第2話 「錆びたナイフ」
東部戦線行きの輸送列車は、鉄と煤の匂いがした。
窓のない貨物車両に押し込まれたのは、レンを含む十二人の召喚者と、彼らを監視兼護衛する若い士官が一人。車両の隅に座らされたレンは、支給された錆びたナイフと木の盾を膝の上に抱えたまま、揺れる床板を見つめていた。
「よぉ、ハズレさんよ」
声をかけてきたのは、車両の反対端に座る青年だった。癖のある赤茶の髪、値踏みするような目つき。彼もまた召喚された十二人の一人で、儀式の間では確か《剛力無双》の恩寵を引いていたはずだ。
「お前、道具を強くする力なんだって? そりゃ便利だ。俺の靴でも磨いてくれよ」
車両にどっと笑いが起きる。レンは俯いたまま、小さく「すみません」とだけ返した。それが余計に場の空気を悪くしたのか、笑い声はしばらく止まらなかった。
「やめとけよ、ジーク」
割って入ったのは、笑いの輪の中にいなかったもう一人の青年だった。彫りの深い顔立ちに、鍛え上げられた体つき。彼の名はガイウス・フォルセイン――と、車両に乗り込む前の点呼で聞いた覚えがある。
「お前だって、まだ自分の恩寵がロクに使えてねぇだろうが」
「うるせぇよ、優等生気取りが」
ジークと呼ばれた青年は舌打ちして、それきり黙り込んだ。ガイウスはレンの方をちらりと見たが、それ以上は何も言わず、腕を組んで目を閉じてしまった。
助けてくれた、というほどのことでもないのかもしれない。それでもレンは、小さく頭を下げた。ガイウスは気づいたのか気づかなかったのか、何の反応も返さなかった。
輸送列車が停まったのは、深夜のことだった。
「全員降りろ! 前線基地はここからだ!」
士官の怒鳴り声に叩き起こされ、レンたちは寝ぼけ眼のまま列車を降りる。冷え切った空気の向こうに、有刺鉄線と土嚢に囲まれた粗末な基地の輪郭が見えた。遠くで、時折、低く重い音が響いている。砲声だと気づくまで、少し時間がかかった。
「配置につくまで待機だ。動くなよ」
士官はそう言い残し、基地の奥へと駆けていった。残された召喚者たちは、寒さに身を寄せ合いながら、その場に立ち尽くすしかなかった。
異変が起きたのは、その直後だった。
「――伏せろ!」
暗闇の向こうから飛来した何かが、召喚者たちの頭上を過ぎ、背後の土嚢に突き刺さって爆ぜた。悲鳴が上がる。敵の偵察部隊による夜襲――後にそう知ることになるが、この時のレンには、何が起きているのかも分からなかった。
「くそ、来やがった!」
ジークが叫びながら拳を構える。だが、《剛力無双》の恩寵は、目に見えない暗闇の中の敵には振るいようがない。次々と着弾する砲弾の中、召喚者たちは為す術もなく地面に伏せることしかできなかった。
「レン、動くな……!」
ガイウスの声が聞こえた。だが、その視界の先――土嚢の隙間から、黒い影が這うようにこちらへ近づいてくるのが見えた。敵兵だ。手にした短剣が、遠くの照明弾の光に鈍く光る。
レンの手には、支給された錆びたナイフしかなかった。
戦うすべなど知らない。剣術も、体術も、何一つ習ったことはない。それでも、体が勝手に動いていた。震える手で、そのナイフを握りしめる。
――理解度に応じて、際限なく強化する。
儀式の間で見た文字盤の説明が、頭の中で反響した。レンは、自分の手の中のナイフを見つめた。刃こぼれし、錆びついた、ただの鉄の塊。だが、そのナイフがどうやって作られたのか、どんな鋼をどう鍛えて、どう研げば切れ味が増すのか――なぜか、驚くほど鮮明に頭に浮かんできた。
まるで、最初からその知識を持っていたかのように。
「……強く、なれ」
呟いた声と共に、ナイフの刃が淡い光を帯びた。
次の瞬間、迫っていた敵兵の短剣が、まるで紙のように両断された。敵兵が呆然と立ち尽くす一瞬の隙に、駆けつけた基地の兵士たちが取り押さえる。
辺りが静まり返った。
土嚢の陰から顔を上げたガイウスが、レンの手にあるナイフを見て目を見開いた。錆びていたはずの刃は、今や研ぎ澄まされた鏡のような輝きを放っている。
「……お前、今、何をした」
レンは、自分の手の中のナイフを見下ろしたまま、しばらく言葉が出なかった。やがて、いつもの控えめな口調で、こう答えるしかなかった。
「あの……すみません。ちょっと、強化してみただけで」
その言葉の意味を、この場の誰一人として、まだ正しく理解してはいなかった。




