第89話:音速の晩餐、あるいは宇宙の常識
私は溜息をつきながら、バロに差し出された
ビーフの機内食を口に運んだ。
意外にも本格的な味に驚いていると、
通信ウィンドウに真砂さんの顔が飛び込んできた。
『……麗さん?
画面越しに咀嚼音が聞こえるのですが、
まさか今、何か食べているんですか!?』
真砂さんの驚愕の声が、コクピットに響く。
私はステーキを飲み込み、気まずそうに答えた。
「……。バロが、士気がどうとか言うから。
でもこれ、結構おいしいですよ?」
『マッハ10で飛行中に食事をするなんて!
人類で麗さんが初めてじゃないですか!?』
真砂さんが震える声でそう指摘すると、
横からバロが涼しい顔で口を挟んだ。
『いえ。宇宙飛行士が乗るロケットなどは、
マッハ20以上の速度で移動しております。
彼らもまた、宇宙食を嗜んでおりますな』
「……。そういう物理的な正論は、
今はいらないと思うんだけどな」
私が白い目で見ると、バロはどこ吹く風で
機体の水平を保ち、優雅な音楽まで流し始めた。
『レイ様。宇宙の先人たちに比べれば、
マッハ10でのティータイムなど、
優雅な散歩のようなものにございますぞ』
真砂さんは通信の向こうで頭を抱えていた。
国家の命運を賭けた出撃が、バロの手によって
ただの豪華なフライトへと書き換えられていく。
けれど、流れる景色はあまりに非日常だ。
私はマッハ10の振動を感じながら、
奇妙に落ち着いた気持ちでビーフを咀嚼した。




