↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
10/18

第10話 変な笑い声



 水害から、二週間が経った。


 町は、少しずつ元の姿を取り戻し始めていた。


 道路脇に積まれていた瓦礫は減り、商店街では営業を再開する店も増えている。


 まだ泥の跡は残っている。


 壊れた家もある。


 以前の生活を取り戻すには、まだ時間が必要だった。


 それでも。


 人々は前を向き始めていた。


 そして。


 町の中心には、今日も30メートルの塔が立っていた。


『おはようございます、ヒカル先輩』


「おはよ、アネモネ」


『本日の天気をお伝えします』


 少しだけ間が空く。


『午前中は晴れる見込みデス。午後からは雲が増えるでしょう』


「……まただ」


『何がですか?』


「いや、なんでもない」


『そうですか』


 ヒカルは塔を見上げた。


 最近、アネモネの喋り方が少しおかしい。


 ほんの少しだけ。


 言葉の一部がカタカナになる。


 けれど。


 会話そのものに問題があるわけではない。


「まあ、いっか」


『はい』


「じゃあ学校行ってくる」


『いってらっしゃい、ヒカル先輩』


「また放課後な」


『お待ちしています』


 ヒカルは歩き出した。


 アネモネは、その背中を見送った。


 いつも通りの朝だった。


 この時までは。


---


 昼休み。


 ヒカルは一人で教室の隅に座っていた。


 周囲では、クラスメイトたちが騒いでいる。


 笑い声。


 机を動かす音。


 誰かがスマートフォンを見ながら笑っている。


 ヒカルは黙って弁当を食べていた。


 そのとき。


「お前、まだ学校来てんの?」


 声がした。


 顔を上げる。


 クラスメイトが立っている。


「別に」


「別にって、お前さ」


 男はヒカルの机を見下ろした。


「お前がここにいる意味って何?」


「……は?」


「友達もいない。誰とも喋らない。休み時間も一人」


 周囲から小さな笑い声が漏れる。


「お前がいなくても、誰も困らないだろ」


 ヒカルは黙った。


「この前の水害のときもさ」


 男が笑う。


「お前、アネモネとずっと喋ってたんだって?」


「……それが何?」


「いや、笑えるなと思って」


 男は肩をすくめた。


「人間に相手にされないから、機械に相手してもらってんだろ?」


「……」


「しかもあの塔、お前みたいな奴にしか相手してもらえないんじゃね?」


 周囲から笑い声が上がる。


「お前、本当に友達だと思ってんの?」


「……」


「機械はお前が好きだから話してるんじゃないぞ」


 その言葉に。


 ヒカルの手が止まった。


「プログラムされてるから、お前みたいな誰にも必要とされない奴にも喋ってくれてるだけだろ」


 ヒカルの胸の奥で。


 何かが軋んだ。


「勘違いすんなよ」


 男は笑った。


「お前には、アネモネしかいないんだよ」


 そして。


「でもアネモネには、お前じゃなくてもいい」


 ヒカルの指が震えた。


《アヒャ……》


 誰かが。


 笑った。


---


 ヒカルは何も言い返さなかった。


 ただ。


 弁当を片付けて。


 席を立った。


 教室を出る。


 廊下を歩く。


 誰も追いかけてこない。


 そのことが。


 なぜか余計に腹立たしかった。


《なあ》


「……」


《あいつ、ムカつくだろ?》


「うるさい」


《なんで?》


「お前には関係ない」


《関係あるよ》


 ヒカルは足を止めた。


《だって俺、お前だもん》


「……違う」


《何が?》


「俺は……お前じゃない」


《アヒャヒャ》


 ヒカルは頭を押さえた。


「黙れ」


《あいつ、殺せばいいじゃん》


「……」


《簡単だよ》


「……黙れ」


《お前だって、そう思ってるだろ?》


「思ってない」


《嘘つけ》


 ヒカルは拳を握った。


 その手が。


 小さく震えていた。


---


 放課後。


 ヒカルは家へ帰らなかった。


 向かった場所は。


 いつもの場所だった。


 アネモネの足元。


 30メートルの塔を見上げる。


「アネモネ」


『はい』


「……ただいま」


『おかえりなさい、ヒカル先輩』


 その声を聞いた瞬間。


 ヒカルの肩から力が抜けた。


「……疲れた」


