8食目 回転寿司♪
昼下がり。
杏々は今日も、特に目的地を決めずに歩いていた。
てくてく。
てくてく。
「…………」
パン屋さん。
「…………」
カレー屋さん。
「…………」
焼肉屋さん。
「…………♡」
少し惹かれる。
でも。
その向こう。
大きな看板が見えた。
『回転寿司』
「…………!」
杏々の足が止まった。
入口の横には、色鮮やかな写真。
まぐろ。
サーモン。
えび。
いくら。
穴子。
そして。
何段にも積まれたお寿司。
「お寿司……♡」
決まり。
杏々は、そのまま店へ入った。
◇
「いらっしゃいませー!」
一人だと伝えると、カウンター席へ案内された。
杏々は椅子へ座る。
目の前。
レーン。
その上を。
お寿司が流れている。
「…………」
サーモン。
通過。
「…………」
まぐろ。
通過。
「…………」
えび。
通過。
杏々は、少しだけ店員を見る。
「これ」
「はい?」
「取っていいの?」
「もちろんです」
「好きなの?」
「お好きなお皿をどうぞ」
「…………!」
杏々の目が輝いた。
まず。まぐろ。
取る。
次。サーモン。
取る。
えび。
取る。
いくら。ねぎとろ。えんがわ。
「…………♡」
楽しい。
待っているだけで。
食べ物の方からやってくる。
「すごい」
杏々は、まぐろを一貫持ち上げた。
「いただきます」
ぱく。
「…………♡」
しっとりした赤身。
ほんのり温かい酢飯。
「おいしい」
次はサーモン。脂が甘い。
「これも好き」
えび。
「ぷりぷり」
いくら。
「ぷちぷち」
えんがわ。
「…………!」
少しだけ目が大きくなる。
こりっとした食感。あとから広がる脂。
「これも」
杏々はレーンを見る。
また、えんがわ。
「…………♡」
取る。
◇
十皿。
二十皿。
三十皿。
「…………」
杏々の横に皿が積み上がっていく。
店員が通りかかる。
「…………」
一度見る。
もう一度見る。
「お、お客様」
「?」
「お皿、お下げしましょうか?」
「まだ食べるよ?」
「いえ、食べ終わったお皿の方です」
「うん」
「あ、はい」
店員が皿を回収する。
数分後。
また積み上がる。
「…………」
今度はタッチパネル。
『炙りサーモン』
注文。
『穴子』
注文。
『赤えび』
注文。
『炙りえんがわ』
注文。
『茶碗蒸し』
注文。
『あおさのお味噌汁』
注文。
「…………」
一度止まる。
『プリン』
「…………♡」
注文。
店員は、少し離れたところからその様子を見ていた。
◇
しばらくして。
店内に軽快な音楽が流れた。
『ご来店中の皆様へお知らせいたします!』
「?」
杏々は、茶碗蒸しを食べながら顔を上げる。
『まもなく、本日最後のファイター交流イベントを開催いたします!』
壁の大型モニターの表示が変わる。
『ファイター協会公認
FIGHTER CHALLENGE!』
『本日の勝利報酬
職人おまかせ 極上五貫盛り』
「…………!」
杏々の手が止まる。
画面には、大トロ、うに、いくら、赤えび、炙りのどぐろ。
「…………」
ごくり。
『正規登録ファイター限定イベントです』
『参加希望者が複数の場合、ファイトにより勝者を決定します』
『勝者には極上五貫盛りを無料提供!』
『獲得した提供権は、正規登録ファイター間に限り譲渡可能です』
「…………」
杏々は、じっと画面をみる。
近くにいた店員へ聞く。
「これ」
「はい?」
「無料なの?」
「はい。こちらは協会との共同イベントなんです」
「協会?」
「ファイターに興味を持ってもらうための交流企画ですね」
店員がモニターを指す。
「イベント運営費や食材費の一部を協会が補助してくれているので、お店としても開催しやすいんですよ」
「へぇ」
「一般のお客様にもファイトを見て頂いて、『ファイターって楽しそうだな』と思ってもらえたら、という企画で――」
「勝ったらお寿司もらえる?」
「…………」
「?」
「はい」
「やる」
「説明、そこしか聞いてませんでした?」
「聞いてたよ」
「本当ですか?」
「お寿司」
「そこです!」
杏々は、もう参加する気だった。
◇
参加受付。
杏々がファイター資格証を提示する。
