10食目 温泉旅館の会席料理♪ 前編
朝。
杏々は家のソファに座り、お菓子を食べながらテレビの朝の情報番組を眺めていた。そこへ妹が大きめのバッグを肩に掛けて現れた。
「お姉ちゃん」
「ん?」
「準備できた?」
「何の?」
「…………」
「今日、温泉だよ」
「…………?」
「温泉旅行」
「…………」
「今日から」
「温泉?」
「そこから!?」
妹が頭を抱える。
実は昨日、父から今回のイベントについて聞かされていた妹は、杏々を連れていくために自分の荷物をまとめていた。杏々が自分で準備するはずがないことも、朝になれば案の定忘れていることも、最初から分かっていた。
その様子を見て、奥の部屋から父が顔を出す。
「やっぱりな」
「お父さん」
「杏々。お前も行くんだぞ」
「…………?」
父が杏々のスマートフォンを指差す。
「これを見ろ」
画面には、ファイター協会から届いた通知が表示されていた。
『ファイター協会・地域交流事業』
『温泉街ファイター交流イベント』
『参加――承認済』
「…………」
杏々は画面を見つめた。
「参加するって押してるぞ」
「私?」
「お前以外に誰がいるんだ」
「…………」
杏々は自分のスマートフォンを取り出した。通知欄には協会からの連絡がいくつも溜まっている。開いていない通知や読んでいない案内の中に、確かに同じイベントの参加確認があった。
「覚えてない」
「だろうな」
父は苦笑した。
「たぶん、今回も内容を読まずに参加を押したんだろ」
「…………」
「押したかも」
「かもじゃないよ」
妹がため息をつく。
「ちゃんと参加になってるからね」
「そうなんだ」
「そうなんだ、じゃないでしょ」
父は杏々からスマートフォンを受け取り、画面を確認した。
「イベントは一泊二日だ。協会と温泉街の観光協会が共同で開催する地域交流事業らしい。一般客向けの公開ファイトやファイター体験会、地元の店舗紹介に宿泊施設との交流企画もあるそうだ」
「うん」
「それで、参加ファイターには旅館が用意されている」
「うん」
「だから、明日まで杏々はイベント参加で出かけないといけない」
「うん」
杏々は、まだお菓子を食べている。話を聞いているのかどうか、よく分からない。
父は妹を見る。
「というわけで、事前の打ち合わせ通りになってしまったが杏々を連れていってくれ」
「うん」
妹はすぐに頷いた。
「お姉ちゃん一人だと、たぶんイベント会場に着く前にどこかへ行くから」
「行けるよ」
「ほんとに?」
「うん」
「じゃあ、会場までの道順は?」
「…………」
「ほら」
杏々は少し考えた。
「途中に食べ物がなかったら」
「それは行けるって言わない」
父が笑う。
「まあ、そういうわけだから頼んだぞ」
「はーい」
妹は頷き、玄関へ向かう。その背中に、父が声を掛けた。
「ちなみに、泊まる旅館の夕飯は会席料理だそうだ」
「…………!」
杏々の顔が変わった。さっきまで眠そうだった目が、はっきりと開く。
「行く」
「今まで、参加すること自体よく分かってなかったよね?」
「会席料理」
「はいはい」
妹は苦笑しながら玄関のドアを開けた。
「じゃあ行くよ」
「うん」
「お菓子はしまって」
「持っていく」
「食べながら移動する気?」
「うん」
「でしょうね」
杏々は残っていたお菓子を袋に詰め、妹の後を追った。
◇
電車に乗り、乗り換えをして、さらにバスに揺られる。窓の外の景色は、少しずつ街から山へ変わっていった。
やがてバスが山道を抜けると、谷間に広がる温泉街が見えてくる。古い木造の旅館、川沿いに並ぶ土産物屋、立ちのぼる湯気、石畳の道、赤い欄干の橋。
「着いたよ」
「うん」
