5.改心
犬になったとはいえ、元は人間だ。
ただ黙って家族が帰ってくるのを待っているのも詰らない。
香織はテーブルの上のリモコンに手を乗せてみた。
(リモコン位、押すだけなんだから簡単だよね)
ところが、リモコンのボタンを押すことが出来ない。
大きな肉球で、端にある電源ボタンを押すことは出来ても、チャンネルを変える事が出来ないのだ。
(今の時間なら、ドラマの再放送をやってるはずだよね)
とチャンネルを押し続けるが、たった一つのチャンネルを押す事が出来ない。出来ない事を頑張って挑戦し続けられるほど、気長な性格ではなかった。
香織は一声「ワン!」と吠えると、ソファーに横になった。
TVからは、全く興味を惹かない画像が流れている。
(人間なら簡単な事なのにぃ。もっとボタンを大きくして欲しいよね)
とはいえ、自分でリモコンを操作する犬がいるなど、どこのメーカーが想定するだろうか。
あまりのつまらなさに、新聞紙を銜えてちぎってみたり、スリッパを銜えて放り投げてみたり、ぬいぐるみに噛り付いてみたりと、ありとあらゆる事をしてみたが、やはり面白くないのだ。
(リュウは良く毎日一人で家に居たよなぁ)
思い浮かぶのは、自分が人間でリュウが犬だった時の事ばかりだ。
玄関で鍵の開く音が聞こえた。
(お母さんが帰ってきた!)
香織は嬉しくなり、玄関へと走って行く。
玄関の扉が開き入ってきたのは、残念ながら母ではなくリュウだった。
思わず尻尾が下がる。
「何だよお前、さっきまで尻尾振ってたのに、俺だってわかったら尻尾を下げちゃうわけ?」
(下げちゃうわけって……下がっちゃうんだもん)
「可愛くないよね」
(尻尾って、こうなってたんだぁ)
「お前さぁ、母さんが飼い主だと思ってるだろ」
(そんな事知らないよ。犬になったばかりだもの)
「本当は俺なんだよ。オ・レ」
(だったら、優しくしろよ!)
「何だよ、じっと見つめちゃって……散歩か?」
(え? 散歩! 行く、行く!)
「いやだよ、外は寒いんだから」
(散歩でしょ。あんたが言ったんだよ)
「どうせ、家の中で好き放題走り回ってたんだろ。いいじゃんそれで」
(走り回ってなんかいないよ)
リュウが居間に足を踏み入れると、大きく息を呑んだ。
そして、香織を見下ろすと
「誰がやったんだよ!」
と香織の遊んだ残骸を指差して叫んだのだ。
記憶が甦ってきた。
自分も同じように、リュウに叫んだのだ。それも、何度も何度も。
「誰がやったんだよ!」
リュウも同じように、香織の首輪をわしづかみにすると耳元で叫んだのだ。
(止めてよ! 『誰』って私しかいなかったんだから、分かってるくせに!)
「お前、母さんが帰ってきたら怒られるからなぁ」
そう言うと、台風が来る前に退散しようと呟きながら二階へ上がってしまった。しかし、香織は知っているのだ。母が帰ってきたところで、怒られることなど無いことを。
(お母さんは優しいから怒らないよぉ)
恨めしそうに二階を眺めていると、又しても玄関が開いた。
香織は嬉しそうに尻尾を振った。
思ったとおり、母は怒ることもせず優しく香織に話しかけた。
「一人で寂しかったのね、可哀想にね。リュウに散歩に連れて行ってもらおうね」
(えー、ヤダ!)
しかし、その声は聞こえるはずも無く、結局リュウが文句を言いながらも寒い戸外へと出て行くことになった。
犬になってつくづく思う事の一つに、散歩がこれほど嬉しいものだとは思わなかった。
たかが散歩だ。歩くだけじゃないかと人間の時は思っていた。
歩くだけなのに、何が楽しいのだろうと、リュウが嬉しそうに尻尾を振れば振るほど理解が出来なかった。
しかし、一日中家の中で外の空気を吸うことすらないのだ。刺激らしい刺激も無い生活。そうなると、散歩がどれほど嬉しいか、犬になって始めて分かるこの喜び。
だが、次に起こる事はわかりすぎるほど分かっているのだ。
公園まで行って帰ってくる。その間、マーキングもできなければ、近所の犬とご挨拶も出来ない。
(こんな散歩最悪だよ)
しかも、リードを引っ張られるから首が苦しい。
ゲホゲホと咳き込んでもお構いなしだ。
(私、人間だった時に酷い事してたんだなぁ)
(この夢から覚めて、人間に戻れたら、リュウを大事にしてあげよう)
香織は今まで自分がしてきた事を振り返りながら、神に祈るのだった。
(神様、もし元の人間に戻れたら、私は世界中の動物に優しくします。だから、お願いします。どうか、夢を終わらせてください)
両手を組んで祈るわけには行かないが、生まれて始めて心を込めて祈ってみた。自分が今までしてきた事の全てを償うつもりで祈ったのだった。
最後までお読みいただきありがとうございました。
作者の家にも中型犬がいますが、昼間は家の中に一人です。
こんな風に考えているのかもしれないと、書いてみて思いました。
さて、続きをお楽しみに。。。




