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内在神の行方  作者: 十夢
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正夢の現実

正夢も偶然ではないこと

正夢の現実


苦手なことから


 自分は運動会が大の苦手で、それは、小学生の頃からもう、この世から消えて失くなってほしい行事のナンバーワンだった。それくらい苦手な運動会も大人になってしまえば関わることなど無いだろうとタカを括っていたのだが、世の中は、そうは甘くなかった。

 大人になれば成ったで、世の中にはそれぞれの役割が回って来る。運動会という行事もまたその一つで、大人には大人の役割があったのだ。そのことを大人になってみてようやく初めて知ることになった。


苦手でもやるべきことはやる


 今年も例に漏れず運動会はやって来る。今年はご親切にも全国的に快晴の予報だった。天変地異でも起こらない限り運動会は開催される。案の定、当日は風もなく穏やかな五月晴れ。誰にも文句なしの運動会日和になった。

 その日は、自分は、役員の手伝いをすることになっていた。自分は、運動会は苦手だったから、「運動会には行きたく無い」と声に出して言った。家族は、「ふんふん」と聞いていた。ただ、それだけのことだが、気持ちを口に出して言うことは大切だ。それを聞いてどうして欲しいとかの希望は無く、ただ、自分はこうなのだという表れ。

 気持ちを言葉にしてしまえば気持ちはサッサっと落ち着くもの。音にして流してしまえる。言うだけ言ったら、サクサクと運動場まで歩いて行った。道の途中では、役員の方々が横断歩道で交通の誘導員をされていた。そこでも気持ちの良い挨拶をする。どこでも役員は働いているのだ。

 運動会が苦手な自分でも仕事を担って働くことは好きなのだ。むしろ大好きなことになる。自分は運動は苦手でも、働くことは大好きだ。それが例え、運動会の役員でも。そのことを自分はよく知ることになる運動会となった。


大人と子供(中学生)とのボランティア


 運動会の役員は、大人と子供たちとが一体となって行われる。大人たちは子供たち(中学生)のサポートだ。大きな流れは大人たちが作るけれど、それそれは子供たちが主体となって動いて行く。大人たちはその流れが大きく間違わないように見守って行く次第。

 子供達は大人たちが細かく指示を出さなくても、大まかな説明でドンドン動いてくれる。その姿を見つめるだけでも現在の子供達の優秀さが光る。むしろ、大人びていることに心配になるほどに優秀だ。それでも、子供達は分からないことがあれば素直に聞きに来てくれる。なんて素直なんだろう。これなら問題が起こるはずも無い。優秀な上に、素直とは、言うこと無しだ。ただ、ただ、ありがとうとお礼を述べるばかりとなる。

 子供達と行ったボランティアはとても素晴らしいものとなった。


新しい趣味を見つけた


 朝、家を出るまでは、あんなにも「運動会は嫌だ」と言っていた自分も、運動会から帰宅すると「もっとやってみたい」に変わっていた。それほどに、役員というボランティアが楽しかったのだ。

 もちろん、運動会に顔を出したからには、競技にも出たのだけれども……。玉入れという名の競技……。自分は一つも入らなかったけれど、何故かチームの成績は一番だった……。


 閑話休題。


 結局、あれこれと役員の掛け持ちも手伝い、クタクタになった今年の運動会。そのような中でも収穫は、ボランティアの楽しみを知ったことだった。

 ボランティアと言えば、「善意」と思われることだろう。だが、「善意」には気をつけなければならないことがあるらしい。それは、「善意」は、「当然」になり、「当然」は、「義務」となり、「義務」は、「怒り」となる。ということなのだそう。

 始まりは自分にとっては「善意」だった筈のことも、相手にとっては、当たり前となり、義務となり、怒りとなってしまうのだということを。そのことを理解しないで安易に「善意」を為すことは、自分をも相手をも狂わせることに成りかねない注意すべきことだと言うことを。それを分かった上で為す「善意」なら、何も危惧することは無いだろう。むしろ、存分に楽しめる。「損得」を考えるなら初めから「善意」などには手を出さないことなのだ。必ず「怒り」となって「損」をするのだから。自分はいつもそのことを肝に銘じている。「優しさ」と言う事には、安易には手を出さない。それは、慎重に為すべき事だ。そうでなければ、傷つける事になる。


新しい趣味はボランティア


 さて、帰宅した自分は、楽しかった。このワクワクをもっと楽しもうと家族に宣言をしていた。

 「もっとやってみたい」

 それから、自分でも参加できそうなボランティアの話しをした。家族は概ね楽しそうに聞いていた。自分の活動の場が出来ることは楽しいことだ。

 地域で探せばいくらでも見つかるだろう。これからもその出会いを楽しみにしていよう。来年も運動会が楽しみに変わるだろう。


正夢


 ある日、自分は、髪を切る予約をしていた。

 その当日の朝に見た夢には、その日、髪をカットしてくれる筈の女性が出て来た。夢の中で見たその女性は、自分には見知らぬ女性だった。それなのに、自分はその女性を知っていた……と言う、不思議な夢。

 その夢を見た後で、実際に自分は、予約をしたお店に向かった。

 そのお店は、たまたまネット上で見つけたお店だった。自分は、そのお店は知らないし、訪問することもその日が初めてだった、それなのに……。

「初めまして」

と元気よく挨拶をした自分……。

 そこで出迎えてくれたのは?

「あれ? どこかでお会いしましたよね? あれ? 勘違いだったかな……?」

「ん……?」

「あの……? 運動会に行かれませんでした?」

「運動会……?」

「あっ! 役員の!」

 そう!あんなに苦手だった運動会も役員のおかげで乗り切った運動会!

 その成果は、正夢となって現実に降り立つ。私たちは、実は、夢の中でも現実でも繋がっていた。こんなことがあるんだなと、嬉しくなった!


縁(en)


「この世のことは思い通りにはならない」

ブッダたちはそのように述べられました。けれど、その世間にあって、何の障碍も無いように渡り歩いて行く。それがブッダたちでした。

 どうしてそのようなことになるのだろう?

 同じ生身の身体を持ち、同じ大地に立ちながら……?

 それは、なぜ?


それらのことを考えることも失くなって行く。なぜならそれは、この世のことが私たちの生きる場所では失くなって行くから。出世間に生きるとは、この世のことから離れたことだ。それは、実際にそのようになって生きてみることで分かるようになったこと。それは、変化とかそういうことには在らずで……。


 もうすでに変わってしまっている。それがもう元には戻らないことも。それらはとても楽しい。過去にも未来にも現在にも。起きる事には意味があって、その一つ一つが、何一つとして思い通りにはなく、思いなど遥かにとっくに超越していることが楽しい。

 その世界を楽しみながら生きている。

縁を大切に生きる

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