54ページ目 菫さんと傷だらけの元エース 中編
昨年のちょうど今頃……。
「いっけーいけいけ万波さーーーん!! そのままキープさぁーーー!」
後輩達の声援が飛び交う中、颯は両腕で懸命に水を掻く。その中でも……日向の声は一際大きく聞こえてきてうるさいぐらいだ。
(日向の奴うるせーな……。でも……頑張れるぜ!)
その声援に応えるべく、颯はぐんぐんスピードを上げる。最初こそ互角の戦いになっていたものの、ターンしてからは颯の独壇場だった。他の出場者達を抑えてトップに出て、スタートを切った飛び込み台に向かいあっという間に駆け抜けていく。
そして……颯はダントツの速さでゴールタッチし、50メートルを泳ぎ切った。それと同時に大歓声が上がり、やはり日向は特に大喜びしている。まるで自分のことのように。
「万波先輩お疲れ様さぁーー! 最高のレースと泳ぎでしたさぁー!!」
颯はゴーグルを外した後、そう叫んでいる日向に向かってVサインを見せた。懸命に泳いだおかげか、息を切らせながら。
この時のタイムは23秒35と、名実共に公ヶ谷高校水泳部のエースと認められる結果だった。颯にとっては、この頃が一番栄光に輝いていた時期であった。
ところが、それから数週間後……その輝かしい未来は突如絶たれることとなる。
大会終了後、息切れがどんどん激しくなったうえ動悸や眩暈に悩まされるようになり、颯は病院に行った。そこで医師から告げられたのは……あまりにも非情な宣告だった。それらの症状の原因は心臓の病気で、激しい運動は絶対に避けなければならず、また競泳も今後一切しないようにと。
それ以来……颯の人生は暗転してしまった。公ヶ谷高校の生徒達の彼への態度は一転。同じ水泳部員の大半は気を遣ってよそよそしくなるか、舐め腐った態度になり陰口を言うかの二択だ。それまで颯をチヤホヤしていた水泳部員以外の生徒は見向きもしなくなり、別の水泳部員を応援するようになった。それだけでなく、「がっかりした」「応援して損した」などと心無い声まで颯の耳に嫌でも入ってきたのである。生徒だけでなく、ほとんどの教師の態度もそのように変わってしまったばかりか……
「全くもう……冗談じゃないよ! こっちはお前に期待して一生懸命働いて金を注ぎ込んできたってのに!」
「そうよ! 颯はずっと水泳で活躍できると思ってたのに……なんでこんなことになっちゃったのよ……」
「誰よりも早く泳げるお兄ちゃんが自慢だったのにー!!」
颯の両親・妹までもが変わってしまった。水泳をやめるよう宣告された日の夜、父は握り拳でリビングのテーブルを何度も叩きながら嘆き、母も涙を流し、妹は悔しそうに叫んだ。家族三人のこの反応に……颯は違和感を覚えた。
(……は? 俺辞めたくて辞めるんじゃなくて病気のせいで辞めなきゃいけねーんだけど?
