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薬屋の母親 7 (三人称)


涙を枯らすほどに泣いて、マリーは耐え難い喉の渇きを感じ、のろのろと立ち上がった。


本当は動く気力さえなかったけれど、昼から飲まず食わずだったことに気が付いて、流石に何か胃に入れておかなければと思ったのだ。


外はすっかり暗くなっていた。途中で出てきてしまったけれど、あの二人はちゃんと帰れただろうか、と思いながら歩く。


途中で、ふと窓の外が見えて、庭に黒いマントを着た子供が座っているのが見えた。


庭へと下りる階段に腰掛け、アリスが持っていた杖と似たものの先から小さな火を灯し、その火を明かりとして本を読んでいた。驚いたマリーは庭へと飛び出して、「"妖精さん"!」と呼び掛けた。


彼は本から顔を上げ、にこりと微笑む。



「こんばんは。前にも言いましたが、僕は妖精ではありませんよ」


「あっ、ごめんなさい…」


「いえ、構いません。名前を名乗っていませんでしたからね。レオと言います」


「レオ、君?」


「はい。未だに、君付けされるのは慣れませんが」



レオ君はどうしてこんなところに?と尋ねると、レオは明かりのついた店の方を指差した。



「用は終わったので、家へと帰ろうとしたら、仲直りをしろとアリスに怒られまして。どうやら僕は知らずの内に、不愉快な思いをする発言をしてしまったようですね。申し訳ありません」


「い、いいのよ…」



あの冷たい物言いや声色は無意識だったのか、と驚きながら、マリーは頷く。わざと傷付くような言い方をしているとばかり思っていたけれど、彼自身に悪意はなかったらしい。



「仲直りするまで、家へ入れないと脅されました。ついでにもう好物も作ってやらないとまで言われので、仲直りなるものをするしかないと腹を括ったのですが、ルーカスさんは乗り気ではなかったんです。『頭を冷やすから、どこかへ行ってくれ』と言われましたので、ルーカスさんの頭が冷えるまで、ここで待機中ですね」


「待機って、まだ夜は冷えるでしょう…?何時間くらいここに?」


「もう八時間くらいはいるのでは?」



マリーは慌ててレオの手を握ると、長時間外にいたせいで、氷のように冷たくなっていた。それに、八時間。もう夜中だ。彼の親も心配しているに違いない。


つい数分前までの沈んでいた気持ちも忘れ、マリーは一気に目の前の彼のことが心配になった。



「い、今すぐ家に帰った方がいいわっ!いえ、その前に何か温かい飲み物でも、飲んで、身体を温めないと風邪を引いちゃう!」


「家のことなら心配いりません。アリスに代わりの人形を持たせました。僕の不在は気付かれません」


「人形…?」


「アリスの治癒魔法を見たそうですね。そこまで知っているのなら、今更隠しても無駄でしょう。彼女と同じで、僕も魔法を使えます。人形に僕の代わりをさせているんです」



これも魔法ですよ、と火がついている杖をレオは見せる。切っ先から火を出す杖は、木を削って作られているのに燃えていない。これも魔法なのか。彼が手を離し、マリーが杖を持つと、魔力が流れなくなった杖は火を消した。



「不思議ね…」


「そうですか?正直、僕にとっては普通のことなので、魔法を不思議と思う考えがよく分からないんです」


「アリスちゃんは、魔法を使うために必死に練習したって言ってたわ。貴方もなの?」


「彼女の場合はそうでしょうね。ですが、元々僕の種族は魔力操作に長けている種族でしたから。魔法を使うことは、彼女ほどは大変ではなかったのではないかと思っています」



レオの話を聞いて、ふと違和感を感じた。



「待って。貴方とあの子は兄妹なんでしょう。その、種族?っていうのも同じはずじゃないの?」


「その辺は少し複雑なんです」



彼は口に人差し指をあてる。これ以上は言う気がないらしい。



「ちょっと待っててね。ルーカスにお説教してくるわ。どんな理由があれ、子供を寒い外に長時間いさせるなんて、許せないんですもの」


「『頭が冷えるまで待っています』とは言いましたが、彼は本当に僕が待っているとは思っていないでしょう。こんな時間まで。なので、お説教もほどほどにしてあげてください」


