11.冷たい痛みと地獄の霧
切り替わった廊下は、ただ真っ直ぐに続いていた。
シャルリエとカイザイクはそのまま直進し、頑丈そうな扉の前で立ち止まる。
「この扉の向こうに、マルシャルが居る……」
カフのパスを使ったシャルリエは、妙にはっきりとした勘を発揮してアジトの仕掛けを攻略し、この扉を見付け出した。
ただひたすらに、マルシャルを助けたいと願った思いの強さが、そのままパスの力を発揮させたのだ。
「男爵さん、あの鍵の束を」
「おう」
黒髪の青年から渡された鍵を使うと、その中の一本で扉を開くことが出来た。
二人は同時に扉に手をかけ、開けた。
「……っ!!」
目の前に広がる光景に、シャルリエは絶句した。
無造作に冷たい床に転がされた身体は縄できつく縛られ、頬には何度も殴られた痕と、口元に乾いた血がこびり付いている。
意識が無いのか、苦しげな表情で眠るマルシャルを囲んでいた二人の男が振り返った。トバリとロメオだ。
「おめーらか……おめーら! 色々と好き勝手やりやがって!」
「おやおや……たった二人の侵入を許してしまいましたか」
怒鳴るカイザイクとは対照的に、トバリは余裕たっぷりで振舞っている。
その態度が更にカイザイクを苛立たせるが、シャルリエはそんな些細なことは気にもしていなかった。
ボロボロになった、大切な友の姿。それが視界に入った瞬間、まるで全身に電流が走ったようなショックを受けた。
「きついお仕置きをしなければなりませんね……。貴方達を大人しくさせた後で、ね」
「どれだけ痛め付けても、誰の差し金が口を割らなかったんだぜ? すげえ根性してるよマルシャルさんは」
「……ふっざけんじゃねえ!!」
「おおっと! 私や彼に手を出せば……この青年がどうなるか、分かりませんよ?」
今すぐにも殴りかかろうとしたカイザイクに浴びせられたその言葉は、彼を止めるには充分な威力だった。
「彼を助けに来たその勇気は讃えましょう。ですが、その様子では私達の秘密を知っているのでしょう? 私達を捕らえる為に奔走し、正義の鉄拳を振りかざす……実に美しい心をお持ちのようだ」
からかうような口調で語るトバリ。
カイザイクの眉間には深い皺が刻まれている。
「しかし、彼や貴方は知り過ぎた。折角彼のお仲間がのこのことやって来てくれたのですから……消えてもらうしかありません」
「抵抗しなけりゃ、すぐに楽にしてやるさ」
「さあ、始めましょうか」
ロメオはシャルリエから片付けようと近寄り、手を伸ばす。
しかし、その前にカイザイクが立ち塞がり、射殺すような気迫に満ちた瞳で睨む。
「お嬢ちゃんに手ェ出すな」
「何だ、先に自分が殺られる覚悟ってか?それともそんなちんまいガキが好みなのか?」
心底馬鹿にしたように笑うロメオ。
「コイツは、俺の大事なダチだ。指一本でも触れようもんならタダじゃおかねえぞ」
地を這うようなカイザイクの声色に、ロメオは唯ならぬものを感じ取った。
その時だった。
「どいて」
「シャルリエ……?」
「そこをどいて下さい」
「だがよォ! ……っ!?」
ちらりと背後を見たカイザイクは、思わずゾッとした。
春風のように穏やかで暖かい、ひだまりのような少女の様子が明らかにおかしい。
海のように煌めく青い瞳には影が宿り、少女とは思えない、歴戦の勇者のような鋭さがひしひしと感じられた。
大の大人が一人の少女に臆するとは奇妙な話だが、カイザイクの目に映る彼女は底知れぬ強大な力に取り憑かれているかのようだったのだ。
シャルリエの言葉に従い、カイザイクはその場を離れた。
「あなた方は、神に見放された哀れな人々……」
そっと錫杖を握り締め、暗い瞳にロメオとトバリの姿を捕らえる。
「生憎ですが、私と彼は神など信じていない」
「罪を重ね続けるその魂は、巡り巡って神々を穢す……」
シャルリエの足元から、赤黒い霧のようなものが湧き上がってきた。
それはまるで地獄の蓋が開けられたようだとカイザイクは感じた。
「……っ、離れなさいロメオ!」
霧は静かに広がり、目の前で足が動かせなくなっていたロメオを飲み込んでいった。