しかも……三人とも俺のこと全然心配してねーじゃねーか……)
そもそもスイミングコーチの父は昔水泳をやっていたが全く芽が出ず、自分の夢を息子に押し付けていた節があった。母も颯の活躍ぶりをSNSに載せて話題になれば喜んでいたし、妹も友達に自分の自慢話をしていた。そしてトドメとばかりにこの反応だ。
この時、颯は実感した。自分に関わる全ての人が「万波颯」ではなく、「水泳部のエースである万波颯」が好きだったと言うことを。
「……ふっ……はははっ……」
呆れ・失望・情けないのを通り越して……颯は笑えてきた。力なく笑う颯に更にイラッとしたのか、父は鋭い視線でガンを飛ばしてくる。
「……何がおかしいんだ? だいたいお前がもっとちゃんと基礎トレーニングをしていれば……」
更に極め付けには病気を自分のせいにされ……颯は何かがプツッと切れた。そして気がつくと……颯は口よりも先に手が出てしまい、ボコボコに殴っては蹴っていた。父も母も妹も。
それからというもの、颯は学校も家も心底嫌になった。高校を中退したばかりか家にもあまり帰らなくなり、家にいたらいたで家族に暴力を振るうようになっていた。
そんな中でも、今までと変わらず接していた後輩が一人。それが日向だった。しかし……
(お前はいいよな……健康体でいくらでも泳げるんだから)
この時の颯は日向に対しても劣等感を感じ、また表面上は友好的にしていても、内心は他の生徒同様バカにしているのではないかと疑っていた。やがてLINEもSNSもアカウントを消し、自ら連絡を断ってしまった。
★
「いっ……いい加減離せや!」
首に回された日向の腕を振り解こうと、颯は体を捩らせる。やっと体を離した日向が涙ぐんでいるのと裏腹に……颯は鋭い視線で睨みつける。少し息を切らしながら。
「……なんなんだよ今更」
「…………え?」
開口一番そんなことを言われ……日向は心外だと言いたげな表情で口をつぐむ。つい先程までの感動の再会といった空気が一転し、凜以外の三人も唖然とする。こんな空気に颯は少し怯むも……辛辣な言葉を日向に浴びせる。
「俺とお前はもう何も関係ねーんだよっ! 部活も辞めちまったし。やっとお前と縁が切れて水泳のことなんか忘れようとしてたとこなのに!」
「………………」
あまりのショックで……日向は顔面蒼白になり、その場にヘナヘナと座り込んだ。颯と連絡が取れなくなってから約1年間、自分はあんなに心配していたというのに、あそこまで拒絶されるとは思わず。
これほどまでに強いショックを受け、打ちひしがれている様子の日向に菫と寛斗は黙っていられず、口を挟む。
「……いくらなんでもそんな言い方ないんじゃないですか?」
「そうですよ! この1年間うみんちゅ……日向君が先輩のことをどれだけ心配してたのか……」
「うるせぇ!!」
それでも颯は聞く耳を持たず……突っぱねる。
「どうせ日向だって他の奴と一緒だろ? 反吐が出るんだよ! 勝手に俺に期待してガッカリして……」
「違いますよ」
未だに座り込んでいる日向よりも先に、寛斗が真剣な顔で真っ向から否定する。それに対し、颯はますますイラついた様子で唇を噛み締めて震えながら、言葉を絞り出す。
「お……お前なんかもっと関係ねぇだろ!部外者なんかに何がわかる……」
「昨日、日向君ちでご飯食べさせてもらってたんですよ。その時に俺らに言ってくれました。先輩は今何されてるんだろう、もう一緒に泳げないのは仕方ないけどまた前みたいに仲良くしたいし、もっと水泳について教えて欲しかった。あと去年の大会あたりの時期に戻りたい、って。……なぁ、うみんちゅ」
日向は俯いたまま、大きく頷いた。そもそも今ここにいるのも、颯のことがずっと心配で少しでも会って話したいと思ったからだ。凜から話を聞いた時、日向は急いでこのバーに飛んできたというのに。
だが、颯はそれに構わずまだまだ悪態をついている。
「……おっ、お前なんかに俺の何がわかるんだよ! 健康体で今まで風邪すら全然ひかねーじゃねーか。泳ぎたくても泳げねぇ俺の気持ちなんか全っ然わかってねーくせに!!」
興奮したのか、早口で捲し立てた颯は言い終わった後、息を切らしていた。ここで、ずっと俯いていた日向が漸く再び口を開く。
