悪だくみ
「少し良いか?」
あいさつが終わった後カルロスに連れ出され、パウロは宮殿のバルコニーに立つ。イタリアーナ首都と同じように潮風に乗って眼下の街が見渡せるが、開けた海の前に立つプエルト宮殿では潮風はより強く海の蒼さはわずかに濃い。
カルロスは、以前パウロが来る前にエカチェリーナと婚姻の話を進めていたという。
イタリアーナの悪く言えば二枚舌の外交は、想像以上にディオス教各国の不振を招いていた。
ルスにしてみれば、イタリアーナがトルティーアと組むのは最悪のシナリオだ。
ルスの南には白海というぽっかりと穴の開いた湖のような形の海があり、トルティーアの領海を通って陸中海へ抜ける大切な航路だ。
もしイタリアーナがトルティーアと同盟し海軍でボスフォロス海峡を封鎖してしまえば、ルスの海の玄関が閉ざされてしまう。
「ではなぜ、クリスティーナ女王陛下と婚約を結ぼうなどと?」
「二枚舌の国の者を、少しからかってみたくなったまでよ」
カルロスは酒に頬を染めながら、意地悪く微笑む。
カルロスはそう言いながら背後を振り返り、ガラス窓越しに会食の場に視線を巡らせる。
ルスもイタリアーナもシュパーニエンも、その他各国の人間も等しく勝利と婚姻の喜びを分かち合っていた。
その中から、白金の細工の腕輪をはめたクリスティーナとパウロの目が合う。
軽く手を振られただけで、彼女の美しさにパウロの胸は騒いだ。
「お前なら、彼女を任せても問題なさそうだな」
カルロスの言葉にパウロの顔が赤くなる。
「いつから……?」
「初めて会った時に決まっているだろう。女の扱いに長けるということは、男の扱いにも長けるということだ」
「そもそも女好きで有名なカルロス陛下ですからな、結婚話が噂になることなど珍しくもない」
カルロスの結婚がルスの王女とだったことはイタリアーナの文官武官にも衝撃を与えていた。パウロとカルロスが戻った席上で、特使では説明しきれなかった事情を、シュパーニエンの文官が話してくれている。
「他国の王族から自国の貴族、はたまた一介の愛唱まで。月に一度は身を固めた、と噂が流れるくらいですからな」
言いながらイタリアーナ特産のワインを一気にあおる。線の細い見た目に似合わず、なかなかの酒豪らしい。
「ふん、無礼者めが、言いおるわ」
そう言いながらもカルロスは上機嫌だ。
「それでエスコートが、あんなにうまかっだだな。暗い船室がら手をとってぐれだ時、今までダンスを踊っだどんな男性よりも手つきがスマートだっただ」
エカチェリーナも惚れた弱みか、カルロスの女遊びを宴席で聞かされても怒ることはない。
「婚姻までようやくこぎつけ、ほっとしています。これで陛下の火遊びの癖も、収まるでしょう」
文官は手のかかる息子を見るような目で、着飾ったエカチェリーナと談笑するカルロスを見守る。
「クリスティーナ殿下も、お寂しいのでは?」
その台詞にパウロは身をすくませる。身体が凍るような恐怖を感じる。
カルロスは男の自分からしても、魅力のある男に見えた。
もしクリスティーナの心が少しでも傾いていたら。
だがテーブルの下の感触にそんな杞憂は吹き飛ぶ。隣に座ったクリスティーナが、周囲に見えないようパウロの手にそっと自分の手を重ねていた。
何百回とからめられた柔らかい指の感触。見えなくても、間違えるはずもない。
「そんなことはありません。今も昔も、私の心にはただ一人の男性しかおりませんので」
ウルバン率いる五千の敗残兵がコンスタンティノーポリに入港した際、トルティーアは大騒ぎになった。
先ぶれで大敗北の報告は伝わっていたとはいえ、焼け焦げた帆柱に傷だらけの兵士を目の当たりにすれば衝撃は比ではない。
負けて逃げ帰った責任を問う声も上がったが、ウルバンまで処刑してはディオス教各国の軍に対抗できないと話は保留になった。
「それよりも今後どうする?」
ターバンを巻き、絨毯の上に車座になって腰を下ろすトルティーア風の会議の場は騒然となった。
和平を持ちかけるべきか。いや弱腰になるな、相手も撤退したではないか。会議は二分されたが強硬派の意見が通り、来襲に備えつつ行方不明になった王、マホメッド十七世の捜索を続けることになった。
同時刻、開戦後コンスタンティノーポリの屋敷に軟禁されていたイタリアーナ人たち。
開戦前からの情報網を駆使し、裏切り者アバンディオの情報を本国に流した彼らの前には、葡萄酒の空き瓶がいくつも転がっていた。
トルティーア高官とコネのある彼らは、意気消沈した街の様子などどこ吹く風で宴会の真っ最中であった。
上等の葡萄酒を注いだグラスが打ち合わされ、タンジュ教では禁止されている豚肉の料理までも並び、軟禁されているにもかかわらずみな上機嫌だ。
「これほどの大勝利とは意外でしたな」
「しかしパウロ将軍が撤退案を通してくれて助かりました」
「尤も。タンジュの神も胸を撫で下ろしておられることでしょう」
軟禁場所まで葡萄酒を運んできたトルティーアの高官、アッバスが酒に赤らんだ顔でうなずく。
「このコンスタンティノーポリまで攻めこまれては、イタリアーナの貿易拠点まで灰と化します」
「その前に、是が非でも和平を成立させねば」
「しかしイタリアーナ本国では来年の春に再び攻めるつもりのようですが」
「コンスタンティノーポリを占領したときにやりすぎたようですな。悲劇はディオス教各国に伝えられ、貿易のため居住していたイタリアーナ人にも被害は飛び火した。一度は講和したといっても、女王陛下はじめ反トルティーア感情は根深い」
「まあ、そうなったらその時です。タンジュ教からディオス教に改宗させていただき、イタリアーナに仕えるとしましょう」
アッバスは恥じ入ることもためらう様子もなく、高笑いで談じた。
「確かに。金貨に比べれば人の命の価値など微々たるもの」
アッバスはほくそ笑む。
「トルティーアあってのイタリアーナ、イタリアーナあってのトルティーアですからな」
イタリアーナは交易で成り立つ国であり、主食の麦を含め国内で自給自足できるものはほとんどない。交易が途絶えれば四百万の国民はたちまちのうちに飢餓に陥る。
迂闊には最大の交易相手国であるトルティーアと敵対できなかった。
事情はトルティーアも同じで、国内で産出される貴金属や香辛料、名産である絨毯も買い手がつかなければ持ち腐れとなる。
交易相手として、地理的にも近く海運業に長けたイタリアーナは最適だった。
「そういえばアッバス殿。新しいトルティーアの王を擁立する件はいかがですかな?」
「その件については何人か候補を上げていますが…… 弟君、バヤゼット殿がよいかと」
「うわさは聞いたことがありますが、アッバス殿から見てどのような方ですか?」
「朴訥な方です。兵の信頼も厚い。馬鹿正直と言えなくもないですが、約束事を破ったことは決してない。マホメッド十七世のように、言いがかりをつけて講和条約を一方的に破棄することもないでしょう」
「マホメッド十七世にご退位いただく方法につきましては」
「侍医がよろしいかと。裸になった王に近づける数少ない存在ですからな。男妾も考えたのですが道具を持っていると不自然ですし薬を飲ませる立場でもない」




