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08.星が戻った国

 オルグレンの家を発ってから一週間。


 旅を続けながら、私は意識的に星の観測を行うようになっていた。もう「ただの癖」とは言い訳できない。毎晩空を見上げて、各地の星域の安定度を記録する。ルシェが滞在した場所、通過した場所、留まった場所。それぞれで星の状態がどう変わるかを追っている。


 星読みをしている。


 認めよう。私は星読みをしている。六年ぶりに。


 そしてそれは、思っていたよりもずっと自然なことだった。


 データは少しずつ増えていった。確実に言えることは、まだ少ない。でも傾向は見えてきた。


 ルシェが一定期間滞在した地域では、周囲の星の安定度が上がる傾向がある。上昇幅は小さいが、複数の地点で同じ傾向が確認できている。偶然の範囲かもしれない。でも偶然にしては一貫しすぎている。


 問題は、この傾向が「ルシェの体質のおかげ」だと証明できないことだ。相関関係は因果関係ではない、とオルグレンが言った通り。


 一度だけ、街道で近衛隊らしき騎馬とすれ違った。ルシェが足を止めて身を固くしたので、腕を引いて木立に隠れた。馬が通り過ぎるまで、ルシェの手は腰の短剣に触れていた。


 *


 ある夜、焚き火の傍で観測ノートをまとめていたら、ルシェが隣に座ってきた。


「リラさん」


「うん?」


「僕のこと、研究対象だと思ってますか」


 手が止まった。


「……ごめん。そう見えた?」


「いえ。ただ、毎晩熱心にノートを書いているのを見て、少し気になって」


「研究対象だとは思ってないです。でも、あなたの体質を理解したいとは思ってる。それは確かです」


「自分のためですか」


「え?」


「リラさんは、前に言いましたよね。僕のためじゃなくて、自分のために動くんだって。星を読みたいから読むんだって」


 覚えていたのか。逃走の時に言った言葉を。


「……半々、かな。あなたのためでもあるし、私のためでもある。星を読むのは好きだし、読んだデータが誰かの役に立つならもっといい」


「僕の役に立ちますか」


「立つかもしれない。まだわからないけど」


 ルシェが空を見上げた。


「リラさんは、星の何を読んでいるんですか。僕には光の点にしか見えないのに」


「んー、説明が難しいんですけど……星の光って、ただ光っているだけじゃないんです。光の中に情報がある。揺らぎ方、強さ、周期、色の微妙な変化。それを読み取ると、その星域の魔力の状態がわかる。安定しているか、乱れているか、増えているか、減っているか」


「見える、というのは……目に見えるんですか?」


「正確には、目と、もう少し別の何かで見ている感じ。普通に空を見ても星はきれいだなで終わるんですけど、星読みの目で見ると、星一つ一つが意味を持って語りかけてくるように見える」


「……すごい」


「すごくないですよ。役に立たない技術です。正しいことを読んでも、誰も聞いてくれなかった」


「僕は聞きます」


 静かな声だった。


「リラさんが読んだことを、僕は聞きます。信じるかどうかは別として、聞きます」


 胸の奥がきゅっと締まった。六年間、「誰も聞いてくれない」が前提だった。報告する先がない、聞いてもらえない、だから読んでも意味がない。ずっとそう思ってきた。


「ありがとう。……じゃあ一つ、聞いてくれますか」


「はい」


「今夜の空。あなたの真上の星が、少しだけ揺れてます。でもその隣の星は、昨日より安定してる。昨日まで揺れてた星が、今夜は落ち着いてる。私たちがここに来てから二日目。二日間で、安定度が上がってる」


