画商の過去 5
おかしい。挙動不審な彼を見た時、すぐに私は違和感を覚えた。前からどもった話し方をして、人と意志疎通を図ることに慣れていないということは察していたが、今日の態度は明らかに変だ。
昔から両親の顔色を伺ってばかりいたせいか、視線や顔色で人の考えていることを読み取るのが上手かった。といっても、彼の様子を妙だと思うのは誰だってできたことだろう。それほど彼は、ものを隠すということに向いていない男だった。
何かを知られた?何を。作品を他国で売っていることか、いや、彼は金に執着するタイプではない。知られたところで、面と向かって「お金ください。お願いします。僕はこのまま餓死します。マジでお金ください」と言ってきそうだ。では、違うこと。彼が顔を真っ青にさせて、気付いたことを悟らせないようにしなければならないこと。
…もしや、私が人を殺したのを知ったのか。
もしも知られたのなら口を封じなければならない、と頭を働かせる。金で釣るか。本当にその方法が確実か。一番確実な方法は…。
死人に口なし。殺すことだろう。
こうして、私は三度目の毒殺を犯すことになった。
手持ちがなかったために一度は気付いていない演技をし、その際にまた来訪する理由としてわざとペンを置いてきた。そして、彼のアトリエを出て、借りている宿の部屋に酒を取りにいった。薬はこれで最後だった。入手しようと思えば可能だろうが、これで人を殺すのは最後にしようと、一人分の薬を見て思った。
これで、最期。最期だ。そう思うと私は、前に船の上で言われたことを思い出した。あのアクイラ家の男に言われた言葉だ。
『余計なお節介かもしれないけど、画商は止めた方がいいと思うよ』
『君が思うよりも世界は広い。嫌いな芸術に関わらなくても、職はあるし、選り好みしなければ食べていける。君の一見相反しているように見える、その二面性はいつか身を滅ぼす気がするんだ』
そうだ。画家を殺したら、もう画商を止めよう。今まで生活のためだとか理由をつけて躊躇っていたことが嘘のように、私はあっさりと決意した。
思えば、あの貴族の言うことは的を射ていたかもしれない。私は芸術に関わるから苦しんでいるのだ。一時期は他の商品を取り扱ったこともある。商売が軌道に乗るまでは贅沢はできない暮らしに戻るけれど、それでも食ってはいける。
画家が酒を飲むことを見届けたら。買い取った作品を売って、その金を持って、どこか遠くに行こう。芸術から離れよう。私は自由だ。
そう、この殺人が成功したら。
「君は、知ったのか?」
内容を聞かずに尋ねると、彼は視線を泳がせた。やはり隠し事に向いていない愚直な男だと思いながら、私は酒を渡した。
「…美味しいで、す、ね…ぇ?」
人を殺そうと決めても、私が知っている殺人の手口は一つしかない。毒を入れた酒を飲ませること。親も前の画家もそれで死に、証拠は見つからず、私は疑われることがなかった。
彼が私が犯した犯罪を知ったとしても、どこまで詳しく知っているのかは分からない。ただ殺したとだけ知っているのか。薬を飲ませたことまで知っているのか。
どうやって知ったのかは知らないが、もし死因まで知っているのなら私の企みは失敗に終わる。彼が酒を飲むことを拒否したら、一か八か刃物で殺すつもりだった。が、心配は無用だった。
青ざめながらも、私が強く彼に飲むように迫ると、彼は恐る恐る口をつけたのだ。喉がしっかりと動き、飲み込んだことを確認した。
彼の目が虚ろになった。目蓋がゆっくりと落ち、身体が傾く。受け身もとらずに固い床の上に彼の身体は崩れ落ちた。私は倒れた彼を見下ろし、両親の死を見た時と同じ感想を抱いた。
「…呆気ないな」
呆気ない。人の死とは実に呆気ない。改めてそう実感した。
彼の家を出て、私は深く息を吸い込んだ。いつもよりも空気が美味く感じ、心なしか肩が軽くなったように感じた。これで終わりだ。あとは絵を売るだけ。そうしたら、私は芸術から解放される。
空を見上げる。普段は憎らしいと思うばかりである空の色が、今は眩しく感じた。
「私は…自由だ」




