国立造船所
『女王陛下、本日のお召し物でございます』
『女王陛下、今日もご機嫌麗しゅう』
出会った頃は粗相があってはならないというプレッシャーと、クリスティーナへの畏怖から固い言葉を使っていた。
ヨハンネ・ヴァルキはクリスティーナの付き人とはいえ、貴族の家柄である。
貴族の側に侍るには相応の礼儀作法が必須であるし、素性の怪しい者を近付けるわけにもいかない。イタリアーナの付き人は貴族の令嬢から選ばれるのが常であった。
礼儀作法はわんぱくだった幼いころから仕込まれただけあって、ほぼ完璧だった。
年齢も近かったためすぐにある程度は打ち解けた仲になる。だがそれ以上はどこか壁を作られているような感じを常に受けていた。
だが、クリスティーナの両親が他界し、ふさぎこんでいた頃。
どう言葉かけしても、貿易で手に入れた宝石を見せてもクリスティーナの表情は晴れず。
『いつまでメソメソしてる気っすか。女王のくせしてみっともない……』
ついうっかりこぼしてしまったことがある。
クリスティーナの呆然とした表情に、ヨハンネは地に頭をこすりつけた。
『も、もうしわけございません、女王陛下! お叱りはいかようにも……』
『いいのよ、ヨハンネ』
『やっと、あなたの本音が聞けた』
『回りの者は皆、私に気を使って。本当のことを言っていないことはわかって。でも本当のことはわからなくて……』
『そのうちに、どんどん回りと見ている世界が食い違っていく感じで。とうさまとかあさまが居なくなった世界で、それが怖くて……』
『久しぶりに偽りでなく、まことを聞いた気がするわ』
『ヨハンネ・ヴァルキ』
『は、はい!』
『今後は、その言葉遣いで通しなさい』
『そ、それがご命令とあらば』
『ありがとう。無茶なお願いをして、ごめんなさいね』
はかなく笑う自分の主君を見て幼いヨハンネは気がつく。
この十に満たない子供が、一国の運命を背負っていることを。
そのプレッシャーは貴族であっても王族でないヨハンネには想像しかできない。
プライベートにまで踏み込む自分にさえ気を遣われ、どれだけ張りつめた日々を送っていたのか。
頼りない女王と思っていたがそんなことはなかった。
この年で女王としての孤独にずっと耐えてきたのだ。
ヨハンネの心に、クリスティーナへの尊敬の思いが潮が満ちるように広がっていく。
タメ口で遠慮なく話すことが少しでも彼女の心を安らげるのならば。
他からどう言われても、その通りにしよう。
その後、クリスティーナはヨハンネと共に国営造船所に向かった。
細身と太身の二種類のガレー船に加え、「ガレアッツア」と呼ばれる大砲を乗せた大型船の建造が急ピッチで進められている。
トルティーアは陸軍にかけては他国の追随を許さない兵力を持つ。逆に海軍に関してはお粗末だ。
近年植民地にした南の大陸の海賊を引き入れることで増強を図っているが、優れた軍隊は一朝一夕にできるものではない。スパイの報告でも島嶼地方に攻め込む際の上陸の手際の悪さや船同士の衝突などが見られるという。
トルティーアを撃滅するとすれば海軍で決戦を挑むしかない。そのために臨時の戦時予算が組まれ、造船所をフル稼働させていた。
イタリアーナ海軍は、主に三種の船で構成される。
細身のガレー船、太身のガレー船。そして、ガレアッツアと呼ばれる大砲を搭載した巨船である。
細身のガレー船の船首には鋭くとがった鉄棒が備えられ、これで敵船に体当たりし動きを止める。
一回りは大きい太身のガレー船は司令官用であり、一目でそれとわかるよう船体も船漕ぎの櫂も深紅に塗られている。
船橋も細身のそれと違い屋根があり広いので、地図を並べての会議も可能。
ガレアッツアの特色は細身のガレー船の数倍はある甲板の高さ。それに前後の船橋にも左右の舷にも並べられた数十門の大砲だった。
司令官の船が深紅に塗られているのは味方に司令官の位置を知らせるためだが、敵からもわかるためリスクは増す。
だが勝利とはもぎ取るものである。
リスクをおかす者だけがそれを手にする資格があるのだった。
かつてはトルティーアをはるかに超える領土を有したグレイチャの皇帝も、馬上で蒼の大マントをひるがえし敵味方にその存在を誇示していた。
それからもクリスティーナとヨハンネの二人は造船所を視察していく。
造船所はいわゆるドック形式になっており、船の骨組みがある程度出来上がったら進水して櫂と帆を積み込み、仕上げに入るのだ。
あらかじめ規格通りに生産された船の部品なので、滞ることなくスムーズに作られていく。帆を帆柱につけ、櫂を船の腹に備え付ける手際の良さはもはや芸術の域に達していた。
これだけでもイタリアーナ海軍の練度の高さがうかがえる。
訓練が行き届いていなければ、船に荷を積み込む段階でもたつくものだ。
「久しぶりに見ましたけど、すごいですね…… 美しいシッタ・デ・マーリの景色もいいですが、こうやって汗を流して働く国民の姿も、また美しいと思います」
レースのドレスで着飾ったクリスティーナが手を振るたびに、工員たちは笑顔でこたえていく。
王と国民が信頼し合っている国は、例外なく強い。
だが頼もしい国民に向ける笑顔とは裏腹にクリスティーナの心は暗かった。
この戦争が終われば、自分はシュパーニエンに嫁ぐことになる。
そうなればこの美しいイタリアーナの景色を一生見られなくなるかもしれない。
「兄さま……」
夜泣きながら無事を祈る、愛する従兄の顔も見られなくなるかもしれない。
だが自分は女王なのだ。イタリアーナの国民すべてを幸福にする義務があるのだ。
かみしめた唇の痛みを、そばに立つヨハンネだけは理解していた。
「おおお、女王陛下! こんなところにいらしたのですか! 予算の編成についての会議のお時間です」
一等書記官アバンディオの声にクリスティーナはふと我に返る。
アバンディオは憶病だが職務には忠実。書類上のミスもほとんどない優秀な官僚だと同僚からの評判も上々だった。
親の七光りで一等書記官になったわけではないことを証明してやる、と日ごろから口にしているらしい。