杏々はバスを降りると、温泉街を見回した。右を見て、左を見て、少し先を見る。
「…………」
妹は、その視線の動きを見ていた。
「何を探してるの?」
「食べ物」
「知ってた」
二人で歩き始める。まだ三十秒も経っていない。
「…………!」
杏々が急に立ち止まった。
視線の先には、木造の小さな店がある。店先に置かれた蒸籠から、白い湯気が上がっていた。
『名物 温泉まんじゅう』
「妹ちゃん」
「受付が先」
「まだ何も言ってない」
「顔で分かる」
「一個」
「受付してから」
「…………」
「逃げないから」
「焼肉の時も言ってた」
「覚えてるんだ」
「食べ物のことだから」
「なるほど」
杏々は店先の温泉まんじゅうを名残惜しそうに見つめた。それでも妹に手を引かれ、イベント会場へ向かって歩き出す。何度も振り返りながら。
◇
イベント会場は、温泉街の中心にある広場だった。協会の旗が立ち、仮設の案内所やステージが設けられている。広場の中央には公開ファイト用のスペースまで作られ、周囲にはすでに一般客が集まり始めていた。
「結構大きいね」
「うん」
妹が受付へ向かう。
「参加ファイターの方ですか?」
「はい」
妹が答えると、受付スタッフは杏々の方を見た。
「お名前をお願いします」
「杏々」
「確認いたしますね」
スタッフが端末を操作する。杏々は協会の資格証を取り出し、スタッフは画面と資格証を見比べた。
「…………」
一瞬だけ、スタッフの表情が固まった。けれど、すぐに笑顔へ戻る。
「確認できました。ありがとうございます」
「うん」
「本日の予定ですが、まず開会式。その後、公開交流ファイトを行います。夕方からは宿泊先の旅館へ移動していただき、宿泊者向けの交流企画を予定しております。明日は温泉街の店舗紹介や、一般参加者向けのファイター交流会が――」
「夕飯は?」
「…………」
スタッフの説明が止まった。
「はい?」
「夕飯」
「お姉ちゃん」
「会席料理」
「だって、お父さんが言ってた」
「言ってたけど」
スタッフは少し困ったように笑った。
「はい。ご宿泊の旅館では会席料理をご用意しています」
「ほんと?」
「はい」
「よかった」
「そこが一番大事なんですね……」
「うん」
その時だった。
「……杏々?」
聞き覚えのある声がした。
杏々が振り返る。そこに立っていたのは、凛だった。
「凛」
「…………!」
凛は一瞬、目を丸くした。
「覚えてたんだ」
「うん」
「ちょっと意外」
「ケバブの凛」
「結局それ付き!?」
「違う?」
「違わないけど!」
凛は額を押さえた。
「まあ、いいわ。杏々もこのイベントに参加するのね」
「うん」
「私はちゃんと仕事で来たの」
「私も」
「……ほんとに?」
妹が横から口を挟む。
「連れてきました」
「連れてきた?」
「一人だと、イベント会場に着く前に食べ歩きを始めるので」
「行けたよ」
「さっき温泉まんじゅうに捕まってたよね?」
「…………」
「ほら」
凛が吹き出す。
「相変わらずね」
「凛も温泉まんじゅう食べる?」
「あとでね」
「じゃあ一緒」
「そこを基準にするんだ……」
◇
開会式が終わる頃には、広場はかなりの人で埋まっていた。家族連れ、地元の人々、観光客、そしてファイターに興味を持った若者たちが、仮設ステージの周囲に集まっている。
司会がマイクを握った。
『それでは続きまして、公開交流ファイトを開始いたします!』
歓声が上がった。
「始まるね」
「うん」
妹は少し離れた場所へ移動し、カメラを構える。杏々と凛は、参加ファイターの待機場所に並んで立っていた。
『本日は参加ファイター八名による、四試合の交流戦となります!』
「四試合か」
凛が組み合わせ表を確認する。
「私たちは誰と当たるんだろ」
