8.庭の奥へ①
少し歩くと木々の向こうが明るくなり、視界が開けた。
そこには、一面の花畑が広がっていた。
庭の入り口から見えていた花々とは、比べものにならないくらい色鮮やかな花が、あちこちに咲いている。花と花の間には細い道がいくつか通っていて、その奥には小さな木や草も植えられていた。
ジャンさんはそこまで広くないと言っていたけれど、充分すぎる広さだと思う。
風が吹くたびに、色とりどりの花が一斉に揺れて、わたしの目を楽しませた。
「わあ……!」
思わず駆け出しそうになったわたしに、ジャンさんが声をかける。
「お気をつけください。花を踏まないように」
「うん!」
言われた通り、わたしは足元を見ながら進む。
どこを見ても花ばかりで、歩いているだけなのに楽しくなってくる。
すると――。
「ジャン!」
花畑の中から、かわいらしい声がした。
声のしたほうを振り向く。けれど、誰もいない。どこにいるんだろう。
声の主を探して辺りを見回していると、何か小さなものがこちらへ向かって飛んできた。
そこにいたのは、小さな女の子の妖精さんだった。
金色のきれいな髪が日の光を浴びて、きらきらと輝いている。妖精さんは背中に生えた薄い羽根をぱたぱたと揺らしながら、ゆっくりこちらへ向かってきた。
「こんにちは! 今日は早いのね。もう木の手入れは終わったの?」
にこにこと笑いながら飛んできた妖精さんは、わたしを見て、ぴたりと動きを止めた。
「……?」
どうしたんだろう。わたしは首を傾げる。
妖精さんはわたしを見て、もう一度見て、そして――。
「ひゃあああああっ!」
「わあっ!?」
突然、妖精さんが飛び上がった。
「食べないでぇぇぇ!」
「えぇっ!?」
妖精さんは、ものすごい勢いでジャンさんの後ろへ飛んでいった。
そして、ジャンさんの背中から顔だけを出して、泣きそうな顔でこちらを見ている。
なんだかわからないけど、すごく誤解されてる!
「た、食べないよ!」
「噛んだりしない?」
「しないよ!」
「追いかけたりも?」
「しないよ!」
慌てて手を振るわたしを、妖精さんが少し疑いの混ざった目でじっと見つめる。
「……ほんとに?」
「ほんと!」
しばらくすると、妖精さんはそろそろとジャンさんの後ろから出てきた。
「……よかったぁ。ごめんなさい、怖がっちゃって」
「わたし、そんなに怖く見える?」
しょんぼりすると、今度は妖精さんのほうが慌てて手を振った。
「そ、そうじゃないのよう! 初めて会う人だと、びっくりしちゃって……。ごめんなさい」
よかった。どうやら、わたし自身が怖かったわけじゃなくて、知らない相手に驚いただけみたい。
「ううん。大丈夫だよ。わたしこそ、驚かせちゃってごめんね」
「ベル様が謝ることではありませんよ」
ジャンさんが苦笑する。
「妖精という種族は、他の種族に捕まったり、食べられたりすることがありますからね。なので、臆病な子が多いんです」
「食べられちゃうことがあるの!?」
「ええ。特に鳥型の魔物なんかの格好の獲物で――」
「ちょっと! 怖いこと言わないでよう!」
妖精さんがうっすら涙目になりながら、ぽかぽかとジャンさんの肩を叩く。
「ごめんごめん」
ジャンさんは笑いながら、妖精さんをなだめる。妖精さんはまだ少し不満そうな顔で、ジャンさんを睨んでいた。
なるほど、そんな事情があったんだ。それなら、知らない人を見たら怖くなってしまうのも仕方がないのかもしれない。
「なので、この子は普段ここで花の世話をしているんですよ。庭の奥なら人もあまり来ませんしね。落ち着いて過ごすには、ちょうどいい場所なんです」
ジャンさんが妖精さんに目配せする。
妖精さんはまだ少し不服そうだったけれど、「そうなの」と、小さく頷いた。
「さて。落ち着いたなら、自己紹介してもいいんじゃない?」
ジャンさんに促されると、妖精さんはそうだったと言わんばかりにぴょこんと跳ねて、こちらを向く。
「本当にさっきはごめんなさい。私、本当の名前はメルルリナリウスって言うんだけど……長いから、メルルでいいわ! よろしくね」
「わたしはベルだよ! よろしくね、メルルさん!」
わたしが笑うと、メルルさんもにっこりと笑ってくれた。かわいい。
「主様が言ってた、預かることになった女の子って、あなたのことだったのね」
「うん。ここに来る前のこと、何も覚えてないんだけど……。思い出せるまで、お世話になります」
「うん……」
メルルさんが、ほんの少し口ごもる。
どうしたんだろう。ひょっとして、わたしの記憶がないことに気を遣わせちゃったのかな。
「そうだ。メルル、ベル様にきみの力、見せてあげたら喜ぶんじゃない?」
「えっ? あっ、そうね!」
ジャンさんに声をかけられて、メルルさんは、はっとしたように手を打った。
力? って、なんのことだろう。
「見てて!」
メルルさんが花畑の中へ飛んでいく。
そして、まだ開いていない小さなつぼみの前で止まると、両手をつぼみに向けた。
「うむむむむ……」
メルルさんが真剣な顔で力を込める。
すると、小さかったつぼみが、ぷくりと少しだけ膨らんだ。そして、ふわりと花びらが一枚、また一枚と開いていく。
「わあ……!」
そうして、みるみるうちにきれいな一輪の花が咲いた。
「すごい!」
「えへへ」
わたしが感嘆の声をあげると、メルルさんが嬉しそうに笑った。
「私、花の妖精だから、植物の成長を助けられるの。ほんの少しだけどね」
「ほんの少しでこれなの!?」
「えへへ」
メルルさんが照れたように笑う。羽もつられてどこか嬉しそうにぱたぱたと揺れている。
「メルルはこの力で、自分の庭仕事を手伝ってくれるんですよ。まあ、たまに調子に乗って、草木を成長させすぎることもありますけどね」
「そ、そんなことないわよう!」
「褒めると調子に乗りますからね、この子」
「ジャンのほうが褒められたがりじゃない!」
からかうように笑うジャンさんに、メルルさんは頬を膨らませた。
「ね、アレクさんも――」
今のすごいと思ったよね、と聞こうとして、わたしは後ろを振り向いた。
そこで気づく。さっきまで近くにいたはずのアレクさんの姿がない。
「あれ? そういえば、アレクさんは?」
「さっきまで、そこにいたわよね?」
「うん。いたはず……」
「アレクさーん?」
メルルさんとジャンさんも今気づいたようで、きょろきょろと周囲を見る。
すると、少し離れたところで、花の間から何かが見えた。人が倒れている。




