ひとつ多い骨
祖母の骨壺には、子どもの骨がひとつ混じっていた。
それに最初に気づいたのは、火葬場の職員だった。
祖母が亡くなったのは、二月の終わりだった。
八十九歳だった。
正月を過ぎた頃から食事が細くなり、二週間ほど入院したあと、眠るように息を引き取った。
通夜にも葬式にも大勢の親戚が集まった。
祖母は六人きょうだいの長女で、子どもが三人、孫が七人いる。遠方に住んでいる者も多かったが、最後だからと、ほとんど全員が帰ってきた。
俺もその一人だった。
祖母とは、ここ数年ほとんど会っていなかった。
仕事が忙しい。
実家まで遠い。
会いに行っても話すことがない。
理由はいくらでもあった。
棺の中の祖母は、俺の記憶よりもずっと小さかった。
白い布団に包まれ、胸の上で両手を重ねている。顔には薄く化粧がされていた。頬のしわも、口元の歪みもきれいに整えられ、まるで知らない老人のように見えた。
火葬場は、町の外れにあった。
山の裾に建つ、灰色の平たい建物だった。
入口に入った瞬間、暖房の乾いた空気と、線香と、何かが焦げたような匂いが混ざって鼻に入った。
棺が炉の中へ入る時、母は泣いた。
叔父も、叔母も泣いていた。
俺は泣けなかった。
悲しくないわけではない。
ただ、目の前のことが現実としてうまく入ってこなかった。
炉の扉が閉まる。
厚い金属の扉だった。
職員が深く頭を下げた。
「約一時間半ほどお待ちいただきます」
俺たちは待合室へ移った。
紙コップの茶を飲み、親戚同士で昔話をした。
祖母が若い頃は厳しかったとか、米を一粒でも残すと叱られたとか、庭の柿を勝手に取ると竹箒で追いかけられたとか。
死んだ人間の話をする時、生きている者はよく笑う。
笑わなければ、何を話せばいいのか分からないからだと思う。
一時間半後、係の職員が呼びに来た。
骨上げの部屋には、大きな金属の台があった。
その上に、焼かれた祖母の骨が並べられている。
白いもの。
灰色のもの。
ところどころ黒く焦げたもの。
さっきまで人間だったものが、形の違う白い欠片になっている。
職員は慣れた声で説明した。
「こちらが足の方になります。順番に下からお骨壺へ納めていただき、最後に喉仏を入れます」
親戚が二人一組になり、長い箸で骨を拾っていく。
俺は従兄の健司と組んだ。
足の骨。
腕の骨。
肋骨。
どれがどれなのか、説明されなければ分からなかった。
母と叔母が骨を拾っていた時だった。
職員が急に手を上げた。
「少々お待ちください」
全員の動きが止まった。
職員は金属の台の端を見ていた。
そこに、小さな白い骨があった。
他の骨とは明らかに違った。
細く、短い。
小指の先ほどしかない。
職員は竹箸でそれをそっと転がした。
表情が変わった。
「こちらは……」
言葉を切る。
年配の叔父が聞いた。
「どうしました?」
職員はすぐには答えなかった。
もう一度、骨を確認するように見た。
「大変失礼ですが、副葬品として、動物の骨などを棺へ入れられましたか」
「入れてませんよ」
母が答えた。
「花と、服と、祖母が使っていた数珠だけです」
「そうですか」
職員は困った顔をした。
「では、こちらは混入した可能性がありますので、確認いたします」
「混入?」
「別のお骨が混ざることは、通常ありません。ただ……」
そこで職員は声を落とした。
「成人の方の骨ではないように見えます」
部屋の空気が変わった。
叔母が小さく言った。
「じゃあ、何の骨なんですか」
職員は答えにくそうにした。
「お子さんの指の骨に似ています」
誰も何も言わなかった。
聞き間違いだと思った。
だが、職員の顔は真剣だった。
金属の台の上にある、小さな白い骨。
祖母の骨よりも白く、表面が滑らかだった。
その時、一番後ろにいた千代伯母が声を上げた。
「それは拾わないで」
祖母の一番下の妹だった。
