SS お姉ちゃん観察日記 その1
私は少し離れた場所から、姉を見ていた。
「…………」
正確には。
スマートフォン越しに見ていた。
画面の中央。
小さな姉が。
バインミーを両手で持っている。
「いただきます」
ぱくっ。
パリッ。
「…………!」
「…………」
無言。
録画継続。
姉がもぐもぐしている。
「おいしい」
「…………」
口元が少し緩む。
「パンぱりぱり」
「…………っ」
かわいい。
決して声には出さない。
撮影中だから。
ここで余計な声を入れたら素材が台無しになる。
だから。
我慢。
「お肉もいっぱい」
「…………」
姉が幸せそう。
「野菜も合う……♡」
「…………っっ」
手が震える。
まずい。
かわいい。
今日もかわいい。
ものすごくかわいい。
バインミーを食べているだけなのに。
なぜこんなにかわいいのか。
分からない。
だが。
かわいい。
「…………」
無言でカメラを少し寄せた。
もぐ。
もぐ。
ぱく。
姉の頬が膨らむ。
「…………はぁ」
小さく。
本当に小さく。
息が漏れた。
危ない。
今のは編集で消そう。
◇
「ごちそうさまでした♪」
姉が食べ終わる。
満足そう。
いい画が撮れて私も満足。
「…………」
姉が店を離れる。
一歩。
二歩。
三歩。
止まる。
「…………」
姉が振り返る。
(ほら)
戻る。
「すみません」
「はい?」
「もう一個ください」
「…………」
スマートフォンを構えたまま。
小さく頷く。
(ですよね)
長年。
姉を見てきた。
美味しいものを一個で終わらせるとは思っていない。
むしろ。
三歩も耐えた。
えらい。
◇
ただ。
最後の一個だった。
そして。そこへ。
「ちょっと待った」
男が現れた。
「…………」
目がすっと細くなる。
撮影は続ける。
姉と男が話している。
男も別の店でバインミーを一個食べてきたらしい。
ここの味も食べてみたい。
だから最後の一個が欲しい。
「…………」
理屈は分かる。
特におかしなことは言っていない。
態度も普通。
姉も普通に話している。
問題なし。
問題はない。
ないのだが。
(お姉ちゃんに近くない?)
カメラ越しに距離を確認。
(ちょっと近くない?)
実際には。
普通の会話距離だった。
ファイター資格証を確認。
双方合意。
ファイト。
「…………」
少しだけ後ろへ下がった。
姉のファイトは。
基本的に動画へ使わない。
危険だからという理由もある。
そもそも『杏々ちゃんねる』は。
美味しいものを食べる姉を見るところだから。
ここからは記録程度。
「…………」
姉の身体が変わる。
戦うための姿。
何度見ても思う。
(お姉ちゃん……)
綺麗。
かっこいい。
でも。
(早くいつものお姉ちゃんに戻ってほしい)
小さい方が好き。
もちろん。
どっちも姉だから好き。
しかし。
小さい方は。
より。
好き。
◇
ファイトは続く。
男も正規ファイターだけあって、ちゃんと戦える。
姉が避ける。
男が追う。
姉が懐へ入る。
「…………」
静かに撮る。そのときだった。
「すみません」
別の声。カメラを少し動かす。一人の女性客。
「バインミーって、まだありますか?」
「…………」
店員が事情を説明する。
最後の一個。
現在、その購入権を巡ってファイト中。
女性は残念そうにした。
「私、バインミーってまだ食べたことがなくて」
「…………」
視線が女性へ向く。
「前から気になってたんです」
「…………」
「今日こそ食べてみようと思って来たんですけど……」
そして。
「でも、お二人が先なら大丈夫です」
「また今度来ます」
「…………」
姉を見る。姉は女性を見ていた。
「…………」
その顔を私知っている。
(あ)
たぶん。もう決まった。
「ねえ」
姉が対戦相手を見る。
「聞いた?」
「ああ」
「初めてなんだって」
「……らしいな」
「私、もう一個食べた」
「そうだな」
「俺も別の店だけど一個食ってる」
「うん」
姉と男が顔を合わせる。
「じゃあ」
「だな」
二人は構えを解いた。
「…………」
カメラを持ったまま。
固まる。
姉が。
いつもの小さな姿へ戻った。
◇
「これ」
姉が女性客へ声をかける。
「食べて」
「え?」
「購入権、いらない」
男も放棄する。
「でも、お二人あれを巡って戦ってたんですよね?」
「うん」
「だったら……」
「いいの」
いつもの調子の姉。
大したことではないという顔。
「私、もう食べたし」
「食べたことないんでしょ?」
「はい」
「じゃあ」
姉が少しだけ笑った。
「食べてみて」
「美味しいよ」
「…………っ」
スマートフォンを持つ手が震える。
(お姉ちゃん)
なんて。
なんて。
(かわいい……!!)
違う。
かわいいだけではない。
優しい。本人は、たぶん親切なことをしたつもりはない。
ただ。
自分はもう美味しさを知っている。
この人はまだ知らない。
だったら。
食べてもらった方がいい。
きっと。それくらいしか考えていない。
そこが。
(好き……!!)
