57ページ目 菫さん、二学期まであと三日
これまで何度も経験してきた夏休みの中で、菫にとって今年のそれが一番内容の濃いものであった。激辛中華料理から始まり、直との映画デート、千穂が怪しいスカウトに狙われたこと、一部のクラスメイト達と行った清宮家の別荘旅行、そしてかつての水泳エースである颯との出会い……。とにかく今年は色んなことが起こり、一度目の高校生活以前のように暇だと思った日はほとんどなかった。
そんな菫の今年の夏休みも……あと三日で幕を閉じる。ただ、菫にはやり残していることが少しだけある。
「う〜〜〜ん……」
夜もすっかり更けた頃、菫は唸りながら机に向かっている。険しい顔で見つめているのは、数学の問題集とノートだ。右手にはシャーペンを握っているが……先程からただ握っているだけで全く動かない。
「…………お姉ちゃん、さっきから全然手が動いてなくない?」
いつの間にか横に立っている葵は、こうしていつまでも睨めっこしている菫に痺れを切らし、捗っていないことを指摘する。これに対し、菫は葵をキッと睨みつけた。
「……何で手が止まってるのかぐらいわかるでしょ! 私数学大の苦手なんだから。口を出す暇があるんなら助けてくれない?」
そう言われたので、葵は菫が今格闘している問題集に目を通してみたものの……
「……証明に因数分解に方程式か、懐かしいな〜。あ! これよく書いてたわ、Q.E.D.って」
そう呟いて懐かしがるだけだった。菫はノリツッコミしてから、ある問題を指差して葵にズバリと聞く。
「そうそう懐かしいでしょ〜…………って昔を思い出してる場合じゃないのよ! 葵、この問題わかんない?」
言われるがまま、その問題に目を通した葵だったが……菫と同じく睨めっこするだけだ。
「……ごめん、私もわかんないや」
「え〜〜! 葵は最近高校卒業したから覚えてるでしょ!?」
「最近じゃないよ、もう6年も前だって。しかも私もお姉ちゃんと同じで数学苦手だし〜。てかもう時間ないし答え写しゃよくない?」
「……アンタそれやってバレたでしょ、中学の時」
過去を蒸し返された葵は「そうだっけ〜?」と言いながら、問題集から目を逸らした。そもそも葵と自分と同様、数学が苦手だったことを菫は今頃になって思い出した。
そう、菫が今奮闘しているのは……夏休みにはつきものである宿題だ。幸い、他のの宿題は全て片付けてあるし、その問題集の範囲も残り後2ページで完了へと迫っている。が……その最後の2ページが強敵だったのだ。よりによって難しい問題ばかりである。
「あっ、私明日は日勤だからそろそろ寝るわ。お姉ちゃんも無理しないでね〜」
「あっ! ちょっと! 葵!」
考えても考えてもわからなかったからか、葵は仕事を理由にそのまま部屋を出て逃げていった。引き止める菫を振り切って。あわよくば葵に教えてもらえると期待していた菫はガックリと項垂れる。
(あーあ……やっぱりいつの時代でも夏休みの宿題って中々終わらないのね〜。一度目の高校の時も、中学の時もギリギリまでやってた気がするわ……まさか27歳にもなって宿題に追われるなんて…………ん?)
ちょうどその時、菫のスマホが鳴り出した。流石に時間も時間なのでLIMEだが、差出人を見て菫はすぐにスマホを手に取る。
(阪口さんからじゃない……こんな時間に何かしら?)
送られたメッセージを確認すると……。
“菫ちゃんこんばんわ!
急だけど明日なんか予定ある?”
「…………」
このメッセージを見て、菫は思った。千穂は恐らく、自分をどこか遊びにでも誘う気なのではないかと。
(あら……阪口さんは余裕あるのね。……もしかして宿題全部終わってるのかしら? 頭ごなしに断っても宿題全然終わってないって思われそうよね……)
“阪口さんこんばんは
どうしたの?”
とりあえずこう返信したところ、すぐに既読がつく。それから程なくして千穂から更に返信が届いた。
“もし何もなかったらカラオケ行かない?