八十を過ぎているが、足腰はまだしっかりしている。通夜の間もほとんど泣かず、静かに参列者へ頭を下げていた。
その千代伯母が、青い顔で骨を見ていた。
「伯母さん?」
母が近づこうとすると、千代伯母はもう一度言った。
「それは入れたらだめ」
職員が尋ねた。
「何かご存じですか」
「知りません」
「でも今――」
「知りません。でも、それは姉さんの骨じゃない」
千代伯母の声は震えていた。
「端へよけてください」
職員は少し迷ったあと、小さな骨を金属の皿へ移した。
骨上げは再開された。
しかし、それまでのように昔話をしたり、祖母の骨の形を話したりする者はいなかった。
全員が、台の端に置かれた小さな骨を気にしていた。
最後に喉仏を納め、骨壺へ蓋をする。
職員が白い布で包み、木箱へ入れた。
作業が終わる頃、別の職員が部屋へ入ってきた。
「先ほどのお骨ですが、確認を――」
金属の皿を見て、言葉を止めた。
皿の上は空だった。
小さな骨がない。
最初の職員が眉をひそめた。
「こちらへ置いたはずですが」
台の周りを探した。
床。
灰の中。
骨壺の周辺。
どこにもなかった。
「骨壺に入ったんじゃないですか」
叔父が言った。
「いえ、入れてはいません」
「小さいから、誰かの箸について落ちたとか」
「その可能性もありますが……」
職員は納得していない様子だった。
千代伯母だけが、白い布に包まれた骨壺をじっと見ていた。
帰りの車では、俺が骨壺を抱えていた。
母は疲れきっており、助手席で目を閉じていた。運転は叔父がしていた。
骨壺は、想像していたより重かった。
木箱の角が膝に当たる。
車が曲がるたび、中で骨が小さく動く音がした。
から。
から。
乾いた音。
祖母の骨が揺れている。
そう思うと、少し嫌な感じがした。
国道へ出た頃だった。
箱の中で、もう一度音がした。
から。
次に、
かり。
と鳴った。
陶器の内側を、爪で引っかいたような音だった。
俺は箱を持ち直した。
気のせいだと思った。
だが、数秒後。
かり。
また聞こえた。
「どうしたの」
母が目を開けた。
「いや、何でもない」
俺はそう答えた。
骨壺の中から音がするとは言えなかった。
実家へ戻ると、骨壺は仏間の祭壇へ置かれた。
四十九日までは、そこに置いて供養する。
祭壇には祖母の遺影、位牌、線香立て、花、果物が並んでいた。いつも祖母が座っていた場所に、祖母の写真が置かれている。
親戚の多くは夕方までに帰った。
残ったのは母、叔父夫婦、俺、従兄の健司、それから千代伯母だった。
千代伯母は、骨壺を見たまま、ほとんど喋らなかった。
夕食の後、俺は思い切って聞いた。
「伯母さん、あの骨のこと知ってるんでしょう」
千代伯母の箸が止まった。
母が俺を睨んだ。
「やめなさい。こんな日に」
「でも、骨を入れるなって言ったじゃないか」
千代伯母はしばらく黙っていた。
そして、母へ向かって言った。
「姉さん、あの袋をまだ持ってたのかね」
「あの袋?」
「着物の内側に、縫いつけてた小さい袋」
母は首を振った。
「知りません」
「病院で着替えさせた時も?」
「そんなもの、なかったと思います」
千代伯母は小さく息を吐いた。
「なら違うかもしれない」
「何の話ですか」
叔父が聞いた。
千代伯母はすぐには答えなかった。
「昔の話だよ」
「昔って?」
「姉さんが九つ、私が五つの時」
その年、村で流行り病があったという。
高熱を出し、何人も子どもが死んだ。
祖母と千代伯母には、当時三歳の弟がいた。
名前は、正一。
正一も病気になった。
三日ほど高い熱を出し、そのまま亡くなった。
感染を恐れられ、葬式らしい葬式も行われなかった。村外れの焼き場へ運ばれ、親族もほとんど立ち会えなかった。
祖母だけが、父親に連れられて骨を拾いに行った。
「でも、姉さんは骨を拾わなかった」
千代伯母は言った。
