帰宅
夕方。
香葉は家の玄関を開けた。
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「ただいま。」
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返事はない。
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分かっていた。
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母はまだ仕事だ。
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父は中国。
母は東京。
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二人とも忙しい。
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物心ついた頃からそうだった。
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だから。
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誰もいない家には慣れている。
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靴を脱ぐ。
リビングへ向かう。
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静かだった。
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時計の音だけが聞こえる。
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窓から差し込む夕日。
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広いリビング。
大きなダイニングテーブル。
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一般家庭より少し広い。
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浜中家。
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浜中株式会社創業家。
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父は現在、中国支店長。
中国工場全体の責任者。
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母は東京支社。
国内事業を任されている。
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子供の頃はよく分からなかった。
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ただ。
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父も母も忙しかった。
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運動会。
授業参観。
発表会。
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来てくれる時もある。
来られない時もある。
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でも。
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二人とも仕事を誇りにしていることだけは知っていた。
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香葉はソファへ腰を下ろした。
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疲れた。
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身体が重い。
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屋上での立ちくらみを思い出す。
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「何だったんだろ。」
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小さく呟く。
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夏バテ。
寝不足。
疲労。
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そういうことにしておきたい。
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スマホを取り出す。
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通知。
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クラスLINE。
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未読48件。
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閉じる。
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さらに別の通知。
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母から。
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母
今日は少し帰り遅くなります。
ご飯は冷蔵庫にあります
無理しないでね。
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香葉は少しだけ笑った。
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無理しないで。
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最近よく言われる。
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母にも。
友達にも。
古畑にも。
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古畑。
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ふと屋上を思い出す。
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『それ楽しい?』
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『めちゃくちゃ。』
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迷いのない返事。
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香葉はクッションを抱えた。
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「いいな。」
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誰もいない部屋。
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だから口にできた。
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亮みたいに。
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何かを好きだと言えること。
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何かに夢中になれること。
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自分にもあったはずなのに。
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昔は。
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香葉は立ち上がる。
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二階の自室へ向かう。
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机の引き出しを開ける。
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奥。
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クリアファイル。
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中には高校一年生の頃に描いたデザイン画が入っていた。
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ワンピース。
ジャケット。
コート。
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色鉛筆で描かれた服たち。
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「懐かしい。」
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最後に描いたのはいつだろう。
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香葉は一枚を取り出す。
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窓の外。
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夕焼けが空を染めている。
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静かな家。
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誰もいない時間。
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だけど。
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今日は少しだけ。
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寂しいよりも。
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何かを始めたい気持ちの方が大きかった。
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六月の夕暮れ。
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高校最後の夏が、
少しずつ近付いていた。