 ルシェが空を見上げた。彼の目には光の点しか見えないだろう。でも、聞いてくれた。


「それは……僕のせいですか」


「わからない。でも、せいって言い方はやめません?」


「え」


「せいって言うと悪いことみたいに聞こえるでしょう。もし本当にあなたの体質が星を安定させているなら、それは悪いことじゃない」


 ルシェがしばらく黙って、それから言った。


「慣れていなくて。自分の体質を、悪いこと以外の文脈で考えたことがないので」


「慣れましょう。時間はあります」


「……はい」


 *


 翌日。


 街道の交差点で、エルヴィンに再会した。


 正確には、エルヴィンが待っていた。


 交差点の脇にある茶屋の長椅子に座って、剣を膝の上に渡して、こちらを見ていた。


「遅かったな」


「……エルヴィンさん」


「ルシェ」


 エルヴィンがルシェをまっすぐ見た。ルシェが少し身構えた。あの夜の記憶がある。


「一つ聞いていいか」


「はい」


「お前、ヴァレンティアに行ったことは」


「ありません。城から出たことがほとんどないので」


「だよな。行ったこともない場所の星を喰えるのかって、ずっと考えてた」


 エルヴィンがちらりと私を見た。


「それにあの夜、あんたが何か言ってたのも聞こえてた。星が戻ってたとかなんとか。寝てたが」


 寝てなかったじゃないですか。


「だから故郷に帰った。ヴァレンティアに」


 エルヴィンは目を伏せた。


「星が戻ってた」


「え」


「前より明るくなってた。畑は……まだ荒れたままだったけど、空は違った。俺がガキの頃に見た空に似てた」


 私は口を挟まなかった。エルヴィンが自分の言葉で話している。邪魔をしてはいけない。


「お前のせいかどうかはわからない。でもお前が城に閉じ込められてる間に星が弱って、お前が旅に出た後で星が戻ってるなら、お前が吸い取ってたわけじゃねえだろ。矛盾する」


「矛盾……」


「お前が吸ってたならお前が去った後にもっと弱るか、変わらないかだろうが。戻ったのは説明がつかねえ。――いや、一個だけつく」


 エルヴィンが私を見た。


「あの夜、こいつが言ってただろ。暗くなったはずの星が戻ってた、って。だったらお前は吸い取ってるんじゃなくて、何かして返してるんじゃねえのか。それなら筋が通る」


「筋は通ります。でも通るだけじゃ証拠にならないんです。……エルヴィンさんの故郷の星が戻っていたのは、すごく大事なデータです。でもそれだけで結論は出せない」


 ルシェが静かに聞いていた。オルグレンさんの家で浄化の仮説を聞いた時は戸惑った顔をしていたけれど、今はもう少し落ち着いている。あの時から自分の中で考え続けていたのかもしれない。


「リラさん。オルグレン先生のところで聞いた時は、正直、信じられなかった。でもエルヴィンさんの故郷の星が実際に戻っていたなら……」


「まだわからない。わからないけど、可能性は前より高くなった」


 長い沈黙が落ちた。


 ルシェの目が揺れた。揺れて、揺れて、そして――空の星が揺れた。


 感情が動いたのだ。大きく。


 ルシェが慌てて自分を抑え込んだ。深呼吸して、目を閉じて、感情を仕舞い込もうとして。でも完全には仕舞いきれなくて、星がしばらく揺れていた。


「……ごめんなさい。取り乱しました」


「いいんですよ。揺れても」


「でも」


「揺れました。もう戻ってます。ね?」


 空を見た。星の揺れは、もう収まっていた。すぐに。


「……本当だ」


 エルヴィンも空を見ていた。星の揺れなんか見えないはずだけれど、何かを感じたのかもしれない。


「なあ、リラ」


「はい」


「俺はお前の仮説が正しいかどうかは知らん。でも、故郷の星が戻ってたのは事実だ。それを見て、ここに戻ってきた。それだけだ」


「……ありがとうございます」


「礼を言われることじゃない。俺は自分の目で確かめたかっただけだ」


 エルヴィンがルシェに向き直った。


「ルシェ。俺はお前を許したわけじゃない。お前のせいだと決まったわけでもないから、許す必要もないのかもしれないが。ただ、もう少し一緒に旅をしたい。いいか」


「……はい。ご迷惑をおかけして、すみません」


「その口癖はどうにかならんか。すぐ謝るの」


「す……はい」


 三人の旅が、また始まった。


 *


 エルヴィンが戻って二日目の夜、あの時ルシェの感情で揺れた星域を改めて確認した。やはり安定度が上がっている。揺れる前よりも。


 ノートに書き加えた。ページが埋まってきている。


 密書が届いたのは、その翌朝だった。セレーネ様からの二通目。内容は簡潔だった。


「星盟会議の日程が確定しました。二週間後です。僕は出頭を求められています」


 ルシェが淡々と読み上げた。


「出頭しなければ、リヴェール王国に対する制裁が発動する。姉上が……姉上に対しても、処分が下る可能性がある」


 二週間。


 時間がない。


「行くしかないですね」


「はい」


「でも、何の準備もなく行ったら処刑されるだけです。行くなら、戦える手札を持って行かないと」


「手札?」


「データです。旅の間に集めた観測記録。エルヴィンさんの故郷の星の回復。それと――」


 言いかけて、止まった。


「それと?」


「……まだ考えさせてください。二週間あるから」


 禁忌の星読み。あれを使えば、ルシェの体質の真実を直接証明できるかもしれない。でも失敗すれば死ぬ。やったことがない。成功する保証がない。


 考えさせてください、と言ったのは、自分に対してだった。あと二週間で、覚悟を決められるかどうか。


 私たちは星盟会議場に向けて、旅を急いだ。


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