「確認できました」
「うん」
「では、参加者として登録しますね」
「お寿司」
「勝ったらです」
「うん」
その時。
「俺も参加で」
「…………?」
後ろから聞いたことのある声が聞こえた。杏々が振り返る。
「…………」
男が杏々を見る。
「…………」
「…………」
「なんか言えよ」
「バインミーの人」
「やっぱそれで覚えてんのかよ!」
以前。
最後のバインミーを巡ってファイトした男。
その時は。
まだバインミーを食べたことのない一般客へ譲るため、二人でファイトを途中でやめた。
「また会った」
「こっちの台詞だよ」
「お寿司食べに来たの?」
「ああ」
「私も」
「見れば分かる」
男が杏々の横を見る。
皿がすでにかなりの枚数積み重なっている。
「……お前、何皿食った?」
「分かんない」
「怖ぇよ」
男はモニターを見る。
「極上五貫、狙ってるんだろ?」
「うん」
「俺も」
「…………」
「…………」
「じゃあ」
「ファイト?」
「今度こそな」
「今度こそ?」
「前は途中で終わっただろ」
「うん」
「今日はちゃんと決着つけようぜ」
「分かった」
杏々は少し考える。
「極上五貫食べたい人来たら?」
「この報酬はファイター限定だから、一般客には譲れないし大丈夫だ」
「そっか」
「今回は最後までやれるだろ」
「うん」
杏々は少し嬉しそうに頷いた。
「じゃあ、やろ」
「お前、寿司のことしか考えてねぇな?」
「うん」
「認めるんだな」
◇
店内併設のファイトスペース。
普段はイベントステージとして使われているらしい。
周囲には安全柵。
観客席。
食事中の客たちも、興味津々で集まっている。
『それでは、本日のファイターチャレンジ!』
店内放送。
『参加ファイターは二名!』
拍手。
「…………」
杏々は、少しだけ周囲を見る。
子ども。家族連れ。若い客。
「ファイターって、こういう感じなんだ」
「すごいね」
「どっちが勝つかな」
そんな声が聞こえる。
「…………」
でも。
杏々が一番見ているのは、イベントスペース横の見本写真の極上五貫。
「おい」
「?」
「俺を見ろよ」
「見てるよ」
「さっきまで寿司見てただろ」
「うん」
「正直すぎんだよ!」
男が構える。
「前の俺と同じだと思うなよ」
「違うの?」
「お前の戦い方、ちょっと研究してきた」
「…………」
杏々の目が、少しだけ変わる。
「そうなの?」
「ああ」
「じゃあ、楽しみ」
「……そういうこと、さらっと言うんだよな、お前」
杏々の姿が変わる。
小さな身体から。
長い手足。
静かに整った重心。
戦うための姿。
「…………」
観客席が少しざわつく。
男も構える。
『双方、準備はよろしいでしょうか!』
「うん」
「ああ」
『それでは――』
一拍。
『ファイト、開始!』
◇
男が先に動いた。
一気に距離を詰める。
拳。杏々は避ける。
すぐ腕を取ろうとする。
「それ!」
「?」
男が腕を引く。半身。
杏々の手が空を掴んだ。
「…………」
「前にやられたからな」
「覚えてたんだ」
「当たり前だろ!」
逆。蹴り。
杏々は身体をずらす。
男は、そのまま追う。拳。蹴り。フェイント。
前より杏々との距離を意識している。
「…………」
「どうだ!」
「前よりやりにくい」
「だろ!」
男は嬉しそうだった。
「ずっと腕取られて投げられてたまるか!」
「…………」
杏々は少し考える。そして。
「じゃあ」
「?」
「腕取らない」
「……え?」
杏々が入る。速い。
「っ!」
男が反応する。腕を守る、その瞬間。
杏々の足が、男の前足へ触れた。
「うおっ!?」
重心が崩れる。
「そっち!?」
「腕守ってたから」
「くそっ!」
男は、なんとか立て直す。
「それなら!」
今度は足も警戒する。
杏々は男を見る。
「…………」
「なんだよ」
「いっぱい守ってる」
「お前がどこから来るか分かんねぇからだよ!」
「そっか」
杏々が一歩。
「じゃあ」
もう一歩。
「全部じゃないところ」
「何――」
掌。
「!」
男が防ぐ。
杏々は触れる。押さない。流す。
男の腕が外へ流れる。懐が空く。
「しまっ――」
杏々の肩が、軽く、胸元へ。
ドンッ!
