長峰更新6
――そこは、教職員用のトイレだった。
高校内で唯一生徒の使用を禁じ、また来客用とも掲示された紙が男女の二つのドアの両方に張られている。
恵美は、その二つのうち、『女子トイレ』を指して、私に入れと言った。
「なんで女子トイレに」
新手のセクハラだこれ。
「俺、男ですよ」
「いや恵美に入れとか言ってない。入る理由を聞いてるの」
ようやく分かり合えたはずの私達に亀裂が走りそうだった。私はトイレに入って何をするの? トイレットペーパーの交換はしないよ?
恵美は切迫した様子で言う。
「いるんですよそこに。タローが」
――はい?
私の口から気の抜けた声が出た。
タローさんが? タローさんって、トイレの神様……だったの?
「――タローは『女』だったんですよ」
え、タローさんが女の子? ガール? んなバカな。
私の動揺を気にせず、恵美は続ける。
「一人称の『俺』は、昔というか江戸以前くらいかな。その頃は男女関係なく使われていたって聞いたことあるし」
――女子。女子ねえ。
私の記憶の中のタローさんといえば、『んのー、んのーは可愛いんのー』と言いながら、床に平気で転がる。
時にはバケツや、本棚、進藤のギターケースの中、顧問の所有物の冷蔵庫の中、から出てくる二頭身の毛玉。
「――リアクション芸人みたいな」
考えてみると、タローさんって奇行しかしていない。
いやそもそも「神様って男の人じゃ」そういうと。
恵美は手を振った。窓から風が吹いた。髪がなびく。
「それは先入観ですよ先輩。『女神』って言葉あるくらいなんで、男の神も女の神もいるにはいるんだと思います」
そりゃそうだけれど。
「それに、あの化け物が趣向を凝らしたっていうのなら、俺たちができるのはあいつのミスリードを回収することだけです」
ミスリードになるのかなあ。不確か過ぎるような気もする。穴あきのセーター並みの歪さだ。私は率直に聞いてみた。
「そのミスリードが性別のことなの? そもそも性別ってあるのかな」
「さあ。少なくとも、試してみる価値はあると思いますよ」
恵美は何故か笑っていた。
よくこの状況下で笑えるなあと思った。
変な後輩、変な幼馴染。
「でも何で性別のためにトイレにこもるの」
「うちの高校は女子更衣室はあるけれど、男子は教室で着替えさせられるじゃないですか。男子更衣室は無い。だから、トイレくらいしか性別の選択が出来ない」
性別の選択。恵美の口からそういう言葉を聞けるとは思ってなかった。可愛らしい容姿のまま高校生になった彼がねえ。
私個人の意見としては、もし人に性別の選択が簡単に出来るとすれば、恵美は女の子だったら良かったのにね、なんて。はい、戯言でした。気をひきしめて次にいこー。
あ、でももう一つ尋ねておこう。
「――ちなみに、それが教職員用なのは」
「校内で一番キレイじゃないですか。教職員用って」
そりゃそうだけどさ。
このトイレは生徒立ち入り禁止にしてる分、先生方が自分たちで清掃してるから掃除が行き届いている。中に花とか飾ってあるのをちらっと見たことがある。
その上、生徒は使用禁止だからあまり汚れないし。
――でも、タローさん。前に床で転がってたよ。
みんながトイレ行った後の上履きで歩いた汚い床に。
「――お願いします先輩」
「気は進まないけど」
仕方が無い。腹をくくって、私はドアに手をかけた。
押す。開いた。
あ、ミスった。
――トイレのドアを開けると、女子生徒が立っていた。
一般人だ。こんなところで、何してるんだろう。ま、それは人の勝手だ。邪魔しただろうし、謝罪。
「あ、ごめんなさい」
そういってドアを閉めて恵美に文句を言おうとした。
が、その女子生徒はこういった。
私のほうを見てくすりと笑って、こう言った。
「――見つけてくれた」
それだけいって、駆け寄られた。
――抱きつかれた。花のにおいがした。
女子生徒は、そのショートカットの女の子はどう見たってうちの制服を着ており、ただの女子高生にしか見えない。
でも、その笑顔は今までみたことの無い、満開の花のような笑みだった。
オレンジ色の花が花びらを大きく広げて、咲いた。
「――人間、面白いね」
はしゃぐ彼女は私にそう言うと。にんまり笑顔で。
私から離れて、今度は恵美の方に腕を伸ばして、近寄る。
ぬそっと近づく。そのままハグの体勢だった。が、恵美がのけた。
「いや、俺は遠慮します」
目がゴミを見るような目だった。それは女子に向ける目じゃない。
「そっか、ふーん。お前はムッツリだと思ったのに……」
「ふざけるなよ。化け物が」
マジギレだ。恵美の怒り顔、意外に怖い。
女生徒は、色素の濃い黒髪のショートカット。なで肩で指定の紺のカーディガンを着ている。
目は恵美とそっくりな茶色で、きりっとしていて、眉は少し太め。どう見ても普通の女の子。やや気は強そうな。
女生徒は恵美に対して話す。すっと背を伸ばして、格好つけたような態度で微笑んだ。
「今は化け物じゃないんの……」
んの?
