6.澄んだ青空と甘い香り
互いを励まし合い、レーガと別れたマルシャルは、シャルリエが既に眠りについたペーの教会へと戻り、朝が来るまでの僅かな時間ぐっすりと眠った。
「おはようございますマルシャル」
「ふわぁ~……おはようシャルリエ」
一度眠るとなかなか起きないシャルリエと、遅くまでレーガと飲んでいたマルシャルは、パンとスープを朝食にし早速二人は祈りの間へと足を運んだ。
ネツァクの教会にも神の像はあるのだが、それはマルクトの神アドナイ・メレクではなく、ネツァクの神アドナイ・ツァバオトのものである。
巫女は他国の神の声を聞くことは出来ない。なので各神殿と教会は、他国の巫女が祈りを捧げる為の部屋を用意している。それが祈りの間だ。
色とりどりの花と、羽ばたく白い鳥が描かれたステンドグラスが、朝日を受けて清潔感のある白い部屋を鮮やかに染めている。
シャルリエは静かに祈りを捧げ、その小さな背中をマルシャルが見守っていた。
(ハルミアさん達商人から金品を奪っていった奴らと、ペーのパスの在り処.……か)
賢者プラタナスは、世界全体に災いが降り掛かる危険があると仄めかしていた。
それが具体的に何なのかは聞かされていない。その秘密を知るには、パス探しのみならず、人々との交流も必要だと告げられた。
(やっぱり聖戦ってのは一筋縄じゃいかないもんなんだねぇ、めんどくさい……)
これまでの経験上、シャルリエは目の前で困っている者や弱っている者を見ると、手を貸さずにはいられない性分だということをマルシャルは分かっている。
どれだけ面倒臭がろうと、シャルリエについて行くしかないのだ。
「……わかりました」
呼吸が荒いシャルリエの側に近付き、細い肩を抱き寄せる。
「それは良かったけど……大丈夫? 随分疲れてるみたいだねぇ」
「問題、ありません……いつものことですから」
安心させようと小さく微笑むシャルリエ。
しかし、少しばかり無理して笑っているのは見て分かる。
(巫女だから、皆に心配かけちゃいけないっていうのは分かる。分かる……けどさ)
「……僕の前では、無理して笑わないでよ」
「マルシャル……」
「そんな風にされちゃうとさぁ……何か、上手く言えないけど……嫌なんだよね」
マルシャルは、シャルリエの右手を取り、肩を抱く力を強めた。
背後から包み込むその温もりを、手離したくないと強く感じた。
「え、えっと……マルシャル……」
「なぁに?」
「落ち着かないので、ちょっと離れて下さい……!」
「ご、ごめんシャルリエ!」
彼女に言われて、マルシャルは冷静さを取り戻した。
直様シャルリエを解放し、頭を抱える。
(い、今僕何やってたんだ……! 不用意に女の子に触れるとか、そんな……そんな……っ!!)
「僕って、そんな軟派野郎だったのかな……」
積極的に他人と関わろうとしないマルシャルには、恋愛経験も無い。
シャルリエを護りたいという気持ちは本物だと自覚している。
ただ、彼女に触れたい、抱き締めたいと思うこの感情は何なのか。まさか、これが恋だというのか。
確信が持てない気持ちを押さえ込んで、マルシャルは戦士としての使命に向き合った。
「えーっと……パスと例の事件、何か分かったんだよね?」
「は、はい。どうやら、ペーのパスを手に入れるには、詐欺集団をどうにかしなければならないようなのです」
シャルリエが言うには、アドナイ・メレクは一つのヒントを授け、それはパスと事件の両方に関わっているかもしれないらしいのだ。
「ヒントは、ネツァクの北の町……カフのお屋敷です」
「カフ? そこもまだパスは取られてないよねぇ?」
「はい。ですから、上手くいけばカフのパスとペーのパス、二つを得られるはずです」
「一石三鳥じゃん! よーしシャルリエ、準備が済んだら早速カフに行こうよ!」
「はい!」
(面倒だと思ってたけど、パスがじゃんじゃん集まるなら楽ちんじゃん!)
