長峰更新5
誰もいない図書室に彼はいた。
「――長峰先輩。どうしたんですか?」
菊池恵美は私に向かって問いかける。
茶色の目がこっちを見ていた。
当時小学五年生だったエミの面影を確実に残して、エミがそこにいる。でも、私、エミの学ラン姿をまじまじと見れるとは思って無かったよ。
もう二度と会えないと思っていた。
それは幸か不幸か。
「逃走した君を探しに」
私は平静を装う。
エミがいつもどおりなので困った。後輩の菊池君とは思えない、私にとってはずっとエミはエミでしかなくって。
私は声が裏返らないように、慎重に発声した。
棚に近づく。エミは本棚の中身を全部出して、入れ直していた。何がため?
「あ、すみません。これ先輩のです」
そういってエミが私に紙袋を渡す。合唱コンのときにお礼を込めて、担任に渡すはずの色紙だった。
「ああ、ありがとう」
受け取って、私は思った。
――あれ、もしかして、気が付いてなくね?
千代田君が大げさに言うから。勘違いをしただけか。安堵。
私は気を取り直して尋ねる。
「それはそうと、君は何をしてたのかな。ここで」
本棚の中を整理しているように見えるんだけれど。
図書委員だったかな、エミは。
不自然で不気味な行動の意味が気になった。
「――ヒドリと一緒に読んだ本が……ここにあったんですけど、あれ、無いのかな」
気が付いてる。
いや、ですよね。
納得。そりゃヒント盛りだくさんだったもの、伏線回収されて当然の結果だ。
「ヒドリって長峰先輩ですよね」
エミが私のほう見てこういう。
身長が伸びて、髪もあの時よりは伸ばすようになった私。
成長する過程で色んなものを得る度に、色んなものを削ぎ落として、変わりすぎた私を。
昔の噓つき少女と、決別しようとした私を。
「四月のオリエンテーションの時は、確かにここにあったんですよあの絵本。そういえば、表紙にタローっぽいのが書いてあったような……って先輩?」
エミが見る。私なんかに気を回す必要なんか無いのに。
――そんな心配そうな目で私を見てこないでよ。
何で私のこと、こんなにまっすぐな目で見られるんだろうか。
「私のこと覚えてたんだ」
私は聞いた。
「裏切り者なのに?」
間髪いれずに疑問系で聞く。
君を裏切った張本人はこうやってのうのうと高校生活を満喫してるんだって。
笑って、見下してよ。
ねえ、ねえ、ねえ!
私は君の笑った顔を見ると、心が痛くなるんだ。
噓つきの代償が胸をえぐるんだ。
罪悪感がずるずると足を引っ張るんだもの。
帰れないのに、帰りたいと叫びたくなるのだもの。
私は私でないと思いたいくらい昔の自分が嫌いで、たまらないの。
本当はそれはエミが負うはずだった悲しみまで。私が背負ってるような気がして。
これはずるい思考かもしれないけれど、私は誰かを傷つけた分、誰かの傷まで背負うタチらしい。
だから、これ以上君が傷つくくらいなら私を、壊してほしい。
今ならそれは出来るはずで、私はもう十分だから。
十分だから。
「――俺も裏切ってますよ」
『俺も』そういって少年は私の手をとる。
温かい手が私の冷たい手に当たる。太陽みたいな熱を皮膚で感じた。
「嘘をつかせてしまって、ごめんなさい。咲のことが好きなんていわせてしまって、すみません」
謝るなんて、止めて。
私のほうがトゲが刺さるように痛い。
私が悪いのに。全部私が悪いのに。そんな偽りの謝罪なんか、私が傷つくだけだから。止めてよ。
エミの目が下に向く。近くで見るとエミの目は、まつげが長く、伸び上がっていた。
「俺は昔、いや今でも時々姉さんが怖いんです」
咲をスキだといっていたエミが、言った。嘘だって。君は、そんなことを思っていないんだ。
これは私のために言っているだけで、偽りで、夢で、覚めろ。覚めて。お願いだからもう終わりたい。
「家族だけどたまに嫌になることがあった。家族でこれなら、他人ならもっとだ。無理やり言わせた。俺が悪い」
もう全部、私が悪いって。そこまで声は続かない。
ゴメンナサイを言えない子供は継続していた。
何やってるんだろう私は。エミに無理やり言わせているのは私だ。
私は先輩なのに、年上なのに。友達なのに、エミが大好きなのに、こんなにもエミが可愛くてしょうがないのに、いじめているなんて。
いじめってどこからどこまで? 強要させてる時点でいじめだよ。
漢字で書けよ。虐め。または虐待。虐待と表記した方が罪で裁かれて、ひらがなだとむざい。
むざい。むごい。惨い。ほら、漢字のほうが、現実の表現が出来てるよ。やったね。もう自分は、自分で、何考えてるか分からないや。かわいそー。可哀相ー。
「ここには他人の言うことを鵜呑みにした馬鹿がいました。大事な友達のことを信じなかった馬鹿が。名前だけじゃなくて心まで女々しいヤローが」
エミが自分の胸に拳を二回ぶつけて言う。それはリーダーの言ったことを信じたエミのこと。じゃあ、大事な友達って私のこと?
