意地悪
両者の死闘についに勝敗が付いた。
大破した他の船に衝突したのか、今までより大きく船が傾き、倒れた兵が滑り落ちた剣が転がる。
海賊出身のイザク・パシャでさえたたらを踏んで大きくバランスを崩した。
とどめを刺そうとした瞬間であり、最も隙のできやすい時。
だが考え事に気を取られていたはずのパウロは衝突の瞬間より一瞬早く跳びあがり、空中で器用にカットラスを振りかぶる。
イザク・パシャはとっさに半月刀を構えて受け止めるが、全体重の乗った一撃を不安定な態勢で受けられるはずはない。
カットラスがイザク・パシャの肩口に食い込み、純白のターバンと鋼鉄の胸当てを血で染めた。
「ぐあっ!」
斬られた肩を抑え、その場にひざまずくイザク・パシャ。
「す、隙はわざとだったのか」
「当たり前だよ。真剣勝負なんだから。僕だって王族だ。国のために自分を殺す覚悟くらいある。そうしなきゃクリスティーナに笑われるよ」
「な、何を言っている」
「君みたいな男が知る必要はない」
イザク・パシャは逃げようとするが、深手と痛みはそれを許さなかった。霞みはじめた彼の目に映ったのは血に染まったカットラスを振り上げる少年の姿。
「や、やめろ……!」
「ガルーシア。兄さんの仇、今とるから」
命乞いごと断ち切るかのようなカットラスの斬撃が、顔の下半分がひげに覆われた頭をターバンごと切り裂く。
ことはなかった。
「イザク様! 早くお逃げください!」
割り込んできたトルティーアの兵がギリギリでパウロの一撃を止めていた。頭上への攻撃を短剣で止めた彼はそのまま懐へ滑り込むように肩で体当たりをくらわす。
不意を突かれたことと疲労が蓄積していたパウロは後方に倒されてしまう。その隙を兵は見逃さなかった。
足止めを他の兵に任せ、とっさにイザク・パシャを肩に担ぎ、船べりをまたいで自軍の船に飛び移る。
激戦であちこちが傷ついた船の櫂が再び動き出し、ゆっくりと戦場を離脱していった。
指揮官の船が敵前逃亡することで、トルティーアの船団に動揺が走る。
放たれる矢の勢いが鈍くなり、船を漕ぐ櫂の勢いにキレがなくなり、
パウロは追おうとするが、櫂を持った漕ぎ手まで斧や剣を持ち戦闘に参加していたイタリアーナの船ではすぐに動けない。
だがカルロスの反応は素早かった。震える足に活を入れかろうじて立ち上がり、命令を下す。
「この機を逃すな!」
獅子と王冠の旗の船団が猛然と追撃をかけていく。
大砲を満載した巨船、ガレアッツアは砲弾を叩きこみ、近づいた船は船尾に船首をぶつけて動きを止めてから槍や剣で武装した兵が乗り込み、血祭りにあげていく。
夜明けからの激戦で将兵は既に疲労困憊のはずだが、彼らの目から闘志はいささかも失われていない。
戦とは勢いである。
勢いに乗った兵は飢えも渇きも疲れも感じることなく敵を喰らうことができる。
カルロスは追撃のため別の船に映ったパウロを見守りながら呟く。
「勇敢さと慎重さを併せ持ち、好機と見ればリスク覚悟で敵の間合いに踏み込んでいく。王としては未熟だが将としては申し分ない。あれならば、彼女を任せても問題ないだろう」
イザク・パシャの乗った船が後退し、イタリアーナ・シュパーニエン連合軍が猛然と追撃をかけていく。
イザク・パシャが負傷し撤退したという事実は、一挙にトルティーアの船団に広がっていった。それはやがて尾ひれがつきイザク・パシャが討ち取られたという話になっていった。
トルティーアの王、マホメッド十七世の下にまでその報告は届く。
「王よ! イザク・パシャが討ち取られ、我が船団はもはや壊滅状態! 一刻も早くお逃げください」