無音で悶える。
声には出さない。
撮影中だから。
だが、口元は完全に緩んでいた。
「…………んふ」
漏れた。
「…………」
今のも編集で消そう。
◇
最後のバインミーが出来上がった。
女性が一口食べる。
パリッ。
「美味しい……!」
「…………!」
姉の顔が。
ぱっと明るくなる。
「でしょ?」
「――――っ!」
限界。
(でしょ? って!!)
(お姉ちゃんが作ったんじゃないのに!!)
(得意げ!!)
(かわいい!!)
横にいた男が。
「なんでお前が得意げなんだよ」
まったく同じことを言った。
「美味しいから」
(知ってる!!)
「お前が作ったんじゃないだろ」
「でも美味しい」
(そうだよね!!)
女性が笑う。
「本当に美味しいです」
「よかった」
その瞬間、姉が見せた顔。
自分が食べていた時とは少し違う。
嬉しそうで。
満足そうで。
誰かが美味しいと言ってくれたことを、自分のことみたいに喜んでいる。
「…………」
撮影していることも一瞬忘れて。
姉を見た。
「…………かわい」
今度は。
はっきり声に出た。
幸い。
少し離れていたので姉には聞こえていない。
「危な……」
妹は口元を押さえる。
そして。
もう一度スマートフォンを見る。
画面には。
嬉しそうな姉。
「…………」
保存。
絶対保存。
この部分。
使う。
何があっても使う。
むしろ。
サムネ候補。
(『初めてのバインミーを譲ってみた』)
違う。
姉がそんな企画をしたみたいになる。
却下。
(普通に食レポの後半に入れよう)
それがいい。
姉のこういうところは。
変に演出しない方がいい。
◇
そして。
撮影もそろそろ終わり。
姉が店を離れる。
対戦していた男も一緒に歩き始める。
「…………」
カメラを下ろす。
「…………?」
姉と男が並んで歩いている。
「…………」
なぜ、男も一緒なのか。
「腹減ったな」
「私も」
「お前はおかしいだろ」
男が笑う。
「?」
姉も普通に返す。
「…………」
ぎり。
ぎりり。
奥歯を噛み締めるとが鳴る。
(なんで一緒にいるの)
(ファイト終わったよね?)
(解散でよくない?)
(何その普通に仲良くなってる感じ)
姉と男が並んで歩く。
そのとき二人の足が同時に止まった。
別の屋台。
姉が指を差す。
「これ食べよ」
「……いいな」
「うん」
「…………」
ぎりっ。
二人が一緒に屋台で買い物を始める。
「二つください」
「私は大盛り」
「もう!?」
「お腹空いた」
「さっき食っただろ!」
「そっちも」
「……それ言われると弱いな」
男が笑う。
姉も楽しそう。
「……………………」
ぎりぎりぎり。
(なに)
(なにその空気)
(お姉ちゃんとご飯食べるの)
(私の役目なんだけど)
もちろん、そんな役目はない。
だが、妹の中ではそう決まっている。
「…………」
男が何か話す。
姉が返す。
また男が笑う。
「…………」
スマートフォンを握る手に力が入る。
(誰)
(あの人)
(正規ファイターなのは分かった)
(資格証も確認した)
(変な人ではなさそう)
(一般人にも優しかった)
(悪い人ではない)
「…………」
そこまで確認して。
なお。
(でも嫌)
姉と楽しそうにご飯を食べているから。
◇
妹は。
少し離れた席へ座った。
姉には気づかれていない。
いつものことである。
注文した飲み物を前に置き。
じーっ。
姉を見る。
姉は食べる。
「おいしい」
「これ結構うまいな」
「うん」
「そっち一口くれよ」
「いいよ」
「…………!!」
立ち上がりそうになる気持ちを抑える。
(お姉ちゃんの!!)
(お姉ちゃんのご飯を!!)
(簡単に!!)
姉が少し分ける。
男も自分の皿から返す。
「こっちも食う?」
「食べる」
(交換した!!)
机の下で握られた拳が震える。
「…………」
でも。
姉が食べる。
「…………!」
美味しかったらしい。
「これ好き」
「だろ?」
「…………」
姉が嬉しそう。
「…………」
少しだけ力が抜ける。
(…………まあ)
姉が美味しそうにしている。
それなら。
ほんの少しだけ。
(今日は許す)
男を許したわけではない。
姉が美味しいものを食べる機会が増えたことを。
許しただけ。
「…………」
妹はスマートフォンを開く。
さっき撮った映像。
一般人へバインミーを譲った姉。
『食べてみて』
『美味しいよ』
女性が食べる。
『美味しい……!』
『でしょ?』
「…………♡」
一瞬で緩む。
「…………はぁはぁ」
今度は。
撮影していない。
だから。
隠す必要もなかった。
「お姉ちゃんかわいい……」
小声。
再生。
『でしょ?』
「…………っ♡」
もう一回。
『でしょ?』
「…………っっ♡」
もう一回。
『でしょ?』
「…………はぁ……」
その向こうでは。
本人が何も知らず。
知らない男と。
楽しそうにご飯を食べていた。
「…………」
画面を見る。
姉を見る。
また画面を見る。
「…………」
幸せ。
不満。
幸せ。
不満。
情緒が忙しい。
「……お姉ちゃん」
今日も。
最高だった。
ただし。
あの男については。
あとで少し調べる。