「焼き場に入ったら、炉の奥から正一の泣く声がしたって。まだ熱い中で、姉ちゃん、姉ちゃんって」
誰も箸を動かしていなかった。
「大人は気のせいだと言った。でも姉さんは逃げた。骨を一つも拾わずに、家まで走って帰った」
「その弟の骨が、今日の骨だって言うの?」
母の声には、少し苛立ちが混じっていた。
「八十年前ですよ」
「分かってるよ」
「それに、どうして祖母の火葬に混ざるんです」
「分からない」
千代伯母は骨壺を見た。
「ただ、その翌朝、姉さんの布団の中に、小さな骨が一本あった」
俺は息を止めた。
「父さんが川へ捨てた。でも、次の朝には戻ってた。今度は姉さんの着物の袂に入ってた」
「それが、袋の話?」
「母さんが小さな袋へ入れて、縫いつけたんだよ。正一が姉さんから離れないなら、持たせておこうって」
母は首を横に振った。
「そんな袋、見たことありません」
「姉さんも、ずっと持ってたわけじゃない。大人になってから、どこかへ捨てたと言ってた」
「じゃあ今日の骨とは関係ないでしょう」
「そうだね」
千代伯母はそう言った。
けれど、その顔はそう思っていなかった。
「ただ、あの骨と同じ形だった」
「覚えてるんですか」
「忘れるものか」
千代伯母の声は低かった。
「正一は、右手の小指が一本なかったから」
その夜、俺と健司が線香番をすることになった。
線香の火を絶やさないよう、交代で仏間に残る。
母たちは隣の部屋で眠った。
健司は酒を飲んでいたこともあり、午前一時を過ぎる前に壁へもたれて眠ってしまった。
俺は一人で線香の煙を見ていた。
細い煙が、天井へまっすぐ上がっている。
家の中は静かだった。
冷蔵庫の音。
遠くを走る車。
健司の寝息。
祭壇の上に、白い布で包まれた骨壺がある。
さっき聞いた話が頭から離れなかった。
三歳の正一。
焼き場の炉の中から、姉を呼んだ子ども。
そんなことがあるはずはない。
八十年前の子どもの骨が、今日の火葬に混ざるはずがない。
俺は線香を一本足した。
その時。
骨壺の中で音がした。
から。
俺は顔を上げた。
もう一度。
から。
乾いた骨が、陶器に当たる音。
車の振動はない。
誰も触っていない。
骨壺は動いていない。
かり。
爪で引っかくような音がした。
俺は健司を起こそうとした。
肩へ手を伸ばした時、仏間の入口に誰かが立っているのが見えた。
小さな子どもだった。
白い半袖のシャツ。
黒っぽい短いズボン。
裸足だった。
廊下の暗がりに立ち、こちらを見ている。
顔は影に隠れて見えなかった。
親戚の子どもは、もう全員帰っている。
この家に幼い子はいない。
「……誰?」
声が出た。
子どもは答えなかった。
ゆっくり右手を上げた。
その手を見て、胸の奥が冷たくなった。
小指がなかった。
根元からではない。
第一関節の先が、途中で欠けている。
火葬場で見た、あの小さな骨と同じくらい。
子どもは右手を祭壇へ向けた。
骨壺の中で、音がした。
かり。
かり。
子どもは、こちらへ来ようとはしなかった。
ただ、骨壺を指さしている。
俺は健司の肩を強く揺すった。
「起きろ」
健司は目を開けた。
「何だよ」
「そこ」
入口を見る。
子どもはいなかった。
でも、廊下の床に白いものが残っていた。
足跡だった。
灰でつけたような、小さな裸足の跡。
仏間の入口から祭壇へ向かって続いている。
骨壺の前で止まっていた。
健司は酔いが覚めたような顔をした。
「何だ、これ」
俺は答えられなかった。
その直後、骨壺の蓋がわずかに動いた。
かた。
ほんの少し。
内側から押し上げられたように見えた。
俺たちは母たちを起こした。
千代伯母は足跡を見ても驚かなかった。
ただ、祭壇の前に座り、しばらく骨壺を見つめていた。
「入ってしまったんだね」
誰も否定できなかった。
叔父が骨壺を開けようとした。
母が止めた。
「やめて。お母さんの骨よ」
「でも、子どもの骨が混ざってるなら」