「あ……口が固まってる。この容姿で語尾にキャラ付けとか意味ないや」
タローさんの特徴が出ている。が、この人がタローさんなはずはない。
タローさん笑わないし、人間じゃないし、そもそもこんな美人じゃないし、こんなに胸もふくよかじゃないし、いや、結構見ると大きいし、カーディガン突き上げてるよね、あれ。
困惑しかないし、疑問は大量発生。
「ど、どうしてそんな姿に」
私が尋ねる。
「ぎじんか」
擬人化ってそういうことは言わない。
「うそうそ、こういう格好もしてみたかっただけ。にしても、二人も正解にたどりつくとは、人間恐れ入った。あっぱれ」
美人が笑ってそういった。
『二人』って、私は分かってなかったんですけれど。
恵美は不満げな顔をして言う。
「お前、今回はなんで、かくれんぼなんだ」
「『探して』って言って捕まえてくれると嬉しいなと、それに人間は私のオモチャだからな。遊んでみたかった」
至極単純な理由だった。タローさん、お茶目だ。
恵美は手でピースを作って聞く。
「――じゃあ、質問二つ目。お前は『恵まれた神様』か」
それは絵本のタイトルだ。タローさんは神様なのか。でも、美人はあいまいに答える。
「あの絵本は忠実に描かれているが、まあ、そういうことになるな」
恵美が質問攻めを始める。
「何で『タロー探し』を始めた。それにも理由はあるのか。後、なんで文芸部なのか」
それをタローさんは難なく答える。
「理由1は『楽しそうだから』2はあの真下に穴があるから」
穴って何?
タローさんは、そこでふと止まって、首をかしげた。
「――いや、そもそも私は神様ではないかもしれないぞ。意味も何も無い、只の座敷わらしの類なら、どうだ」
タローさんはにやりと笑う。軽い笑いではなく、重層の深い笑み。
普通の女子高生には出来ないような表情だった。
「お前がどんなものであっても、毛だるまの化け物だっていうことに変わりはない」
恵美は、タローさんを見ていた。
いつもの雪だるまのような姿を見ているときと同じ目で見ていた。
「それはそうだな、人間」
静かにうつむいたタローさんは、息を一息吐き出した。
そして、不思議な少女は高らかにこう宣言した。
「――さあ、人間。褒美をやるから、何でもいい。お前の欲を差し出せ」
タローさんは、手の平を天に向けて、前に突き出した。
「それは先輩と、俺。どっちだ」
「どちらでもない」
え、恵美でもないの?