「…怒らないのね。ルーカスのこと」


「怒る?責任転嫁されそうになったことは誠に遺憾ですけれど、憤りは感じていません。それに、元はと言えば、僕の言葉選びが下手だったからだとアリスに言われました」



「僕はただ事実を述べたつもりだったんですよ、これでも」と言う彼にマリーは面食らった。なんと言うか、誤解をされやすい子なのだなと思った。


彼は気にしてないということだったので、ルーカスの説教は後回しにした。ルーカスだって意地悪したくてやっていることではない。レオの言い方だと、マリーやその子供を必要以上に追い詰めているように聞こえてしまうから、それを怒っているのだろう。


レオはマリーの腫れた目元を見て、「悩んでいるのですか?」と尋ねてくる。何を意味しているのか理解したマリーは、ええ、と沈んだ声で応じる。



「…墜ろせばいいだけなのに、と僕は思います」


「っ?!」


「けれど、きっとこういう発言が駄目なのでしょうね」



あまりにも配慮がないことを言われて、身体を強張らせたが、次に続く言葉でこれも悪意はないのだと悟る。


この子と自分では、価値観が違い過ぎるのだ。ただそれだけなのだ。


だから、マリーは根気強く「どうして、そう思うの?」と理由を聞くことにした。彼はきょとん…とした後に、「だって、自分の命と子供の命、どちらしか選べないのなら。自分を優先するのは自然なことではないのですか?」と聞き返してくる。



「燕は巣から落ちた子供を放置します。猫は身体の弱い子供の育児を放棄します。ライオンは自分の子供ではない子は食い殺すそうです。すべてはその方が子孫を残すために合理的だから。彼らなら、子供一人のために命を落とすくらいなら、自分が生き残ることを優先するでしょう。違いましたか?本ではそう読んだのですけれど」



当たり前のように話される内容に、マリーは絶句した。あまりにも受け入れがたい考えで。そして思った。こんな考え方になるなんて、彼は一体どんな環境で育ってきたのだろうと。


あまりにも悲しい考え方だと思った。


マリーは無意識にレオに手を伸ばしていた。頬を撫でると、レオは「どうしました?」なんて聞いてくる。



「貴方、人に愛されたことはある?」


「愛される?とは?」


「大切よ、って言われたこと。貴方に生きていて欲しい、って言われたこと。ある?」



レオは顎に手を当てて、思い出す素振りを見せた。暫くして「あぁ」と声を上げる。



「"レオ"に向けて言われたことならあります。あとは…そうですね。僕に対しては、一人だけ言ってくれた人がいました。随分昔のことです」


「レオ、に向けて…?」



"レオ"と"僕"。まるで別人のように語る。マリーは眉を寄せる。



「ご両親からは?」


「あの人たちは、僕の両親ではありませんから。彼らの子供はあくまでも"レオ"の方でしょう。一時的に"父様""母様"と呼ばせていただいていますが、所詮は他人だ」


「親は親でしょう?」


「説明するのが難しいですね。簡単に言えば、僕には二種類の親がいることになります」


「それは養子…ということ?」


「まぁそのようなものだと思っていただければ。僕の元の両親…いえ、片方はいませんでしたから、母親だけですね。母からは言われたことはありません」



彼が養子で、今の家族と血が繋がっていないのならば、妹と種族が違うという発言も納得ができた。つまり、彼は母親に捨てられたのだろうか。



「レオ君は、お母さんのこと、嫌いだったの?」



いいえ、とレオは即座に否定する。



「大切に思っていた…と思います。貴方の言う"愛していた"になるのでしょうね」


「なら、お母さんに愛して欲しかったでしょう?」


「僕は、彼女への多大な恩を仇で返す真似をしてしまいましたから。彼女に認めて欲しいとも、大切に思って欲しいとも、思ったことはありません」



恩を仇で返す。どういうことなのだろう。



「殺してしまったんです。生まれる時」



告げられた事実に固まった。そして同時に、彼が初めてマリーに会った時に腹の子供を見ていた眼差しの意味を理解した。彼は自分の母を重ねたのかもしれない。



「僕は胎児の時から、魔力量が異常な程に多かったので。母体に大きな負担がかかりました。だから、母は僕を墜ろそうと堕胎薬を飲んだり、死産にするためにあらゆる手を尽くしましたが、結局僕は生まれてしまった」


