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09.星盟会議

 星盟会議場は、各国の国境が接する中立地帯に建っていた。


 山間の盆地に、白い石造りの巨大な建物がそびえている。天井はガラスのドームで、夜には星空がそのまま見える。星の魔力に関する重大事を議論する場にふさわしく、空に一番近い建物だった。


 近づくにつれて、街道に人が増えた。各国の使節団、護衛兵、書記官、報道官。お祭りのような賑わいだけれど、空気は張り詰めている。臨時招集の星盟会議は十年に一度あるかないかの大事だ。


「ルシェくん、フードを深く」


「はい」


 ルシェは布で髪を覆い、地味な旅装のまま目立たないように歩いた。手配書が出ている以上、顔を出すわけにはいかない。エルヴィンが前を歩き、私がルシェの隣を歩いた。


 会議場の門前で、私たちを待っていた人がいた。


 フィリクスだった。


 三十代前半の痩せた男性で、眼鏡をかけていて、大量の書類を抱えていた。セレーネ様の密書に名前が出ていた文官。セレーネ様の信頼を得て、王宮内部の情報を流してくれていた人物。


「リラさんですね。セレーネ殿下からお聞きしています」


「フィリクスさん。お会いできてよかったです」


「こちらこそ。……殿下」


 フィリクスがルシェに深く頭を下げた。ルシェが慌てて止めた。


「やめてください。ここでは目立ちます」


「失礼しました。中へ。セレーネ殿下がお待ちです」


 裏口から会議場の控え室に通された。長い廊下を歩きながら、フィリクスが早口で状況を説明してくれた。


「星盟会議は明後日開催です。議題は公式には『星の魔力減衰に関する緊急協議』ですが、実質的にはルシェ殿下の処遇が主題です。ナディア氏が提出した報告書が各国に回覧されており、殿下の体質が『終星の厄災』に該当するという論証が含まれています」


「各国の反応は」


「処分に賛成が大多数です。星の魔力は各国の国力の源泉ですから、それを脅かす存在の排除は合理的な判断だと。セレーネ殿下が政治的に抵抗していますが、リヴェール一国では多勢に無勢です」


「セレーネ様は」


「こちらに到着済みです。控え室を確保してくださっています」


 控え室のドアが開いた。


 セレーネ様が立っていた。


 初めて見る人だったけれど、一目でルシェの姉だとわかった。銀色がかった髪、灰色の瞳。ルシェと同じ色だ。でもまとっている空気がまるで違う。凛とした佇まい。背筋がまっすぐで、目に迷いがない。この人は迷った後に決断する人ではなく、決断した後に実行する人だ。


「ルシェ」


 名前を呼んだ声だけが、ほんの少しだけ柔らかかった。


「姉上」


 ルシェの仮面が一瞬だけ外れた。姉の前でだけ見せる、年相応の顔。安堵と申し訳なさと、会えた嬉しさが全部混ざった顔。


 セレーネ様がルシェの肩に両手を置いた。細く長い指。ルシェの顔を確認するように見つめて、小さく息をついた。


「無事でよかった」


 それだけ言って、すぐに表情を切り替えた。政治家の顔に戻った。


「あなたがリラさんですね」


「はい」


「弟を守ってくれてありがとうございます。お礼は改めて。今は時間がない」


 セレーネ様がルシェに向き直った。


「ルシェ。隣の部屋で少し休んでいなさい。旅の疲れもあるでしょう。これからの話は、リラさんと私で詰めます」


「でも、僕のことなのに」


「あなたのことだから、あなたがいない方がいい場面もあるの。大丈夫。後で全部話すから」


 ルシェは少し不服そうだったけれど、姉の言葉には逆らわなかった。「わかりました」と頷いて、隣の小部屋に入っていく。


 その背中を見送ったセレーネ様の肩が、ドアが閉まった瞬間、ほんの少しだけ下がった。一瞬だけ。でもすぐに背筋を正して、表情を引き締めた。


 本人の前で「処分」の詳細を話したくなかったのだろう。この人もずっと、弟の前では平気な顔をしてきたのだ。


 セレーネ様が部屋の中央のテーブルに地図と書類を広げた。


「現状を説明します。星盟会議は各国十二か国の代表で構成されます。議決は過半数で、現時点でルシェの処分に賛成している国が八か国。反対が一か国、リヴェールのみ。棄権が三か国。この状況をひっくり返すには、賛成派の一部を翻意させるか、議決そのものを覆す新事実を提示するかしかありません」


「政治的な交渉では」


「限界です。私が十年かけて築いた外交ルートをすべて使いましたが、星の魔力は各国の安全保障に直結する問題です。感情論ではなく、合理的な判断として処分が支持されている。合理を覆すには、合理で返すしかない」