「今回は正解者複数のため、最初に来たやつに褒美をやる」
そういってタローさんは、命令する。
「そんなところに隠れてないで、でてこい人間」
私の右隣から、木製のドアのこすれる音がした。
横のドアが開く。
――千代田君が申し訳なさそうに、男子トイレから顔を出した。
「――千代田ぁ?」
恵美が思いがけずに、呆ける。
「――うん……俺、ずっと居たんだけどな」
千代田君は顔をかいて、申し訳なさそうに言う。
恵美は「お前もこれが分かったのか」と言う。これってタローさんが女子ってことだ。
千代田君は「いいや」否定した。
「――今日のタローさん、校内放送使ったんだよ」
それがどう繋がるの。
「つまり、あの時間帯に『放送室』にいたんだ。そこからタローさんが移動するとすれば、そこから近場か、死角になるところを選ぶだろ。今回は廊下に一般生徒がうろついてる。さすがに茶色の化け物が廊下歩いてるのを見られたら、騒ぎになるだろ」
まさか、生徒に扮装してるとは思ってなかったけどな。と千代田君は付け加えした。
放送室は、トイレの横の職員室の一角にある。千代田君、さすが。
これにはタローさんも「その考え方は無かったんの。別ルートで、お前らの共通項で分かるようにもしておいたんだが」と言っている。また語尾が『んの』になってるし。
「じゃあ、お前がそこにいたのは」
「俺、男子だから」
女子トイレに入れなかったんだ……、納得。
タローさんは、千代田君を見て、言う。
「じゃあ、人間。お前の欲を出せ」
「欲って、あんたが前にくれたのは変な能力ですけど」
「過去のことは気にするな。ささっと言え」
何を話しているだろう。よく聞き取れないけれど、タローさんがいらついているのは分かる。
千代田君はひとしきり考えた。考えて、うなって、しかめっ面でうなり声を上げて、考え抜いた結果。
「――んじゃあ、メイド」と軽く言った。
――千代田君らしいような、らしくないような願望だった。
というか、メイドってどっかの橋に行けば会えるのに。客寄せとかで。
「メイドって、給仕係のことか」
「うん、メイドさんとデートしたい」
欲望に忠実な後輩の姿は、先輩には結構きつかった。
なにも目をらんらんと輝かせて、言わなくても。
「顔は?」
タローさんが聞く。顔、選べるんだ。
「美人系より、可愛い系」
千代田君なりの、かなりアバウトな指定だった。
「んの。分かった」
タローさんが天に手をかざす。
何も変わっていない。
――かと思うと、景色の一部が変化してた。あれ、その格好は。
「――なんで、俺がメイドじゃああああああああああ」
――恵美がメイド服を着ていた。
詳しくいうと、黒のワンピースの上に、エプロンと白いレースのついたカチューシャ。
スカートから覗く足には白いニーハイ……ってこれ、紐で引っ張られてる。
え、これなんていうの? 分からないけれど。に、にしても、かかかっか!
――可愛い! ナイスタロー!
恵美の白い肌が目の中に入ったような気分だ。堪能し放題、どうしよう、ここは夢の国以上の楽園。恵美の城か。
これは夢じゃない。やった恵美パーティーだ。可愛い女子といちゃつき放題って、恵美は女子じゃなかった!
でも、楽しい。頬が上がって、上がってしょうがない、いひひ。誰か助けて。
「んのは無から無機物は生成できるけど、人間や神のような思考の高い生き物を作ったりできない、連れてくるにも数分しか時間が持たない。なら、目の前の人間を、メイドにすればいい。んの頭いい」
「じゃあ、先輩にしろよ」
恵美が私を指差す。私は嫌です。見てるほうがいいね。
タローさんは私を一瞥してこういった。
「あれは可愛い系でなく、美人系。それくらいオモチャ共にも分かる」
「変な所常識ぶってんじゃねーぞ、怪物が」
タローさんは気にしない。
恵美は耳まで真っ赤にしていて、息が切れながらも、叫んだ。
「――ほれ、人間。好きにデートでも誘え」
「ハイスペック過ぎて引くわ。タローさん」
タローさんの無慈悲な言葉に、千代田君が珍しく引いていた。
「笑えないくらい似合ってるな。菊池」
千代田君は恵美のほうを向いて、そういった。褒めているらしい。
でも、千代田君、どうして青筋をたてているんだろう。こんなに可愛いのに。
「言うなボケが。お前のせいだよぼけが」
「ごめん」
千代田君がまともに謝っている。
赤い恵美と青い千代田君の対称的な組み合わせ。シュールだった。
「俺、ちょっと涙出てきた」
その目にはもう涙が出ていたんだけれど。
ごめんね、恵美。その愁いじみた表情は私にはご褒美です。う、私ってやっぱりクズだった。
恵美は千代田君に慰められている。
不思議な二人の世界に入っていた。
うーん、他人の不幸を喜んでいる私としては、今、恵美に話しかけるのは、いたたまれないので。
タローさんに話しかけることにする。
「タローさん、私の絵本は」
まだ来てない絵本について。郵送来ない。
「部室に置いておいた。でも、もう巣へ帰った。あれも今やツクモガミだから」
帰った? 自律歩行?
