夕食後
夕食後。
食器を片付け終えた母が、温かいお茶を淹れている。
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リビングには静かな時間が流れていた。
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テレビではニュースが流れている。
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香葉はソファに座りながらスマホを眺めていた。
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明日の時間割。
提出物。
クラスLINE。
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特に何を見るでもない。
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その時だった。
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「香葉。」
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母が声を掛ける。
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「ん?」
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「明日、午前授業でしょ?」
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「うん。」
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期末試験前。
面談期間。
そんな関係で午前中だけの日だった。
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母はマグカップをテーブルへ置く。
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「午後から先生に診てもらったら?」
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香葉の指が止まる。
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やっぱりその話か。
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今日だけで何回目だろう。
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「大丈夫だよ。」
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自然と口から出る。
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母は何も言わない。
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香葉は続けた。
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「もうすぐ検査だし。」
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「うん。」
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「最近暑いからさ。」
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窓の外を見る。
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六月。
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まだ梅雨なのに蒸し暑い。
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「ちょっと体がついていかないだけ」
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笑ってみせる。
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母はしばらく香葉の顔を見ていた。
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まるで。
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本当にそう思っているのか確認するように。
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「ならいいけど……。」
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小さな返事。
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でも。
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母は納得していない。
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香葉には分かった。
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昔からそうだった。
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母は心配な時ほど強く言わない。
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むしろ静かになる。
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だから余計に分かる。
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「本当に大丈夫だって。」
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香葉は笑う。
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「夏バテ予備軍みたいなもの。」
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「六月なのに?」
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「最近の六月はもう夏だから。」
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母が少しだけ笑う。
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「確かに。」
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「でしょ。」
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そのまま話は別の方向へ流れていった。
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父の帰国予定。
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会社の話。
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近所のパン屋の話。
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いつもの会話。
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いつもの夜。
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だけど。
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母が台所へ立った後。
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香葉は一人になる。
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ソファにもたれる。
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そして。
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ふと天井を見上げた。
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大丈夫。
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口に出してみる。
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大丈夫。
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もう一度。
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検査まであと少し。
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先生も去年、
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『特に大きな変化はないですね。』
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そう言っていた。
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だから大丈夫。
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きっと。
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そう思いたい。
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そう信じたい。
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だけど。
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屋上での立ちくらみ。
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机で眠るように意識を失ったこと。
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母の心配そうな顔。
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全部が頭の片隅に残っていた。
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窓の外では夜風が木々を揺らしている。
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六月の夜。
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高校最後の夏が近付いていた。
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そして香葉はまだ知らない。
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この夏が、
これまでの人生で一番忘れられない季節になることを。




