ただ大切なものを
圧倒的なまでの圧力に、ソールは思わず後退る。それは本人ですら気づかない無意識下でのこと···。自らが目の前の存在に畏怖し、後退っている事に気づいたソールは表情を酷く崩し始める-。
待て待て待てっ!? この俺が···後退る···だって!? あ···ありえないだろ!!
頭では否定していても、体が本能的に震え始める。それは彼が今までに感じたことの無いものであった。完全に萎縮してしまった体は思うように動かない。言うことを聞かない。
「お、お嬢···!」
「······分かっているわ。最初から全力で行くわよ!! 至高の力【星天願望】-『星崩し』!!」
アディーロは発現させた球体の輝きを倍増させ、エトに向けて威勢を放つ。その瞬間、エトの足下に魔法陣のようなものが現れ、輝き始める。
辺りの空気がギシギシ-と異様な不快音を響かせる。それはこの魔法陣内において、空気が軋む程の強烈な重力圧が生み出されているという事を意味していた。
-が······。
「···う···嘘······でしょ!?」
そこにいるだけでその身が弾け飛ぶ程の濃密な重力圧の中、エトは平然と歩みを進め、魔法陣を何事も無かったかのように抜け出した。
その光景にアディーロは言葉を失う。
「面白い力だね。至高の力······か」
「おいおいおい! ······何なんだよお前っ!?」
『星崩し』はアディーロの奥義の一つでもあった。それをいとも簡単に切り抜けたエトにソールはただただ叫ぶ事しか出来ない。
本来、超広範囲を押し潰すこの技の威力は隕石の衝突にも等しい。ましてアディーロはその範囲を極限までに絞り込んだのだ。
その攻撃力は桁違いの筈-。
しかし、彼らは知らない。エトにも〝同じような力〟があるということを-。
「今のが最大の技だった? 悪いね。引力的なスキルなら、個人的な理由で耐性があるんだよ」
「······言葉を失うってこの事ね。ソール、最悪撤退も視野に入れておいて」
「はぁ!? ま、マジかよお嬢!」
「えぇ。大マジよ。嘘でも『星崩し』を防がれて笑っていられる余裕は無いの。あれは魔力の消費が異常だから」
「···で、でもどうするんだ? お嬢と〝あの方〟の目的の為にはあの女が必要なんだろ?」
「そうね。そうなのだけれど、正直さっきのシュウって子のおかげで魔力が心もとないのよ」
不穏な空気の中、エトから視線を逸らす事無く、アディーロとソールは言葉を交わす。
そんな二人をエトは黙ったまま見つめ続けている。
······魔力が相当乱れてるみたいだな。
ポーカーフェイスを貫くアディーロ。しかし、そんな彼女の魔力に乱れを感じたエトはゆっくりと体勢を低く構える。
「っ! ······待ってはくれないようね。ソール、やっぱり一度引くわよ。逃がしてくれるかは微妙だけれど」
「くっ······。お嬢がそう言うなら······」
アディーロのその決断に不服そうな表情を浮かべつつも、ソールは全速力でその場を離れる準備に入る。
「待て待て待て。逃げる気満々みたいだけど、逃がす訳ねえだろ? 誰に喧嘩売ったのか魂にまで刻み込んでやっからよォ!!!」
一変して豹変するエト。大切なものを奪おうとした存在がのうのうと逃げようとしている。それが彼の心を再び闇へと突き落とす-。
エトの叫びはまるで暴風の如く、アディーロ達を追い詰める。
「っ···。な、なんて圧力。ただの叫びが上級の風属性魔法並じゃない!」
その時-。
「エト君!!!!!」
「なっ······」
突然の叫声。その場に響き渡ったその声は、いとも簡単に張り詰めた空気を消し去っていく。
唐突に名を呼ばれ、振り向いたエトはその存在に言葉を失った。
「はぁ···はぁ······はぁ···」
「アヤ先生、接触は避けるようにと! お忘れですか!?」
「エト···様······」
「え? ちょ、嘘嘘嘘!? あ、あのトンデモがエトだっての!!!?」
「あっ······あ、あれが···エト···君?」
そこに現れたのは魔法学園学園長アリスタシアとアヤ、そしてアリアとシルビアとクロナだった-。
そんな場違いな彼女達を見るなり、アディーロはクスッと口角を上げる。
「あらあら。間一髪、私達にもまだまだ運は巡っているみたいね」
「つっても撤退だろ?」
「まぁね。ただ、撤退の成功率がほぼゼロからグンと上がったのは充分喜んでいい事よ。確かに悔しいけれど、それでもエト・リエル···彼の情報を持ち帰れるのは大きいわ。次は必ず跪かせる。ね?」