「逃げる者を切り捨てて戦うように促すことも、海上では難しく……」
だがそれを聞いたマホメッド十七世は顔色一つ変えず、戦場の中だというのに宮殿のように贅を尽くした船室で鷹揚にうなずいただけだった。
「甲板に出る」
マホメッド十七世は蔦に絡まる青い花が描かれた絨毯の上からゆっくりと立ち上がった。翠玉がはめ込まれた胸当てが薄暗い船室でも輝きを放っている。
「危険です!」
だがそれを聞いたマホメッド十七世は。鷲鼻の下の赤い唇を軽く釣り上げただけだった。
甲板の上から見る自軍の様子は、半日を隔てただけで様変わりしていた。海を埋め尽くさんばかりの帆柱が林のようにそびえていた船の群れが、今や炎に包まれ、黒焦げになり、傾いた帆柱から破れた帆を無惨にさらして漂っている。
「コンスタンティノーポリを破壊した大砲も、海戦ではさしたる役に立たなかったか」
自軍の様子を目にしながら、マホメッド十七世はタンジュ教徒が神にささげる祈りの礼をとった。
タンジュをたたえる言葉を二度くりかえした後、顔を甲板の床にこすりつけてゆっくりと頭を起こす。
船の焦げる臭いがあたりに立ち込める中で、家臣たちもそれにならった。
一刻も早く撤退するべきこの状況で何を考えているのか? そう思いつつも、容赦のない殺戮を繰り返してきた彼に逆らう者はいなかった。
「やはり人に罰を下すのは、神ではなく人なのだな」
マホメッド十七世のつぶやきは家臣の誰にも聞かれることなく風に溶けて消えた。
船が次々と焼け焦げる匂いが心地よい。
今も響く武器と武器がぶつかる甲高い音が心地よい。
青い海を染める人の血は実に魅力的だ。
櫂を漕ぐ船で白の半月旗を掲げたものはもはやなく、彼の周りすべてが敵だった。
戦で勝利する瞬間だけはすべてを忘れていられたが、敗北に向かうときは様々な情景が彼の胸に思い浮かんできた。
父に冷遇され、辛い思いをした少年時代。
父の死と共に一気に宮殿に乗り込み権力を掌握した時の恐怖と高揚。
父の後継者と目されていた腹違いの弟を浴室で殺害したこと。
それに続く軍の掌握、ウルバンとか言う男に勧められた巨砲、城壁が瓦礫と化したコンスタンティノーポリ。
すべてが忌々しくもなつかしい。
イザク・パシャがとらえたというルスの王女を見ていないことだけが心残りだった。
マホメッド十七世の目の端に、船体も帆柱も櫂も深紅に塗られた一隻の船が近づいてきた。船首に立つのは、二の腕と肩がむき出しになった鎧をまとった一人の女。
暖かみのある金髪を潮風になびかせながら、手にした弓をゆっくりと引き絞っていく。その矢が向けられているのはマホメッド十七世の船。
「美しい」
こんな時だというのに、マホメッド十七世の心に熱いものが宿った。揺れる船の上でも崩れることのない立ち姿。波間に煌めく日の光の粒と同じ色の髪。華奢な腕で引き分ける己の身長よりも巨大な弓。
今まで感じたことがないほどの強い感情と欲望が彼の胸に沸き起こってくる。
同時に、彼女という存在を創り出した全知全能の神タンジュに初めて心から感謝した。
「ハレムに加えたい」
甲板に立ち上がったマホメッド十七世がそうつぶやいたとき、クリスティーナの放った矢に首を貫かれた。
紙のように自らの身体を貫通した矢は船体に突き刺さり、一瞬にして船は炎に包まれる。
後ろに倒れながら炎が生み出す熱風に包まれる中、マホメッド十七世はこぶしを握り締め、歯をギリギリと嚙み鳴らした。
「ああ。神とやらはなんと意地悪なのか」
無念の思いと共にトルティーアの王、マホメッド十七世は意識を手放した。




