◆ Trick or Treat! ◆
ただ一つまばたきした途端、ふっと、冷たい風が頬を撫でた。
「えっ……!?」
見ると辺りには、赤や黄、茶色の木の葉が舞い、カブのランタンがふらんふらんと浮遊している。
両側にはレンガ張りの地面が広がり、それを分断するようにして真っ直ぐ伸びる石畳の通路。そこをじっと辿ると、木造の小さな店があった。木々や蔦などの植物に覆われ、大きさや奥行きがどこまであるのかは分からない。古い二枚扉はファンタジー作品に登場しそうなもので、鉄輪のノブが見える。擦りガラスには看板が下がり、ぼんやりとした紫の光で“BAR -Hallows Eve-”という文字が、パタンパタンと音を立てていた。
「……山? 森?」
振り返ってみても、ひらひらと木の葉が通り過ぎるだけで、出発点の図書館すらない。引き返しても永遠に道が続いているような気配がし、私は一つ息を吐くと、前に向き直った。
店に近づいてみると、扉の横に何やら大きな黒い球があった。木製のワゴンに固定されており、表面や中の深いところにまで、チリチリと金色の光がうごめいている。すると、中で泳ぐ細かな光が集まりはじめたかと思うと、しゅるりと動いた。光は横一列に広がり、何パターンかの言語を流れるように表すと、“入る前に触れること"と日本語を成した。
その理由に首をかしげていると、店の中から騒ぎを聞きつけた。あの歌のように、子どもから老人まで様々な声がする。けれども何を言っているのか分からない。早口に聞こえたり、ゆったりとした口調に聞こえたり。とにかく音にしか聞こえず、気になって扉に寄り掛かると――そのまま押し開けてしまった。
ギイイッと、隙間から顔をのぞかせた途端、たくさんの目と合った。
「Hey! Trick or Treat!」
「Dolcetto o scherzetto?」
「트릭 오어 트릿!」
「不给糖,就捣蛋!」
わいわい言語が押し寄せたかと思うと、カラスの鳴き声が一つ響いた。
「うおっ!」
私は咄嗟に後ずさると、コツンと、かかとが何かを打った。見ると、あの黒い球が転がっていた。それを慌てて両手に取ると、金の光がうねりを起こす。そして、“日本語”と浮かび上がった。
「入る前に触れとあったでしょう」
低く紳士的な声にはっとしたのも束の間、また別の声が飛び込んだ。
「クロウ、この人なーんも着けてないし、なーんの格好もしてないよ!」
「クロウや、まさかこれが魔物か?」
聞き取れなかった言語が日本語で聞こえてくるなり、私は辺りを見回した。黒い何かが首を横に振った気がし、そこを振り向く。と、ふわっと、オレンジ色の光が緩やかに視界を過った。
温かな光の舞が薄れるにつれ、ハロウィンらしい空間がじんわりと浮かび上がる。その奥にはカウンターがあり、カラスが――と言ってもそれは頭だけで、身体は人間をしたバーテンダーが立っていた。
「鳥人間!?」
私は急いで鞄をあさる。ところが目的の物が無く、腰回りやポケットをさぐった。そこへ、咳払いがした。
「見たままの通りでございますが、私はクロウと申します。恐れながら、ここでは電子機器類はお断りです」
少々太くなる流暢な日本語を話し終えると、クロウはパチンと指を鳴らした。それに釣られ、私はふと見上げると、ドリンク棚を背に浮かんだ“機器類の使用禁止”のシグナルに声を失くした。そしてコトッと、湯気の立つ湯呑が差し出された。
「どうぞ、まずは日本茶で落ち着いて下さい。ご安心を。携帯電話はお帰りの際に返却いたします」
それからこちらへと、クロウは前の席に私を誘った。
「ほう、その席はいい。隣に“あの方”が来る」
魔物ではないかと案じていた老人に、私はおずおずと会釈した。ニコやかに座る老人は、鎌を背負う死神の仮装で、ひょいとマグカップを持ち上げて見せる。アイリッシュコーヒーだと言い、おっとりと口に運んだ。
「ああそうだ、仮装」
私は慌てて抱えていたコートを広げようとすると、ポンッと、日本茶の横に天狗の面が現れた。
「それでは表現力がなさ過ぎです。注意書きには関心を持たない主義ですかな、“迷い人”。それでは魔物にさらわれても仕方がない」
「え、ああ……それはどうもすいません……“迷い人”?」
辿りつけるかもしれない法にそって来たのに妙な言い方をするものだと、私はそろそろと面を着けていると
「わー、何も知らないお客さんだ!」
顔にガイコツのペイントをした子どもがからかってきた。仄かにリンゴの香りがする。マグカップの中はきっとリンゴジュースだろう。そう察した時、クロウがくちばしを鳴らした。
「正確にはアップルサイダーです。ハロウィンの代表的な飲み物ですよ」
「えっ!?」
胸中に浮かぶ答えをあっさりと指摘され、面がうっかりズレてしまった。
クロウはネクタイを整え、凛々しい眼差しを向ける。
「“迷い人”とは、悩みや事情があって次のプロセスに進めずにいる方を言います」
「はあ……」
だが私は、話をそっちのけにクロウについつい感動の息をもらしてしまう。頭は一見普通のカラスでも、スマートな佇まいには他とは違ったオーラがあり、外で別のカラスと紛れていても区別できる自信が湧く。
「そのような方々は世界中から訪れます。となると、何かがあった時にコミュニケーションを円滑に取れなくてはなりません。そのため、入店前に表の“夜の地球”に触れ、言語を合わせて頂くのが当店のルールです」
そして私の心に募りつつある問を拾い上げ、案内を終えてしまった。




