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4.犬の生活



 夢の割にはリアリティが高い。

 

 夢から覚めたいと思って、無理やり寝てみたが、次に目が覚めたのが深夜だった。深夜でもリュウは真面目に机に向かって勉強していた。


(私とは大違いだ……)


 次に目が覚めると、外が明るくなりだしていた。さすがに、リュウも寝ていた。あまりにも寒いので、布団の中に潜り込みリュウの足にくっついて暖を取ると、思いっきり蹴飛ばされた。仕方なく、足に触れない場所を選び小さくなって寝てみたが、大きな体を小さく折りたたんで、ベッドの端で眠るのは窮屈だった。


 次に目が覚めたのは、けたたましく目覚まし時計が鳴り響いた時だった。

 その目覚ましの音もいつもと同じ曲だ。これなら、どんなことがあっても目が覚めるだろうという事で、設定したのだが残念ながら起きたためしがない。

 結局、親に起こされるかリュウに起こされるかというのが現実だ。


(仕方が無い、起こすか……)


 人間の時は起きる事ができなかったのに、犬の今は見事に起きる事が出来るのだから不思議だ。

 リュウの枕元に行き、思案に暮れる。

 そこにある顔は……イケメン。

 そういえば以前、母と話していた事を思い出した。

 二人してリュウの顔を見て、リュウが人間だったらどんな顔だろうと話していたのだ。結論は「きっとイケメンに違いない」という事だった。

 そして今、その顔が目の前にあるのだ。それも「きっとイケメン」どころか「かなりのイケメン」なのだ。


(もろ好み!カッコいい!)


 しかし、犬である自分と人間であるリュウではどうにもならない。どうにもならないが、犬だからこそ、ここまで真近でお目に掛かれるというものだ。

 香織はじっとリュウの寝顔を見つめた。


(どうせ、夢だものね)


 夢の中なのだから、好きな事をさせてもらいましょうって事で、香織がリュウの顔に近づき、チュウと唇を突き出した。

 ところが、熱き口付けを! と思ったのに、実際はイケメン君の唇をべろべろと舐めまわしていた。

 犬に舐められて嬉しい人もいるだろうが、さすがに唇はごめんこうむりたい。

 リュウは、パッと目を開けると犬の香織を突き飛ばした。

 不安定な布団の上だけに、突き飛ばされれば大きな体でもベッドから転げ落ちる。

 心の中では(わぁ!)と叫んでいるはずなのに、実際に出る言葉は『キャン!』が関の山。

「何すんだよ!このバカ犬! 毎朝、殴られないと分からないのかよ!」

 そう言いながら、唇をごしごしと拭うのだ。


(えー、結構ショックよ。その行動って)


「お前はバイキンだらけだから、口はダメだって言ってるだろ! 本当に、何度言っても分からないんだから!」

 と言いながら、ゴンッと拳が脳天に食い込む。


(いったーい 痛いじゃない!)


 とは思うが、口から出るのは『ウー』くらいのものだ。


 そういえば、毎朝同じようにリュウに唇を舐められていた。

 まさかとは思うが、今自分が思ったことをリュウも思っていたのだろうか?


(まさかね…)


 慌しい朝が始まる。

 新聞を読みながらコーヒーを口にする父。

 食器を洗い、洗濯物を干し、ゴミを纏め一人で走り回っている母。

 勢い良く朝食を取り、ぎりぎりに思い出したようにお小遣いを要求するリュウ。

 会話らしい会話など無く、TVだけが朝のニュースを流し、今日の占いなどを流している。

 これが日常。

 雨が降ろうと、天気だろうと、雷だろうと何も変わらない日常なのだ。

 時々、必要な会話だけが交わされ、後は行ってきますという挨拶だけ。

 当たり前すぎる光景だ。

 香織はその光景をソファーに伏せたまま、組んだ両方の前足にあごをのせ、見るとはなしに見ていた。


(誰も私に声を掛けてもくれないんだ…)


 お母さんもエサを犬の皿に入れると、機械仕掛けのようにいつもの場所に置き、犬に声を掛けることなく次の作業へと進んでいく。


(リュウは毎日、この光景をどんな思いで見ていたんだろう)


 時間が来ると、一人又一人と玄関から出て行く。その時に発せられる言葉は『行ってきます』だ。母はその声に『いってらっしゃい』と返すが、やはり機械的に感じる。

 最後は母の番となり、犬の頭を撫で玄関から出て行く。

 これが、人間の朝なのだ。

 香織は誰もいなくなった家の中をゆっくりと歩き回った。

 二階へと階段を上り、リュウの部屋(元は自分の部屋)に入る。

 自分が人間だった頃と何も変っていない。女性物が男性物に変っているくらいなもので、家具の配置は何も変っていないのだ。

 香織は、机の前に置かれた椅子に手を掛けた。

 机と椅子の距離が、リュウのだらしない性格を物語っている。


(だらしないよねー。もっとちゃんとして欲しいわね!)