「……確かに……わかりませんさぁ。俺は今まで重い病気になったこともなけりゃ、大きな怪我をしたこともないです。でも俺は……先輩の分までちばりたいと思ってました。だから色々教えて欲しかったんです……」
「………………」
顔を伏せたまま悲しそうに呟く日向に、流石の颯も暫くの間黙り込んでいた。しかし、颯はソファから立ち上がり……
「……別に頼んでねーし。てか勝手にやってろ」
そう言うと、颯は入り口のドアの方へと歩き出した。まだ完全に酔いが醒めた訳ではないのか、足元がふらつきながら。
「ちょっ……先……」
「おい」
日向が呼び止めようとしたところ……それまで暫く黙っていた凜も颯を引き止める。あろうことか先輩相手にその呼び方なので、日向・寛斗・菫が唖然とする。颯は立ち止まったものの……当然ながらカチンと来たようで「ぁあ!?」と凜を睨みつける。
「上原も言ってたみてぇだけど……アンタ本当に今何やってんだよ? 学校辞めたんだろ?」
凜が訊いた後も、颯は黙って睨みつけるだけだ。それに構わず、凜は話を続ける。
「俺……前もこの辺でアンタのこと見かけたぜ。あまりの変貌ぶりに別人かって思ってたけど、今日でアンタだってわかったよ。そういやあん時……何人かでつるんでたよな? なんかいかにもワルそうな奴らと」
「……!!」
それは伊豆の別荘から帰ってきた日のことだった。鍵谷の運転するバスを降りた凜は、反対方向から歩いてきた颯とすれ違っていた。なんとなく見たことのある顔だと思った凜は一旦立ち止まったものの、颯ではなく別人と判断してそのまま立ち去ろうとした。
しかしその後、凜は何となく再び足を止め、振り向くと……颯は数人の男と話しており、そのまま彼らと合流してどこかに去っていった。
その男達の見た目はというと……ほぼ全員金髪など派手な髪色にピアスやサングラスと、明らかに素行が悪そうな雰囲気だった。
「せ……先輩……なんでそんな奴らと……」
自分ではないと否定せず黙っている颯に、日向は再びショックを受けた様子で呟く。一方、凜はまだ颯がYESともNOとも言っていないにも関わらず、更に話を続ける。尤も否定しないうえ、図星を突かれたような顔をしているが。
「じゃあ今のアンタはそういう奴らとつるんでる方が楽しいんだな? うちのガッコにいるよりも」
「……あぁ、ガッカリしたとか抜かす奴がいねーからな」
前を向いたままそう返すと、颯はそのままふらつく足で歩を進め、バタンと大きな音を立ててドアを閉めて出ていった。
「あっ、万波さん!!」
日向は急いで立ち上がると、「ナバちゃんありがとさー!」とだけ言ってバーを出て、颯を追いかけた。
★
颯と日向がいなくなり、残った菫・寛斗・凜・瞬は暫くの間黙っていたが……凜はため息をついてボソッと言う。
「……やべえことになりそーだな」
「……ね」
菫も同調する傍ら、寛斗は何のことやらわからず目を白黒させる。
「ど……どういうこと? 確かに不良とつるんでんのはよろしくないけど……」
この界隈の事情についてよく知らない寛斗に、菫と凜が説明する。
「まぁ部活を辞めざるを得なくなってああなるのはよく聞くけど……とにかくヤバいのよ、この辺の不良は。ねぇ、生田目君」
「あぁ、喧嘩とか抗争なんかしょっちゅうだし他にも色々見かけるぜ。ナイフ持ってたりどう見てもヤク中だったり。あとカツアゲとかオヤジ狩りとか……」
かつてこの界隈で夜の仕事をしていた菫が、仕事帰りに不良達の非行を目撃したのは一回や二回ではない。ある日は集団リンチ、また別の日はオタク狩り、そのまた別の日は二人乗りのバイクが暴走し、菫はこっそり110番通報したこともある。また、深夜徘徊する少年少女に至っては毎日のように見かけ、時にはクスリのせいか明らかに様子のおかしい者も見かけた。
その実態を知った寛斗は……一気に血の気が引き、ショックを隠せない様子で頭を抱える。
「マジか……まさかそんなことになってたなんて……」
(そりゃ清宮君だってショックよね……何せ万波さんって人は公ヶ谷のスターだなんて言われてて、有名だったんだから……。生田目君は相変わらず涼しい顔だけど。それにしても上原君……大丈夫かしら? てゆーか二人ともどこに行ったの?)
