ベッド
……カチ。
……カチ。
……カチ。
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規則正しい音が聞こえる。
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香葉はゆっくり目を開けた。
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見慣れた天井。
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自分の部屋。
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ベッド。
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「あれ……。」
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身体を起こそうとして、
少しだけ頭が重いことに気付く。
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夕方だったはずなのに。
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窓の外はすっかり暗くなっていた。
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「え……?」
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その時。
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「起きた?」
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母の声。
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香葉は視線を向ける。
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机の横。
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母が椅子に座っていた。
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手には編み針。
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そして。
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香葉が途中まで編んでいたレース。
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「……」
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香葉は顔をしかめる。
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「お母さん……。」
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「ん?」
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「それ私が編んでたやつ……。」
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母は手を止めた。
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そして笑う。
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「知ってる」
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「勝手に進めないでよ……。」
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「途中までしかやってないわよ。」
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よく見ると確かに数段しか進んでいない。
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母なりの暇つぶしだったらしい。
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香葉は少し安心した。
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その時。
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ふと気付く。
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「今何時?」
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「19時過ぎ。」
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「え?」
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香葉が固まる。
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「そんなに寝てた?」
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母は少しだけ表情を曇らせた。
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「寝てたというか……。」
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言葉を選ぶように続ける。
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「あなた机に突っ伏してたのよ。」
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香葉は黙る。
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「呼んでも返事なくて。」
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「……。」
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「びっくりした。」
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母は穏やかに話している。
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でも。
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その穏やかさが逆に心配を隠しているのが分かった。
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「お母さん。」
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「なに?」
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「大丈夫だよ。」
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香葉は笑う。
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「久しぶりに編み物なんてしたから疲れたのかも」
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本気でそう思っていた。
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レースを編んだのなんて何ヶ月ぶりだろう。
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集中していたし。
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疲れていたし。
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それだけだ。
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きっと。
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でも。
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母はすぐには笑わなかった。
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レースを膝に置く。
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そして。
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「最近疲れてたんじゃないの……。」
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静かな声。
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「大丈夫……?」
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香葉は視線を逸らした。
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その言葉が一番困る。
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だって。
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自分でも分からないから。
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本当に大丈夫なのか。
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ただ疲れているだけなのか。
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検査が必要な状態なのか。
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考えたくない。
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考えれば考えるほど不安になる。
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「大丈夫。」
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またその言葉。
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自分でも何度目か分からない。
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母は小さくため息をつく。
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「香葉。」
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「ん?」
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「無理してない?」
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香葉は返事ができなかった。
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無理しているつもりはない。
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でも。
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屋上での立ちくらみ。
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昨日の欠席。
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今日のこと。
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思い返すと少しだけ自信がなくなる。
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部屋の中が静かになる。
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その沈黙を破ったのは母だった。
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「とりあえず。」
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母は笑った。
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「ご飯食べましょ。」
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「お腹空いた。」
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香葉は思わず笑う。
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「私も。」
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「それならまだ大丈夫」
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母の冗談。
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香葉も少し笑った。
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だけど。
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ベッドから立ち上がる時。
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胸の奥に小さな不安が残っていた。
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来月の検査。
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その日が少しだけ近付いた気がした。




