薬屋の母親 5 (三人称)
「赤ちゃん、いるの?」
「そうよ。あと少しで生まれるわね」
「名前、決まってる?」
「まだ決まってないわ。夫が紙一杯に名前候補を書いてくれたから、今、その中から選んでいるところなの。そうだ。貴女の名前を聞いてもいい?」
「アリス」
「可愛い名前ね。私はマリーよ。よろしくね」
「よろしく」
マリーとアリスは互いに自己紹介をして、談笑を楽しみながら歩いていた。
「アリスちゃんのお兄さん、とっても賢いわよね。前に買った本なんて大人の人でも難しいのよ。夫は夢中で読んでいたけど、私は読むので一杯一杯だったわ」
「うん。本、好きって。さっきの本も探すよう、頼まれてた、もの」
「あれ、"妖精さん"にあげるものだったの?!」
思わず口に出してから、あっ、と思った。いつもの癖で彼のことを"妖精さん"と呼んでしまったのだ。
「"妖精さん"?」
「あ、いえ、何でもないのよ。忘れてちょうだい」
客だからといって、勝手にあだ名をつけられたらいい気はしないだろう。マリーが慌てて誤魔化すと、アリスは素直に「うん。忘れる」と言ってくれた。
「薬草の本、好きになったって、言ってた。入手、困難だから、見つけたら、買えって言われた。そのための、お金ももらった」
「でも、お兄さんとはぐれてたんでしょう。それなのに探していたの?」
「探してくれてるなら、探してくれた、対価、必要だと思った。本があった。だから、渡せば機嫌直ると思って」
マリーは意外に思う。店に来る彼は基本的に穏やかだから、機嫌が悪いというところが想像できなかったのだ。やはり妹の前でだと、ちょっとばかり横暴だったり、子供らしいところがあるのだろうか。
「それなら、やっぱり標本は買いたかったんじゃない?今からでも…」
「ううん」
アリスはマリーの言葉を途中で遮り、「必要なの。貴方に。理由は分からない。でも、貴方が持ってないと、いけない」と言いきる。まるで未来を知っているかのような、そう確信している声だった。
「こんにちは」
「…こんにちは?あれ、黒から白へ、イメチェンしたのかい?」
店に帰ると既に起きていて、マリーを出迎えようとしたルーカスはフードを被ったアリスを見て固まった。似たデザインのマントのため、"妖精さん"だと思ったのだ。「イメチェンに声まで変えるなんて、本格的だね」なんて感心したように言う。
「違うわ。この子は妹さんよ。可愛いでしょう!」
マリーは自分のことのように誇らしくなって胸を張る。「フード、脱いでみてくれる?」とアリスにお願いし、アリスがフードを下ろすと、ルーカスは手に持っていたカップを落とした。熱い紅茶がルーカスの足にかかり、「あっつ?!」と悲鳴を上げる。
「これは驚いた。こんなに綺麗な子がいるんだね」
足を押さえながら、ほへぇ…と呆ける。そうでしょう、そうでしょう、と期待していた通りの反応をしてくれた夫にマリーは何度も頷く。まるで天使みたいに愛らしい子なのだ。
「妹さんが別嬪さんなら、あの子もそうなんだろうなぁ。頭もいい上に容姿にまで恵まれているって。天は二物を与えずって言葉は嘘だったんだ」
「貴方も薬作りの腕はなかなかよ」
「それ以外はからっきしだけどね。元々不器用なんだよ」
「そんな貴方が好きよ」
「おや、突然告白かい?嬉しいね」
夫婦がそんな会話を続けていると、アリスはルーカスに近寄ってきた。赤くなっている足を見て「痛い?」と尋ねてくる。「まぁ、そりゃあね」と答えると、彼女はしゃがんで、バッグから真っ白の杖を取り出した。
「ちょっと、眩しい。でも、痛くなくなるから。我慢してね」
眩しいとは?と首を捻るマリーたちに気にせず、アリスは杖の先を足に当て詠唱した。
ーーーーー傷口に蜂蜜を。痛みに薬草を。苦しみに慈愛を。足りぬなら、魔力を差し出そう。我は癒しの手を持つ者なり。
杖の先から光が生まれ、次に足が輝き出した。突然発光しだした己の足に、ルーカスは間抜けな悲鳴を上げる。マリーは自分の目を疑った。光が止んだ後、確かに赤くなっていたはずの皮膚が元通りの色に変わっていたのだ。
魔法道具は知っていても、杖のみで行われる魔法を見たことがなかった二人には、目の前で起きた出来事はあまりにも不思議で、驚愕すべきものだった。
「もう、痛くない?」
治ることが当たり前、という顔で聞いてくるアリス。ルーカスは震える手で足を押さえ、至極真面目な顔で自分の妻を見た。
