戦端は開かれる
半月後、夜明けとともに東の海がうごめくのを見張りの兵が発見した。
手にした槍を持つ手に汗がにじみ、甲冑の下の額には夏だというのに冷たい汗がにじむ。
水平線に昇り始めた太陽の陰となって黒いしみのようにしか見えなかったそれは、瞬く間に白い帆とその下の船体をあらわにする。
登り始めた朝日の下にひるがえるのは、赤地に描かれた白い半月。
イタリアーナやシュパーニエンの人間ならば見間違えようのない、トルティーアの旗だった。
青い水平線を染め上げるような白い帆と血の染みのような赤は、トルティーア本国のある東側の海を埋め尽くしながらゆっくりと近づいてくる。
天気は晴朗にして波は穏やかで、船が足を止めることはあり得ない。
マルタ島にカンカンと甲高い警鐘の音が鳴り響き、床についていた将兵たちはとび起きて配置につく。
シュパーニエンの兵は要塞の西側、イタリアーナの兵は北・東・南を固めた。
全土がほぼはげ山のマルタ島は北東部がえぐられたような形の湾になっており、大型の船が着けるのはそこしかない。
港を見下ろせる位置に建てられた要塞の上では、槍や矢をつがえた弩を手にした将兵が震えている。
コンスタンティノーポリの防衛線に参加した将兵をのぞき、これだけの大軍を見るのは初めてだった。
アリのはい出る隙間もないよう東の水平線を埋め尽くした船の群れは左右に分かれ、マルタ島の東西南北を取り囲み始める。
「なんて大軍だ……」
その光景を、要塞に立ったパウロはこぶしを握り締めながら呟く。
パウロとて十代前半のころから戦場に立ってきた。シュパーニエンとの小競り合い、交易船を襲う海賊退治。
だが水平線を埋め尽くす大軍勢をこの目で見たのは初めてだった。
逃げ出したい。
パウロは震える手を抑えながら、必死にその思いを押さえつける。
「パウロ様」
傍らに立っていたヴァレッタが、軽くパウロの肩を叩いた。その手には戦で彼が使用する大ぶりの戦槌が握られている。
「あなた一人で戦っているのではありませんよ」
彼の促した視線の先には、甲冑に身を包んだ大勢の兵たちがいる。彼らとて恐怖しているのは、戦場慣れしたパウロにはよくわかる。
だが彼らは不敵な笑いを漏らしていた。
「おい、シュパーニエンの奴らは逃げ支度でもはじめてんじゃねえか」
「け、イタリアーナの奴らはもうちびっていやがるぜ」
「なんだと!」
「やる気か!」
随所で起きる二国の兵同士の言い争い。だが徐々に彼らからは恐怖の感情が感じられなくなっていた。恐れを塗りつぶす競争心は瞬く間に要塞中に広がっていく。
「け、トルティーアの奴らなんぞ屁でもねえ」
「ろくな鎧もねえ寄せ集め共だ。ヴァレッタ将軍の手にかかればひと月で逃げるぜ」
「ひと月だ? ガルーシア将軍なら半月だぜ」
槍を握る手には程よい緊張感がみなぎっており、弩を構えた肩からは無駄な力が抜けていた。
「頼もしいね…… 僕は良き兵に恵まれた」
パウロの肩から、余分な力が抜けた。
「やっと調子が戻ってきたな」
いつの間にか、シュパーニエン側の指揮官ガルーシアも隣に立っていた。彼の手には巨大な戦斧が握られている。
「国境付近での小競り合いで我を捕虜にしたこともある貴様が、そんな体たらくでは困る」
パウロの下あごから首筋に刻まれた傷を見据えながらそう言い残し、彼は自分の持ち場へと戻っていった。
「では、パウロ様」
ヴァレッタも持ち場へと戻っていく。王族ではないが要塞の防御に慣れた彼が、マルタ島防衛の実質上の司令官となる。
要塞の各所に備えられた大砲は砲身の清掃も弾込めも終わり、号令を待つのみ。
茜色の空が青空へと変わった頃、マルタ島を半月の旗を掲げた船が完全に取り囲む。
上陸の手際が悪く船同士が衝突することさえあると言われたが、味方にした海賊のお陰かそのような様子はなかった。
東西南北に広がった船は一斉に錨を下ろし、白いターバンを頭に巻いたトルティーアの兵たちがはしけ舟に乗って次々と岸壁から上陸してきた。
「撃て!」
ヴァレッタの号令と共に放たれたイタリアーナの砲弾が、戦闘開始の合図となった。




