察することの重要性
今日は、午前10時の気温で33℃。確かに暑い午前中だった。
とても暑くて外にも出たく無い気持ちはよく分かる……。
そんな日中の出来事だった……
今日は、午前10時の気温で33℃。確かに暑い午前中だった。
とても暑くて外にも出たく無い気持ちはよく分かる……。
そんな日中の出来事だった。
はてさて、自分は銀行のATMに用事があった。
ATMだから順番を待てる場所は外しかない。
屋根も無いし、もちろん、冷房も無い。
そのような場合、自動車で出かけている人たちにとっては、外に立って順番を待つなんてとんでも無い事なのだろう。普通に考えて、車の中で順番を待ちたいところのはずだ。
そのような状況の中、一台の自転車が現れた。
その自転車の主は、颯爽と自転車を降り、ATMの扉の外で待ち始めた。
日除けも無く、ガンガンに太陽の光が照りつける中で……。
そうして待つ事、数分だろう。
ATMから利用者が出て来た。
用事を済ませて帰って行くその人の後で、自転車の主は中へと入った。
用事を済ませた自転車の主がATMから外へ出た時、駐車場から声が聞こえる。
「こら!何をお前は先に行ってるんだ!順番を抜かすな!」
それは、運転席からの怒声だった。
自転車の主は、その声が何を言っているのか分からなかった。
まったく分からない素ぶりをしていると、同乗者の女性が降りて来て言う。
「先に来て待ってたのよ。暑くて!」
そこで、自転車の主は、ようやく気がついた。
駐車場には数台の車が停まっている事に……。
そして、中には、人が乗っている車があることを。
まさか、その中に居る人たちがATMの順番を待っている人たちだったとは!?
自分は、すかさず謝った。
順番を抜かしてしまったことに対して、「ごめんなさい」と。
すると、そこで、また新たにATMから人が出て来て言った。
「どんなに暑くても外で順番を待っていた人が本当でしょう?それを怒るなんて!」
そう言って、怒る女性に話しかけた人がいる。
だが、話しかけられたその怒る女性は、
「あなたが言う事じゃ無い!」
と言って、注意を促したその相手を一喝したのだった。
さて、ここで、その自転車の主がここでこの記事を書いている自分なのだけれども……。
こうした場面で一体、どうすれば良かったのだろう?
この怒っている男女にとっては、ATMを利用する際は、駐車場に停まっているすべての車の主に用件を聞いて回って欲しいのだろうか?
逆に、そうすることで、それぞれの車の主は、怒ったりしないのだろうか?
自分には、駐車場の人が見えていても、その状況を察してよく理解しようとしなかっかことが原因なのだと思い至る。
確かに、察して欲しい気持ちは伝わった。
それに対して申し訳ないと理解する。
こんない暑い中でご年配の女性が外に立って順番を待てるはずなど無いのだ……。
そこは、理解する。
至らなかったことも理解する。
自分の中にもきっと、車中で待っているのだとしても外で待つ者が先なのだとして、譲る気持ちが無かったことも理解する。
それでも、こんな時、どうして一言、外で待っている間に言ってくれなかったのだろう……?
外に出て来た自分に怒鳴ることが出来るのなら、どうして外で立って待っていた数分の間に、「順番だよ」と同じように車中から言ってくれなかったのだろうか?
それだけが、悲しい。
ただ、そうしなかったのは、それは、すでに、自転車の主が最初から車中の二人にとって「悪者」だったからに過ぎない。
「後から来て、並んだ」
そのことが、許せなかったのだろう。
怒っている女性も、実は、自分たちが車内に居た事を狡く想っている。
それは、その女性を見れば伝わった。
本当は自分も悪いと思う気持ちが、虚勢を伴い言葉になる。
そんな女性の弱さも同時に知る。
その姿が見えるからこそ、自分には、怒ることが出来ない。
ただ、悲しいサガがあって、人間は苦しみの世界に在るのだと。
そうして見ると、怒っていた女性に注意を促してくれた人にも善悪の苦しみが見える。
この場合、どちらかが正しいか?と問えば、どちらかを悪者にしてしまうだろうからだ。
世の中のことをそのような善悪の軛で押さえつけようものなら圧倒される。
果たして善に立とうとした者が押し倒される。
人情は、人の立場によってコロコロ変わる。
車中で待っていた人の立場でこの状況を見れば、自転車の主は悪になる。
注意をした人の立場でこの状況を見れば、自転車の主は善になる。
車中で待っていた人たちからこの状況を話で聞けば、誰だって車中で待っていた人たちに同情するだろうし、自転車の主からこの状況を話に聞けば、自転車の主に人々の気持ちは同情するだろう。
人の気持ちは、立場で変わる。
その立場には善悪など存在しない。
そもそも人の世の善悪は、好きか嫌いか?、快か不快か?……世俗の想いに依っている。
得られる者が有る者の理屈で成り立って居ると理解する。
だからそこには、成り立たない筈の正義も正義としてあるだろう。
人の気持ちは、理解して分からない。
けれど、人には気持ちが有ることを理解する。
それを「察する」理解。
人は、気持ちを「察して」欲しいと望むのだ。
理解や思考では無い、「察する」。
それが出来ないと、相手の立場を理解しない。
人は、それぞれのルールで生きて居る。
そのことも察して、相手の世界を重んじる。
こちらが理解できないことでも、相手にはそれが世界。世界には優劣をつけないことが相手を重んじる。
その上で、自分はどの世界に行くのか?
自分は、誰と行くのか?
自分は、どう生きるのか?
自分で行き先を決めて行く。
争いのある世界に行くのか?
争いのない世界に行くのか?
その為の賢さを身につける。
それは、常に中道にあること。
行き過ぎず、戻り過ぎず……丁度よくではなく、バシッとピタリ唯一の!
それを逃さない聡明を自分自身の中に見い出して行く。
暑い中です。
そのような中でも、
お読みいただきありがとうございます。