ゆかちゃんと萌ちゃんともおーりんちゃんも来てくれるんだけど、菫ちゃんもどうかなって”
案の定、お誘いのLI MEであった。ただ、行き先がカラオケなので……正直菫は気持ちが揺らいでしまう。別の場所であればきっぱり断るつもりだったのだが。
(カラオケ……か。そういえば阪口さん、終業式の日に私と行きたいって言ってくれてたわよね……。
それに……ここ数日ずっと宿題に追われててストレス溜まってて発散したいし……そもそも宿題残ってるけどあともうちょっとだし、カラオケならテーブルあるし……)
そんなことを考えてニヤリと笑いながら、菫は返信を打ち込んだ。
★
翌日、カラオケボックスの部屋に入った後……菫は言葉を失った。部屋に入るや否や、千穂がデンモクを手にして曲選びをする一方……オリビアと萌は大きな机の上に問題集やサマーワークを広げている。
「……あれ? こんなところで宿題するの?」
菫と同じことを思ったのか、優香子も驚いた様子で二人に訊く。すると、オリビアも萌もすぐに首を縦に振る。
「んだじゃ。まだ終わってなぐでさ〜」
「どうしても数学が終わらないの〜」
二人が決まり悪そうに言う中、菫もこれ幸いと言わんばかりにバッグの中から問題集とノートを出す。そればかりか、デンモクを持っている千穂も苦笑いする。
「……実は私も終わってないの。もうちょいだけど……」
「……私も〜。とりあえず1曲目歌ってからやろっかな〜って」
「えっ! 宮西さんまで……」
まさかの菫まで宿題が終わっていないという事実に、優香子は更に唖然とする。言い出しっぺにも関わらず、千穂が宿題を終わらせていないことは知っていたようだが。かたやオリビアと萌は同士がいて嬉しいのか、ニヤリと笑みを浮かべる。
「すー様どグッチも終わってねじゃ〜!」
「奇遇じゃ〜ん! 一緒に頑張ろーぜ!」
二人がエールを送るのを尻目に、優香子は信じられないとでも言いたげな様子で反論する。
「で、でも……こんなとこで宿題なんかできるの!? うるさいじゃない」
しかし、萌は即座に首を横に振る。
「ぜーんぜん気にしないよ。むしろ静か過ぎても集中できないし」
(あ、そういうタイプなのね)
宿題が残っているにも関わらず、萌がお誘いに乗った理由に菫は納得する。そこに千穂とオリビアも割って入る。
「そーそー! 宿題終わってないけどどうしてもカラオケ行きたかったから……」
「まぁ歌ってね時ぁ宿題でぎるしね〜」
「それに宿題やってる合間に歌ってスッキリしたいじゃ〜ん」
更に萌がそう言うので、オリビアと千穂は勢いよく首を縦に振る。
「……考えることは皆一緒ね。私もそう思って来たのよ。私は数学の問題があと2ページだし……」
菫も苦笑いしながら言った。が、他の宿題未完成組三人はなぜか目を見張る。
「すー様、もうぢょいでねが〜!」
「そうだよ、てかもうほぼ終わってるじゃん!」
「それに比べて私はね〜……」
オリビアと千穂が羨望の眼差しで菫を見る中、萌は遠い目をする。どうやら、菫以外の三人はそれどころではないらしい。萌は数学の問題集と生物のサマーワークがいずれも3分の1程度、オリビアは英語のサマーワークが半分ほど残り、千穂に至っては読書感想文をこれから書くところなのだとか。
三人の進捗状況を聞いて……菫は正直ホッとする。
(あらら……今川さんも加藤さんも阪口さんもまだまだね……。てっきり皆全部終わらせたのかと思ってたわ……)
一方、優香子は頭を抱えてため息をつく。
「も〜……歌い過ぎちゃダメよ。ちゃんと宿題もやってね」
「ちゃんとやるじゃ〜! ……だすけ英語教えでける? ちょっとだげでいいすけ……」
「私は数学を……」
オリビアはぶりっ子顔負けの上目遣いで、萌も手を合わせてスリスリ擦り合わせながら、釘を刺した優香子におねだりする。これに対し、優香子は困った顔でもう一度ため息をつく。
「……しょうがないわね〜。……ちーちゃん、まさかこのために私を誘ったの?」
