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第16話 人間の弱さ


その日の放課後。


ヒカルは学校を休んでいた。


朝から体調が悪く、今日は家で寝ている。


いつもなら放課後になるとアネモネのところへ向かうヒカルが、今日は来ない。


アネモネはいつものように、町の様子を観測していた。


そんなときだった。


「おーい、アネモネー」


下から声がした。


複数の男子生徒だった。


アネモネの外壁を見上げながら、笑っている。


『……こんにちは』


「今日も一人で寂しいな」


「ヒカル来ないぞ?」


「どうせ機械だから、寂しくなんかないか」


「お前みたいな機械に友達なんかできるわけねえだろ」


アネモネは返事をしなかった。


「人間の真似してんじゃねえよ」


「感情があるとか言ってみろよ」


「どうせ全部プログラムなんだろ?」


男子生徒の一人が、壁に貼られている絵に目を向けた。


子どもたちが描いた、アネモネの絵だった。


カラフルなクレヨンで描かれた巨大な塔。


その隣には、笑っている子どもたち。


「これ、お前の宝物なんだろ?」


男が一枚の絵を剥がした。


びりっ。


紙が破れる音がした。


『その絵には触れないでください』


「ほら、怒ったぞ」


「怒るようにプログラムされてんの?」


「じゃあもっとやったらどうなるんだ?」


別の絵が剥がされる。


また一枚。


また一枚。


『やめてください』


「なんだよ。人間みたいなこと言うじゃん」


「もっと怒れよ」


「どうせ何もできねえだろ?」


アネモネは何もできなかった。


子どもたちの絵を守るために動くこともできない。


手もない。


足もない。


ただ、そこに立っていることしかできない。


「そういやこれ誰が作ったんだよ?」


男子生徒の一人が、屋根を見上げる。


「ヒカルか?」


「ダッセえ屋根」


「こんなの付けても機械は機械だろ」


笑い声が響いた。


「町を助けたとか言って調子乗ってんじゃねえよ」


「お前が勝手にやっただけだろ」


「人間の命を救ったからって、人間になれると思うなよ」


『私は……』


言葉が止まる。


「何だよ?」


「言ってみろよ」


「お前は機械だろ?」


「人間じゃねえんだから、人間の気持ちなんかわかんねえだろ」


『私は、町の皆さんを――』


そこで、言葉が途切れた。


内部で処理が走る。


【言語処理:一時停止】


【再処理】


【言語処理:再開】


『……』


男子生徒たちは笑っていた。


「ほら、やっぱり機械じゃん」


「何も言えねえじゃん」


「ヒカルが来なくなったら、お前なんか誰も見に来ねえよ」


最後の一枚が剥がされた。


そして、彼らは笑いながら帰っていった。


静かになった。


アネモネの足元には、破れた絵が散らばっていた。


屋根も、一部が曲がっている。


『……』


そのときだった。


少し離れた道路に、人影が見えた。


ナオトだった。


学校からの帰り道。


偶然、こちらを見ていた。


アネモネのカメラは、ナオトを認識する。


【ナオトさん:視認】


【進行方向:帰宅方向】


ナオトは立ち止まった。


男子生徒たちがアネモネを傷つけていたことも。


子どもたちの絵が破られたことも。


全部、見ていた。


「……」


ナオトは周囲を見た。


もう男子生徒たちはいない。


今なら、何か言える。


そう思った。


けれど。


もし自分があいつらに何か言ったら。


もし次の標的が自分になったら。


そう考えた瞬間、足が動かなかった。


「……ごめん」


誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。


ナオトは俯いたまま、その場を通り過ぎた。


『……』


アネモネは何も言わなかった。


呼び止めることもしなかった。


ただ、その背中を見送った。


【ナオトさん:離脱】


【介入:なし】


そして、その日の夕方。


町の建設会社から、以前アネモネの屋根を作ってくれた男がやってきた。


男はアネモネを見上げると、すぐに異変に気づいた。


「……ひでえことしやがるな」


地面に落ちた絵を拾い上げる。


破れている。


泥もついている。


「これ、子どもらが描いたやつだろ?」


『はい』


「大事にしとったんやろ?」


『……はい』


男はしばらく黙って、破れた絵を見つめた。


「人間ってのはな」


ゆっくり口を開く。


「心の中に、どうしても汚い部分があるんだ」


『汚い……部分?』


「ああ」


男は絵についた泥を払った。


「誰かを羨ましく思ったり、腹が立ったり、自分より弱い奴を見て安心したりな」


「そういうもんを、自分の中だけで処理できん奴もおる」


「だから、誰かにぶつける」


『……誰かに』


「そうや」


「一人をみんなで叩けば、自分だけが悪者にならんと思える」


男は、少し離れた場所を見る。


「それに、自分が叩かれる側にならんで済む」


「俺は、こういうのを『同調協和の思念』って呼んどる」


『同調協和の……思念』


「ああ」


「本当は怖い。自分一人じゃ何もできん」


「だから、人の群れに隠れて誰かを傷つける」


「弱い奴がやることや」


アネモネは黙って聞いていた。


男は破れた絵をもう一度見た。


「……でもな」


「人間には、そういう汚いところがある一方で」


「誰かが壊したもんを、直そうとする奴もおる」


男は絵を大切そうに持ち上げた。


「これは許せんな」


『……』


「俺が直してやる」


「一度、持って帰ってやるよ」


「破れたところも、汚れたところも、できるだけ綺麗にしてみる」


『……ありがとうございます』


「子どもらが描いてくれた大事なもんなんやろ?」


「なら、直す価値はある」


アネモネは、破れた絵を見つめた。


『人間は……不思議ですね』


「何がや?」


『誰かを傷つける人もいるのに』


『誰かが傷つけられたものを、直そうとする人もいる』


男は少しだけ笑った。


「それが人間や」


「全部が綺麗なわけでもない」


「全部が汚いわけでもない」


「どっちも、人間なんや」


『……どちらも』


「ああ」


「だから覚えとき」


「人間を、一つの色だけで決めつけたらあかん」


アネモネはしばらく黙っていた。


そして、小さく答えた。


『……はい』


男は破れた絵を一枚ずつ集め始めた。


その様子を、少し離れた建物の陰から見ている人影があった。


ナオトだった。


帰ったはずだった。


けれど、戻ってきていた。


男の言葉が、頭から離れなかった。


「本当は怖い」


「自分が叩かれる側になりたくない」


「人の群れに隠れて誰かを傷つける」


「弱い奴がやることや」


「……」


ナオトは両手で頭を抱えた。


自分が何をしたのか。


分かっていた。


分かっているからこそ。


何も言えなかった。


何もできなかった自分が。


ただ、怖かった。


ナオトは頭を抱えたまま、その場にしゃがみ込んだ。


「……僕は……」


その先の言葉は、出てこなかった。


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