「…」


「破水した際に、魔力が暴走してしまったんです。今でこそそんな失敗はしませんが、その頃の僕は魔力操作でさえ上手くできなかった。魔力が膨大過ぎて、制御が難しく、実は魔力操作が苦手だったんですよ。僕が魔力が暴走したせいで、母の腹は膨れ上がり、そしてぱんっと最後は破裂しました。内臓は辺りに飛び散り、血管やら臓器の破片やらで汚れた、悲惨な死体でした。『お願いだから、死んで』。これが母の最後の言葉です」


「…覚えているの?」


「胎内記憶、というものがあるのですから、自分が生まれた時のことを覚えていたって何ら不思議はないでしょう?」


「…それだけ言われたのに、お母さんのことが好きなの?」


「そのようですね」


「どうして?」


「どうしてって…」


「堕胎薬を飲んで、何度も殺されかけたのに?恨みたいと思わないの?」



マリーが尋ねると、レオは少しばかり考え、やはり「ええ、恨んでませんね」と同じ答えを口にした。「どうして?」と再度聞く。



「彼女に生んでもらった恩がある、というのも勿論ありますが…。元々、生まれる前に決まっていたようなものです。恨めなかったんです。泣きながら、『生きたい』と堕胎薬を飲む彼女の声を聞いていたら。この人になら殺されてもいいか、と腹の中でそんなことを考えていました」


「どうしてっ…」


「理由はありません。強いて言うなら、子供にとって母とはそんな存在だからではないでしょうか。恨めないから、恨まない。憎まない。少なくとも僕にとっての母はそうでした。例え彼女が僕のことを嫌っていても、僕は母のことを好いていましたよ」



僕はね、お母さんが大好きだよ。大好きなんだ。


夢の中で我が子が言っていたことと、レオが言っていることが重なった。ぼろぼろと涙が流れる。いっそのこと、憎んで、嫌ってくれたらどんなによかっただろう。


僕はね、お母さんが大好きだよ。大好きなんだ。なのに、お母さんは僕のこと嫌いなの?だから僕のことを殺したの?


あの子の声が、ずっと耳に残っている。



「子供と母親の魔力差が死因。少し貴方と似ていますね。参考になるかは分かりませんが、僕は母に殺されたとしても、恨みはしないと同じ答えを返します。母親が自分を見捨て、生きる方を選んでも特に不満は覚えません。泣いてくれずとも、迷わず殺されたとしても、母にとって自分はそれだけの存在だったと自覚してそれだけです。貴方が子供のために泣き、心を砕いてあげたというのなら、それだけで子供は幸せでしょう。きっとその子も恨まないのではないか、というのが僕の考えです」



だから僕は墜ろせばいいのにと思います、と彼は締め括った。


最初に言われた時と違う響きに聞こえる。最初の時は何も考えていない残酷な提案に聞こえたのに。


僕はね、お母さんが大好きだよ。大好きなんだ。なのに、お母さんは僕のこと嫌いなの?だから僕のことを殺したの?…それでも、僕はお母さんのこと大好きだよ。


そんな声が聞こえた気がした。夢の中で、最後にあの子が伝えようとしてくれたのは。そんな言葉だったのだろうか。



「レオ君、言葉選びが下手ね」


「そうでしょうか?意志疎通は問題なくできていると思っていたのですけれど…貴方からもアリスからも言われたのなら、その通りなのかもしれません」


「ええ。とっても下手だわ。最後まで貴方の話を聞かないと、本当の意味がまったく分からないんだもの。そうね。人を気遣ったりするの、苦手?」


「…それに関しては、苦手だと自覚しています。何を言えばいいのか、よく分からないことが多いので」


「ふふ。そう」


「アリスの時は。客観的に見た事実を並べていったら、勝手に元気になりました。今も僕はただ自分の過去と、意見を述べただけです。これ以上は現時点で、今の貴方に僕から言える、そして渡せるものはありません」


