ベンチ
屋上。
六月の風が静かに吹いている。
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香葉はベンチに座ったまま空を見ていた。
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隣には古畑亮。
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いつの間にか会話もなくなっていた。
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でも。
不思議と気まずくはない。
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亮はスマホを見ている。
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動画。
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ダンスの映像らしい。
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数秒見て。
停止。
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立ち上がる。
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身体を動かす。
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また動画を見る。
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もう一度動く。
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そして。
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「違うな。」
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小さく呟く。
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香葉は思わず笑いそうになった。
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誰に聞かせるでもなく。
誰に見せるでもなく。
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完全に自分の世界だった。
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別に香葉へ見せようとしている訳でもない。
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「見て見て。」
とも言わない。
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ただ。
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好きだからやっている。
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それだけだった。
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香葉はぼんやり眺める。
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数分前まで病院のことを考えていた。
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検査入院。
夏。
結果。
進路。
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考えても答えなんて出ないことばかり。
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なのに。
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目の前の古畑は違った。
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好きなものがある。
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夢中になれるものがある。
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それを当たり前みたいに追いかけている。
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「すごいな。」
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思わず口から漏れた。
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「ん?」
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亮が振り向く。
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「何が。」
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「別に。」
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香葉は首を振る。
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亮は深く追及しない。
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また動画へ視線を戻す。
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香葉はそんな背中を見ながら考える。
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自分にもあるだろうか。
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こんなふうに。
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時間を忘れて。
周りを忘れて。
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夢中になれるもの。
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昔はあった気がする。
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絵を描くこと。
服のデザインを考えること。
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ノートの端に何度も描いたスケッチ。
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新しい服を見つけた時のわくわく。
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でも。
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いつからだろう。
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「どうせ無理かも。」
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そう考えることが増えたのは。
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病院。
検査。
将来。
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いろんなことを考えるうちに。
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好きなことより。
不安の方が大きくなっていた。
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風が吹く。
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亮の前髪が揺れる。
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相変わらず真剣な顔。
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香葉は少しだけ笑った。
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「古畑。」
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「ん?」
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「それ楽しい?」
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亮は一瞬きょとんとした。
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そして。
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「めちゃくちゃ。」
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即答だった。
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迷いもなく。
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当たり前みたいに。
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香葉は思わず目を細める。
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そういうところだ。
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羨ましいのは。
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何かを好きだと胸を張れるところ。
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何かに本気になれるところ。
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亮は再び動画を再生する。
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香葉は空を見上げた。
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夕方の空。
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少しずつ色が変わり始めている。
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その時。
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ふと思った。
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もしかしたら。
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まだ間に合うのかもしれない。
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好きなことを好きだと言うのも。
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夢中になるのも。
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将来を考えるのも。
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全部。
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高校三年生の六月。
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風に吹かれながら。
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香葉は少しだけ前を向き始めていた。