 セレーネ様が私を見た。


「リラさん。あなたは星読みの技術を持っていると聞いています。弟の体質について、何かわかったことはありますか」


 私は観測ノートを取り出した。旅の間に書き溜めたデータ。ルシェが通過した地域の星の安定度の変化。エルヴィンの故郷の回復。魔獣戦で暗くなった星域が数時間後に回復していたこと。


 セレーネ様がノートに目を通した。ページを一枚一枚丁寧に読んだ。読む速度が速い。頭の回転が速い人だ。


「……浄化仮説」


「はい。まだ仮説未満ですが」


「データの傾向は一貫しています。これは使える。……ただし、状況証拠だけでは議決を覆せない」


「わかっています」


 もしルシェが十一年間閉じ込められていなかったら、もっと多くの星が回復していて、状況証拠どころではなかったかもしれない。そう思ったけれど、口には出さなかった。この人は、きっと誰よりもそれを考えてきたはずだから。


「一つ確認させてください」


 セレーネ様の声が少し硬くなった。


「弟は五歳から十歳まで、何度か検証を受けています。星が回復するのなら、なぜその時に発見されなかったのですか」


 当然の疑問だった。私も最初にそれを考えた。


「回復には時間がかかるんです。私が旅の中で観測した限り、魔獣との戦いで星が揺れた時も、直後は暗くなっただけでした。回復に気づいたのは数時間後、改めて同じ星域を確認した時です」


 いくつか同じ傾向を示したデータを指して説明する。私の指先を凝視するセレーネ様の口元が、少し震えた。


「……それなら、気づけなかったでしょう。星が揺れた時点で、全員が青ざめて検証を打ち切っていましたから」


 無理もないと思った。星の魔力が損なわれることは、その土地で生きる者にとって取り返しのつかない損害だ。だからこそ、星の異変を発見した私の一族は、追放されたのだから。


 短い沈黙が落ちた。セレーネ様は窓の外に目を向けて、すぐに戻した。


「直接的な証明手段はありますか」


 言葉が喉に引っかかった。


「……あります。一つだけ」


「何ですか」


「禁忌の星読みという技術です。ルシェくんの体内の魔力の流れを直接読み取り、可視化することができます。吸収した魔力がどう流れているかを、会議場にいる全員の前で見せられる」


「リスクは」


「術者の生命です。失敗すれば死にます。成功の保証はありません」


 セレーネ様の目が、一瞬だけ鋭くなった。


「あなたが命を賭ける理由は」


「……まだ決めていません。考えている最中です」


「正直な方ですね」


「嘘をついても仕方がないので」


 セレーネ様が少しだけ口の端を上げた。笑顔ではなかったけれど、認めてくれた顔だった。


「考える時間はあります。会議は明後日。それまでに結論を出してください。私も、政治的にできることは全部やります」


「一つお願いがあります」


「何ですか」


「私が会議の場で発言する方法を作ってもらえませんか。追放された一族の人間には、傍聴権しかない。でも発言できなければ何も変えられない」


「フィリクス」


 セレーネ様が文官を呼んだ。


「星盟条約の全条項を洗ってください。星読みに関連する規定で、発言権に繋がるものがないか」


「はい。すぐに取りかかります」


 フィリクスが書類の山を抱えて出ていった。あの量を二日で読み込むのか。大変な仕事だ。


「もう一つ」


「はい」


「オルグレンという元宮廷星読みに連絡を取れますか。会議の場に来てもらいたいんです」


「オルグレン。あの人がまだ生きているとは。……連絡は取ります。何をさせるつもりですか」


「証言です。三十年前、一族の報告を握り潰した当事者としての証言。私の星読みの結果を補強するために」


 セレーネ様が頷いた。


「リラさん。あなたは薬師だと聞いていましたが、なかなかどうして、作戦を立てるのが上手い」


「作戦というほど大層なものじゃないです。ただ、見えているものを並べて、足りないものを探しているだけです」


「それを作戦と言うのです」


 *


 控え室を出て、宿泊用の小部屋に案内された。ルシェとは隣の部屋だ。エルヴィンは廊下の端の部屋。


 荷物を置いて、一人になった。


 鞄の底から、銀色の杖を取り出した。


 母の形見。六年間、荷物の奥に入れたまま。使わないと決めていたもの。


 手のひらに乗せた。軽い。こんなに軽かったっけ。子どもの頃に祖母の膝の上で触った時は、もっと重く感じたのに。


「……久しぶり」


 杖に話しかけるなんて馬鹿みたいだけれど、話しかけてしまった。


 禁忌の星読み。


 文献は読んだ。手順は頭に入っている。理論上はわかる。でも実践は一度もない。ぶっつけ本番で命を賭ける。それが合理的な選択だと、誰が言えるだろう。


 怖い。


 普通に怖い。死にたくない。まだ二十歳だ。やりたいことだってある。行きたい場所だってある。マリーおばさんのシチューをまた食べたい。


 でも。


 ルシェが「僕がいなくなることが、国にとって一番いいんです」と言ったあの声を思い出す。十六歳の男の子が、自分の人生を諦めている声。あれを聞いて何もしないのは、見えているのに黙っているのと同じだ。