「ありがとう。ちょっとだけ気持ちに整理はつけられたわ。まだどちらも選べないけれどね」


「…まだ、選べませんか?」


「それはそうよ。子供を殺すか、自分を殺すか。その二択だけなんですもの。…私は、このままだと死んじゃうのよね?」


「はい。このままなら。死亡の可能性は九割を越えるかと。ただ子供を諦めば、その可能性はほぼなくなります」


「そう…」



マリーは悲しげに微笑む。やはりどちらかを選ばなくてはいけないのだ。これだけ背中を押してもらっても、やはり選ぶことはできない。



「…二択では選べませんか」


「レオ君?」


「アリスから言われたことがあるんです」


「?」


「『取引をするなら、マリーは対価に値するものを持ってる』と。心当たりはありますか?」


「取引?対価?何のこと?」


「僕が欲しいと思うものは対価となり得ます。それを差し出してくれるのなら、貴方は僕の取引相手となる。そうなれば話は別です。"赤の他人"である貴方に教えられる選択肢は二つだけですが、"取引相手"となるのなら、僕は"第三の選択肢"を提示しましょう」



第三の選択肢。それは、つまり…。マリーは思わずレオを凝視する。彼は変わらず、考えの読めない、穏やかな笑みをたたえているだけだ。



「あるの…?私も子供も死なない方法が」


「あまりにも不確実な方法です。成功率は僕でさえ分かっていない。もしかしたら、まったく効果がないかもしれない。変に希望を持たせるのはよくないかと、黙っているつもりだったのですが…。何故かアリスに悟られてしまったようでして、必ず言えと念を押されました」


「それって…」


「対価を、提示してください。僕はアリスほど人に甘くはありません。いくら貴方が今置かれている状況が母に似ていようと、私情で取引条件を緩める気はありません。僕が取引に乗ってもいいと思うものを見せてください。話はそれからです」



他に方法がある。そう言われたマリーは、差し出せるものは何かないかと思案した。金…は自分たちで生活をしていくのでギリギリだから、大金を用意することはできない。ならば、店?けれど、ルーカスがずっと自分の店を持つことが夢なのだと必死にお金を貯めて、開けた店だ。できる限り残したい。他には…。



「店にある薬草は…」


「それは買えばいいだけですから」



どうにか捻り出した答えは、ぴしゃり、とはねのけられる。高価なもの、と考えて、自分の髪留めに手を当てた。これは、夫からもらった大切なものだけれど…。



「それを売ったとしても、金銭で僕が望む金額にはならないと思いますよ」



これも駄目らしい。そうなると、もうお手上げだ。マリーはうつ向いた。



「終わり?…僕の性格を知っているアリスが、何の理由もなく、そんなことを言うとは思えないのですが。彼女は何か言っていませんでしたか?」



少しだけ困惑した声で、レオはマリーに質問した。アリス。あの子が言ってくれたもの。対価。この子が欲しいと思うもの。


あ、と思った。アリスが残した予言めいた言葉を思い出したのだ。



「譲ってくれた本…」


「本?」


「あの子が、貴方のために探していた本があったはずだわ。古本市で見つけて、私の方が必要だからと譲ってくれた標本があるの。もう絶版になってて、手に入らないもの。これじゃ、駄目かしら…?」


「譲った?アリスが?」


「え、ええ…」



レオが驚いた気配がして、肩を震わせる。泣いているのかと思いきや、やがて笑い声が聞こえてきた。笑いが堪えられないという風に、彼は腹を抱えて笑っていたのだ。



「あはっ、あははは!アイツも頭が回る!まるで、こうなることを見越していたかのように!あらかじめ対価になり得るものを渡しているなんて!そうか、勘か!まるで天啓(てんけい)みたいじゃないか!そうか、そうだよな。お前の言う善人だ。死んで欲しくないと、手を尽くしただろう。ふふっ、あははっ!俺はどうせ無理だろうと高を括っていたというのに、これはアリスの方が一枚上手だったな!!」



あは、あははっ、とレオは狂ったように、おかしくて仕方がないと笑っていた。口調も崩れて、一人称も変わっている。壊れたように笑う彼が怖くなって、「レ、レオ君?」とうわずった声で呼ぶと、彼は笑うのを止めて静かになった。にっこり、とまた穏やかな微笑に戻る。



「突然すみません。妹の行動が予想外だったものですから、面白くて。ええ、あの本なら、僕が手に入れたいと思っていたものです。十分に対価になります」


「それって…」


「取引をいたしましょう。不確実極まりない第三の選択肢を選ぶというのなら。貴方が死なぬよう、そして貴方の子供も死なぬよう、僕はできる限りの力を貸すことを約束致します」



「貴方が母と同じ最後を迎えぬように」と最後は寂しげに付け加え、レオは手を差し伸べた。



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