↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
自堕落に生きると決めた貴族、何故か今日も忙しい ~高級自堕落貴族を目指す~  作者: 鏑右いなだ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
26/26

第26話 粉物

 ミットリオは数日ぶりに厨房へ足を踏み入れた。


 窓から差し込む朝日がいつもより眩しく、そして優しく感じられる。


 ここ数日は、納涼祭の準備でまるで戦場のようだった。


 (ふっ)


 ミットリオは、前世で見た男たちの暑苦しい記憶を思い出し、ニヒルに笑う。


 だが、今日は違う。

 誰も「坊ちゃんっ!」と呼びはしないし、誰も設計図を抱えて駆け込んでもこない。


 今日だけは、静かに、好きなことだけに没頭できるのだ。


「……世界って、こんなに静かだったっけ」


 朝日を浴びながら、ミットリオはぽつりと呟いた。


「……何やってるんすか?」


 その姿をニカラに見られて、ミットリオはハッと正気に戻る。




「さて、やりますか」


 ミットリオはエプロンの紐をきゅっと結び、改めて気合いを入れ直した。


「どんな料理をするんですか?」


 すっかりエプロン姿が様になったニカラが尋ねてくる。


「夏祭りでしか食べられない、特別な食べ物さ」


 ミットリオの目が輝き、ニヤリと意味ありげな笑みが浮かぶ。

 普段、シトレアやシュトラにも向けたことのないその笑みに、ニカラは少し驚いた。


「……坊ちゃんってもしかして、料理が好きなんですか?」


「急にどうしたの?」


「いや~、前に料理してる時も、なんだかとても嬉しそうにしてたんで、ちょっと気になって」


「……うーん。別にそういうわけでもないかな」


「というと?」


「前にニカラが話してくれた、人のために料理を作りたいって気持ちは、俺には全然ないんだよね。俺は自分が食べたい物を作るのが好きなだけだから。そういうのとは、ちょっと違うと思うよ」


「でも、いつも楽しそうに料理してるじゃないすか」


「まあ、作った料理を美味しいって言ってもらえるのは嬉しいけどさ。ニカラみたいな探究心とか好奇心とか、奉仕の心とかは、俺には無いからね。好きかって聞かれたら……まあ、普通くらいなんじゃない?」


「そんなもんすかー」


「そんなもんだよ」


 二人は雑談を交えながらも、テキパキと料理に必要な具材と器具を並べていく。




「何から作りますか?」


「うーん」


 ニカラの何気ない問いに、ミットリオは腕を組んで頭を悩ませる。


 (夏祭りで、一番に食べたい物ってなんだ? やっぱり王道の粉物系か?)


 夏祭りと言えば、真っ先に頭に浮かぶのは王道の粉物だ。

 たこ焼き、お好み焼き、焼きそば、ベビーカステラ。そういえば今川焼きという食べ物も見た覚えがある。

 西の方では、お好み焼きを箸代わりの何かに巻いて食べる、という話も聞いたことがあった気がする。


「うーん……」


 王道のたこ焼きは外せない、と言いたいところだが、すぐに用意できる鉄板や器具がない。

 タコや青のりといった食材も手に入らない。


 卵はある。

 天かすなら何とか作れそうだ。

 そういえば紅ショウガもなかった。


 (たこ焼きは無理だな……)


 条件が揃わない以上、たこ焼きは諦めるしかない。


 (となると、比較的簡単な食材で作れるお好み焼きか、それとも豚肉を使ったとん平焼きか? でも味付けはどうする? ソースだけじゃ……、 ……っ!)


 そこでミットリオは、ある重大な事実に思い至った。


「ニカラ! ソースってあるっ!?」


 粉物の味を決定づけると言っても過言ではないソースが、この世界に存在するのかどうかを、すっかり失念していたのだ。

 ミットリオはその事実に気付くと、すさまじい形相でニカラの方に振り返り詰め寄った。


「えっ! ソ、ソースっすか!? あるにはありますけど……」


「どんな感じのやつっ!?」


「と言われましても……、逆にどのようなソースをご所望でしょうか? 例えばホワイトソースやブルーテソース、それとも煮詰めたブラウンソースとか……」


「えっと、えっと、えっと! 野菜や果実に香辛料を加えて、発酵させたソースってあるっ?」


 ミットリオは頭の奥底から記憶を引っ張り出し、ウスターソースのぼんやりとした特徴を必死に伝える。


「ああ、それなら……」


「あるの!?」


「ちょっと待ってください」


 どうやら心当たりがあるらしく、ニカラは調理場の奥のヤードへと消えていく。

 一分も経たないうちに戻ってくると、その手には小さな小瓶が二つ握られていた。


「これなんですけど……。昔、王宮にいた頃に偶然できた調味料を譲ってもらったんすよね。辞める時にもったいないからって持ってきたんです。あとこっちは、一応必要かなと思って持ってきた、匂いの薄い魚醤です」