「な、何なんだよこれ……寒い……身体中が氷漬けにされてるみてえだ……!」
「……穢れた魂は、滅ぶが定め」
蛇のようにゆっくりとトバリににじり寄っていく霧。
あの霧に触れてはいけない。そう直感したトバリは部屋の隅まで追い詰められた。
「近寄るな! これ以上その霧を私に近付けようものなら、あの青年の命は……!」
シャルリエは躊躇わず霧を操る。
今のトバリに、マルシャルをどうこう出来る手段など無いことを彼女は悟っていたからだ。
「や、やめろぉぉ!! やめろぉぉぉぉ!!」
トバリも霧に飲み込まれた。
「そのまま己が罪を悔い改めない限り、この霧はあなた方の魂を食らいつくしていき、最期を迎えることでしょう」
二人は声も発せられない程に冷え切っていた。
シャルリエの言う通り、本当に自分の命が少しずつ磨り減っているのだと強く実感する。
「男爵さん」
「……お、おう。何だお嬢ちゃん」
「マルシャルの縄をほどいてあげて下さい。わたしはまだ、ここでやらなければならないことが残っています。彼らはもう動くことすら出来ないはずですが、くれぐれもその霧に触れないようにして下さい」
「分かった」
そう言い残し、シャルリエは踵を返して天使の置物がある部屋へと歩いていった。
マルシャルの縄を解き、ぐったりした身体を落とさないように背負うと、静かに苦しみ悶える二人の男をしばらく見つめた後、シャルリエを追った。
彼女を追い掛けた先には、魔界のような光景が広がっていた。
「……シャル……マルシャル!」
「具合はどうだ? 何か食えそうか?」
意識を取り戻したマルシャルは、ベッドの上で目を覚ました。
「……ドーナツが食べたい」
「食欲はあるみてえだな。よっしゃ! すぐに買って来てやるから待ってな!」
安心した表情を浮かべたカイザイクは、シャルリエにこの場を任せて部屋を飛び出していった。
(そういえば……何で僕ベッドで寝てたんだろ。確か、クシランと別れた後あいつらのアジトを見付けて、それから……)
「無事目を覚まして安心しました。怪我は治療してありますが、気分が悪かったり、まだ痛むところがあったりはしませんか?」
「え……あ、ああ……大丈夫そうだけど」
「それは良かったです」
愛らしい笑みを浮かべるシャルリエは、もう普段と変わらない様子だった。
「あのさぁ……やっぱり僕、あいつらに捕まえられてたんだよねぇ……?」
「はい……。ですが、あの傭兵ギルドの方々はわたしと男爵さんで懲らしめました! 奪われていた金品も、売却されてしまったもの以外は取り戻すことが出来ました。クシラン様やケセド神殿の信徒の皆さんにもご協力していただいて、商人の皆さんへ品物をお返ししている最中です」
「そっか……」
(僕、何の役にも立てなかったんだ……)
すっかり身体の痛みが取れたマルシャルはベッドから起き上がる。
見慣れない部屋。どうやらここはカイザイクの屋敷ではないらしい。
「シャルリエ、今更だけどここはどこなの?」
「ケセド神殿です。今回は急いでマルシャルを治療する必要があったので、特別に男爵さんを中へ入れていただいてこの部屋まで運びました」
「急ぐ必要がある程危ない状態だったの?」
「すぐに命に関わるものではありませんでした。……ですが、酷い怪我でした。あまりにも痛そうだったので、より回復能力を高める為に神殿内で治療したかったのです」
地上に戻ったシャルリエ達は、マルシャルの怪我に驚く人々から注目を集めながら神殿へと走った。
大切な友達の痛々しい姿を見ることに、心が張り裂けてしまいそうだった。
「マルシャルを助けることが出来たのは、あなたの危機を知らせてくれた方のお陰でした。お名前を聞きそびれてしまいましたが……彼はわたし達の味方だと、そう仰っていました。次にお会いした時には、お礼にナタリーから教わったクッキーをお渡ししたいです」
「あ、その時は僕に味見させてよ。シャルリエが作ったお菓子を一番に食べてみたいんだよねぇ」
「はい! ではマルシャルに味見をお願いしますねっ」
こうしてマルシャル、シャルリエ、そしてカイザイクの心にそれぞれの痛みを与えた事件は解決した。