昨年のことは何も知らない菫まで胸が痛くなる中……
「はいはーい!」
そんな空気を打ち消すかのように、瞬はパンパンと手を二回叩く。ハッと我に返る寛斗の横で、凜は「なんだよ」と兄を睨む。
「話の腰折っちゃって悪いんだけど……寛ちゃんと菫ちゃんはそろそろ帰った方がいいんじゃないかな〜? もうそろそろ20時だし、凜が言った通り遅くなればなるほどDQNがもっと湧いてくるぞ〜」
「……あっ! 本当ですね」
瞬がそう忠告したので、寛斗はスマホの時計を見ると……20時になるまであと数分だ。寛斗は暫くスマホをいじってから、優しい口調で菫に伝える。
「すー様、今鍵谷さんが向かってくれてるからちょっと待ってて」
「えっ! また送ってもらっていいの?」
「さっすが寛ちゃ〜ん! 凜なんかよりもずっとモテそうだぜ」
「うるせーよ」
それから暫くすると鍵谷の車が近くまで来てくれたらしく、菫と寛斗は「MOONNIGHT」を後にした。瞬は店内の照明を消して、荷物を持った凜と共に二階の自室へ向かう。
「なぁ、凜……母さん心配してねぇか? いっつもここで寝泊まりして、碌に家に帰ってねぇし……」
恐る恐る訊く瞬を、凜はギロリと睨みつける。
「今日一応会ったぜ。荷物取りに行ったんだから。……兄貴だって知ってるだろ、俺があの家に帰りたくねぇの」
瞬は何も言い返せず、黙ったままだった。
一方、「MOONNIGHT」を出た颯を、日向は追いかけていた。
「ついてくんじゃねーよ!!」
当然、颯は拒否するも……日向は聞く耳を持たない。
「嫌さぁ! 待ってくれるねー!」
もうすっかり夜だというのに人通りはそこそこ多い。まだ少しふらつく足で、颯は行き交う人の中に紛れるように振り切ろうとする。しかし、日向は諦めずしっかりと颯を追い続けている。一部の通行人はそんな颯と日向を怪訝そうな顔で一瞥する。
(クソッ……うぜぇ……。そういや日向の奴、視力はどっちも2だったっけ……)
そんなことを考えながら逃げる颯の耳に、背後から日向の大きな声が聞こえてくる。
「万波さーん! 酒もタバコもダメだわけさぁー! 病気なんだしそもそも未成年あらに!」
(てめっ……! でけえ声で言いやがって!!)
日向がそんなことを言ったせいで、これまた一部の通行人が眉を顰めて颯の方を見る。確かに病気を患った身体に酒もタバコも御法度であることはわかっているが、颯は水泳を奪われたことで自暴自棄になり手を出してしまった。たとえ病気が悪化したとしても、別にいつ死んでもいいとすら思っている。しかもいずれも最近は量が増え、今日に至っては倒れるまで酒を飲んでいた。
それでも日向はお構いなしに話を続け……
「本当に楽しいですさー? 不良とつるんで悪いことして……俺には信じられんさぁ。万波さんはちゃー水泳だけをちばってたから」
「だからもう部活の話なんかするな! 聞きたかねーんだよ!」
あまりのしつこさに、颯は一旦立ち止まって振り向いてから怒鳴りつける。久しぶりに大きな声を出したので、颯はハァハァと息を切らせながら、再びくるっと前を向く。
「……俺は信じてますから。先輩はいい人だって。カツアゲとかオヤジ狩りとか悪い事せんって……」
颯が再び歩き出す前に、日向は声を震わせてそう言った。それからこう続ける。
「俺……嬉しかっただわけさぁ。今日久しぶりに万波先輩に会えて……」
「………………」
日向が告げた後、颯は黙ったまま暫くその場に立ち尽くす。その日向は颯からの返事を待ちつつ距離を詰めようと歩を進めた。
しかしその時、日向のスマホが鳴り出した。
