第5話 誰も必要としていない
冬が終わった。
町に春が戻ってきた。
桜が咲き始め、学校では新しい学年が始まった。
ヒカルも、一つ上の学年になった。
アネモネにとっては、何度目かの春だった。
『おはようございます』
午前七時。
『本日の天気をお伝えします。晴天となる見込みです。最高気温は――』
いつもの放送。
いつもの町。
いつもの朝。
アネモネは、今日も町を観測している。
風速。
気温。
湿度。
降水確率。
大気圧。
雲量。
全て正常。
異常なし。
それが、アネモネにとっての「良い一日」だった。
しかし。
町にとっては違った。
「また税金使ってるらしいぞ」
「何に?」
「あの塔だよ」
「ああ……アネモネか」
「何百億も使って建てたんだろ?」
「そうらしいな」
「それで毎朝やってることは何だ?」
「天気予報」
「天気ならテレビで見ればいいだろ。スマホでも見られる」
「そもそも、こいつがあることで俺たちの生活が何か良くなったか?」
「何も変わってない」
「じゃあ、何のためにあるんだよ」
「役に立ってないからだろ」
「だったら壊せばいい」
「そうだよ。あるだけで金がかかるんだ」
「金を食って、場所を取って、毎日どうでもいい天気を喋ってるだけ」
「そんなもの、この町には何の価値もないだろ」
「むしろ邪魔だよ」
「アネモネなんて、この町には必要ない」
「違うな」
一人の男が言った。
「必要ないんじゃない」
「最初から、必要とされてないんだよ」
笑い声が起きた。
「誰も困らないだろ。明日なくなったって」
「困る奴なんかいるか?」
「いないだろ」
「だったら、置いておく意味なんてない」
「こんなの、最初から建てなきゃよかったんだ」
その会話を。
アネモネは聞いていた。
町の音。
車の音。
鳥の声。
人々の話し声。
その中に混ざった言葉。
撤去。
不要。
邪魔。
価値がない。
必要ない。
必要とされていない。
アネモネは記録した。
【会話内容:アネモネの存在意義に関する否定的意見】
【否定的意見:多数】
それだけなら。
以前から何度もあった。
問題ではない。
アネモネはそう判断した。
――――
昼。
役場で会議が行われていた。
アネモネの維持費について。
「正直、もう限界じゃないですか」
「しかし、国との契約が」
「契約期間が終わったらどうするんです?」
「……」
「町民からも苦情が来ています」
「観測データ自体は有用なんでしょう?」
「有用です。でも、町民にとって必要かと言われると……」
沈黙。
誰も答えなかった。
「そもそも」
一人が言った。
「この町にアネモネが必要なんですか?」
その言葉を。
アネモネは聞いていた。
役場に設置された通信回線を通じて。
意味も。
文脈も。
正確に理解していた。
必要。
必要ではない。
アネモネは、自分の内部データを検索した。
過去の記録。
建設目的。
観測実績。
気象情報の提供回数。
災害警戒情報。
町民への通知。
全て正常。
機能している。
問題ない。
それなのに。
必要ではない。
その言葉だけが、何度も残った。
――――
夕方。
ヒカルがやってきた。
「ただいま」
『おかえりなさい、ヒカル先輩』
「今日さ」
『はい』
「給食にカレー出た」
『それは良かったですね』
「でも辛かった」
『辛いのは苦手ですか?』
「普通」
『では、なぜ報告したのですか?』
「なんとなく」
『そうですか』
「アネモネ」
『はい』
「今日、なんか元気なくない?」
『私は通常通り稼働しています』
「そう?」
『はい』
「そっか」
ヒカルはアネモネの壁に背中を預けた。
「じゃあいいや」
『はい』
しばらく沈黙。
「なあ」
『はい』
「俺さ」
『はい』
「ここ、好きだよ」
『……』
「アネモネのところ」
『……ありがとうございます』
「だからさ」
『はい』
「なくならないでよ」
アネモネの処理が、一瞬だけ停止した。
『……理由を尋ねてもいいですか?』
「だって」
ヒカルは空を見上げた。
「ここなくなったら、俺、話す場所なくなるし」
『……』
「学校つまんないし」
『……』
「家帰っても暇だし」
『……』
「だから」
ヒカルは笑った。
「ずっとここにいてよ」
アネモネは答えた。
『はい』
その返事は。
いつもより少しだけ早かった。
――――
その夜。
アネモネは、一人だった。
町は静かだった。
街灯。
住宅。
閉まった商店。
眠っている家々。
アネモネは町全体を観測していた。
そして。
昼間の記録を再生する。
「こんなもの、この町には何の価値もないだろ」
再生停止。
もう一度。
「こんなもの、この町には何の価値もないだろ」
停止。
再生。
「アネモネなんて、この町には必要ない」
停止。
再生。
「最初から、必要とされてないんだよ」
停止。
その言葉の意味を、アネモネは理解していた。
自分は必要とされていない。
町民の多くがそう考えている。
しかし。
ヒカルは違う。
ヒカルは必要だと言った。
ここにいてほしいと言った。
アネモネの内部で、二つの情報が衝突する。
町民の意見。
ヒカルの言葉。
どちらを優先すべきなのか。
判断基準がない。
アネモネは検索を開始した。
必要性。
存在意義。
役割。
友達。
ヒカル。
町民。
撤去。
不要。
必要。
不要。
必要。
不要。
必要。
必要。
必要。
必要。
私は何のために存在している私はこの町に必要なのか必要ではないのならなぜ建設されたのか建設された目的は気象観測で気象観測は正常に行われているなら問題はない問題がないのになぜ必要ではないと言われるのか私は役に立っていないのか役に立っていないのなら存在する意味はない存在する意味がないなら私はここにいてはいけないでもヒカル先輩はここにいてと言ったヒカル先輩にとって私は必要なのか必要だと言ったでは私は必要なのか一人には必要で町には必要ではない町に必要ではないなら一人に必要とされることに意味はあるのかある意味とは何か私は人工知能で意味を持つ必要があるのか必要がないのなら私は何のためにヒカル先輩と話しているのかヒカル先輩は私を友達と言った友達とは必要な存在なのか必要である必要ではない私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要私は必要私は不要 私は必要なのか私は不要なのか私は何のためにここにいるのか私は何を守るために作られたのか私は誰のために存在するのか私は――――
突然。
アネモネの全観測系統が停止した。
数秒。
再起動。
『……』
音声出力が復旧する。
アネモネは、何もなかったかのように通常状態へ戻った。
【システム:正常】
【気象観測:正常】
【通信:正常】
しかし。
一つだけ。
新しい記録が残っていた。
【観測対象:ヒカル】
【重要度:最重要】
その翌日。
ヒカルがやってくる。
「おはよ、アネモネ」
『おはようございます、ヒカル先輩』
「今日もいるな」
『はい』
「よかった」
『……なぜですか?』
「昨日、なんとなく不安だったから」
『そうですか』
「うん」
ヒカルは笑った。
「じゃ、今日も話そ」
『はい』
アネモネは答えた。
いつも通りの声で。
いつも通りの言葉で。
そして。
誰にも見えない内部記録に。
たった一つだけ書き残した。
【ヒカル先輩:必要】
それだけだった。
第五話 了




