3食目 台湾夜市の大鶏排♪
4コマ
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赤い提灯。
ずらりと並ぶ屋台。
鉄板から上がる白い煙。
香辛料と油の匂い。
人の声。
店員の呼び込み。
食器のぶつかる音。
夜になっても。
いや。
夜だからこそ。
この場所は、昼間よりずっと賑やかだった。
「わぁ~~……!」
杏々は目を輝かせる。
右。
「胡椒餅!」
左。
「小籠包!」
正面。
「葱油餅……♡」
少し進む。
「魯肉飯!」
さらに先。
「豆花もある!」
忙しい。
とにかく忙しい。
食べたいものが。
多すぎる。
「どこから行こうかな~♪」
杏々は完全に上機嫌だった。
いつもの小さな身体。
お団子頭を揺らしながら。
屋台から屋台へと視線を動かしていく。
「おねーちゃん」
少し後ろ。
人混みの中から声。
「最初から全部食べようとしないでよ」
「?」
杏々が振り返る。
人が多い。
「妹ちゃん?」
「ここ」
「どこ?」
「後ろ」
杏々が後ろを見る。
「いない」
「もうちょっと右」
右。
「行きすぎ」
「…………」
「そのへん」
「わかんない」
「もういい」
杏々は首を傾げた。
まあ。
妹ちゃんはどこかにいるらしい。
それなら問題ない。
杏々はまた食べ物へ視線を戻した。
「…………!」
そのとき。
目に入った。
巨大な肉。
顔より大きい。
いや。
今の杏々なら。
身体の半分くらいありそうに見える。
衣をつけられ。
油の中で豪快に揚げられている。
「…………」
杏々の足が止まった。
看板。
『台湾名物
大鶏排』
「これ」
決まった。
「これ食べる!」
「絶対そう言うと思った」
どこかから妹の声。
「なんで?」
「大きいから」
「美味しそうだから」
「はいはい」
杏々は屋台へ向かった。
◇
「大鶏排ひとつください!」
「はいよ!」
大きな鶏肉が油へ入る。
ジュワァァァァッ!
「おぉ……」
杏々は食い入るように見る。
揚がった肉を取り出す。
油を切る。
香辛料。
そして紙袋へ。
「お待ちどう!」
「わぁ……♡」
杏々が受け取る。
大きい。
本当に大きい。
両手で持つ。
「いただきます!」
かぶりつく。
ザクッ。
「…………!」
衣。
ばりばり。
中。
肉汁。
「おいしい~~♡」
目が完全に幸せになった。
また一口。
「さくさく」
もう一口。
「お肉やわらかい♡」
香辛料。
「ちょっと辛い」
さらに食べる。
「でも好き」
止まらない。
周囲の人が少し見る。
杏々は気にしない。
大鶏排。
大鶏排。
大鶏排。
「おねーちゃん」
「ん?」
「食べるの早くない?」
「そう?」
「その大きさだよ?」
「美味しいから」
「理由になってない」
杏々はまた食べる。
「妹ちゃんも食べる?」
「私はあとで」
「そう?」
「おねーちゃん撮ってるから」
「?」
「なんでもない」
「?」
杏々は首を傾げた。
そしてまた。
大鶏排へ戻る。
◇
食べ終わった。
「ごちそうさまでした~♪」
満足。
とても満足。
しかし。
夜市は広い。
食べ物はまだある。
「次どこ行こ」
杏々が歩き出す。
そのとき。
「おい」
後ろから声。
「お前」
「?」
杏々が振り返る。
一人の男。
二十代くらい。
細身。
フード付きの上着。
鋭い目。
手には。
同じ屋台の大鶏排。
ではなく。
紙だけ。
「さっきの」
「?」
「最後の一枚」
男が屋台を見る。
そこには札。
『本日分
完売』
「お前が買ったんだろ?」
「うん」
「…………」
男の顔が歪む。
「俺が来たときには売り切れてた」
「そうなんだ」
「そうなんだじゃねぇ」
「?」
「俺はそれを食いに来たんだよ」
杏々は少し考える。
「明日また来れば?」
「今日食いてぇんだよ!」
周囲の客が少し見る。
杏々は大して気にしない。
「でももう食べちゃったよ」
「知ってる」
「?」
「だから」
男がスマートフォンを出した。
「次に揚がる分」
「?」
「店主が材料を一枚だけ残してる」
杏々が屋台を見る。