「私、読んでないんですけど」
「無理」とタローさんは言い放つが、少し黙って。
「サービスしてやる。今日は最終回だからんの」
私の腕に、何かの重みが乗った。
宙に浮いたそれを、うまく掴めた。絵本。
『恵まれた神様』がそこにあった。
私はいそいで、本を開いて、一番後ろに目を向ける。最後の結末、忘れた結末。
読んで、思いがけずに。
「――こんな終わり方?」
記憶の奥底にも残っていなかった、結末に私は、ただ。そういうだけで。
タローさんは「――ハッピーエンド。大団円」と言い、微笑する。
――背後の、多分中庭の方から、大きな音がした。
外が真っ暗になる。
昼なのに、月食の時のように暗く染まった外の風景に。
――大きな花火が打ちあがった。
「すげー」
千代田君がそういった。
花火は大量のお供を連れて、空に咲いていく。
色とりどりの花を紫と黒に埋まった空に閉じ込めていく。
「ありえねえ、昼なのに」
恵美が涙声で言う。
今の、タローさんがしたのかな。
振り返ると、そこにタローさんはいなかった。
どこからかタローさんではない、聞きなれた女生徒と男子生徒の声がした。
「――あれ、花火だよー」
少しなつかしい伸ばし棒だった。
「冬に花火って、アリかよ」
どこかの副部長の、気の抜けた声が耳に響く。
「ありじゃないのー」
――進藤と志乃美が渡り廊下の向こうから歩いてきた。
「あっちゃん。タローさん、見つかった?」
志乃美はいつもどおりの笑みで私に問いかけた。
「見つかった、そこの女子トイレにね」
「そっかー、『美しい鳥と田んぼ』までは分かったのに。残念」
そっかーって、それ全然答えじゃないと思うよ。志乃美。
「ってか、それ、菊池君? かわいいーね」
メイド服の恵美に気が付いた志乃美。花火の衝撃でせっかく忘れかけていた恵美ははっと気が付いて。しゃがんで、また小さくまるまった。
「今、こいつやっと復活したのに」
千代田君が志乃美に対して、皮肉めいたことを言う。恵美はまたしょんぼりに全力を尽くしていた。
「ふーん」
志乃美は悪気がさらさら無いので、平気そうだった。
「――タローさん、って何でタローさんって言うんだろうね」
志乃美がふとそういった。
いきなり意表をつくことを言われても。
そんなの、気にしたことはなかった。
「名って、意味はあるけど、表面的ではないからな」
進藤が分かったような口ぶりでそういった。
タローの名ねえ。
ななな。奈々? 名? 太郎さんだと男の人になるし。
可愛らしさねえ。名って読み替えると可愛くなるかなあ。
――そういえば『名』という漢字を分解すると、『タロ』になるけれど。
タロじゃ呼びにくい。
呼びやすく、『タローさん』
――まあ、かわいい。
――じゃあ、これにするわ!
子供の名づけって多分こういうテンションだよね。って。
「――んなわけないや」
まさかね。神様の名前がそんな簡単なわけ、ないか。
花火の音が止まった。
「じゃあ、終わったし、かえろー。あ、空が明るくなってきた」
「今、昼だしな」
「え、菊池をこの格好のまま、連れて行くんですか」
「もういやって……千代田、もうどうにかして」
「菊池が自暴自棄になってますけど」
「別にー」
「桜田、その言い方は止めろ」
「えー。何で? というか、着替えはどこにあるの」
「あれ、お前、服どこだよ菊池」
「タローに持っていかれたのかもな、もう俺、どうにもなれ」
「待て菊池、そっちは職員室だ。死に行くつもりか」
「ジャージ借りる」
「じゃあ俺が保健室で借りてきてやるから」「あ、じゃあ私もいってあげるー」「じゃあ、俺も桜田と」「そこは部長がいかないとね」「俺、この格好で一人は嫌ですよ」
そこで、私が提案する。
「――じゃあ、皆で行く?」
五人でうなづいた。五人で手をつなぐ、半分おふざけ、残りは知らない。勢いをつけて、同時に足を踏み込んだ。
「「「「「せーのっ」」」」」
――文芸部の12月25日はこうして幕を閉じたのでした。
続くのかな、これ。