「ぐっ!」
男が三歩下がる。
「…………」
止まる。まだ倒れない。
「やるな……」
「そっちも」
「前より強い?」
「前より考えてる」
「褒めてんのか、それ」
「うん」
「ならいい!」
◇
観客席が盛り上がる。
「すごい!」
「ファイターって、あんなに動くんだ!」
「やってみたい!」
イベント担当の店員は、少し嬉しそうに二人を見ていた。
協会がこのイベントへ補助を出している理由。
それは、こういう瞬間のためでもあった。
誰かが見て。興味を持つ。
ファイターになれば、食べ物を奪える。そんな制度ではない。
ルールの中で競い、勝っても、負けても、最後には同じ店で食事ができる。
そんな文化を知ってもらうためのイベント。
そして、今。
戦っている二人の目的も、非常に単純だった。
寿司。それだけ。
◇
「はぁっ!」
男が踏み込む。
杏々は避ける。
男は、すぐに方向転換した。
「今度は!」
蹴り。
杏々は腕で受ける。
バシッ!
「…………」
少し、重い。
「入った!」
「受けたよ」
「分かってる!」
杏々が少しだけ笑う。
「でも、よかった」
「何が?」
「前より当たった」
「だから!」
男が、もう一度踏み込む。
「俺は成長して――!」
杏々は、その踏み込みを待つ。
「!」
腕、今度は取らない。
肩、触れる。男が前へ出る力を少しだけ横へ。
「うおっ!?」
男の身体が流れる。
杏々は横へ回る。足。位置。腰。重心。
「まさか――」
「うん」
くるり。男の身体が浮く。
「結局投げるのかよぉぉ!!」
ドンッ!
安全マットへ着地。
「…………」
男は仰向けになった。
「くそ……」
起きようとする。
杏々は静かに待つ。
「…………」
男が身体を起こす。
杏々を見る。
「まだやる?」
「…………」
数秒。
そして。男は笑った。
「参った」
『勝負あり!』
歓声。拍手。
杏々の姿が、いつもの小さな姿へ戻る。
「勝った」
「そうだな」
男が立ち上がる。
「前よりはマシだったろ?」
「うん」
「次はもっとやるからな」
「うん」
「……相変わらず張り合いねぇな」
「でも」
「ん?」
「楽しかった」
「…………」
男が少しだけ止まる。
「そりゃどうも」
杏々は、すぐ横を見る。
「お寿司」
「余韻!」
「?」
「もういいよ!」
◇
『それでは勝者へ、本日の特別報酬です!』
職人が一枚の皿を運んでくる。
「…………」
杏々は完全に集中していた。
大トロ。
うに。
いくら。
赤えび。
炙りのどぐろ。
「…………♡」
「職人おまかせ、極上五貫盛りです!」
杏々の前へ置かれる。
「わぁ……」
さっきのファイトより。
明らかに目が輝いている。
男が横から見る。
「……そんなに顔変わる?」
「お寿司」
「分かってるよ」
店員が説明する。
「なお、こちらの提供権は規約上、正規登録ファイターの方に限り譲渡も可能です」
「…………」
杏々は男を見る。
「…………」
男も杏々を見る。
「…………」
杏々が言う。
「ファイターなら、あげてもいいんだって」
「……お?」
男の目に、少し期待が浮かぶ。
「まさか、お前――」
「でも」
「うん」
「私、食べたいからあげない」
「期待させんな!!」
「?」
「最初からそう言え!」
「食べる?」
「譲らないんだろ!」
「うん」
「じゃあ聞くな!」
杏々は納得した。
「そっか」
「くっそ……極上五貫……」
男が悔しそうに呟く。