 香織が椅子に乗ろうと勢いを付けると、椅子がゆっくりと回る。

 回転させる気など無かったのだが、自然と回ってしまう。

 クビを机の方向に向けると、そこは嵐の後かと思うほど散らかっていた。


(汚いなぁ)


 とは思うものの、自分も同じ様なものだ。


(もしかして、この夢って……リュウが私? 私がリュウ?)


 汚い机を眺めながら、じっくりと考える。


(もし、この夢がずっと覚めなかったら……)


 ぼんやりと机の上を眺めているうちに、そんな想像が頭をもたげた。


(そんなはず無いよ。これは夢なんだしさ!)


 と、いくら振り払おうとしても、やたらと現実味がありすぎるのだ。


(どうしてこんな夢にはまってしまったんだろう)


 考えたところで意味が無いのは分かっているが、考えずにはいられない。

 椅子から下り、部屋の中を見て回る。見て回りながら、自分のしていることが可笑しくなってきた。

 それは、人間なら【見て回る】行動が、犬の今匂いをかいで回っているのだ。

 ひとつひとつの匂いを確かめ、視覚で確認するというよりは、匂いで記憶していっているような、変な感覚。


(これが犬?)


 天井を見上げれば、やたらと高い。

 まるで天井が降ってくるんじゃないかと、不安を感じる。

 別の部屋に行きたくても、どの部屋も扉が閉まっている。

 どの部屋が誰の部屋で、使用目的も分かっていれば、部屋の中に何が入っているかも分かっているのだが、やはり匂いを嗅いで安心したくてたまらない。

 しかし、扉を開けるにはノブを回さねばならないのだ。

 ノブを見上げながら、ため息をつく。

 一階へ下り、朝家族が朝食を食べていた部屋に戻る。

 ソファーに上がると、誰も居ない家の中で時間だけがゆっくりと流れて行く不安定さを感じる。

 窓に目を向ければ、庭に植えられた草花が風に揺れている。

 飽くことなく、眺め続けていると、隣のトラネコが庭を横切っていった。

 トラネコは、家の中の大きな犬にチラッと視線を投げたが、そのまま歩き去っていった。


(これがリュウの日常?)


(なんてつまらないの!)


(誰もいない家の中、TVをつけることも出来ない)


(朝食はドッグフードが少しだし、お昼は無いし。夕飯もドッグフードだよ)


(ケイタイだって無いし、友達と話も出来ない。したところで、ワンしか言えないけど)


(外に出たくても、窓も開けられないしドアも開けられない)


(せめて昼寝位……だよね。それくらいしかやる事が無いんだ)

 

 あれ程、犬だったらと思ってきたのに、実際犬になってみれば何とつまらない事だろう。

 好きな様に走り回れる訳でもなく、家の中を歩き回ったところでたった一人だ。

 食べる物といえば、ほんの少しのドッグフード。それも毎食同じと来ている。

 好きなだけ寝ていられるが、逆に言えば寝るしかないのだ。

 一番閉口するのが、ノミの奴らだ。

 確かにノミ取りの薬は点けていたし、2週間毎にお風呂にも入れていた。

 ということは、今犬となった自分も同じように薬を点けて貰っている筈だ。それなのに、痒いのだ。時々、どうにもならないほど痒くてたまらなくなる。

 特に首輪のあたりが痒くてたまらない。

 寒いだろうからと洋服を着させてくれているが、この洋服が曲者だ。

 掻きたくても、洋服が邪魔をして掻きづらいのだ。

 

 これが犬の気分。

 

 香織は大きくため息をつくと、両方の前足を交差しあごを乗せた。


(これが一番楽な格好だったわけね)


 時計がお昼を知らせた。


(お昼になったって、何も関係ないんだ……)


 虚しさとやり切れなさが、大きくのしかかってきた。



最後までお読みいただきございました。


次回をお楽しみに。。。





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