渋々了承した後、優香子は冷ややかな視線で千穂を一瞥する。すると千穂は一瞬ギクっとするも、すぐに首を横に振る。
「ち、違うよ! ゆかちゃんは宿題全部終わってるし、部活もあってあんまり遊べなかったから……」
必死に弁解する千穂に、優香子はクスクス笑う。
「冗談よ。確かにあんまり遊べなかったものね。まぁ私でよかったら……」
「んだば早速この問題教えで! なんもわがんねの!」
優香子がそこまで嫌がってなさそうなのをいいことに、オリビアはわからない英語の問題を早速聞く。
(あらあら、ちゃっかりしてるわね。てゆーか……加藤さんってああ見えて英語苦手なのね)
アメリカ人ハーフのオリビアの意外な一面に菫が驚く横で、萌は愚痴をこぼす。
「いや〜、私も昨日皆に聞こうとしたんだよ。そしたら…………ぅ、うみんちゅは「じぇんじぇん終わらんさー!」って言って逆に聞いてくるし、さっきーは私よりも進んでないし、ホリトモなんか答え写してたんだし!」
ぶつぶつ言う萌だったが……菫にはどうもツッコミどころがあり、苦笑いしてしまう。
「…………ちょっとそれは人選ミスじゃないかしら? なんでよりによって「バ神7」の皆に聞いちゃうのよ……」
そうこうしているうちに、千穂はデンモクでカラオケとマイクの音量を少々小さめに設定し、ある曲を選んで送信する。千穂が最初に歌う曲に、周りは宿題に手をつけながらも一気に盛り上がる。
「……リンダリンダ!?(今時の子でも知ってるのね、この曲)」
意表を突く選曲に菫が驚くと、千穂は照れくさそうに呟く。
「……今度の学園祭で歌うから練習したくって」
「そういうことね」
今も昔も学園祭の定番曲は変わらないわね……と菫は思った。よくよく思い出してみると、一度目の高校の学園祭でも「リンダリンダ」を熱唱する軽音部員を見かけた記憶がある。菫が懐かしく思っていることなど知る由もなく、千穂は一時的に宿題のことは忘れて力強く歌い出した。
★
こうしてカラオケと同時に宿題を始め、早くも2時間が経った。テーブルにはそれぞれの宿題とドリンクのコップに加え、ポテトチップスやポップコーンなどがのったお菓子盛り合わせの皿が置いてある。何せ「歌うこと」と「宿題をすること」を両立させているので、どうしても普段以上に腹が空いてしまうのだ。実年齢が27歳の菫でもそれは同じで、歌の合間や宿題に取り掛かりながらお菓子をつまんでいる。
なお、今回はフリータイムコースにしたので、菫達は時間を気にせず、カラオケを楽しんでは宿題に向かっている。
(あ〜、やっぱり歌ったらストレス解消になるわね! 今度から宿題とか勉強してて途中で休憩する時、ちょっと歌おうかしら)
菫も数曲歌ってある程度宿題を進めた後、一旦部屋を出てトイレに行っていた。問題集はあと1ページに迫り、完成まではあと一歩というところだ。その一方で、萌・千穂・オリビアはまだまだ時間がかかりそうだが。
(それにしても皆大丈夫かしら……まぁでも今日を含めたらあと二日だし……もうちょっと時間はあるわよね)
トイレの洗面台で手を洗いながら、菫はその三人が無事に宿題を終わらせられるか、心配になってしまう。それだけでなく、菫はふとあることを思い出した。
(そういえば阪口さん…………北山君とはどうしてるのかしら? 暫くは普通の友達に戻るって言ってたけど……)
熱唱していたり宿題に熱中している千穂を見て、あの別荘旅行での告白及び彼女が玉砕したことを、菫は思い出していた。と同時に……今の千穂と恭平の様子がどうしても気になってしまう。尤も、千穂は普通の友達に戻ると言っていたし、現に旅行の最終日に千穂と恭平が話すところを菫は見ていない。恐らく告白以後はほとんど絡んでいないのだろう。
(たぶん何もないんだろうけど……同じ軽音部だし部活で会っちゃうわよね……。私なら気まずくなりそうだけど、阪口さん本当に大丈夫かしら?)