(マルシャルがやる気を出してくれていて、何だかわたしも燃えてきました! ハルミアさんの為にも、マルクトの為にも頑張らないとですね)
何はともあれ、意欲を出した巫女と戦士は、飛竜クローブに乗りカフの町を目指すのだった。
一方、同じくカフを目指して草原を歩いているケセド神殿の二人は、未だどの神殿とも戦っていないことに安堵していた。
「あー、このままサクッとパス集めて、ダアトに逃げちゃいたいな」
「うん。ぼくも、出来るだけ他の巫女様たちとは戦いたくないし……」
ケセドの巫女ルッダと戦士シュカンタは、シャルリエと変わらない年齢だった。
「魔物と戦うのも怖いのに……人同士なんてやだし……」
「あたしも嫌だなー。まあ、いざとなったらあたしだって、敵さんをバシンバシンにしてやるんだから!」
「うぅ……戦いたくないよぉ……」
細く艶やかな金髪を束ね、白い兎のぬいぐるみを抱えた少年シュカンタは、紅い瞳を涙で潤ませて呟く。
そんな彼を、真っ白な雪のような髪の少女ルッダが明るく励ました。
「大丈夫だってシュカンタ! これまで全然戦わないで二つもパスを集められたんだよ?あたしたち、きっと運良いんだって!」
「そうなのかなぁ……」
「そうだって! これはエル様のご加護に間違いないっ! さあシュカンタ! カフまでダッシュで行きましょー!!」
右手を天高く突き上げて、ルッダはシュカンタの手を掴んで笑顔で走り出した。
「る、ルッダ! ぼくそんな早く走れな……っ」
「うわぁっ!」
運動が不得意なシュカンタは、ほんの数歩で盛大に転んでしまった。
しっかりと彼の手を握っていたルッダも地面に倒れ込む。
青臭い草の匂いが二人を包み込み、広大な草原に優しい風が吹いた。
「ご、ごめ……」
「すっ転んじゃった」
起き上がり、髪や服に着いた草の切れ端を指で摘まんで取り去りなが、ルッダはふと空を見上げる。
「……空は青いねー」
シュカンタも、ルッダと共に晴れ渡る青空を見上げた。
「あたしがケセドの巫女だからかもしれないけどさ、この空を見てると……この青を守んなきゃって気持ちになるんだよね」
「空の青を……?」
首に掛けたペンダントには、二つの水晶と青いサファイアが輝いている。
「空って赤くもなるし、暗くもなるでしょ? でも、青空って平和の証みたいに思えるんだ」
「……分かる気がする。綺麗な青を見てると、落ち着くし、すっきりするような感じ」
「夕日はちょっと寂しいし、夜空は暗くて不安になる。朝焼けを見て、小さな希望の光を浴びて、青空の下で大勢の人が笑い合うの。青空は、まるでエル様が見守ってくれてるみたいじゃない?」
にっこりと微笑みかけるルッダに、シュカンタは小さく笑みを返した。
「そうだね……ぼくらは、神様に見守られてるんだよね」
「うん!」
(この青を、いつまでも穏やかな時間の中で眺めていたいから。だから、あたしは戦うよ)
ペンダントに指先でそっと触れ、ルッダは決意を新たにした。
「行こうシュカンタ!」
「今度は走らないで、ゆっくり行こうね」
もう一度互いの熱を掌で感じながら、幼い巫女と戦士は国境を越えて行く。
国の端から端まで移動するというのは、飛竜のスピードを持ってしても一日では辿り着けない。
夕日が眩しく照らす中、早めに地上に降り立ち野宿をしようと、丁度良さそうな場所を探していた。
すると、マルシャルは持ち前の視力の良さで草原にぽつりと建つ民家を見付けた。
「クローブ、あそこに降りて!」
マルシャル達が降り立った場所は、のどかな風景が広がる牧場だった。
「あの家の人に、一晩泊めてもらえないか頼んでみようよ」