「そうなの?」
店主が困った顔をする。
「いや、その……」
「自分たちで食べようと思ってた分が一枚だけあるんだ」
「へぇ」
「でもこいつが」
男を見る。
「どうしても売れって言って聞かなくてね」
「…………」
男が笑う。
「そこでだ」
スマートフォンを杏々へ向ける。
「お前、ファイターだろ?」
「……なんで知ってるの?」
「さっきの資格証画面見えた」
「いつ?」
「別の店で出してただろ」
「…………?」
杏々は覚えていない。
「まあいい」
男が画面を操作する。
「俺もファイターだ」
表示された資格証。
プロフィール。
登録番号。
印章。
「…………」
杏々が見る。
印章は黄色系。
「黄色」
「そうだ」
「…………」
また。
同格。
杏々の目が少しだけ真面目になる。
「次に揚がる一枚」
男が言う。
「購入権を賭けてファイトしろ」
「…………」
杏々は屋台を見る。
食べたばかり。
お腹も。
まだ余裕はある。
「私は別にいらないよ?」
「は?」
「さっき食べたし」
「…………」
男が止まる。
「じゃあ俺に譲れ」
「お店の人の分でしょ?」
「金は払う」
「でも売るって言ってないよ」
「…………」
「それに」
杏々が店主を見る。
「困ってる」
男の眉が動く。
「じゃあ」
少し考える。
「条件を変える」
「?」
「俺が勝ったら、店主に売ってもらうようお前から頼め」
「…………」
杏々が首を傾げる。
「なんで私が?」
「俺が直接言っても聞かねぇ」
「それは困ってるからじゃない?」
「うるせぇ」
男の苛立ちが表に出る。
「ファイトなら話は別だろ」
「…………」
杏々は男を見る。
「私が勝ったら?」
「好きにしろ」
「じゃあ」
杏々は少し考えて。
「このお店にもう迷惑かけないで」
「…………」
「あと」
店主を見る。
「次に来るときは普通に並ぶ」
「ガキが説教かよ」
「条件」
「…………」
男は鼻で笑った。
「いいぜ」
双方確認。
合意。
ファイト成立。
◇
夜市の裏手。
店舗同士の間にある広めの空間。
周囲へ簡易的な仕切りが設けられる。
野次馬が集まる。
「ファイトだって」
「何を賭けてんだ?」
「大鶏排らしい」
「また食い物か」
その中。
少し離れた場所。
一台のスマートフォンが。
杏々へ向けられていた。
「…………」
画面の中。
杏々が構える。
小さな身体から。
すっと余分なものが抜け落ちる。
お団子頭が揺れ。
視線の高さが変わる。
そこに立っていたのは。
長い手足。
引き締まった身体。
普段とは違う、戦うための姿。
「始めるよ」
「来い」
男が構える。
ファイト開始。
◇
最初に動いたのは男。
「ハァッ!」
一気に距離を詰める。
拳。
杏々がかわす。
次。
蹴り。
低い。
杏々が足を引く。
男が回る。
裏拳。
「……!」
杏々が腕で受ける。
バシッ!
「…………」
速い。
杏々は思う。
(黄色)
なら。
これくらいは普通なのかもしれない。
男が攻める。
左右。
上下。
テンポが速い。
「どうした!」
杏々が掌で流す。
男の拳が外れる。
懐。
杏々の短い打撃。
「っ!」
男が受ける。
少し後退。
「チッ」
杏々が追う。
男が蹴る。
杏々が避ける。
男がさらに回転。
二段目。
「……!」
杏々の腕へ当たる。
バンッ!
杏々が半歩下がる。
「入った!」
「うん」
「余裕かよ!」
男が飛び込む。
拳。
杏々が流す。
肘。
避ける。
蹴り。
受ける。
杏々も返す。
掌底。
男が身体を反らす。
空振り。
「危ねぇな!」
「避けた」
「見りゃ分かる!」
男が笑う。
杏々も。
少しだけ。
楽しんでいた。
「次!」
「うん」
男が入る。
杏々も前へ。
拳と掌が交差する。
腕。
肘。
肩。
足。
互いに間合いを奪い合う。
男が杏々の手首を掴む。
杏々が返す。
「っ!」
逆に取る。
男が身体を回転させて抜く。
「やるな!」
「そっちも」
もう一度。
男が大きく踏み込む。
「これなら!」
拳。
杏々が横へ。
男の身体が開く。
杏々の足が入る。
腰。
肩。
掌。
ドッ!