「······ああ。絶対泣き目見せてやる!」
「それじゃあ行くわよ。全魔力···解放!! ······【星天願望】-『星天断絶新星剣』ッ!!!」
左手で右肘を掴み、勢いよく手刀を振り下ろす。
刹那-。
全土に轟く程の警鐘が鳴り響く。息をする事も忘れてしまう程の膨大な魔力圧の中、天の雲を切り裂くように現れたのは想像を絶する巨剣。
その刃先だけで空を覆い尽くす。
「あぁ·········」
「·········」
誰一人として声を出す事も許されない。それは絶望そのものだった-。
「はぁはぁはぁ······。流石に···魔力が空っぽだわ。それじゃあソール、撤退よ。悪いのだけれど運んでくれる?」
「あぁ。お疲れ様、お嬢。流石にこれにはアイツも為す術がな-······う···嘘·········だろ」
「ふふふっ。······流石だわ。素直に賞賛せざるを得ないわね。ソール、急ぎましょう」
「あ、ああ!!」
ソールが言葉を失った理由、アディーロが頬を染めながら賞賛を送った理由、それはただ一人、たった一人でエト・リエルが魔法学園上空を覆い尽くす程の巨剣に飛び立って行ったからだった-。
「畜生···。アディーロ達を逃がしちまったのは悔しいけど、もうそれどころじゃねえなコレ。こんなのが落ちたら北方大陸の三分の一が消し飛んじまう! スゥー·········ニーズヘッグゥゥゥッ!!!」
【グアアァァァァァアアアッ!!!!!】
地上から飛び立ったエトの呼び掛けに答えるように突如現れた銀翼の元竜王ニーズヘッグはその背にエトを乗せ、遥か上空へと飛び立つ-。
《急に呼び出すんだもの! 驚いちゃったわ? 強制召喚なんて出来るのね! それで? エト、何事なの? って、アレ何!?》
「アディーロの至高の力だ!」
《至高の力!? コレが!!? ったく、どんだけよ! それで? そのアディーロは?》
「これに乗じて逃げやがった。多分、もうこの辺りには居ないと思う」
《そう···。とにかく今はアレね。······なるほど。超広範囲に渡った物質の構築···。魔法というより物理攻撃のようね。で、どうするの? アレは魔法攻撃は疎か物理攻撃でも物量で押し負けるわよ? 『竜王降臨』で底上げされてる今のエトの筋力でも厳しいわ》
「あぁ。多分、壊すようなスキルでも飛び散る残骸で大陸は崩壊するだろうな」
尚も落下を続ける巨剣に迫りながら、思考しているエトにニーズヘッグは優しく問いかけた。
《······ねえ? この大陸を···この世界を······救う価値、あるの?》
「え?」
突然の問いにエトは唖然とニーズヘッグの背を見つめる。
エトから何もかもを奪い、どん底まで叩き落としたこの世界に救う価値なんてあるのか-。
その問いにエトは意外にもクスッと微笑み、ニーズヘッグの背を撫でながら落ち着いた様子で答えた。
「ニール、今更だぜ? 俺は大陸なんて救わない。世界なんて救わない。俺が救うのはユーリとニール達、俺が大切だと思ってる奴らだけだ。結果、世界が救われようが崩壊しようが知ったこっちゃねえよ。なっ!」
満面の笑みと背から伝わるエトの温もり。
変わったわね······エト。
そう心で呟きながら、愚問だったわね-と翼を大きく羽ばたかせる。
一心同体の二人。それ以上を語ることは無く、エトとニーズヘッグは巨大な剣の刃先へとその距離を縮めていった-。
一方、理解の及ばない光景に立ち尽くすアヤ達だが、それよりも、今まさに天へと飛び立って行った存在がエトだという事にシルビアとクロナは驚きを隠せない。
仮面を被っているとはいえ、背格好が彼女達の記憶にいるエトとはかけ離れ過ぎている。それに加え、あの異様なまでの存在圧。彼女達には、この世の者とは思えない程だろう。
ただそこに居るだけで体が重く感じ、本能が震え出していた。それは恐怖や畏れといったものではなく、得体の知れないものを見た感覚に近い。
しかし、それは二人が影でエトの素性を確かめていた時に行き着いた結論と合致している。
少しづつだが、それを理解し始めた途端、二人はエト・リエルという存在を畏怖するどころか、本能的に敬畏した。
「す······凄い···あれが······本当の···エト」
「ん。体がなんだか熱い······。興奮?」
「······はぁ」
とうとうバレてしまいましたわね···。それにしてもエト様のあの表情······。なんだか以前のエト様に戻っているような···?