「うん」
凛の指が止まった。杏々も横から画面を覗き込む。
『第一試合』
『杏々 VS 凛』
「…………」
「…………」
二人の間に、短い沈黙が落ちた。
凛が杏々を見る。
「これは」
「ファイト?」
「そういうことみたいね」
凛は組み合わせ表をもう一度確認した。見間違いではない。第一試合は杏々と凛だった。
前回の対戦から、まだそれほど時間は経っていない。けれど、凛にとっては十分すぎるほど長かった。
「ちょうどよかった」
「?」
「前から、もう一回やりたかったのよ」
「そうなの?」
「そうなの」
凛は手を握る。
「前みたいにはいかないからね」
「うん。楽しみ」
「…………」
凛は一瞬、言葉を失った。
「そういうこと言うの、ずるいわね」
「?」
『それでは第一試合、両者前へ!』
呼び出しがかかる。二人はファイトスペースへ向かった。
◇
向かい合うと、杏々の姿が変わった。小さな身体が伸び、長い手足がスラリと伸びる。凛も構えた。
「前とは違うからね」
「うん」
「一回見た技には対応されるんでしょ?」
「たぶん」
「たぶん?」
「やってみないと分かんない」
「……ほんと、そういうところよね」
凛が苦笑する。
司会の声が響いた。
『ファイト――開始!』
先に動いたのは凛だった。踏み込み、右の拳を放つ。杏々が避けると、すぐに左が続いた。杏々は半歩だけ下がる。
凛の蹴りが伸びる。
「!」
杏々が身体を引いた瞬間、凛の蹴りが止まった。
「…………?」
フェイントだった。凛は軸足を踏み替え、蹴りの軌道を逆方向へ変える。
「っ」
杏々の肩を、つま先がかすめた。
「どう?」
「…………」
「今の、前なら見切れてたでしょ」
「うん」
「だから途中で変えたの」
「なるほど」
杏々の口元が、ほんの少し緩んだ。
「もう一回」
「言われなくても!」
凛が再び攻める。拳、蹴り、踏み込み。距離を詰めたかと思えば、すぐに離れる。同じように見える動きの中に、少しずつ違いが混ざっていた。
途中で止める。軌道を変える。杏々が触れようとすれば引き、引いたと思えばもう一度踏み込む。
「…………」
杏々の目が、少しずつ鋭くなっていく。凛はそれに気づいていた。
「やっと本気になった?」
「最初からやってるよ」
「嘘」
「ほんと」
「じゃあ――」
凛が一気に距離を詰めた。
「もっと来て!」
高い蹴りが迫る。杏々は腕で受けた。
バシッ!
「…………!」
重い。
凛は着地すると、間髪入れずに低い蹴りを放つ。杏々が足を引く。
「まだ!」
拳が伸びる。杏々が首をずらすと、拳が鼻先を通り過ぎた。
「…………」
杏々は、少しだけ笑った。
「凛」
「何!」
「強くなった」
「…………!」
凛の目が一瞬だけ大きく開く。それから、嬉しそうに輝いた。
「でしょ!」
次の瞬間には、さらに踏み込んでいる。
「でも、勝つのは私だから!」
「うん」
杏々も前へ出た。
凛の拳が伸びる。杏々の指先が、その腕に触れた。
「それ!」
凛はすぐに腕を引いた。前回、腕を取られた。だから、同じことはさせない。
杏々は追わなかった。
「?」
凛がわずかに目を見開く。
杏々の手は、腕ではなく肩へ伸びていた。
「!」
押すのではない。ほんの少し、方向をずらす。
「っ!」
凛の踏み込みが半歩だけ乱れた。それでも、凛は倒れない。
「これくらい!」
すぐに立て直し、蹴りを放つ。杏々が下がり、凛が追う。さらに一歩踏み込んだところで、杏々の手が凛の腰へ触れた。
「なっ――」
凛の軸がわずかに外れる。
「同じところを守ってるから」
「だったら――!」
凛は重心を低くした。崩される前に、自分から踏み込む。
「!」
杏々の身体へ肩からぶつかる。
ドンッ!