 見えているのに黙るのは、もうやめると決めた。


 でも、「誰かのために死ぬ」のは違うとも思う。自己犠牲の美学なんて知らない。


 じゃあ何のために。


「……私が読みたいから」


 声に出して言ってみた。


 星を読むのが好きだった。世界の秘密を覗くような感覚が好きだった。六年間、やめていたけれど、やめたかったわけじゃなかった。怖くてやめていただけだった。


 禁忌の星読みは、星読みの技術の到達点だ。星そのものではなく、星の魔力が宿った存在を読む。この世界の誰も成し遂げていないかもしれないことを、自分の目で見る。


 怖い。でも、読みたい。


 その二つは矛盾しない。怖くて読みたい。それが正直な気持ちだ。


 杖を握った。星石が、ほんのかすかに温かい気がした。


 *


 その夜、ルシェが部屋を訪ねてきた。


「リラさん、起きてますか」


「うん。入って」


 ルシェが入ってきて、窓際に立った。窓の外は中庭で、その向こうに会議場のガラスドームが見える。星明かりに照らされて青白く光っている。


「明後日ですね」


「そうだね」


「姉上がいろいろ動いてくれていて。フィリクスさんも。エルヴィンさんも、最後まで付き合ってくれるって言ってくれました」


「うん」


「僕は……たくさんの人に助けてもらっています。一人で閉じ込められていた頃には、想像もできなかったことです」


 ルシェが窓の外を見ていた。ガラスドームの向こうの星空。


「リラさんが逃がしてくれたから、僕はここにいます。あの時、薬屋を飛び出してきてくれなかったら、僕は今頃城に連れ戻されて、たぶん……」


「そんなこと言わないで」


「すみません。でも、本当のことです」


 ルシェが振り返った。真剣な目。


「リラさんが考えている『直接的な証明手段』って、禁忌の星読みのことですよね」


 ……バレていた。


「姉上との話、聞こえていました。壁が薄くて」


「聞き耳を立てていたんですか」


「立てていません。聞こえただけです」


「同じです」


「違います」


 少しだけ笑ってしまった。でもすぐに真顔に戻った。


「やめてください」


 ルシェが言った。静かで、はっきりした声。


「やらないでください。禁忌の星読みは。失敗したら死ぬんでしょう。そんなことをする必要はない。僕は……僕が処分を受け入れれば済む話です」


「それは」


「僕がいなくなれば、星の問題は解決する。エルヴィンさんの故郷のような国もこれ以上苦しまなくて済む。姉上も、これ以上僕のために立場を悪くしなくて済む。リラさんも、命を賭けなくて済む。一番合理的な選択です」


「合理的」


「はい」


「ルシェくん。怒ってもいい?」


「え?」


「あなたのその『合理的』は、全部間違ってる」


 声が強くなった。抑えられなかった。


「あなたがいなくなれば星の問題が解決する? 星の寿命の問題は、あなたがいてもいなくても存在するんです。私の一族が三十年前に報告した問題。星は壊れかけている。あなたの体質がその修復機構だとしたら、あなたを排除したら修復手段を失うことになる」


「仮説でしょう」


「仮説だけど、あなたの『僕が消えれば全部解決する』も仮説ですよ。根拠がない点では同じ。だったら、なぜ自分に不利な仮説だけ信じるんですか」


 ルシェが言葉に詰まった。


「……それは、慣れているからです。自分が悪いと思う方が、楽だから」


「楽」


「はい。自分を責めていれば、考えなくて済む。もしかしたら違うかもしれない、と思うよりも、自分が悪いと決めてしまう方が、ずっと楽なんです」


 正直だった。恐ろしいほど正直だった。


「……それは、逃げだと思う」


「わかっています。でも」


「でもじゃない。ルシェくん、あなたは優しいけど、優しいのと自分を犠牲にするのは違う。優しさは相手のためにあるけど、自己犠牲は自分のためにある。自分を楽にするためにある。それは、優しさじゃない」