私なんかが、大事な友達?
噓つきのくせに。散々騙したくせに。ただのあくなのに。ちがった、只の悪。
「それは違う」
「私は、君に本当に嘘をついた」
咲の上履きを隠した。私は立派な嘘のための、真実を告げた。
エミは。エミは。見透かしたような気がした。今、誰を見たの?
「――他人の言うことなんて高が知れてるんですよ」
わかりきったように言った。
「でも、親友の言うことは、ちゃんと思いが少なからずつまってる。先輩はそうだったんですよね」
ダメだよエミ。こんなダメ人間のことを信じちゃ。
「後、『エイミング』っていうのも所詮小学生のあだ名ですし、適当に考えただけですよね。まったく、昔の俺って考えすぎな上に卑屈な思考っていうか」
エミが軽く笑って吹き飛ばす。でも、悲しそうな目で。
「――でもやっぱり、本音で話して欲しかったですよ。馬鹿が」
罵倒。冗談じゃなくて、まっすぐな言葉。
芯のある、声。
変わったのに変わらない、言葉。
あの時私が大好きだった君の素直な感情。
ずっと見ていたかったものが、そこにあった。
「俺のこと、わかってるなら、すぐに名乗るとかしてくれればもう少し許せましたよ。おたんこなす」
最終的に悪口を言われた。
「馬鹿ヒドリ、って先輩の方見てヒドリって言うのってなんか違和感感じますね。やっぱり長峰先輩って言わせて下さい」
後輩はそこまで言って尋ねてきた。
「で、先輩。何か言うことありますか?」
馬鹿ヒドリ。そうだった。
私は馬鹿だ。素直になれないおおばかさん。
だから、言わないと。
エミが求めているものを、私がずっと言いたかったことを。
「――ごめんなさい。嘘ついて」
私は初めてエミに謝った。
やっと私は口からごめんなさいを吐き出せるようになった。息が出来る。
「ごめんね」
涙は出なかったけれど、笑うことは出来た。声が出る。
「ありがとう」
私のこと思ってくれてありがとう。
目頭は熱くないけれど、目じりのほうががひくついて、一緒に口の端が自然にあがった。
「ありがとう、」あのね、えーっとね。
急に名前を呼びたくなった。エミングはもうだめそうだし。
えみりっと。えみーばー、えみえみ。
えみりん……もうシンプルに行こう。一度口を閉じて、今度は声をつける。
「――恵美」
やっと名前を呼べたような気がした。
ごまかしていた自分と決別した。
さようなら。成長期前の私。
そしてこんにちは、まだ見ぬ私。
恵美は顔を赤くさせる。
「男なのに恵美っておかしいですよね」
おかしいか……その単語を噛み砕く。味は淡白だった。素直に観想を言おう。
「うん、おかしいよ」
きっぱり言ってやった。
しかし、ここでどんでん返し。
「でも、私の友達の名前は恵美だから」
私の記憶は変えられない。
確かにあの時私の心に住み着いたのはエミだったから。
他の誰でもない彼なのだから。
「ちなみに、名前を変えたら『絶交』『強制退部』『事実無根の罪を着せる』の三大保障付き」
「そんな保険、誰が入りますか?」
恵美がそういうと何故か笑い出した。
でも、もうその笑い声を聞いても心は痛くなかった。
恵美さん。優しすぎて困る。天使かもしれないな。天恵美。恵美天。えび天が食べたくなった。
「――じゃあ、タローさん探しをしましょうか」
気を取り直してこういった。始まりの言葉と若干かぶった。
「え、今それの最中ですか。でも、ここ異空間にしては空が」
窓の向こうの空はいつもどおり空高く日が照らしていた。
「あっと、今日は趣向を凝らしてるらしくて。そういう仕様なの」
言い忘れないうちに言っておこう。後、付け加え。
「いつもの追いかけっこでなく、かくれんぼなのよ。校内にいるタローさんを捕まえるだけの」
恵美はそれを聞き、納得する。
「それだと『探す』って言葉そのまんまですね。先輩」
確かにそう。でも、その分、面倒でもある。
「探す分、手間はかかるのよ」
いつもは結構短絡的作業で片が付くから。そういえばヒントを言っていたような。
「ヒントは、『んのの可愛さと愛らしさを考えればすぐわかる』だったような」
「河合さんとあいらさんって誰ですか」
ひどい聞き間違い。
しかも本気だったよう。深刻すぎる。きっと恵美には見つけられないように思う。
「とにかくタローさんの行きそうな場所を探しましょう」
私は恵美が棚から出した本をひとしきり収納するのを手伝った後、図書室からはなれた。
図書室前にはひとだかりが出来ていた。
「ここやっぱりいつものところじゃないんですね……人多すぎ」
「うん、ここでは能力も使えない。志乃美の紙飛行機も、居鳥のギターも使えない」
私の銃もただの水鉄砲。
人だかり。
そういえば千代田君は力が使えていたけれど、彼は今どこだろう。
いたらまたなんとかしてくれそうだけれど。
「抜けましょう」
恵美が人の間を縫って、ふきさらしの渡り廊下へ。
私は手すりに乗っかって、下を覗き込む、中庭にもタローさんらしき雪だるまは見当たらなかった。もしや今日は目立たない保護色を身にまとっているとか。単色白でなく、迷彩柄とか?