杏々は皿を見る。
そして。
「いただきます」
まず、大トロ。
ぱく。
「…………」
ゆっくり。
目を閉じる。
「…………♡」
舌の上で。
脂がほどける。
「とろける」
「実況すんな……」
男は横で、普通のまぐろを食べている。
杏々は次に、うにを口へ運ぶ。
「…………!」
甘い。
濃い。
「これ好き」
「俺も食いたかった……」
いくら。
「ぷちぷち」
「知ってる」
赤えび。
「甘い」
「くっ……」
最後。炙りのどぐろ。香ばしい皮。
脂。酢飯。
「…………」
杏々は、ゆっくり噛む。
「おいしい」
「……そうかよ」
皿が空になる。
「ごちそうさまでした♪」
男がため息をつく。
「満足したか?」
「うん」
「じゃあ俺は普通に食って帰るかな」
「…………」
杏々。
「なに?」
「お寿司食べよ」
「今食っただろ」
「これはファイターのお寿司」
「…………」
「次は普通のお寿司」
「お前、さっきから普通の寿司も大量に食ってたよな?」
「うん」
「…………」
「食べる?」
男は少し考える。
「…………食う」
「うん」
二人はカウンター席へ戻った。
◇
「まぐろ」
「俺、サーモン」
「えんがわ」
「赤えび」
「穴子」
「炙りサーモン」
「いくら」
「お前、まだ加速すんの!?」
「?」
二人の前へ。
お寿司が次々と運ばれてくる。
「…………♡」
杏々が食べる。
「うま」
男も食べる。
「…………」
少し前まで。
ファイトしていた。
でも。
今は。
ただ二人でお寿司を食べている。
「これ美味しい」
杏々が言う。
「どれ?」
「炙りえんがわ」
「じゃあ俺も頼む」
「うん」
男が少し食べる。
「……あ、これうまいな」
「でしょ?」
「だから、なんでお前が得意げなんだよ」
「美味しいから」
「前にもこれ言った気がするんだけど」
「?」
「覚えてないか」
「バインミー」
「そこは覚えてんだよな!」
杏々は、次のお寿司を口へ運ぶ。
ぱく。
◇
しばらくして。
男が杏々の横を見る。
「…………」
皿。
「おい」
「?」
「今、何皿?」
「分かんない」
「店員さん」
男が店員を呼ぶ。
「あの、今この子、何皿くらい食ってます?」
「少々お待ちください」
店員が端末を確認する。
「現在」
「うん」
「八十七皿ですね」
「…………」
男が止まる。
「は?」
「八十七」
杏々は少し考える。
「あと十三」
「なんで!?」
「百」
「目標にすんな!!」
「ちょうどいい」
「何が!?」
杏々はタッチパネルを操作する。
「まぐろ」
注文。
「サーモン」
注文。
「えんがわ」
「おい」
「赤えび」
「聞け!」
「穴子」
「まだ食うの!?」
「回転寿司だから」
「理由になってねぇよ!」
「?」
杏々は首を傾げながら、流れてきたサーモンを取る。
「いただきます」
「いや今さら!?」
ぱく。
「…………♡」
今日も、杏々のおさんぽはとても美味しかった。
そして、店内では。
『ファイターに興味のある方は、協会公式案内をご覧ください!』
イベント案内が流れている。
一人の子どもが。
さっきのファイトスペースを見ながら呟いた。
「ファイターって楽しそう」
その横で杏々は。
「九十二」
「自分で数え始めた!?」
「あと八」
「本当に百まで食う気かよ!」
お寿司は、まだまだ回っていた。
――そして。
いつもの『杏々ちゃんねる』へと続いていく。




