8.竜神姫と息子セイラン
遥か昔、魔の森の奥深くに、竜の滝と呼ばれる聖域があった。そこには竜人と呼ばれる者達が住み、神聖なる聖域を守護していた。しかし魔の森の近隣の国々が、魔の森にある豊富な資源に目をつけ、森を侵略していくようになった。
竜人達は、聖域が荒らされることを恐れ、結界を張っていた聖域を時空間魔法で別世界に移した。そして、魔の森に瘴気を満たし、魔獣以外が住めない土地にしてから、彼等も別世界へと消えて行った。
竜人族の族長は、魔の森の様子を見守るため竜の滝の裏の洞窟に時空間を繋ぐ神鏡を備えて、そこからから様子をうかがってた。魔の森には魔獣が発生する泉があったため竜人族の長は、時折その泉を浄化していたからだった。竜人族の族長の娘であったルーナは、父が神鏡を使い、時々魔の森に転移して行く姿を見ていた。
族長の娘のルーナは、竜人族の中でも目を瞠るほど美しい娘で、膨大な魔力を持つ竜神族の姫として大切に育てられていた。竜人族は10歳を過ぎると殆どの者が番を認識出来るようになる。しかしルーナは、17歳になっても番が現れることはなかった。ルーナは膨大な魔力を行使して自分が住んでいるこの世界の気配を探り、ここに番は居ないと確信した。番と楽しそうに過ごしている友人達を見て覚悟を決めたルーナは、家族には内緒で、番を探すため神鏡を使って以前に住んでいた魔の森にこっそりと転移した。
ルーナが竜の滝の裏側にある洞窟に転移すると、表から人の声が聞こえてきた。恐る恐る滝の隙間からから覗くと、燃えるような紅の髪にに金色の瞳が輝く青年と目が合ってしまった。二人は暫くのあいだ無言で見つめ合っていたが、ルーナはなぜか胸が高鳴り、ポロリと呟いた。
「番……」
「番?」
ルーナと同じ色を持つその青年は、ガーラ国の王であった。
昨夜、ガーラ国王のレオンは番に出会うというお告げのような夢を見た。何故かその夢が忘れられず、レオンは護衛の目を盗み、一人単独で魔の森に入り竜の滝に向かった。魔の森は瘴気で覆われていたが、なぜかガーラ国の王族だけは瘴気の影響を受けることなく森に入ることが出来た。
レオンは、夢のお告げの通り、竜の滝で番に出会った。そして、二人は拗れた運命に抗えずその場で結ばれ、そしてルーナはレオンと共にガーラ国の王宮へ向かうことになった。
王を探しに魔の森の入り口まで来ていた護衛と侍従は、王が連れている女性を見て、ハッと息をのみ、驚いた表情で二人を見つめてしまった。ルーナは、ガーラ国の王族と同じ色を持つ、紅の髪に金色の瞳の美しい女性で、二人が並び立つ姿は神々しく、キラキラした光が彼等を包み込んでいるように見えた。
侍従は目を擦り、王に声をかけた。
「陛下、この女性は?」
「私の番だ。離宮で囲う。丁重に扱え」
レオンは、成人するとすぐにガーラ国の王となり、周りに言われるがままに王妃を迎えた。しかし彼には祖先に竜人の血が入っており、どこかに番を求める気持ちがあった。
正妃であるイメルダとは政略結婚であったが、早々に世継ぎを求む周りの圧力があり、すでに2人の男児を授かっていた。
レオンは、ルーナを離宮に連れ帰ってからも、2人の王子の母である王妃を無下にすることはせず、イメルダとルーナを平等に寵愛した。そして、レオンはルーナを離宮で隠すように囲いこみ、離宮で働く者達には緘口令をひいていた。ルーナが王宮に来て数か月後に、懐妊したことを知ったレオンは今まで以上にルーナを大切に扱った。しかし、レオンの知らないところで、ルーナの心は少しづつ壊れていった。離宮で働く者は全て王妃イメルダの息がかかった者達で、執拗にルーナの心を壊した。侍女もメイドもルーナとは必要最低限の会話しかせず、ルーナを孤独に落とした。
離宮で孤独なルーナは、番であるレオンが他の女性と一緒に居ることを許せなかった。そして離宮で寂しく出産を終えたルーナは、公務のため出産に付き添えなかったレオンに、そして生まれた子供をすぐに抱きしめてくれなかったレオンに嘆きながら、その場で毒を煽った。その毒は、侍女を通じて、正妃のイメルダから渡されていた物だった。