杏々が二歩下がった。会場から歓声が上がる。
「入った!」
凛は笑った。
「今のは?」
「よかった」
「それだけ!?」
「痛かった」
「よし!」
杏々は、少し嬉しそうだった。その表情を見て、凛も気づく。
「……やっぱり」
「?」
「楽しいんでしょ」
「うん」
「私も!」
二人は、もう一度同時に踏み込んだ。
◇
攻防は、前回よりも長く続いた。凛は簡単には崩れず、杏々も凛の変化を一つずつ見ていた。
途中で軌道を変える。同じ技を繰り返さない。フェイントを挟み、踏み込みの間を変える。けれど、凛が変化させること自体も、少しずつ杏々の中に積み重なっていった。
凛が踏み込む。右。途中で止める。逆方向。
杏々は、もう動いていた。
「え――」
凛がさらに切り替える。その先に、杏々がいる。
「読んだ!?」
「途中で変えるから」
「それを読んだの!?」
「うん」
杏々の手が、凛の手首、肘、腰へと触れる。凛の重心が浮いた。
「しまっ――」
けれど、凛は踏ん張った。
「まだ!」
「うん」
杏々はさらに半歩踏み込む。凛の力を受け、そのまま流した。
「っ!」
凛の身体が回る。
ドンッ!
マットに落ちる。
凛はすぐに起き上がろうとした。けれど、その前に杏々が目の前へ立っている。
「まだやる?」
「…………」
凛は荒い息を吐きながら、杏々を見上げた。数秒の沈黙の後、凛は息を整える。
「……参った」
『勝負あり!』
歓声と拍手が広がる。
杏々の姿が、いつもの小さな身体へ戻った。
「勝った」
凛は仰向けのまま、空を見上げる。
「……また負けた」
「でも」
「何?」
「前より、すごく強かった」
「…………」
凛は少しだけ笑った。
「次は勝つ」
「うん」
「だから、もうちょっと……まぁいいわ。」
「?」
「まあいいわ」
凛は立ち上がり、服についた埃を払った。その時、杏々がスタッフへ向き直る。
「これ」
「はい?」
「勝ったら何かある?」
「…………」
スタッフが困ったように笑う。
「いえ。こちらは交流を目的とした公開ファイトですので、特に賞品などは――」
「…………」
杏々の動きが止まった。
「…………」
凛が杏々を見る。
「……杏々?」
「…………」
妹は少し離れた場所で、カメラを構えていた。ファインダー越しに見える杏々の顔は、さっきまでとは別人のようだった。まるで、この世の終わりを知らされたような顔をしている。
「だ、大丈夫ですか?」
スタッフが声を掛ける。
「食べ物ないの?」
「はい……」
「…………」
凛が叫ぶ。
「ちょっと!」
「?」
「私に勝った時よりリアクション大きくない!?」
「そんなことないよ」
「その顔で言われても!」
妹はカメラを下ろさなかった。しっかりと、その表情を撮影していた。
◇
午後になると、残りの交流ファイトも終わった。杏々はその間に、温泉まんじゅうを三個食べた。
「一個って言ってなかった?」
「受付終わったから」
「そういう問題?」
「美味しい」
「ならいいけど」
夕方、参加ファイターたちは宿泊先の旅館へ移動した。山の斜面に沿うように建つ、大きな温泉旅館である。玄関には、木の看板が掲げられていた。
『湯ノ花館』
「…………!」
杏々が立ち止まる。
「旅館」
「そうだね」
「ご飯」
「まだ」
「温泉」
「それはある」
「まんじゅう」
「部屋にあるかもね」
「…………♡」
凛が横から杏々を見る。
「分かりやすいわね」
三人は旅館の中へ入った。
◇
案内された部屋は、広い和室だった。畳の上に座卓が置かれ、大きな窓の向こうには山の景色が広がっている。夕暮れの光が、部屋の中へ斜めに差し込んでいた。
座卓の上には、お茶とお茶請けが用意されていた。そして、その中には温泉まんじゅうもある。
「…………!」
杏々の目が輝いた。
「ある」
「よかったね」