「いそうにないわ。恵美、一回降りてみない」
そう提案してみた。下の階のどこかにいるかも知れない。
「先輩、俺のこと恵美って人前で言わなくても」
恥ずかしそうにいう。え、そこ気にする? だって名前でしょ。
「せめて、えみおとか」
妥協案の質が悪い。
「それ一文字変えると『えむお』になるけれど、いいの?」
渋る顔。そうよね、それが通常判断。
「私のしゃべりに口を出すのなら、自分の方を考えたら? 恵美だって一人称は『私』じゃなかったっけ」
一人称は大切に。俺口調に浮気するな。
「元々俺がそう言い出したの、先輩が指摘したからですよ」
あれ、そうだっけ。
「絵本で神様が一人称を『私』に変えたから、皆に愛されるようになったんだって。言ったじゃないですか。それを強要したのは貴方です」
それはただ恵美に可愛く『わたしぃー』って言ってもらいたかっただけの言い訳なんだけど。
「忘れた。でも、『私』っていってほしい」可愛いから。
「とんでもないわがままだな!おい」
最大出力のつっこみ。そういうところが可愛くてしょうがないな、後輩君。
「大体『私』って一人称は女が使う。『俺』は男って決まってるんですから」
「それは日本だけよ、英語では全部Iで終わる」
「まあ、そうですけど」
言いくるめられた。ちょろいぜ。
「――ん?」
恵美が一瞬固まる。
何かが腑に落ちたような、そんな表情で。
「『俺』っていうのは男のもの?」
「今、恵美が言った」
本人がそんなことを言ってどうするの。
話が切り替わったようで、恵美はこんなことを言った。
「先輩。あの恵まれた神様は、タローのことですよね」
『恵まれた神様』は昨日私がタローさんが頼んだ絵本、まだ届かないけれど。
「たぶんね、あの茶色の塊はそっくりだもの」
記憶の中の表紙の化け物。
友達を失って、全てをなくした神様。
実は神様でないのかもしれない。
本当は人間で、普通の人間らしく、欲を持っていたのかも。
「タローさんは、ずっと探してほしかったのかもね」
私が言う。私がエミをずっと求めていたように、あの怪物もずっと何かを求めていたのかも。
何かって、どう表現すればいい?
何層にも重ねられた自分の、中に隠された真実っていうのは長すぎる。
もっと率直に言い表すと。自分の芯とか、本当の。
「――本当の自分をみつけてくれる人を」
あの怪物は本当に自分のことを分かってくれる人に、ただ『探して』と言いたかっただけなのかもしれない。
この発言が恵美の中の何かを動かしてしまったらしい。
恵美は、黙り込んで。
そして、ひらめいた。
「あーーーーーーーーーーー!」
いきなり大声を出されたので、驚く。
「え、な、何?」
何? ゲシュタルト崩壊か何か? 漢字書けなくなったの?
「そっか、そういうことだったんだ」
だから、何が?
恵美は私の言うことを聞かずに次々言い出した。
「くっそ……騙された。あの気持ち悪い容姿とかおっさん声とか一人称とか全部、全部がああ」
そんな目を潰された某親玉みたいな悲鳴を上げなくても。
いや、だから、何が。
「タローさんは化け物なんかじゃない」
ダウト。現実に目を向けられなくなったのか。
「いや、化け物だから。何言ってるの恵美?」
頭おかしいのかなこの子は。熱でもあるの?
「――先輩、走れ」
えっ。
恵美が私の手を引っ張る。廊下を手を引かれながら走る。
鼓動が響いて、体がもげそうだ。強く引っ張りすぎて、し、死ぬ!
「恵美、そんなに急いでどこに」
「三階!」
三階って私の教室に行くの? な、何のために。
中央階段にまで差し掛かると恵美は階段を下って、左手に曲がる。右手に私の教室。左は一組、志乃美と進藤の理系クラス。
でも、恵美は一組を通り過ぎて、生徒指導室の前を通っていく。
指導室を抜けると、美術部の絵画の展示があった。色鮮やかな絵が視界に入る。
木の絵。並木道の絵。春夏秋冬の絵が壁に掛けられていた。
桜のような色あざやかな物もあれば、田園風景のような風情のあるものもあった。よく見ると、絵の端に白い鳥が描かれている。白鳥かこうのとりか?
「こことかかな」
恵美が立ち止まる。走りつかれて、息が切れそう。
その先にあったのは、意外なものだった。え、ここ?
「――先輩、入ってきてくれませんか」
「――えっ」
な、何で、私をこんなところに連れてきたのかな、恵美さん。