怒り狂ったレオンは、イメルダがルーナに毒を飲むように仕向けたことを突き止め、王妃を病気療養のために静養させるという理由をつけて王宮の外れにある塔に幽閉して毒杯を授けた。それからのレオンは妃も娶らず、子が成人を迎えるとすぐに王位を譲り退位した。
ルーナの子は、隣国ダリオン国のメナード辺境伯夫妻に秘密裏に預けられた。ガーラ国内にいて国王の御子だとわかると暗殺の危険性があったからだった。
子が授からなかった辺境伯夫妻は、ルーナの子をセイランと名付けて実子として届出た。メナード辺境伯領は魔の森に隣接しており、ガーラ国と交流のある土地であった。
ルーナの血を引くセイランは、幼い頃から大きな魔力を纏っていたため、レオンが寄こした魔術師を侍従として側に置いて魔力のコントロールを覚えていった。5歳を過ぎる頃には闇の魔術の特級レベルを自在に扱えるようになっていた。ダリオン国で義務付けされていた魔力検査は、辺境伯夫妻が、セイランに姿が似たような魔力の無い子供を探して、影武者として検査を受けさせた。そしてセイランが17歳の時に辺境伯領でスタンピードがあり、セイランが辺境伯の砦に行っている間に辺境伯夫妻は魔獣に殺された。辺境伯夫妻が亡くなり、セイランは悲しみに暮れる間もなくすぐに辺境伯当主を継いだ。
メナード辺境伯当主として初めて出席したダリオン国王宮の夜会で、セイランは一人の女性から目が離せなくなった。艶やかな深緑色の髪にサファイアのような瞳の色を持つ背の高い容姿の彼女は、穏やかそうな男性にエスコートされていた。しばらく見つめていると、二人はセイランに向かってゆっくりと近づいてきた。
「メナード辺境伯家の分家、グルフスタン伯爵家長女のフレイと申します」
その女性は真っすぐな瞳をセイランに向けると、セイランの鼓動は高まり、体中の血液が沸騰するような気持ちになった。セイランは無意識に目の前の女性を抱きかかえると、周りが止めるのも振り切り、すぐに馬車に乗り込んで辺境伯のタウンハウスへ連れ帰った。そこから次の日の朝までの記憶が無く、ふと気が付くと昨日王宮から連れ帰ったフレイが隣にいた。
セイランの出自を知る侍従のロレアは、昨日王宮からフレイを連れて戻ってきたセイランを見て事情を察し、昨夜の内にグルフスタン伯爵家へ、セイランとフレイの婚姻を命じる伝達を送っていた。グルフスタン伯爵家は本家からの命令には逆らえず、フレイの婚約を破棄してメナード辺境伯当主セイランとの婚姻をすぐに届出た。
目が覚めたフレイは、隣にいたセイランに気が付くと、昨夜あったことを思い出し、涙を流しながらセイランの頬を全力で平手打ちした。
「なぜ……」
「すまない……。フレイ、貴方は私の番だ」
セイランは土下座しながら、自分の出自と事情を説明して、フレイがセイランの番であることを真摯に伝えた。人族であるフレイは番という感覚はわからなかったが、メナード辺境伯の分家である自分は、本家の命令には逆らえないと気持ちを切り替えて、セイランの妻となることを了承した。それからセイランは妻のフレイを大切にして溺愛し、一人息子のガイを授かった。
ガイが5歳になった頃、メナード辺境伯領でまたスタンピードが起きた。大量の魔獣達が魔の森から辺境伯領へなだれ込んできた。セイランは辺境伯騎士団と共に魔獣を討伐に向かったが、違う方向から流れてきた魔獣達が辺境伯城を襲った。剣豪の辺境伯夫人と呼ばれるフレアが、城に残っていた騎士達の先頭で戦ったが、セイランが駆けつける前にフレアは息をひきとった。
辺境伯夫人フレアの葬儀の後、セイランは抜け殻のようになり、自室から出てこなくなった。三月後、やつれた顔をしたセイランが部屋から出てくると無言のまま馬に乗り魔の森に向かって行った。侍従のロレアが後を追ったが魔の森の瘴気の中には入ることが出来ず、魔の森の入り口でセイランを待った。
次の日の朝方、セイランは何かを抱えて森から出てきた。
「ロレア、心配をかけてすまなかった。城に戻ろう……」
そして、その日からセイランは辺境伯としての仕事に復帰し、以前のセイランに戻りつつあった。しかしそれから毎夜、彼の自室からは誰かに話してかけるようなセイランの声が聞こえるようになった。