「おおおっ……!」


 ニカラの仕事ぶりに、ミットリオは感嘆して体を震わせる。


「どうしたんすか?」


「……ちょっと味見してもいい?」


「……いいですけど、大丈夫ですかね。こっちの魚醤はまだ大丈夫だと思いますけど、ソースの方は舐めたことないんで分かりませんよ。腐ってないかも保証できないですよ」


「まあ、舌に乗せてピリピリしなければ大丈夫でしょ」


 これでも前世は、元軍人で戦士だ。

 危ない食べ物も、腐りかけの食べ物も、クソ不味い食べ物も、経験として山ほど食べてきた。

 何でも来いの精神は健在である。


「……ニカラも舐めてね」


「えっ! 私もですか!?」


「そりゃそうだよ、料理人なんだから味の探求はしないと」


「うっ……、そう言われると弱いです……」


「まあ、やばかったらすぐに父さんを呼べば治してもらえるから。大丈夫だって」


「それはそうですけど……」




 ミットリオは、ニカラの手から小瓶を受け取ると、調理台の上にそっと置いた。

 紐をスルスルと解き、瓶を覆う紙と蓋を慎重に開けていく。


「……おっ?」


 蓋を開けた途端、思いのほか芳醇な香辛料の匂いがふわりと広がり、身構えていたミットリオとニカラの鼻をくすぐった。


「……意外といい匂い?」


「……そうですね。香辛料と、それと酸味の匂いがします」


 さすが料理人の鼻を持つニカラだけあって、微かな匂いも逃さず嗅ぎ分けているようだった。


「……じゃあ、舐めるね」


「……はい」


 二人は互いに手の甲へソースを少量乗せると、舌でぺろりと舐めてみる。


 (っん!)


 ミットリオは、口の中に流れ込んできた酸味と塩味の強さに、思わず体を震わせた。


 (結構酸っぱいし、香辛料も利いてるな……。でも、思ったより悪くないぞ?)


 前世で慣れ親しんだソースの味から、そう遠くないことに、ミットリオはじんわりと嬉しくなる。


 ふとニカラを見ると、思ったよりも好印象だったのか、少し嬉しそうな顔でソースを舐めていた。


「……ちょっと酸味が強いけど、悪くないね」


「そうですか? 私は、なかなか悪くないと思いましたけど」


 (そうか……。子供と大人じゃ味覚の感じ方が違うのか。だとすると、俺が当てにしてた前世の味の記憶も、案外ずれてるのかもな)


 魚醤の方は、ニカラの言うとおり匂いは控えめながら、しっかりと魚を発酵させた旨みのある味だった。


 (これなら、少し手を加えれば焼き鳥や焼きとうもろこしなんかも作れそうだ)


 思いがけない副産物に、ミットリオはひそかに喜ぶ。


「うんっ、悪くないと思う。このソースをベースに味付けしようか」


「ちなみに、その料理というのは?」


「お好み焼きと、とん平焼きさ」


 ミットリオは、ニヤッと笑った。




「じゃーん!」


 ミットリオとニカラの目の前には、出来たてホカホカのお好み焼きと、とん平焼きが並んでいた。


 小麦粉、ブイヨン、キャベツ、卵、川エビを使ったお好み焼き。

 そこに豚の細切れを加えた、とん平焼き。


 かつおぶしも青のりもないが、無いものは無いと割り切ることにした。


「それで、この上にソースを掛けると……」


 ハケを使い、お好み焼きととん平焼きの表面に、丁寧にソースを塗っていく。


「おおおっ!」


「ソースを掛けたら、すっごく良い匂いですね!」


 鼻腔をくすぐる香ばしい匂いに、二人は思わず鼻をヒクヒクさせた。


「坊ちゃん!」


「うん! 食べよう!」


 丁寧にナイフで切り分けると、まずはお好み焼きを一口。


「んっ!」


「これはっ……!」


「「美味しいっ!」」


 ミットリオとニカラの口から、ほぼ同時に感嘆の声が漏れた。


「これこれっ、この味だよっ」


「出汁の利いた生地に、キャベツの甘さと川エビの香ばしさがたまらないですっ。そこにソースが絶妙に絡んで、癖になる味になってますっ!」


 続けて、とん平焼きも切り分けて口に運ぶ。


「これもいいねっ!」


「こっちはこっちで、また違う味わいですね。豚肉の旨みがキャベツとよく合ってます。カリッと焼けた豚肉が香ばしくて、ふわふわの卵との相性も最高ですっ!」


 二人は一旦水を口に含み、舌をリセットする。


「どうかな? 料理人のニカラの意見、聞かせてほしいな」


「そうですね、美味しいとは思います。ですが、少し塩っぱいのと、食べづらいのは気になりました」


「そうかぁ。味の濃さが売りなんだけど、濃すぎるのもダメかぁ」


「ダメというわけではないんですけど、ソースが濃い分、生地の出汁はもう少し控えめでもいいかと。それと生地を作る時の塩を減らしましょう。あと食べづらさは、提供する時に小さく切り分ければ解消すると思います」