菫が宿題とは別に、あらぬ心配をしてしまうところで……トイレのドアがガチャっと開く。それと同時に入ってきた人物を見て、菫は我に返ると同時にドキッとしてしまう。
「あっ、菫ちゃんじゃ〜ん」
噂をすれば影と言わんばかりに、千穂が入ってきた。まさかこんな時にちょうど本人が来るなんて思わず、菫は歯切れが悪く返事をする
「あ……さ、阪口さん……もトイレ……?」
「そうだけど……どうしたの? なんか声変だよ?」
開口一番すぐに指摘され、菫の顔には冷や汗が垂れてくる。その後の恭平との仲は気になるものの、少し聞きづらくて。
「な……なんでもないわよ……」
「……ホント〜? あっ、菫ちゃんもしかして私と北山君のこと気になってたんでしょ?」
「!!!」
全くの図星で、菫は二の句が告げない。しかし、そんな菫に構わず千穂は自分から話を切り出す。
「北山君とはあれから部活以外では会ってないよ〜」
「そうだったのね。部活の時気まずくならないの?」
告白する前こそ、もしダメになっても普通の友達に戻るだけだと千穂は言っていたが……実際に戻れるのだろうか? どうしてもそこが菫は気になってしまう。だが、千穂はニッコリと笑って「大丈夫」と言う。
「部活の時は他の子とも話すし、歌ってたりギター弾いてる時は忘れられるからね〜。まぁ北山君と全然喋らない訳じゃないけど……必要な時だけかな。だからそこまで気まずくないかも」
「それならよかったわ……もしかして今頃になって告白したこと後悔してたりとか……」
「それはないよ! 今もちゃんと伝えられてよかったって思ってるから」
尚も笑顔を見せながらハッキリと言う千穂に、菫は心から安堵した。
「そうなのね。……あ、ごめんね。トイレ行くのに引き止めて」
「ううん、全然大丈夫だよ〜! じゃ、また後でね」
そう言いながらも千穂は足早に個室の中に入っていった。少しばかり申し訳なく思いながら、菫はトイレを後にした。
(この調子なら……二学期に入っても大丈夫そうね、阪口さん)
先程歌った歌を鼻歌で歌いながら部屋へと向かい、いざドアを開けようとしたところ、菫は手が止まる。いつの間にか隣の部屋にも電気がついており、ドア越しに歌声が聞こえてきたからだ。自分達が来た時は暗くて人気がなかったのに。
(なんか微妙な歌声ね…………ん!?)
その歌声は正直あまり上手くなく、菫が思わず苦笑いしてしまうほどだ。どんな人が歌っているのだろうか気になり、菫はふとドアのガラスのところから見るなり……目を疑った。
暫く経ってから千穂はトイレを出て、菫と同様に部屋へと戻る。その途中、ドリンクバーの横を通過しようとしたところだった。
(……!! なんでこんなとこに……!)