頬を染め上げ、瞳を輝かせているシルビアとクロナを溜め息混じりに見つめながらもアリアは飛び立って行ったエトの表情に違和感を感じていた。
何者をも寄せ付けない、あの時の瞳では無い。行動を共にしていた頃と同じ-かと問われれば悩ましくはあるが、それでもエトの表情はアリアの心をそっと包み込むような柔らかいものだった。
その事が余程嬉しかったのか、並び立つアヤを見つめると、そこには口を両手で覆いながら瞳を潤ませるアヤの姿があった-。
「っ······エト···君······」
半分諦めかけていた。きっとエトは戻って来ない。そう思わざるを得ない程に、彼女達の心を追い込むにはこの一ヶ月半という期間は十分だった。
ノーフェイスの襲撃事件、それは彼女達の不安を確実なものへと変えていった。
しかし、今目の前で絶望に抗おうとその手を伸ばす彼は、あの頃のエトよりも、心に強い何かを抱いている-心の不安定さや歪さの欠けたエト・リエルだ。
それがどうしようもなく嬉しくて、でもそんな彼を傍で支えてあげられなかった自分が悔しくて、やるせなくて·········。
溢れ出しそうな想いは、限界を迎え、ただただ涙となってアヤの瞳から流れ出していく-。
「ニール! ここでいい! 止まってくれ!」
《っとと。ここ? こんな刃先でいいの? 》
「ああ。落ちてくる力を利用するからな」
丁度刃先の真下に辿り着いたエト。そんな彼の指示でニーズヘッグはその場で滞空姿勢を取る。巨剣との距離はあと僅か。
絶望という名の巨剣の影が大地を闇に染めあげる中、エトは大きく深呼吸をしてゆっくりと両手を天に掲げる。
「使い所が無かった最後の『天災』だ。異様さで言ったら【神羅万象】の中でもダントツだぜ? アディーロ、お前の作り出した絶望なんて、一瞬で〝腐敗〟させてやるよっ!! 消え失せろ糞野郎!!!【神羅万象】-『侵喰腐灰』ッ!!」
強烈な咆哮と共に、エトは両手を広げ、再び胸元で合掌させる。そして左手で肩を抑えながら右手を天に突き出したその瞬間-。
-ゴゴゴゴゴゴゴォォォォッ······
エトの右手から現れたのは歪な一本の巨腕。指の数は片手だと言うのに十本。そしてその色は血を腐らせたような気持ちの悪い赤黒い異色。
まるでその巨腕そのものが意思を持っているかのように脈打ちながら巨剣の刃先へと真っ直ぐに伸びていく-。
「っぐはあッ!!!」
『エトッ!!!?』
異様な巨腕が刃先に触れた瞬間、エトは口から大量に血を吐き出し、両目からは血の涙が流れ出す。
『エトッ!! ちょっと! 大丈夫なの!?』
「だ、大丈夫······っぶふあ!?」
エトの言葉とは裏腹に体中から吹き出す血飛沫にニーズヘッグは完全な竜化から翼だけを残した部分竜化に切り替え、エトを抱き支えるように体勢を変えた。
「ね、ねえエト!! その傷! なんで再生スキルが機能してないのよ!!!」
体中の夥しい程の傷口が一向に再生されない。それはエトの『超即再生』が機能してない-という事を意味していた。
また彼の体に何かしらのスキル効果が働いているのでは? -そう思ったニーズヘッグだったが、それを血塗れのエトは否定した。
「ち···違うんだよニール、こ······れは『侵喰腐灰』の副作用······でな。コイツ······魔力じゃなくて···俺自身を養分に······発動しやがんだ」
「は······はぁ!?」
「マジで大丈夫···だから! ···つか、ちゃんと···支えてくんない? 正直、一人じゃ······この重さ···耐えらんない······から」
気付けば二人は、先程までアディーロ達を相手取っていた寮の前まで高度を下げていた。既に地表に足が着きそうな距離の中、ニーズヘッグが必死にエトを支えている。
「というか! むしろ着地した方が耐えやすいんじゃないの!? これ!!?」
「あ···あははっ···。それ······言えてるかも···ぬっ···ぐあ!! んの野郎!!!」
ニーズヘッグの提案を飲んだエトは、地面に着地し、地表を支えに圧倒的な物量に耐え凌ぐ。そんなエトの背中を懸命に支えるニーズヘッグの余裕の無い表情から、相当な荷重が襲いかかっていることが見て取れる。
「っ-。アリアちゃん! 行こう!」
「っ! はい! ですわね!!」
目の前で起こる奇跡とも言える光景に感化されているシルビアとクロナを他所に、アヤとアリアは今度こそエトの支えとなるよう、全速力でエトの元へと走り出す-。
そんな中-。
「······〝キノトグリス〟? そう······そういう事。エト君、あなたが······そうだったのね。〝 『記憶操作』〟なんて使うもんだから何かあるとは思ってたけど······。ふふふっ。確かに少し面影はあるかしら?」
まるで我が子を見守るような優しい眼差しでエトを見つめるアリスタシア。そんな彼女は腰の辺りで指をパチン-と弾き、クスッと微笑む。
「流石に、この大きさのモノを結界で覆うのは少ししんどいわね」
頑張りなさい。我らが〝メシア〟-。




