5食目 おさんぽバインミー♪
4コマ
https://x.com/anano3po/status/2094084248290594819
昼前。
杏々は今日も、いつものように街を歩いていた。
てくてく。
てくてく。
急ぐでもなく。
目的地があるでもなく。
ただ。
美味しそうなものがないか探しながら。
「…………」
杏々の視線が右へ。
パン屋。
「…………」
左へ。
カフェ。
「…………!」
少し先。
見慣れない屋台。
杏々の足が止まった。
「……なんだろ」
細長いパン。
その中には。
肉。
野菜。
なます。
パクチー。
色とりどりの具材。
店頭の看板には。
『BANH MI』
「バインミー……?」
杏々が近づく。
「いらっしゃいませ!」
「これ、何?」
「バインミーですよ。ベトナムのサンドイッチです」
「サンドイッチ」
「外はパリッとしたパンで、中にお肉とか野菜をたっぷり挟んでるんです」
「…………」
杏々の目が。
少しずつ輝いていく。
「お肉いっぱい?」
「いっぱいです」
「野菜も?」
「たっぷりです」
「パンぱりぱり?」
「焼きたてなら特に」
「…………♡」
決まった。
「一個ください!」
「はい!」
◇
パンへ切れ目を入れる。
肉。
なます。
きゅうり。
パクチー。
ソース。
具材が次々と詰められていく。
杏々は。
じっと見ている。
「…………」
「お待たせしました」
「わぁ……♡」
受け取る。
細長いパン。
ずっしり。
「いただきます」
ぱくっ。
パリッ。
「…………!」
杏々の目が見開かれる。
パン。
表面は香ばしく。
中は軽い。
そこへ。
肉の旨味。
野菜の食感。
なますの酸味。
香草の香り。
「…………」
もぐ。
もぐもぐ。
「おいしい」
もう一口。
パリッ。
「パンぱりぱり」
さらに。
「お肉もいっぱい」
また一口。
「野菜も合う……♡」
杏々はすっかり気に入ったらしい。
ぱく。
ぱく。
もぐ。
「…………」
気づけば。
最後の一口。
「…………」
ぱく。
「ごちそうさまでした♪」
杏々は満足そうに息を吐いた。
「おいしかった」
「ありがとうございます!」
店員も笑う。
杏々は屋台を離れる。
一歩。
二歩。
三歩。
「…………」
止まる。
振り返る。
屋台を見る。
「…………」
数秒。
戻る。
「すみません」
「はい?」
「もう一個ください」
「もうですか?」
「美味しかったから」
「ありがとうございます!」
店員が笑いながら準備へ向かおうとして。
「あ」
止まった。
「どうしたの?」
「すみません。本日、これが最後の一つになります」
「…………」
「それでもよろしければ」
「うん」
「じゃあ――」
「ちょっと待った」
後ろから。
声。
「?」
杏々が振り返る。
一人の男。
年齢は二十代後半ほど。
普通の体格。
動きやすそうな服。
片手には。
別の店の紙袋。
「その最後の一個」
男がバインミーを見る。
「俺も欲しい」
「…………」
杏々が見る。
「食べたいの?」
「食べたい」
「私も」
「だろうな」
男は苦笑する。
「さっき向こうの店で一個食ったんだけどさ」
手にしていた紙袋を見せる。
「ここの店も評判いいって聞いて」
「食べ比べ?」
「そういうこと」
「…………」
杏々は少し納得する。
「私ももう一個食べたい」
「俺もここの味を食べたい」
「…………」
「…………」
二人の視線。
最後のバインミー。
「どうします?」
店員が困ったように笑う。
「じゃんけん?」
杏々。
「それでもいいけど」
男が杏々を見る。
「…………」
「?」
「お前」
男の視線。
杏々の立ち方。
足。
重心。
「ファイター?」
「うん」
「やっぱり」
「そっちも?」
「ああ」
男がスマートフォンを出す。
公式資格証。
「正規登録済み」
杏々も。
「私も」
資格証。
互いに確認。
「なら」
男が笑う。
「最後の一個の購入権」
「ファイトで決める?」
「うん」
杏々は。
迷わなかった。
「やる」
「決まりだな」
店員も確認する。
「お二人とも、本当にいいんですね?」
「うん」
「ああ」
双方合意。
正式なファイト。
条件は単純。
勝った方が。
最後のバインミーを買える。
それだけ。
◇
店の近く。
簡易ファイトスペース。
杏々と男。
向かい合う。
「すぐ終わらせよう」
杏々が言う。
「奇遇だな」
男が構える。
「俺も腹減ってる」
「私も」
「お前さっき一個食ったんだろ?」
「うん」
「……まあ俺もか」
二人。
構える。
杏々の身体。
小さな姿から。
すっと変わる。
長い手足。
引き締まった身体。
戦うための姿。
「へぇ」
男が少し目を見開く。
「面白いな」
「始める?」
「来い」
開始。
◇
男が先に出る。
「はっ!」
拳。
杏々が避ける。
続けて。
蹴り。
杏々が身体をずらす。
「速いな」
「そっちも」
杏々が入る。
掌。
男が腕で流す。
「おっと」
そのまま反撃。
拳。
杏々がしゃがむ。
足払い。
男が跳ぶ。
「!」
杏々の手。
男の腕。
取る。
「まずっ」
男が回転。
振りほどく。
二人。
距離。
「やるね」
「まあな」
男が笑う。
「俺だってバインミー食いたいんだよ」
「私も」
「理由同じか!」
再び。
男。
踏み込む。
杏々。
受け流す。
拳。
蹴り。
掌。
攻防。
軽い。
だが。
ちゃんとしたファイト。
どちらも。
