、見知った形のものに触れたような気がした。
「ただやりてぇんじゃない。俺が今やってるのは、死んだ親父よりもずっと前の代から続く店だ。失くすわけにはいかねぇ、守らねぇと……」
これは闘いなんだ――そう言いながら腕輪の石の凹凸を親指でなぞっていると、その人は、はっと魔術師を見た。
「あんた、これを盾と言ったか!?」
魔術師は帽子の影で口元を釣り上げる。
「昔から守りの石として、戦士や旅人が身に着けていた。そのパワーストーンは、貴方そのものと言える。苦労は続いても、その強い意志は裏切らない」
その人は言葉を受け取ると、歯を光らせ、腕輪を着けた手を力強く掲げた。
私は、頭でその二人のやり取りを振り返ってみるうちに、ハッキリと声にしてみた自分の悩みの見え方が少し変わりはじめた。そう感じていると、ちょこちょこっと忙しない足音が迫ってきた。
「ねぇみて! とってもキレイ!」
リトルダケが嬉しそうに皿の石を見せてきては、魔術師の方へ跳ねるように駆けて行く。そして、もっちりとした頬を上げると、皿を差し出した。
「ほう……やはり、こちらの仕事に引き寄せられているようですな」
クロウの呟きに魔術師もそっと帽子を上げ、目を見開いた。石の輝きは強く、これといった色がすぐに分からなかった。透明であるならば、よくある水晶だろうかと、私は頭をひねっていく。ところが
「未来を灯す目になるムーンストーン」
魔術師のゆったりとした声に続き、チリリッと、どこか可愛らしい火花の音がした。透けたミルク色をしたその石が、新たな姿を授かった。魔術師はそれらをひょいと取ると、リトルダケの手を引き、おさげの先をいじりながら口を開く。
「だがね、リトルダケ。どうしたってあんたに同じ術は使えないんだ。それでも、真っ直ぐな心のままに生きていれば、それ相応の力を得ることはできる。必ずしも誰かと同じでないといけないわけじゃない。あんたという一人の人間が使える唯一の術が、あるんだよ」
魔術師がもう片方のおさげを手にした時、リトルダケは、チラと私に丸い目を向けた。
「さっき、あのひとにいってた、“ひょうげんのじゅつ”?」
するりと飛んできたその言葉に、私は目を見開いた。ここに来てよく耳にする“表現”という表現が、キュッと心に刻まれると、手を握り締める。
「よく解ってるじゃないか。何かに迷った時はこれに触れて、ちゃんと立ち止まって考えること。焦りは何も生まないよ。まずはその場と先をじっと見つめ、想像してみることだ」
リトルダケは、ムーンストーンが連なる髪留めをギュッと掴むと、声を上げて飛び跳ねた。
皆を見ているうちに、私の心はだんだんとザワついていく。何気なく眺めていた魔術師と“迷い人”のやりとりに、自分が置き去りにしてきたものや、気を取られ過ぎてきたものが、ふつふつと浮かび上がってくる。
そこへ、コツッ、コツッと音がした。まるで時計の針のようで、私はうっかり足元に落ちてしまっていた視線を上げる。
老人は古びた杖をぎこちなく動かしながら、椅子ごと魔術師に向いた。そして、力が入って震える皿をカタカタと差し出していく。くっきりとした紫色を放つ石が、揺れる皿の上でありながらも、どっしりと身構えていた。
「気高きバランサーのアメジストですね」
老人はこの時間がたいそう楽しいのか、白みがかった灰色の髭をゆっさゆっさと揺らして笑っている。
「こりゃあ歩く歴史です。先立たれた奥さんだけでなく、お仲間さんにも支えられている。そういう足をしておられる」
魔術師の言葉に、老人は更に声を上げると、ふううと背もたれに肩を下ろした。
「平和が来るまでの八十年、コーヒーを飲む時間と足だけは守り抜いた。じゃが神は、両腕も残して下さった。片方の力は早くから抜けていくようになったが、わしゃ元気じゃよ。こんなになった今、もう新たに欲しいもんはあらんよ」
老人は言うと、魔術師が手にする石に、右手をおもむろに伸ばしていく。袖が少し足りない仮装からのぞく、石を摘まんだ腕。そこに刻まれた深い溝のような傷跡は、すっかり古くても、燻さるものをいつまでも残していた。
「皆が笑ってりゃあ、それでいい。かわいい子ども達が恐がるものの無い世界で。あんたもそうじゃろう、オニキスさんや?」
二人のやりとりはやがて、周りの小さな話し声に塗り替わっていく。魔術師の帽子の影に潜む口元は、動きを忘れてしまっていた。その反対に、老人は相変わらず髭をもごもごと揺らして笑っている。それが次第に、魔術師の口元を引き上げていった。
「世界の平和をずっと祈る心が、そのまま石になりました。私にできることはしれています」
下を向けられた指がそっと音を鳴らした時――魔方陣が現れた。それは老人の指先から溶けるように垂れ下がると、細長く床を目指していく。
「貴方がこの先も、栄光達と歩んでいけますように……」
老人は目をまたたくと、柔らかな笑みを浮かべながら、アメジストの埋まった新しい杖を握った。石の表面を丁寧に感じながら、名前らしき言葉をたくさん呟いていった。
私は、手元のバラバラになったバームブラックを見つめた。白色の皿の上に転がる茶色の欠片とフルーツを、ふらふらと追いかける。一つ一つ個性があるそれらは、石に見えてきてしまう。けれども、どこにもなかった。
きっと天狗の鼻が邪魔しているからだと、額へ押しやる。淡い光の空間が異様に眩しく、目をすぼめてしまったその時、そっと影が落ちた。
「これそうじゃんか。ほら、よく見なよ」
スナイパーのその子の指先に、私は目を見開いていく。レーズンだと思っていた黒いそれは、突いてみるととても硬かった。誰の石よりも小さいが、薄っすらとした金のうねりが縞模様を描く姿は、どこか特別だった。
「ひょっとしてそれ、オニキスじゃないかい?」
いつの間にかクリスタルのチョーカーを贈られていたドラキュラの人が、声をかけてきた。私は石の名前を聞くなり、そっと魔術師を見る。するとまた――ひそひそと耳がくすぐられた。
「遠回しではありませんか。館に招きたいなら、素直にそう伝えるとよろしいかと?」
「私じゃない。あの“迷い人”が引き寄せたのさ。やはり特別だったようだね」
こんなに離れていても、その話し声は二人の隣にいるかのようにハッキリと聞こえた。なのに、皆は気にせず騒いでいる。気づいていないにしては妙だった。老人の他にも二人の周りには人がいながら、誰もそこに見向きもしなかった。




