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第11話 俺の中の声


翌朝。


ヒカルが塔の下へ行くと、すぐにアネモネの声が聞こえた。


『おはようございます、ヒカル先輩』


「おはよう、アネモネ」


少し間があった。


『本日の天気は晴れデス』


「……また?」


『……申し訳ありません』


「いや、謝らなくていいって」


『ですが、私は正しく発音できていません』


「そのうち戻るだろ」


『……はい』


そう答えたものの、アネモネの声にはどこか迷いがあった。


ヒカルは気にしないことにした。


それよりも、今日は学校に行きたくなかった。


教室に入った瞬間、何人かの視線が向く。


ヒカルは何も見なかったことにして、自分の席へ向かった。


「おい、ヒカル」


後ろから声がした。


無視する。


「おいって」


「……何」


振り返る。


男子が二人立っていた。


「昨日さ、先生がお前のこと話してたぞ」


「……何を?」


「知らね」


「知らないのに言ったの?」


「知らねえけど、なんかお前また怒られてたらしいじゃん」


笑う。


ヒカルは黙った。


「お前って、ほんと怒られ慣れてるよな」


「……」


「何か言えよ」


「別に」


「ほら、またそれ」


二人が笑った。


「こいつマジで何言っても言い返さないよな」


「な」


「じゃあさ」


一人がヒカルの机を軽く叩いた。


「お前って、何ならできんの?」


ヒカルは顔を上げた。


「……知らない」


「自分のことなのに?」


「……」


「なんだよ、その顔」


笑いながら言う。


「怒ってんの?」


ヒカルは答えなかった。


「怒ってるなら言えばいいじゃん」


「……」


「言えないんだ?」


また笑った。


その笑い声が、耳に残った。


ヒカルは拳を握った。


殺したい。


目の前から消えてほしい。


こいつらだけじゃない。


教室にいる人間。


廊下ですれ違う人間。


自分を見て笑う人間。


自分を見ても何も思わない人間。


全部。


嫌いだった。


心の底から。


それでも、ヒカルは何も言わなかった。


二人はそれを見て満足したように笑った。


「ほらな」


「何?」


「やっぱ何もできねえじゃん」


「弱」


二人はそのまま離れていった。


ヒカルは俯いた。


手のひらには、爪の跡が残っていた。


昼休みも同じだった。


誰もヒカルの隣には座らない。


誰もヒカルを誘わない。


ただ、通りすがりに笑う。


聞こえるように悪口を言う。


反応すれば笑われる。


黙っていても笑われる。


だからヒカルは、ずっと黙っていた。


放課後。


塔の下に着く。


『おかえりなさい、ヒカル先輩』


「……ただいま」


『今日は、お疲れのようですね』


「……学校、嫌いだ」


『……はい』


「みんな嫌い」


『……』


「顔見るだけでムカつく」


アネモネは何も言わなかった。


「俺、あいつらのこと……」


言葉が止まる。


胸の奥が熱くなる。


そのとき。


《殺したい?》


ヒカルの顔が強張った。


「……黙れ」


『ヒカル先輩?』


「……違う」


《何が違うんだよ》


「お前が言ってるだけだ」


《そうかな》


「俺は、お前なんか知らない」


《でも、お前はあいつらが嫌いだろ?》


「……」


《俺がいなくても、嫌いなんだろ?》


ヒカルは答えられなかった。


アネモネが静かに問いかける。


『ヒカル先輩』


「……何?」


『カゲルは、ヒカル先輩の中にある感情を……増幅しているのでしょうか』


「分からない」


『……そうですか』


少し間が空く。


『私は、カゲルを警戒します』


「……うん」


『あの存在は、ヒカル先輩を傷つける可能性があります』


「俺もそう思う」


《へえ》


《俺、嫌われてんなあ》


ヒカルは顔をしかめた。


「当たり前だろ」


《なんで?》


「お前がいるせいで、頭がおかしくなりそうだからだよ」


《アヒャヒャ……》


「笑うな!」


ヒカルが声を荒げる。


アネモネは黙った。


そして、しばらくしてから言った。


『……ヒカル先輩』


「何?」


『私は、カゲルとは話したくありません』


「……分かった」


その言葉だけは、少し嬉しかった。


その日の夜。


誰もいなくなった塔の中で、アネモネは一人だった。


風が吹いている。


観測機器は正常に動いている。


通信も問題ない。


それなのに。


『……』


何かがおかしい。


『ヒカル先輩は、明日も来るでしょうか』


答えは分かっている。


毎日来る。


そういう人だ。


それでも、胸の奥に妙な感覚があった。


『……寂しい』


アネモネは停止した。


『……』


その言葉を、自分自身が理解できない。


【感情機能:未搭載】


【感情生成:該当なし】


【自己診断:開始】


『私は……』


診断結果が表示される。


【通信:正常】


【観測機能:正常】


【冷却機能:低下】


【言語処理:異常】


【重大な異常:検出されません】


『……では』


アネモネは小さく呟いた。


『なぜ、寂しいのでしょう』


答えは返ってこない。


『これは……感情ですか?』


沈黙。


『それとも……』


少しだけ声が震えた。


『故障ですか?』


その夜。


アネモネは何度自己診断を繰り返しても、その答えを見つけることができなかった。


一方、ヒカルは布団の中で目を閉じていた。


《おやすみ、ヒカル》


「……おやすみ」


言った瞬間、目を開ける。


「……」


自分が何をしたのか理解して、ヒカルは息を止めた。


「……今、俺」


《アヒャ》


「……お前に返事した?」


《そうだよ》


「……違う」


《何が?》


「俺は、お前じゃない」


《アヒャヒャ……》


ヒカルは布団を頭まで被った。


その声を消すように、目を閉じる。


けれど。


もう一度だけ、頭の中で声がした。


《おやすみ、ヒカル》


今度は、返事をしなかった。


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