「ぐっ!」
男が三歩下がる。
「…………」
息が乱れる。
杏々は乱れない。
「クソ……」
男の顔から笑みが消える。
「なんで」
「?」
「なんで同じ黄色でこんな差があるんだよ」
「…………」
杏々も少し考える。
「調子悪い?」
「喧嘩売ってんのか!」
「違うよ」
杏々は本気で言っている。
「…………クソ」
男が歯を食いしばる。
また飛び込む。
杏々。
受ける。
流す。
重心を崩す。
「!」
男の身体が傾く。
杏々が足を払う。
ドンッ!
「ぐっ!」
地面へ。
男はすぐ立つ。
「まだだ!」
「うん」
今度は杏々が入る。
男が拳を振るう。
杏々は内側へ。
肩を押さえる。
肘。
腰。
「なっ」
男の身体が浮く。
投げ。
ドンッ!
「がはっ!」
男が地面へ叩きつけられる。
静かになる。
「…………」
杏々が離れる。
「まだやる?」
「…………」
男が。
ゆっくり起きる。
「…………」
表情。
さっきとは違う。
「負けてねぇ」
「でも」
「負けてねぇ!!」
男がポケットへ手を入れた。
「?」
杏々の目が動く。
取り出したもの。
銀色。
折り畳み式のナイフ。
「…………」
周囲がざわつく。
「おい!」
「武器!?」
「ルール違反だろ!」
杏々の表情が変わる。
「それダメだよ」
「うるせぇ!」
刃が開く。
「勝てばいいんだ!」
「違う」
「うるせぇ!」
男が走る。
ナイフ。
杏々がかわす。
一撃。
二撃。
先ほどまでとは違う。
競技ではない。
ファイトでもない。
「やめて」
「黙れ!」
刃が走る。
杏々は後ろへ。
人が避ける。
「危ない!」
杏々が叫ぶ。
客たちが下がる。
「みんな離れて!」
「チッ……!」
男の顔に焦り。
もう勝負など見えていない。
「クソ!」
刃物を振るう。
杏々が手首へ触れようとする。
男が大きく振る。
当たらない。
「なんなんだよお前!」
「…………」
「同じ黄色だろ!!」
「…………」
杏々は。
答えない。
「クソ……!」
男が周囲を見る。
逃げ道。
人。
そして。
近くにいた男性客。
男がそちらへ走った。
「!」
「うわっ!?」
腕を掴む。
引き寄せる。
首元へ刃物。
「来るな!!」
「…………」
杏々が止まった。
「近づいたらこいつ刺すぞ!」
男性客。
顔が青い。
「ひ……」
「黙ってろ!」
刃が首へ近づく。
「…………」
杏々の目が。
変わった。
静かだった。
いつも通り。
それなのに。
空気だけが。
違う。
「おねーちゃん……」
人混みの後ろ。
小さな声。
杏々は見ない。
「ねえ」
杏々が言う。
「止まれ!」
「その人」
一歩。
「来るな!」
「関係ないよね」
「止まれって言ってんだ!」
また一歩。
「ファイトしたのは」
杏々の声が。
低い。
「私とあなた」
「黙れ!」
「その人は」
杏々が男性客を見る。
「何もしてない」
「うるせぇ!」
「夜市に来て」
一歩。
「ごはん食べてただけ」
「止まれ!」
「なのに」
杏々の拳。
ゆっくり。
握られる。
「なんで巻き込むの」
「…………!」
男が一瞬。
黙る。
杏々の瞳。
そこに。
初めて。
明確な怒り。
「刃物も」
「…………」
「人質も」
「…………」
「ファイトじゃない」
「う、うるせぇ!」
男が刃を男性客へ近づける。
「これ以上来たら――」
「もういい」
「……は?」
「あなた」
杏々の構えが。
変わる。
「ファイターじゃない」
「なに言って――」
杏々が消えた。
「――え?」
男の視界から。
一瞬。
本当に。
消えた。
次の瞬間。
手首。
「がっ!?」
杏々の指が。
男の刃物を持つ手を制していた。
「な――」
ねじる。
刃物が落ちる。
カランッ。
同時。
杏々のもう片方の手が。
人質の身体を男から引き離す。
「下がって」
「は、はい!」
男性客が走る。
「てめぇ!」
男が拳を振り上げる。
杏々は。
見ている。
「…………」
いつもなら。
流す。
避ける。
必要以上に攻撃しない。
だが。
今回は。
一歩。
杏々の身体が沈む。
足。
地面。
腰。
背中。
肩。
腕。
全てが。
一つ。
「っ――」
男が。
何かを感じる。
「待――」
杏々の掌。
男の胴体へ。
触れる。
一瞬。
静寂。
――ドンッ!!