 きつい言い方だった。言った後に少し後悔した。でも撤回しなかった。


 ルシェが長いこと黙っていた。


「……リラさんは、僕に何を望んでいるんですか」


「生きてほしい。それだけ」


「生きて、何をするんですか」


「何でもいいです。セレーネ様の顔を見て安心させてあげてもいいし、エルヴィンさんと旅を続けてもいいし、村で子どもを助けてもいいし。好きなことをしてください」


「好きなことなんて、わからない」


「じゃあ探しましょう。生きていれば探せる」


 ルシェが窓の外を見た。星空。ガラスドーム。


「……星が、きれいですね」


 その言い方に、少しだけ既視感があった。いつかまた、同じ言葉を聞く気がした。


「きれいだね」


「リラさんは、星を見ると何が見えるんですか」


「今は……あなたに見せたいものが見えてる」


「え?」


「もう少ししたら、ちゃんと見せますね。今夜はもう寝て」


「はい。……おやすみなさい」


「おやすみなさい」


 ルシェが出ていった後、私は窓辺に座って、杖を手のひらで転がした。


 覚悟は決まりつつあった。「誰かのために」じゃない。「私が読みたいから」。それが本当の理由だ。星を読むのが好きで、読みたくて、六年間我慢してきて、今やっと読める場所に立っている。


 禁忌の星読みは怖い。でも、ルシェが「僕がいなくなるのが一番いい」と笑って消えていくのを見るのは、もっと怖い。


 怖いもの比べをして、ましな方を選ぶ。それが勇気だとは思わない。ただの消去法だ。


 でも、消去法でも、選ぶのは自分だ。


 杖をしっかり握って、目を閉じた。


 明日、フィリクスさんの調査結果が出る。発言権が確保できれば、手は揃う。


 手が揃った上で、最後に残るのは、私の覚悟だけだ。


 *


 翌日の午後、フィリクスが控え室に駆け込んできた。


「見つけました」


 目の下に深い隈ができていた。一晩中読んだのだ。


「星盟条約第十七条、補則三項。『星に関わる危機に際し、星読みの血を引く者は、その出自を問わず、警告を発する義務と権利を有する』。ステラリス家は宮廷星読みの地位を剥奪されていますが、星読みの血統そのものの消滅は宣告されていません。つまり、リラさんには発言の権利がある」


 セレーネ様が立ち上がった。


「使えますか」


「古い条項ですので、有効性に異議が出る可能性はあります。ですが、明文で廃止はされていない。押し通すことは可能です。ただし、議長の裁量に委ねられます」


「議長の説得は私がやります。フィリクス、よくやってくれました」


「いえ。……殿下のために」


 フィリクスが少し照れたように眼鏡を直した。この人は、セレーネ様への忠誠でここまで動いてくれたのだ。一晩であの量の文書を読み込んだのだから、相当な信頼がなければできない仕事だ。


「リラさん」


 セレーネ様が私に向き直った。


「発言権は確保できます。あとは――」


「はい」


 杖を握った。


「やります」


 セレーネ様が一瞬だけ目を見開いた。すぐに戻した。


「覚悟は」


「できています。……怖いですけど」


「怖くない人間はいません。怖いまま動ける人間がいるだけです」


 セレーネ様の言葉は、ルシェとは全然違う種類の強さだった。ルシェが水だとしたら、この人は鋼だ。でも鋼の奥に、弟を思う柔らかさが隠れている。


「明日の夜。会議が始まります」


「はい」


「私は政治を使います。フィリクスは法を使います。エルヴィンは証言を。オルグレンは告白を。そしてあなたは――」


「星を、読みます」


 セレーネ様が頷いた。


「ルシェを頼みます」


「はい」


 短いやり取りだった。でもこの人の「頼みます」は軽い言葉じゃない。十年間弟を守ってきた人が、他人に弟を託す言葉だ。


 重かった。でも、受け止めた。


 *


 夜。


 明日が会議だ。


 眠れなくて、中庭に出た。会議場のガラスドームが星明かりに照らされている。


 空を見上げた。


 今夜は存分に見た。目を逸らさず、制限時間も設けず。


 星読みの目で世界を見た。星の一つ一つが語りかけてくるのを、全部受け止めた。


 星は、壊れかけていた。


 祖父母が報告した通り。オルグレンが認めた通り。複数の星域で魔力の減衰が進んでいる。三十年前より、確実に悪くなっている。


 でも。


 ルシェが通った場所だけは、違った。


 わずかに、でも確実に、安定している。


 この子は、星を治している。


 仮説ではなく、確信に近いものが胸の中にあった。明日、それを証明する。禁忌の星読みで、全員の目の前で見せる。


 怖い。でも、読みたい。見たい。世界の秘密を、この目で。


「見えているのに黙るのは、もうやめる」


 夜空に向かって、小さく呟いた。


 明日。


 すべてが決まる。

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