「そうですね。クローブはちょっと待っていて下さいね」
「グルル……」
上空から見た時は分からなかったが、大きく立派な家だった。扉をノックしてすぐ、爽やかな印象を受ける男性が出て来た。
「どちら様で……」
マルシャルの後ろに立つシャルリエに目を移した途端、男性は目を見開き驚いた。
「おわあぁ! その黒の法衣! それにその鎧は!! おーい皆! すんごいお人が来てるぞ!!」
彼の声に呼び集められた老若男女。
「おやまあ……!」
「こりゃあたまげたわい!」
「えっ、ちょ、この人達まさか……」
お爺ちゃん、お婆ちゃん、お父さん、お母さん、息子に娘と玄関に大集合した光景に、マルシャルとシャルリエは困惑する。
「あ、あの! お二人はマルクトの巫女様と戦士様で間違いありませんよね!?」
「は、はい! わたしはシャルリエと申しますっ」
「僕はマルシャル」
「きゃあきゃあ! 本物のマルクトの巫女様と戦士様が我が家にいらしたのね!」
「どうぞ上がって下さいな。もう陽も暮れますから、こんな家で宜しければゆっくりしていって」
「さあさあ! どうぞシャルリエ様! マルシャル様!」
こちらから言い出すまでもなく、一家は二人を歓迎してくれた。
促されるままにテーブルに案内され、暖かい紅茶とクッキーを振舞われた。
「あの……皆さんはネツァクの方なのですよね? 何故こんなにわたし達に良くして下さるのですか?」
男性が笑顔で言う。
「俺達一家は、今はネツァクに住んではいますが、先祖はマルクトの生まれなんです!」
「だから私達一家は、アドナイ・メレク様を信仰しているんですよ」
「そうなんだ……」
(だからこんなに歓迎されるんだね)
「こ、このクッキーあたしが焼いたんです。お二人の口に合うかわかんないですけど……不味かったら無理して食べなくていいですから」
十六歳くらいの少女が、不安げな表情で二人を見る。
見た目は程良く焼き色がついていて、甘いバターの香りが漂っている。これで味が悪かったら驚きだ。
マルシャルとシャルリエは、皿の上に綺麗に並んだクッキーに手を伸ばし、口に運んだ。
「ん、美味い……」
「とても美味しいです」
「ほ、ほんとですか!?」
「はい! あまりお菓子は食べたことがありませんけれど、こんなに美味しいクッキーは生まれて始めて食べました」
少女は嬉しそうにはにかんで、頬に手を添えた。
「この紅茶にもよく合うねぇ。淹れ方が違うのかな?」
「まあまあ! 褒められちゃったわぁ!」
「そのお茶ね、ママが葉っぱをブレンドしてるんだ。ママの紅茶も、お姉ちゃんのクッキーもすっごく美味しいの!」
シャルリエより幼い少年が、誇らし気に胸を張る。
(本当に美味いんだよなぁ、このクッキーも紅茶も)
「君、良いお母さんとお姉さんを持てて幸せだねぇ」
わしゃわしゃと頭を撫でれば、少年は照れ臭そうに微笑んだ。
「うんっ! それにね、お婆ちゃんの作るシチューもすっごく美味しいしね、おじいちゃんが作るピザも、パパが作るパンも美味しいの!」
「恵まれてんなぁお前……」
(僕も、この子くらいの歳の頃は……)
「どれもきっと、ご家族の皆さんの心がこもっているのですね」
「それじゃあ、今日はうちの自慢の料理の数々をたっぷり味わって下さいよ!」
「ええのぅ! 早速ピッツァの準備をせんとの!」
「それじゃあ私はシチューの支度をしようかねぇ」
「わたしもお手伝いさせて下さい」
「み、巫女様は大切なお客様なんですから、座ってて下さい」
賑やかな家族の声。
暖かい家と、愛情の籠った食事。
マルシャルは彼らの姿を見ながら、十年以上前の記憶をぼんやりと思い出すのだった。