千穂は驚愕したと同時に、その場に立ち止まった。ドリンクバーの前に……見慣れた後ろ姿があったからだ。前に部活で会った時と変わらない金髪にピアスをいくつかつけている彼は、ちょうどアイスティーをコップに注いでいるところだ。
(うそ……!? どこからどう見ても北山君じゃない! ……どうしよう! 今は部活中じゃないし私達以外誰もいないし! まさかこんなところで会っちゃうなんて〜……)
予想外の出来事に頭の中がパニックになる千穂だったが、目だけは恭平の後ろ姿をガン見してしまっている。そのせいか……程なくして恭平はくるっと振り向いた。
「あれっ、阪口じゃん」
「!!! …………き、北山君、こんなとこで偶然……」
あっさり気付かれてしまい、千穂は久しぶりにしどろもどろになってしまう。これまでと違い、ばったり会ってしまったので心の準備ができず、流石に少しは気まずくなる。もじもじせざるを得ない千穂だが、目の前にいる恭平もなぜかバツが悪そうにこう言った。
「まぁちょっと歌いにな……宿題やりながらだけど。まだ終わってねぇし……」
「…………え? それじゃあ私達と同じじゃない!」
それどころか、恭平が自分達と全く同じ理由でこのカラオケボックスに来ているとわかり……驚き半分嬉しくもなった。
★
しかも、恭平達がいる部屋は千穂達のすぐ隣であった。更にびっくりする千穂をよそに、恭平がドアを開けると……
「……山田は激しく嫉妬した。ただクラスの中心的存在だというだけの理由で、あのマリナが桐山なんかと付き合えるなんて……」
なぜか隣室にいるはずの菫が、ハードカバーの本を朗読している。その本は十数年前、ベストセラーになった『桐山が部活を辞めるかもしれない』という小説だ。もちろん、菫がその小説を見て「今時の子でもこの本知ってるのね……」と思ったのは言うまでもない。
菫の前では真二と日向が必死な様子でせっせと原稿用紙に書き込んでいる。どうやらこの二人は千穂と同じく読書感想文に取り掛かっているところらしい。誰も歌っていないのでカラオケの音楽は流れておらず、CMだけがひたすら流れている。
「……あれ? なんで菫ちゃんがこっちにいるの?」
千穂が聞いてきたので、菫はここにいる理由を話す。
「ちょっと手伝ってるのよ。奈良間君と上原君が読書感想文まだだから……」
「ったく……すー様にも頼んでたのかよ」
呆れ顔になる恭平に、日向と真二は真っ向から反論する。
「だってじぇんじぇん終わらんさー!」
「自分で読むより読んでもらった方が効率いいだろ~? すー様以外は誰も手伝ってくれねーし」
それもそのはず、萌とオリビアは彼ら同様宿題に追われているし、優香子もその二人に教えているところだ。なので手伝う余裕があるのは比較的宿題が進んでいる菫ぐらいである。こんな状況に、千穂は茫然とため息をつく。
「も~……菫ちゃん、そんなの断りなって……」
「だ、大丈夫よ……私宿題もうちょっとで終わるから……」
納得いかない様子で釘を刺す千穂に菫が苦笑いする中、真二が口を挟んでくる。
「なんだよ~、そういうグッチは宿題終わってんのか~?」
これに対し、千穂はあからさまにギクッとし……
「わ……私もあとちょっと……今からやってくるわ~……」
そう言うなりそそくさと優香子達のいる部屋へと去っていった。
「やっぱりグッチだって終わってねーじゃねーかー」
「人のこと言えんさ~」
「はいはい、続き読むから二人とも聞いてて!」
ぼやいている真二と日向を菫は注意し、再び小説の続きを読み始める。そんな三人を尻目に恭平は席に座り、デンモクをいじり始める。恭平も宿題を進めていたのか、彼の前のテーブルにはサマーワークが広げてある。
「なぁ、そろそろ歌っていいか?」
「おう!」
「いいさぁ~」
恭平が歌いたいようなので菫は朗読をやめ、真二と日向は原稿用紙に書くことだけに集中する。程なくしてカラオケの画面が切り替わりイントロが流れ、恭平はマイクを握る。これから歌うのは菫も全く知らないロックバンドの曲である。
「え~っと、こんなに素敵な部員に恵まれているのに、部活を辞めようとする桐山はバカだと思います……っと」
「……そんな感想でいいの?」