「うん」
杏々は座卓の前に座る。
「いただきます」
「もう食べるんだ」
「うん」
包みを開き、ひと口食べる。
「…………♡」
妹は苦笑し、凛はその様子を眺めていた。
凛の部屋も同じ階に用意されていたため、荷物を置いたあと、三人で旅館内を見て回ることになった。大浴場、露天風呂、土産物売り場。そして、風呂上がりの牛乳。
「牛乳」
杏々が売店の前で立ち止まる。
「飲む?」
「うん」
凛も瓶を手に取った。
「私も」
三人で瓶を掲げ、ごくごくと喉を鳴らす。杏々は一気に飲み干した。
「ぷは」
「飲むの早い」
「美味しい」
「お姉ちゃん、口」
「?」
妹がハンカチで杏々の口元を拭う。
「付いてる」
「ありがとう」
凛はその様子を見ながら、少し笑った。
「なんか、普段ファイトしてる時との差がすごいわね」
「そう?」
「すごく……」
妹が頷く。
「私は、こっちのお姉ちゃんの方が好きですけどね」
◇
夕食まで、まだ少し時間があった。三人は旅館の中を歩いていたが、その時、杏々の足が止まった。
「…………」
「今度は何?」
妹が杏々の視線を追う。
廊下の掲示板に、一枚の案内が貼られていた。
『宿泊ファイター限定』
『SPECIAL TAG TOURNAMENT』
凛も掲示板へ近づく。
『本日の昼間に行われた公開交流戦の対戦相手同士でタッグを結成』
『四組によるトーナメント戦を開催します』
「昼の相手同士?」
凛が案内を読み進める。
「ってことは」
「凛と一緒?」
「そうなるわね」
杏々は、少しだけ目を輝かせた。
「楽しそう」
「……昼に私を倒した人が言うと、ちょっと複雑なんだけど」
妹が掲示の下の方へ視線を移す。
「あ」
「何?」
「優勝報酬があるよ」
「!」
杏々が素早く反応した。
「何?」
「そこに反応するんだ」
「何?」
妹は案内を読み上げる。
「優勝タッグには、本日の会席料理へ――」
一拍置いて。
「料理長特製」
『特選和牛の朴葉味噌焼き』
「…………!」
杏々の顔が、完全に元へ戻った。
凛がそれを見て、呆れたように笑う。
「顔戻った」
妹も笑っている。
「昼は食べ物がないって分かった瞬間、この世の終わりみたいな顔してたもんね」
「そんな顔してない」
「してた」
凛が即答する。
「してたしてた。私に勝った直後よ? 急に全部失ったみたいな顔してた」
妹は、昼間に撮った写真を思い出す。
「可愛かった」
「感想そこなの!?」
「大事なので」
「妹ちゃん……」
杏々は、もう一度掲示板を見る。
「やる」
凛は苦笑しながらも、拳を握った。
「まあ、私も今度は食べたいからね」
「勝ったら二人とも?」
「そう書いてあるわね」
「じゃあ頑張ろ」
「昼より気合い入ってない?」
「お肉あるから」
「私との再戦は!?」
「楽しかったよ」
「……それ言われると怒れないのよね」
◇
夜になると、旅館の演武場には宿泊客やイベント参加者が集まっていた。昼間に戦った八人のファイターが、今度は四組のタッグを組んでいる。昼は敵だった相手と、今度は味方として戦うのだ。
司会の声が響く。
『それでは、宿泊交流企画!』
『スペシャルタッグトーナメントを開始します!』
拍手が起こり、組み合わせが発表される。杏々と凛は、昼の第二試合で戦った二人と対戦することになった。
「じゃあ」
凛が構える。
「今度は私たちが組むってことね」
「うん」
「ちゃんと合わせてよ?」
「どうやって?」
「……そこから!?」
『ファイト開始!』
◇
相手の一人が杏々へ向かい、もう一人が凛へ向かう。
「杏々! 右!」
「?」
「右から来てる!」
杏々が振り返る。拳を避け、そのまま腕を流した。
「うおっ!?」
相手の身体が、凛の方へ流れる。
「ちょっ!」
凛は身をかわし、その勢いのまま蹴りを放った。
ドン!