相手を傷つけるためではない。
最後の一個を。
食べたいから。
それだけ。
◇
「そこ!」
男の拳。
杏々が横へ流れる。
懐。
入る。
「!」
男が肘を下げる。
杏々の掌底。
受ける。
「重っ」
男が一歩下がる。
「…………」
杏々。
追う。
男も構え直す。
「まだ!」
蹴り。
杏々が後ろへ。
男が前へ。
少しずつ。
勝負が熱を帯びる。
「はぁっ!」
杏々。
踏み込む。
男。
拳を合わせる。
そのとき。
「すみません」
遠く。
店の方から。
別の声。
◇
一人の女性客が。
屋台の前に立っていた。
「バインミーって、まだありますか?」
店員が。
少し困った顔をする。
「ああ……」
最後の一つ。
そして。
その購入権を争っている二人を見る。
「本日分は、あちらのお二人が購入権を賭けてファイト中なんです」
「そうなんですか……」
女性の顔が少し曇る。
「私、バインミーってまだ食べたことがなくて」
「そうなんですか?」
「はい。前から気になってたんです」
女性が看板を見る。
「今日こそ食べてみようと思って来たんですけど……」
「…………」
「でも、お二人が先なら大丈夫です」
「また今度来ます」
その声。
杏々にも。
男にも。
聞こえていた。
◇
「…………」
杏々の動きが止まる。
「…………」
男も止まる。
二人。
構えたまま。
店を見る。
女性を見る。
「…………」
「…………」
杏々。
「ねえ」
「ん?」
「聞いた?」
「ああ」
「初めてなんだって」
「……らしいな」
杏々。
少し考える。
「私」
「ん?」
「もう一個食べた」
「そうだな」
男。
少し考える。
「俺も」
自分の紙袋を見る。
「別の店だけど一個食ってる」
「うん」
「…………」
「…………」
二人。
顔を見る。
「じゃあ」
杏々が言う。
「だな」
男も頷いた。
杏々。
手を下ろす。
男も。
構えを解く。
「終わり?」
「ああ」
「勝敗なし?」
「それでいい」
「うん」
双方。
ファイト終了。
勝者。
なし。
敗者。
なし。
◇
「すみません」
女性客が。
店を離れようとしていた。
「はい?」
振り返る。
杏々が。
いつもの小さな姿に戻っている。
「これ」
最後のバインミー。
「食べて」
「え?」
「購入権」
杏々が言う。
「いらない」
男も。
横から。
「俺も放棄する」
「え?」
女性が戸惑う。
「でも」
「お二人、あれを巡って戦ってたんですよね?」
「うん」
「ああ」
「だったら」
「いいの」
杏々。
「私、もう食べたし」
男も。
「俺も一個食ってる」
「でも……」
「食べたことないんでしょ?」
杏々が聞く。
「はい」
「じゃあ」
看板を見る。
「食べてみて」
「…………」
「美味しいよ」
女性。
少し困って。
少し嬉しそうに。
「本当にいいんですか?」
「うん」
男も頷く。
「俺らは味知ってるからな」
「…………」
「ありがとうございます」
女性。
頭を下げる。
「じゃあ」
「いただきます」
◇
最後の一つ。
バインミーが作られる。
杏々。
じっと見ている。
男も。
なんとなく見ている。
「…………」
「…………」
出来上がる。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
女性が受け取る。
「…………」
一口。
パリッ。
「…………!」
目が少し見開かれる。
「美味しい……!」
「…………」
杏々の顔が。
ぱっと明るくなる。
「でしょ?」
男。
杏々を見る。
「なんでお前が得意げなんだよ」
「美味しいから」
「お前が作ったんじゃないだろ」
「でも美味しい」
「だからそれは分かってる」
女性が笑う。
「本当に美味しいです」
「よかった」
杏々は。
自分が二個目を食べた時より。
なんだか嬉しそうだった。
「これ、他の味もあるんですか?」
女性が店員へ聞く。
「ありますよ」
「じゃあ次は別のものも食べてみます」
「ぜひ!」
杏々。
「…………♡」
男が見る。
「布教成功みたいな顔すんな」
「?」
「いや、いいや」
◇
二人。
店を離れる。
「……結局」
男が言う。
「決着つかなかったな」
「うん」
「バインミーも食えなかった」
「私は一個食べたよ」
「俺も別の店で一個食ったわ」
「じゃあ一緒」
「そういうことになるな」
少し歩く。
「…………」
「…………」
お腹。
満たされている。
はずなのに。
「腹減ったな」
男が言う。
「私も」
「お前はおかしいだろ」
「?」
「いや俺も人のこと言えないけど」
二人。
並んで歩く。
そのとき。
香ばしい匂い。
「…………」
杏々の足が止まった。
男も止まる。
「…………」
二人の視線。
別の屋台。
焼きたての料理。
湯気。
いい匂い。
「…………」
杏々が指を差す。
「これ食べよ」
「……いいな」
「うん」
二人。
そのまま屋台へ向かう。
さっきまで。
一つのバインミーを巡って戦っていた。
でも。
勝負が終われば。
ただ。
美味しいものが好きな二人。
「二つください」
「私は大盛り」
「もう!?」
「お腹空いた」
「さっき食っただろ!」
「そっちも」
「……それ言われると弱いな」
杏々は。
楽しそうに屋台を見る。
男も。
笑いながら横に立つ。
今日も。
食べたいものを食べる。
それが一番だった。
――そして。
いつもの『杏々ちゃんねる』へと続いていく。