真二の適当な感想に菫が思わずツッコミを入れたところで、歌が始まった。すると、菫はたちまち笑いを堪えてしまう。
(さっきもちらっと見て聞いたけど……このビミョーに下手な歌、北山君だったのね。軽音部だからもっと上手いって思ってた……)
そう、菫が少し前にドア越しに聞いた歌声の主は……恭平だった。ドラムを叩いているからかリズムこそ正確なものの、音程が少しばかり……いや、結構ずれている。それでも本人に自覚はないらしく、恭平は何とも意気揚々と歌っているが。
あっという間に時間が過ぎ去り、菫達がカラオケボックスを出るころには辺りは薄暗くなっていた。菫達の隣室にいた恭平・真二・日向の三人も一緒に外に出ている。
「まさかこんなとこで会うなんてね~」
「いや~、しかんださぁ~!」
「上原君どういうこと~?」
「びっくりしたって意味さ~」
「じゃ~、沖縄の言葉ぁなんもわがんね!」
「加藤さんだって方言喋ってるじゃな〜い」
優香子・日向・千穂・オリビア・菫がワイワイと話す中、萌はなぜか黙ってスマホをいじっており、真二に至っては未だに切羽詰まった様子で嘆く。
「あ゛~~~! まだ宿題終わってねぇ!」
「えっ! 読書感想文以外にもまだ残ってるの!?」
慟哭する真二に、菫は思わず聞き返す。やっと読書感想文が終わったのに……と思って。一方、萌とオリビアはそんな真二を冷たい視線で睨んでいる。
「私だって終わってないんだけど」
「私もまだまだじゃ~」
「まぁ俺もあとちょっとあるさぁ……」
萌とオリビアに便乗して日向も呟く。どうやら真二・萌・オリビア・日向の四人はまだ完全に宿題が終わっていないようだ。菫・千穂・恭平は何とか片付いたが。そんな真二達に、恭平はあることを提案する。
「じゃ、今からファミレスでも行くか? 飯食いながら宿題の残りやろーぜ」
その提案に……他の面々は二つ返事で賛成する。
「さんせー!」
「せっかく皆一緒だものね」
「(皆でファミレスか〜、それも青春っぽいわね!)行きましょ~」
「俺ちょうど腹減ってきたさ~!」
「てかさっきまで宿題やってたんだからなんか食わねーと」
「私ハンバーグ食いでぇ~」
皆の様子にふふっと笑いながら、千穂はここから一番近いファミリーレストランの存在を思い出す。
「(さすが北山君ね……)この辺だとちょっと歩いたら「テニーズ」があるよ。そこにする?」
「そうしましょ…………ん?」
菫は即座に賛同したが……それと同時に何かに気付く。それと同時に嫌な予感が頭をよぎる。ちょうど隣を歩いていた優香子は何があったのか、菫にいち早く訊く。
「どうしたの? 宮西さん」
「あ、あれって…………」
それだけ言いながら、菫は向って左の方を指差す。皆が一斉に注目すると、その先には仕事帰りの社会人らしい風貌の大人達の後ろ姿が見える。彼らは四人ほどいて駅の方向へと歩いているが、その中で一人だけ……かなりできあがっている。よっぽど酒を飲んだのか千鳥足になっているうえ、何か喚いている。
「皆俺を舐めやがって~! 俺は強え~んだぞ~!」
かなり酔っぱらっている様子であるこの男の声……菫はもちろん、ここにいる全員しっかり聞き慣れている。その声を聴いた瞬間、菫は嫌な予感がドンピシャで的中し、頭を抱える。他の皆の反応は各人各様で、「栗山先生に怒られるんじゃない……」とヒソヒソ話す者、ただただ茫然とする者にドン引きする者、恥ずかしそうに俯く者もいれば笑いを堪える者もおり、もちろん普通に笑い出す者もいる。真二に至っては笑いながらスマホのカメラを構えている。
その集団の中の一人が、かなり大変そうに酔っ払いを支えて必死に連れて行こうとしている。
「もう、飲みすぎるんですから~! しっかりしてくださいよ!
…………杉谷先生!!」
そう、酔っ払いの正体は誰がどう見ても……杉谷だ。よく見ると、杉谷を支えているのは1組担任の若竹で、他には5組担任の小笠原、男子の体育教師の鶴岡と思しき人もいる。
担任かつ元クラスメイトのこんな醜態に……菫はほとほと呆れ果て、見ていて恥ずかしくなった。
(杉谷君ったら…………生徒に泥酔姿を見られるとかみっともなさすぎでしょ! しかもまだ19時ぐらいなのに……。情けない……)