「ぐっ!」
「こっちに流さないで!」
「でも蹴った」
「結果オーライだけど!」
もう一人が杏々へ向かう。
「そっち!」
「うん」
杏々が避ける。
「いや、返事はいいから!」
「?」
「……もう!」
最初のうちは、まったく噛み合わなかった。けれど、二人とも単体で強い。それぞれが相手の攻撃を受け流し、倒されることなく戦い続ける。
「これ、タッグの意味ある!?」
凛が拳を避けながら叫ぶ。
「二人いる」
「そういう意味じゃない!」
杏々が相手の腕へ触れた。重心が崩れる。
その時、凛が構えた。
「…………」
杏々が凛を見る。
「蹴る?」
「分かるの?」
「昼に見た」
「じゃあ!」
凛が一歩踏み込む。
「合わせて!」
「うん」
杏々は相手の肩へ触れた。押すのではなく、わずかに流す。身体が凛の方へ向いた。
「今!」
凛の蹴りが入る。
ドンッ!
「ぐっ!」
凛が着地し、杏々を見る。
「今の」
「うん」
「よくない?」
「よかった」
「でしょ!」
もう一人が向かってくる。今度は凛が先に動いた。
「杏々!」
「うん」
凛が相手を攻める。拳、蹴り。相手を右へ追い込む。
逃げた先に、杏々がいた。
「!」
相手が足を止める。
杏々は腕を取り、腰を落とした。そのまま投げる。
ドン!
『勝負あり!』
拍手が起こった。
凛は息を吐きながら、杏々を見る。
「……できるじゃん」
「何が?」
「連携」
「凛が分かりやすかった」
「褒めてる?」
「うん」
「ならいい」
◇
反対側の準決勝が行われている間、杏々と凛は演武場の端で休憩していた。妹が飲み物を持ってくる。
「お姉ちゃん」
「ん?」
「はい」
「ありがとう」
「どう?」
「楽しい」
「昼も言ってたね」
「うん」
凛は隣で肩を回していた。
「でも、さっきよりは合ってきたでしょ」
「うん」
「決勝も、あんな感じで――」
演武場の中央から歓声が上がった。
『勝者――第三タッグ!』
凛が顔を上げる。
「決まった」
決勝の相手は、昼間は別々の試合に出ていた二人だった。けれど、二人は普段から一緒に活動しているらしい。
「…………」
凛が相手を見つめる。
「あの二人、タッグ慣れしてるはずよ」
「そうなの?」
「普段から組んでるみたい」
「へぇ」
凛は杏々を見る。
「杏々」
「ん?」
「一人で全部やろうとしないでよ」
「…………?」
「私もいるんだから」
「うん」
「ほんとに分かった?」
「たぶん」
「不安!」
◇
『決勝戦!』
杏々と凛。対するのは、普段から組んでいる二人だ。
『ファイト開始!』
最初から、動きが違った。
一人が攻める。もう一人は、すでに逃げ道へ回っている。
「!」
杏々が下がる。その先に、もう一人。
「挟まれた!」
凛が割って入る。蹴りで一人を止めた。
「杏々!」
「うん」
杏々がその場を抜ける。けれど、相手はすぐに位置を入れ替えた。
「……上手い」
凛が呟く。
「でしょ」
「うん」
「感心してる場合じゃない!」
二人の連携は、無駄がなかった。杏々が一人を見れば、凛がもう一人を止める。凛が追い込めば、もう一人が杏々の死角へ回る。
それぞれが対応しているのに、少しずつ押されていく。
凛が拳を受けた。
「っ!」
「凛」
「大丈夫!」
杏々が相手へ向かおうとする。
「待って!」
凛が叫んだ。
「?」
「一人で行かない!」
「でも」
「私も行く!」
杏々は、ほんの少しだけ止まった。
「分かった」
「よし!」
二人が並ぶ。
「私が一人を追う」
「うん」
「逃げた方を取って」
「分かった」
「そう!」
凛が踏み込む。連続する拳と蹴りで、一人を後退させる。もう一人が助けに入ろうとした。
杏々が前へ出る。相手の攻撃に触れ、力の向きを流す。
「くっ!」
その間に、凛がさらに追い込んだ。
「そっち!」
相手が逃げる。けれど、その先には杏々がいた。
「いた」
杏々が腕を取り、重心を落とす。
ドン!