「なるほどね」


「それと、他にも懸念点があります」


「なに?」


「確実にソースが足りません。これだと一店舗でしか出せませんし、人手も全く足りないです」


「あ~、そうかぁ~。デフィーに手伝ってもらうのは、ダメかな?」


「だとしても、私と坊ちゃんとデフィーの三人だけで回すのは厳しいかと……」


「だよねー」


 客が押し寄せ、キャパオーバー寸前になる屋台の光景を想像して、ミットリオはげんなりした。


「ま、まあ、そこら辺は母さんや父さんに相談するよ」


「それがいいと思います」


 お好み焼きととん平焼きをつまみながら雑談していると、ふいに調理場の入り口に人影が現れた。




「良い匂いね」


「母さん」


「匂いに釣られて、来ちゃった」


 はにかんだ顔で、シトレアがそう言った。


「夏祭りの料理ね、順調かしら?」


「うん。ちょうど今、二品できたところだよ」


「そう、見せてくれるかしら」


 シトレアは、出来たてのお好み焼きととん平焼きを手に取り、覗き込むように顔を近づける。


「っ……」


 その瞬間、ソースの匂いがふわりと立ち上り、シトレアは思わず眉を寄せて、皿を体から遠ざけた。

 頬の血色が一段階引いたように見える。


「奥様っ」


「大丈夫ですかっ!?」


 デフィーとニカラが、慌てて駆け寄った。


「……ごめんなさい……、ちょっと、匂いが強かったみたい」


 そう言うシトレアの顔は、明らかに先ほどより青白い。

 額にはうっすらと汗が滲んでいた。


「あぁ……、確かに、嗅ぎ慣れてないとソースの匂いは結構くるよね。待ってて、今果実水出すね」


 具合の悪そうなシトレアのために、ミットリオは収納魔法から冷えた果実水を取り出す。


「ありがとう……」


「奥様、こちら椅子をどうぞ」


「助かるわ、ニカラ」


 シトレアは渡された果実水を一口含むと、ほっと長い息を吐いた。

 強張っていた肩から、ゆっくりと力が抜けていく。


 その横でデフィーだけが小さく目を伏せ、口元を引き結んでいた。

 慌てた様子もなく、ただじっと果実水を飲むシトレアの横顔を見つめている。


 ふと、その視線がすっと横のニカラへ移った。

 一瞬。

 ほんの一瞬だけ、デフィーの目がニカラを捉えすぐに逸れる。


 それだけだった。


 それなのに、ニカラの中でここ数日の細かな出来事が、ぱちん、ぱちん、と音を立てて繋がっていく。

 香りの強いものを避けるようになった食事。

 朝、顔色の優れない日が増えていたこと。

 そして、今この瞬間の反応。


「……っ」


 ニカラは思わず声を漏らしかけ、慌てて口を手で覆った。

 デフィーは何も言わない。

 ただ、唇の端をほんのわずかに緩めただけだった。

 その落ち着き払った様子が、かえってニカラの胸をざわつかせる。


 当のミットリオは、母の異変にまるで気付かぬまま、果実水を飲み干したシトレアの顔色が戻ってきたことに、無邪気に安堵していた。


「これの他には、どんな物を作るのかしら?」


 落ち着きを取り戻したシトレアが、気を取り直すようにそう尋ねる。


「よくぞ聞いてくれましたっ! 次は、甘い物を作ろうと思ってたんだっ!」


「あら、いいわね。甘い物なら、今の私でも食べられそうだわ。どんな物を作るの?」


 その「今の私でも」という一言に、ニカラの肩がぴくりと跳ねた。

 慌てて隣を窺うと、デフィーは涼しい顔のまま、わずかに片眉を上げただけだった。


 興味を惹かれたミットリオは、そんなやり取りにはまるで気付かず、目を輝かせて声を張り上げた。


「ふっふっふっ! それはねっ! 綿飴と、かき氷と、果物飴っ! それにベビーカステラさっ!」


 シトレアとデフィーが、一瞬だけその最後の単語に反応し、ぴくりと肩を揺らした。

 だが、それを口にした当のミットリオは、まるで気にしていなかった。


 テンション最大値で答えるミットリオを前に、シトレアとデフィーは、揃って苦笑いを浮かべる。

 ニカラだけが、その苦笑いの意味を測りかねたまま、ぎこちない笑みを返した。


「……そうと決まれば! 早速取り掛からないとっ! ニカラッ! 手伝ってっ!」


「あ、ああっ……、はいっ……」


 慌ただしく動き出すミットリオとニカラの背中を、シトレアとデフィーは、しばらく困惑した表情で見送っていた。








 



 最後までお読みいただき、ありがとうございました!

 皆さんの応援が日々の執筆の励みになっています。

 もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけたら、画面下の【★で称える】や【フォロー】をポチッと押していただけると非常に嬉しいです!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。