「が――っ!?」
男の身体が。
大きく吹き飛んだ。
地面。
一度。
二度。
三度。
転がる。
仕切りの手前で止まる。
「…………」
動かない。
杏々が歩く。
一歩。
一歩。
男が顔を上げる。
「ひっ……」
初めて。
男の顔に。
明確な恐怖。
「ま、待て」
杏々は止まらない。
「悪かった」
一歩。
「もうやらねぇ」
一歩。
「だから……!」
杏々が止まる。
男の目の前。
「…………」
杏々が。
拳を上げる。
「ひっ!」
男が目を閉じる。
だが。
拳は。
振られない。
「…………」
杏々が言う。
「謝るの」
「……え?」
「私じゃない」
人質にされた男性を見る。
「そっち」
「…………」
男。
何も言えない。
「ちゃんと謝って」
「…………」
「それで終わり」
「…………」
しばらくして。
「……すみませんでした」
小さい声。
「聞こえない」
「すみませんでした!」
男性客が戸惑いながら頷く。
杏々は。
それを確認する。
「うん」
その瞬間。
杏々の身体が。
いつもの低頭身へ戻った。
「終わり」
空気も。
元へ戻った。
◇
「……あれ?」
その後。
男の資格証を。
店主が確認していた。
正確には。
夜市の管理側へ照会している。
「登録番号が出ない」
「え?」
もう一度。
「ないですね」
別の人間が画面を見る。
「それにこの画面」
「…………」
「公式アプリじゃない」
「偽物?」
ざわつく。
「じゃあ」
「こいつ」
「ファイターじゃないのか?」
「…………」
杏々が男を見る。
男は。
何も言わない。
「偽造資格証」
管理側の人間が言う。
「印章も画像を似せただけです」
「…………」
杏々。
資格証を見る。
「だから」
少し考える。
「黄色なのに変だったんだ」
「そこ?」
店主が思わず聞く。
「?」
「いや」
「なんでもない」
杏々は首を傾げた。
◇
「おねーちゃん」
「ん?」
夜市。
少し離れたところ。
杏々が飲み物を飲んでいる。
タピオカ。
ちゅー。
「怒ってたね」
「怒ってない」
「怒ってた」
「怒ってないよ」
「めっちゃ怒ってた」
「…………」
杏々が。
タピオカを吸う。
「もちもち」
「誤魔化してる」
「おいしい」
「はいはい」
妹が笑う。
スマートフォンを持っている。
「それで」
「?」
「今日の動画」
「動画?」
「撮ってたでしょ」
「妹ちゃんが?」
「私が!」
「そうなんだ」
「おねーちゃん」
「ん?」
「本当に気づいてなかった?」
「何に?」
「…………」
妹は。
諦めた。
「まあいいや」
スマートフォンの画面。
大鶏排を。
幸せそうに食べている杏々。
「ここ使お」
「なにに?」
「お店紹介」
「へぇ」
「あと」
別の映像。
杏々が。
人混みの中。
ファイトへ向かう場面。
妹の指が止まる。
「…………」
「それ使うの?」
「使わない」
「なんで?」
「危ないから」
「そう?」
「そう」
妹は。
画面を閉じる。
「おねーちゃん」
「ん?」
「次は人質取られる前に終わらせてよ」
「無理」
「即答?」
「相手が何するかわかんないし」
「それはそうだけど」
「でも」
杏々が。
タピオカを飲み終える。
「誰も怪我しなくてよかった」
「…………」
妹が。
少しだけ笑う。
「うん」
「それより」
「?」
杏々が。
夜市を見る。
「まだ食べてないのいっぱいある」
「……まだ食べるの?」
「うん」
「大鶏排食べたよね?」
「食べた」
「タピオカも飲んだよね?」
「飲んだ」
「…………」
杏々の指。
少し先。
「胡椒餅」
「…………」
「食べたい」
妹はため息をつく。
「はいはい」
「行こ」
「走らないでよ」
「なくなっちゃう」
「まだいっぱいあるって!」
杏々は。
もう歩き始めている。
いや。
ほとんど小走り。
「胡椒餅~♪」
「待ってってば!」
赤い提灯の下。
二人の声が。
夜市の喧騒へ混ざっていく。
そして。
いつもの『杏々ちゃんねる』へと続いていく。