一人が倒れる。
もう一人が凛へ向かった。
「杏々!」
「うん」
杏々が走る。
凛は相手の攻撃をかわし、蹴りを放った。相手が受ける。その背後へ、杏々が回り込んでいた。
相手が振り返る。
凛が叫ぶ。
「今!」
蹴りと同時に、杏々が相手の軸をわずかに崩す。蹴りが深く入った。
ドンッ!
「ぐっ!」
相手が倒れる。
『勝負あり――!』
『優勝、杏々・凛タッグ!』
歓声と拍手が、演武場いっぱいに広がった。
凛は息を切らしながら、杏々を見る。
「勝ったわね」
「うん」
「凛」
「何?」
「最後」
「うん」
「分かった」
凛は笑った。
「でしょ?」
「うん」
「まあ、悪くなかったわ」
「楽しかった」
「私も」
二人は並んで演武場を出た。
◇
「お姉ちゃん」
妹が待っていた。
「お疲れさま」
「うん」
凛は肩を回しながら、深く息を吐く。
「疲れた……」
「でもお肉」
杏々が即答した。
「…………」
凛が杏々を見る。
「ほんっと、ブレないわね」
妹が笑った。
「昼のファイトのあと、食べ物がないって分かった時より元気だよ」
「そんな顔してない」
「してたよ」
「してた」
凛も頷く。
「この世の終わりみたいだった」
「…………」
妹は、昼間に撮った写真を思い出していた。
「でも、可愛かった」
「だから感想そこなの!?」
「大事なので」
「妹ちゃん」
「ん?」
「ご飯」
「もうすぐだと思うよ」
その時、廊下の向こうから仲居が歩いてきた。
「皆様」
三人が振り返る。
「お夕食のご用意が整いました」
「…………!」
杏々の目が輝いた。
「こちらへどうぞ」
「うん!」
今日一番元気な返事だった。
凛が呆れたように笑う。
「昼の開会式より返事がいいじゃん」
「食事なので」
妹が答える。
「納得した」
三人は仲居に案内され、広い座敷へ向かった。
襖がゆっくりと開かれる。
そこには、いくつもの膳が並んでいた。季節の前菜、お造り、椀物、焼き物、炊き合わせ、釜飯。蓋の閉じた器からは、まだ湯気が漏れている。
そして、杏々と凛の席の横には、小さな炭火が用意されていた。朴葉の上に置かれているのは、厚く切られた特選和牛だった。
「…………!」
杏々が立ち止まる。
数秒。
「わぁ……♡」
凛が笑った。
「やっと今日の本番って顔ね」
杏々は席へ着く。
「いただきます」
「まだ説明を聞いてないよ」
妹が言う。
「…………」
杏々は、どうにか待った。けれど、その目はずっと会席料理へ向いている。そして、炭火の上で焼かれる和牛へ。
今日一日、協会の仕事をして、温泉街を歩いて、凛と戦って、もう一度、凛と組んで戦った。温泉にも入り、牛乳も飲み、温泉まんじゅうも食べた。
それでも、杏々にとって一番楽しみだった時間は、まだ始まったばかりだった。
――後半へ続く。