「君の言う通り、"妖精さん"たちは本物の妖精だったのかもしれない…」
マリーは、「だから、言ったでしょ…」と返すのが精一杯だった。
やっと状況が飲み込めてきたマリーとルーカスが大騒ぎをして、アリスが説明を繰り返し、ようやく落ち着いた頃。魔法の概念を理解したルーカスは、「興味深いね」と感想を言う。
「身体に巡る、血液とは違う魔力というもの。今まで魔力っていったら、魔法道具を作る人たちにしか関係がないもの、っていう認識だったから、今みたいに医療に使えるなんて思い付きもしなかったな」
「その杖を振れば、魔法が使えるの?」
アリスはミルクティーが注がれたカップを両手で持ち、息を吹き掛けて冷ましながら、マリーの問いに首を横に振った。ミルクティーは、子供なら甘いものが好きだろうと淹れてもらったものだ。マリーとルーカスはハーブティーを飲んでいる。
「違う。杖なくても、できる。魔法を使う、には、魔力操作ができないと、駄目」
アリスは二人に自分の杖を手渡した。マリーが振ってみても、うんともすんとも言わない。魔力を流して、正しい手順で魔法を使わねば、杖はただの棒切れに過ぎないのだ。
「その魔力操作っていうのは何かしら?あの子も前に言ってたんだけど、意味が分からなかったのよ」
「身体の、魔力を使う」
「えっと?」
「イメージ、する、なら。血を、好きなように、動かす感じ」
「血って意図的に動かせるものかしら…」
「でも、そんな感覚」
これはできそうにないとルーカスはすぐに白旗を振った。どうやらセンスが必要不可欠らしい。魔法なんて何とも胸が踊る話だけども、自分には縁遠い話だ。
しかし、マリーは諦めなかった。魔法への憧れが人一倍強かったのだ。
「難しそうね」
「感覚、掴むまでは。練習、沢山、大変だった」
「練習?どんな風なの?私もできるかしら?」
マリーが目を輝かせるが、対照的にアリスは険しい顔をした。ふるふる、と全力で首を横に振る。強く否定されたマリーは少し落ち込んだが、「できるかも、だけど。止めといた、方が、いい」と言われる。「どういうこと?」と聞き返した。
「とっても、しんどい。痛い。マリーに痛い、思いして、欲しくない」
可愛らしい理由にマリーはキュンとした。どうしましょう、この子すごく可愛いわ、と思う。
「ねぇ、操作は無理でも、魔力を感じることはできたりするの?」
「感じる?」
「ちょっとだけ流してみたら、あ、これだわ!って何となく感じたりするかもと思ったの。魔法なんて初めてなんですもの。体験してみたいわ」
「…私の、魔力を流す、なら」
アリスはおずおずと了承した。やり方は簡単だ。手を触れながら、アリスが魔力をその手に集中させて、マリーはその魔力を感じる。駄目で元々だ。取り敢えずやってみよう、ということになった。
しかし、実際に手を繋ごうという直前。
「…やるの?本当に?」とアリスが躊躇い出し、念を押すように聞いてきた。「えっと、アリスちゃんがいいなら?」とマリーは、何をそんなに気にしているのだろうと不思議に思った。
「なんか、ざわつく。でも、マリーはレオと違って、私の魔力、平気、のはず。害はない、のに…?」
「アリスちゃん?」
「…何でもない」
二人の手が触れて、マリーの体内へアリスの魔力が流れ込んでくる。神経を集中すると、自分の中へあたたかく、心地よい何かがゆっくりと入ってくるのが分かる。
なるほど、これが魔力なのねーーーー。そう思った刹那。
ドクンッと心臓が大きく鼓動した。マリーは身体全体にとてつもない違和感を覚え、脈拍は上がり、胸に傷みを感じた。酷い倦怠感に襲われる。呼吸は浅くなって、ヒュー…ヒュー…と過呼吸時に似た呼吸音がする。まるで血液が逆流したかのような感覚。
「マリー?!」
アリスとルーカスは慌てて駆け寄ってきた。
「どうしたの?どこ、しんどい?」
「マリー!!気をしっかり持ってくれ!僕の声が聞こえるかい?!」
マリーには返事をする余裕がなかった。少しでも気を緩めれば意識を失ってしまいそうになる。
「マリー?!」
彼女が胸部を押さえることに気付いたアリスは、杖を向け、先程と同じように治癒魔法をかけようとした。が、丁度店に入ってきた人物の声に、動きを止める。
「…どういう状況だ?」
黒いマントを着た"妖精さん"ーーーレオが、苦しげに呻くマリーと、狼狽えているアリスとルーカスを見て、眉をひそめていた。