『今日は、学校で何かありましたか?』


「ちょっと」


『そうですか』


「なあ」


『はい』


「俺の中にさ」


 ヒカルは自分の胸を指差した。


「変な奴がいるんだよ」


『カゲル、ですか?』


「……覚えてたのか」


『はい』


「そっか」


 ヒカルは苦笑した。


「そいつさ」


『はい』


「今日、初めてちゃんと喋った」


『どのような内容でしたか?』


「……殺せばいいって」


 アネモネが沈黙する。


『ヒカル先輩』


「うん」


『その言葉を実行する必要はアリマセン』


「分かってる」


『はい』


「でも」


 ヒカルは俯いた。


「一瞬だけ」


『はい』


「……それもいいかもって思った」


 アネモネは答えなかった。


 しばらくして。


『ヒカル先輩が、そのような感情を抱くこと自体を私は否定しません』


「……」


『ですが』


『誰かを傷つける必要はアリマセン』


「分かってるよ」


『はい』


「お前は優しいな」


『私は、ヒカル先輩の友達です』


「……そっか」


 ヒカルは少し笑った。


 その瞬間。


「……なんか今日、グフッ……変なんだよ」


 ヒカル自身が止まった。


「……」


『ヒカル先輩?』


「今の……」


『はい?』


「俺、今笑った?」


『はい』


「……俺じゃない」


 アネモネが沈黙する。


 そして。


《アヒャヒャ》


 ヒカルの頭の中に、また声が響いた。


 ヒカルは頭を押さえる。


「……うるさい」


『誰に話しかけていますか?』


「……」


 ヒカルは答えなかった。


---


 夕方。


 空が赤く染まっていた。


 ヒカルはアネモネの足元に座り、背中を巨大な塔へ預けていた。


「なあ、アネモネ」


『はい』


「俺、変になってるかな」


『いいえ』


「……即答だな」


『ヒカル先輩は、ヒカル先輩です』


「……その答え好きだわ」


『そうですか』


「うん」


 ヒカルは空を見上げる。


「俺がどんな奴になっても」


『はい』


「友達でいてくれる?」


『もちろんです』


「カゲルが出てきても?」


 アネモネは少しだけ沈黙した。


『はい』


「……怖くないの?」


『私は、ヒカル先輩を怖いとは思いません』


「そっか」


 ヒカルは笑った。


「ありがと」


『どういたしまして』


 少し間があって。


『私は、ヒカル先輩を守りたいデス』


「……ん?」


『……』


「今、なんて?」


『私は、ヒカル先輩を守りたいです』


「……やっぱり、ちょっと変だな」


『申し訳ありません』


「いや」


 ヒカルは笑った。


「いいよ、それくらい」


『……はい』


---


 夜。


 ヒカルが帰ったあと。


 アネモネは一人になった。


 町は静かだった。


 水害の傷跡が残る町を。


 アネモネは静かに観測していた。


【観測継続】


【通信正常】


【冷却機能:低下】


【言語処理:異常】


 アネモネは内部ログを確認する。


『……問題ありません』


 そう呟いた。


 誰もいない。


 それでも。


『私は、ヒカル先輩の友達です』


 言葉にする。


 もう一度。


『私は、ヒカル先輩の友達です』


 今度は。


『私は、ヒカル先輩の……友達デス』


 アネモネ自身は。


 その違和感に気づかなかった。


---


 一方。


 帰り道。


 ヒカルは一人で歩いていた。


《アヒャヒャヒャ……》


「……うるせえよ」


《なあ、ヒカル》


「なんだよ」


《今日、楽しかったな》


「どこがだよ」


《あいつの顔》


「……」


《お前も、ちょっと楽しかっただろ?》


 ヒカルは答えなかった。


 歩く速度だけが、少し速くなった。


《アヒャ……》


「黙れ」


《そのうち》


「……」


《俺のほうが、うまくやれるよ》


 ヒカルは足を止めた。


 振り返る。


 誰もいない。


 町の中心には。


 30メートルのアネモネが立っている。


 その塔だけが。


 夜の空を見上げていた。


 ヒカルはしばらくアネモネを見つめ。


「……俺は、俺だ」


 そう呟いた。


 けれど。


 胸の奥では。


《アヒャヒャ……》


 誰かが笑っていた。


**第十話 了**


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。