薬屋の母親 6 (三人称)
「状況を手短に説明」とレオはアリスに声をかける。
「…魔力、流したら。急に苦しみだして…」
アリスがそう言うと、レオは納得がいったという風に舌打ちした。「まだ余裕はあったはずだ。異物が入ったせいで狂ったか」と口早に呟き、マリーたちの方へ歩いてくる。
「アリス、彼女の状態が悪化したのはお前のせいだ」
無遠慮に告げられた事実に、アリスは息を呑んだ。
「私の…せい…」
「あぁ。彼女は体内の魔力が詰まりやすい体質だ。それでもどうにか今の健康状態を維持していたところに、お前の魔力が入ったせいで、流れが狂ってる。場所によっては逆流しているところもある」
「じゃあ…」
「死ぬな。あと数時間もすれば」
アリスは身体を強張らせる。マリーを見る。画商によって毒を盛られ、倒れたアーラの姿が彼女に重なった。あの時の恐怖が蘇ってくる。自分の過失、思慮の浅さで人が死ぬ。
アリスはレオにしがみついた。彼ならばどうにかできるのではないか、と思ったからだ。
「お願い、助けて」
「…」
「対価なら、払う。私のせい、なら。私が、責任とらなきゃ」
お願い、ともう一度懇願した。レオはアリスを見、マリーを見て、溜め息をついた。
「貸し一つ」
それだけ言ってから、マリーの横に膝をつく。「妹が失礼しました。余計な力は抜いて、息を吐くことに集中してください」とマリーの手をとって、自分の魔力を流し始めた。魔力を流しながら、後ろで見守っているアリスに説明をする。
「覚えておけ。基本的に人に自分の魔力を流すな。相手の魔力の流れを狂わせることになる」
「レオの、それは…?」
「俺のは別だ。今は俺の魔力を順方向へ流すことで、彼女の魔力がちゃんと動くように促してる。これは魔力操作に余程長けていなければできないから、間違っても真似しようとするなよ。今のお前には無理だ。それと、今の彼女に治癒魔法をかけるのも止めておけ。病ではない。ただの体質に治癒魔法は効かない」
十分後。マリーの容態は安定した。呼吸も何も問題なく行えるようになり、普段と変わらぬ状態に戻った。
「妹を保護してくれたと、町の人から聞きました。ありがとうございました」とレオは踵を返し、足早に店を去ろうとする。慌てて声をかけたのはマリーだった。
「あのっ!ありがとう。何がなんだか分からないんだけど、助けてくれたのよね?」
「…いいえ。大したことでは」
「大したことよ!」
「…気休めにしかならないものですから」
気休め?とマリーは聞き返した。彼は迷う素振りを見せる。
「アリスを保護してくれたお礼に、最後の助言を。…助言と言ってよいものかは分かりませんが」
そう前置きして、レオはマリーとルーカスを見つめ、そして言った。
「このままでは、貴方はもうすぐ死ぬでしょう」
未来を知っているかのような、そんな予言を彼は告げた。
「え…」
嫌な静寂が落ちた。
言われた言葉を飲み込めず、マリーは意味を持たない声を漏らした。死ぬ。自分が。人はいずれ老いて死ぬものだけれど、もうすぐ、と彼は言った。もうすぐ、とは何だ。
マリーの肩に手が添えられた。夫のルーカスの手だった。ルーカスは「何の冗談だい?」とレオを睨み付ける。
「冗談ではありません。信じるか信じないかはそちらの自由ですけれど」
「百歩譲って冗談ではないとしよう。なら、その根拠は?」
妙に喧嘩腰の夫に、マリーは「止めて」と宥めようとしたが、「彼女の体質です」というレオの声にかき消された。
「先程アリスに言ったように、彼女は魔力が詰まりやすい。あぁ、魔力という概念は分かりますか?」
「…さっき、君の妹さんが教えてくれたからね」
「ならば話は早い。詰まりやすい、という体質はかなり危険なものなんですよ。魔力の流れが悪いと身体に悪影響が現れます。昔、身体は弱かったと聞きましたが、それも魔力の流れの悪さが原因でしょう」
「でも、今はすっかり元気だ」
「ええ。ハーブティーを飲まれているとお聞きしました。それが奇跡的に彼女の体質に合ったものだったのでしょう。だからこそ、その体質があっても彼女は今は不自由なく動けている」
「ならっ…!」