「だからって、今ここで開けるの?」
言い争いになった。
千代伯母は静かに言った。
「朝になったら、お寺へ持っていこう」
それで話は決まった。
俺たちは仏間の明かりをつけたまま、朝を待った。
その間、骨壺から音はしなかった。
小さな足跡も、いつの間にか薄くなり、朝にはほとんど見えなくなっていた。
寺の住職は、最初、骨壺を開けることを嫌がった。
だが事情を聞き、千代伯母が強く頼むと、本堂の裏にある小部屋で確認してくれることになった。
白い布を外し、木箱から骨壺を出す。
住職が蓋を取った。
祖母の骨の一番上に、小さな白い骨があった。
火葬場で見たものと同じだった。
祖母の骨よりも白く、細い。
子どもの指の先。
住職はしばらくそれを見ていた。
「これを、どうされたいですか」
母は答えられなかった。
千代伯母が言った。
「姉さんとは、別にしてください」
「お墓へは?」
「入れません」
住職は細い竹箸で、小さな骨を取り出した。
白い紙へ包み、小さな木箱へ入れた。
その瞬間、本堂の奥で鈴が鳴った。
ちりん。
風はなかった。
誰も鈴には触れていない。
住職の手が止まった。
だが、何も言わずに箱の蓋を閉めた。
「こちらで預かります」
千代伯母は深く頭を下げた。
帰り際、俺は住職に聞いた。
「あの骨は、どうするんですか」
「無縁のお骨として供養します」
「これで終わりますか」
住職は俺を見た。
「終わるかどうかを決めるのは、こちらではありません」
分かりにくい答えだった。
ただ、その時の住職の顔が、ひどく疲れていたのを覚えている。
祖母の納骨は、予定通り四十九日に行われた。
それまで、実家では何も起こらなかった。
骨壺から音がすることもない。
灰の足跡が残ることもない。
小さな子どもを見る者もいなかった。
千代伯母は、
「今度こそ、姉さんは一人で行けた」
と言った。
俺も、そう思うことにした。
それから五年が経った。
千代伯母が亡くなった。
自宅で眠るように亡くなったという。
九十近い年齢だったため、誰も驚かなかった。
俺は再び実家へ帰り、通夜と葬式に出た。
あの火葬場だった。
同じ灰色の建物。
同じ乾いた暖房。
同じ線香と焦げた匂い。
骨上げの部屋へ案内された時、五年前のことを思い出した。
だが、今回は大丈夫だと思った。
あの骨は寺へ預けた。
住職が供養した。
祖母の時とは違う。
金属の台に、千代伯母の骨が並べられた。
職員が説明を始める。
足から順に骨を拾っていく。
親戚たちは静かだった。
俺も竹箸を持った。
その時、職員の顔が強ばった。
「少々、お待ちください」
五年前と同じ言葉だった。
俺は台の端を見た。
小さな白い骨があった。
子どもの指の骨。
表面の形も、大きさも、あの時と同じだった。
ただし、今回は一つではなかった。
二つあった。
並ぶように置かれている。
職員は困惑していた。
「こちらは、故人のお骨ではないと思われます」
親戚がざわつく。
俺は声が出なかった。
金属の台の向こう側に、小さな男の子が立っていた。
白い半袖。
黒っぽい短いズボン。
裸足。
五年前に見た子どもだった。
右手の小指が欠けている。
その子の隣に、もう一人いた。
もっと小さな子どもだった。
顔は見えない。
左手の人差し指が、途中からなかった。
二人は並んで、台の上の骨を見ていた。
俺以外の誰も、子どもたちに気づいていない。
職員が金属の皿を持ってきた。
小さな骨を二つ、そこへ移そうとする。
その瞬間、右手の小指がない子どもが、初めて俺を見た。
顔は白く、目の周りだけが黒かった。
口がゆっくり動いた。
声は聞こえなかった。
でも、何と言ったのかは分かった。
まだ、足りない。
俺は竹箸を床へ落とした。
乾いた音が、骨上げの部屋に響いた。
それから三年後、父が亡くなった。
火葬場で見つかった小さな骨は、三つだった。