ルーカスが声を荒らげて、レオに詰め寄る。
「子供が原因なんですよ」
感情を表に出すルーカスを冷ややかに見つめながら、冷徹にレオは言い切った。冷たい声だった。
「女性の場合、身重の身体の時が一番魔力の流れが狂いやすい。腹にもう一人いるからです。特に子供にも魔力がある場合は、それも母親よりも魔力が多い場合は酷い。そして、運悪く。彼女の中にいる子供は、人間が持つ魔力量の平均を考えると、かなり多いんです」
纏めると、とレオはマリーを見た。
「生きたいのならば、子供は諦めることをお勧めします。今はまだよくとも、胎児が大きくなるにつれ、身体は悲鳴を上げ始めるでしょうから」
マリーは寝室にいた。明かりもつけず、カーテンは閉めて真っ暗になった部屋の中で。
あの後。子供を生むのなら死ぬだろうと言われた後。根拠のある彼の説明を聞いて、マリーは一人きりにして欲しいと部屋に閉じ籠った。ルーカスは心配していたが、最後は一人の時間を持ちたいというマリーの意思を尊重してくれた。
「死ぬ…」
ベッドに寝転がり、意味もなく右手を天井へと伸ばす。死ぬ、死ぬ、と言葉を繰り返す。
彼はマリーを初めて見た時から、体質の危険性に気がついていたのだそうだ。「言う必要がないと判断したから、言いませんでした」と彼は言って、ルーカスは激怒していた。なんでもっと早くに言ってくれなかったのだと。どうして君はそんなに冷たく言えるのだと。そう、怒っていた。
あれほど荒れた夫を見るのは初めてだ。けれど、ルーカスの怒りはマリーを思ってのことなのだろう。
予言をした子供は掴みかかるルーカスの手を振り払い、「八つ当たりは止めていただきたい。彼女の体質は僕のせいではありません。どうして早くに言ってくれなかった?気付きもしなかった、貴方たちの無知が原因でしょう」と、ルーカスの怒りに怯えるどころか、眉さえ動かずに一蹴していたけれど。
「死ぬ、のよね…私…」
どちらかを選べ、ということなのだろう。子供を生んで死ぬか、それか…子供を殺して生きるか。
目の奥が熱くなって、涙が溢れ出てくる。今頃になって、実感が湧いてきたのかもしれない。
「私、赤ちゃんを抱っこできないのね…」
どちらを選んでも。マリーと、ルーカスと、子供と三人で過ごす幸せな未来はない。
…あんまりだ、と思った。母親になりたかった。昔から子供が好きで、ルーカスと結婚してからは彼との子供を作りたいと思って、そして夢が叶って、母親になれると知れて。すごく嬉しかった。嬉しかったのに。
「無理よ…選べないわ…」
死ぬのは怖い。でも、子供を殺すなんてできない。
マリーは涙を流しながらそう呟いた。
いつの間にか寝落ちしていて、夢を見た。
店と兼用である家の、小さな庭に小さな子供が遊んでいる。マリーはその子が楽しげに遊ぶのを見守っていた。子供がマリーに気付き、「お母さん」と呼んで駆け寄ってくる。
両手を広げてマリーは勢いのついた、その小さな身体を受け止める。「楽しかった?」と尋ねると、子供は満面の笑みを浮かべて「楽しかったよ!」と答える。その子の手には小さな花束があって、はい、とマリーに手渡される。
「お母さん、お花好きだよね?あげる!」と言われて、幸せに満ち溢れた気持ちになって、抱き締める。あぁ可愛い子。なんて、愛しい。
「お母さん」と子供が呼ぶ。マリーは「なぁに?」と答える。「僕はね、お母さんが大好きだよ。大好きなんだ」と子供は笑顔で言って、マリーの頬に手を当てる。私もよ、と答えようとした。
「なのに、お母さんは僕のこと嫌いなの?だから僕のことを殺したの?」
べっと、と頬に赤い液体が付着した。血だった。改めて我が子を見ると、その子の顔は血だらけだった。血だらけの赤子に姿が変わっていた。赤子はパクパクと真っ赤な口を開け閉めした。まだ言いたいことがあるようだった。
マリーは悲鳴を上げ、ベッドから飛び起きた。嫌な汗をびっしょりとかいていた。夢であることが分かっても、あの子の悲しげな声が耳から離れない。
「違うの…」
マリーは自分の腹を撫でた。
「違うのよ…大好きなの…本当に、愛してるの…」
そうやって何度も泣きながら、謝り続けた。