「っ!こんな時になんね…………あ!」
文句を言いながら渋々スマホの画面を見るなり……日向は慌てて電話に出た。
「……ごめんごめん遅くなって。ちょっと色々あったわけさぁ……え、色々ってぬーやが?って? それはちょっと……話すと長くなるさー。また後で言うばー」
電話を切った途端、日向は再び目で追うが……もうそこに颯の姿はなかった。
「……万波せんぱーい! 万波せんぱーい!」
名前も呼ぶも、やはり返事はない。恐らく、日向が電話している間にどこかに去って行ったのだろう。再び颯を捜すべく歩き出す。
が……ここで再び日向のスマホの画面が着信画面へと変わる。電話をかけてきたのは、母だ。
「もぉ〜! なんね!? 俺忙しいのにさー!」
またもやむを得ず電話に出ると……
「コラァ! ヤーはどこで油売ってるば!? 部活もう終わってるやし!?」
すぐさま母が怒号を飛ばしてくる。出る前はブツブツ言っていた日向も流石に震え上がり、即座に平謝りする。
「ご、ごめんさぁ……」
「いいからさっさと帰って店の手伝いするか、渚(妹)と大地(弟)の面倒見てろー!」
「はい……」
電話口からは母の怒声だけでなく、酒盛りをする客の笑い声も聞こえてくる。きっと今日も客がたくさん来ていて忙しいのだろう。日向はこの日は泣く泣く颯を捜すのを諦め、漸く帰路についた。
★
その頃、追いかけてくる日向からやっと逃れた颯は路地裏に引っ込んでいた。狭くて暗いので誰も来ないのをいいことに、颯はタバコを一本咥えてライターで火をつけ、煙を深々と吸い込む。
(アイツ……まだ俺のこと覚えてたのか)
口から煙を吐き出しながら考えるのは……日向のことだ。
(もう辞めた俺のことなんかすっかり眼中にないと思ってたのによ……。しかも俺がいなくなったおかげで……たぶん今アイツがエースだろ。ラッキーって思ってたんじゃねぇのか?
……てっきり日向も俺のことバカにしてるのかって思ったけど、そうじゃなかったみてーだな……)
もう一口煙を吸い込んでから、颯は久しぶりに自分に会った日向の反応を思い出す。日向は自分を一目見た瞬間、目を潤ませた挙句あろうことか抱きついてきた。自分が不良とつるんでいると聞いた後にはかなり落胆していた。もちろん日向が言った台詞も、颯の頭の中にしっかり残っている。
「でも俺は……先輩の分までちばりたいと思ってました。だから色々教えて欲しかったのに……」
「……俺は信じてますから。先輩はいい人だって。カツアゲとかオヤジ狩りとか悪い事せんって……」
この日向の言動は全て間違いなく本心だと、颯は確信している。そもそもこれまでの付き合いから、日向は嘘をつけない性分であることも知っている。そればかりか、寛斗も日向が自分のことを案じていたと証言していた。
これらに対し……颯は正直動揺していた。自分が想定していたのと全く違ったから。
(マジで……情けねーな……。後輩のアイツがあれだけ心配してくれてたのに、俺は好き勝手やってヤンチャして……)
自分の不甲斐なさを改めて実感し、颯は頭を掻きながら再び煙を吐き出す。いつの間にかタバコを全て吸い終わったので、新たに一本咥えてまた火をつける。またも紫煙を燻らせる中、今度は颯の頭の中に凜の台詞がフラッシュバックする。
「じゃあ今のアンタはそういう奴らとつるんでる方が楽しいんだな? うちのガッコにいるよりも」
(確かにそうだった。ちょっと前まではな……)
水泳と学校を辞め、これまでに颯は様々な非行に走っていた。酒にタバコ、家出や深夜徘徊はもちろんのこと、喧嘩や不純異性交友にバイクの無免許運転など色々やってきて当初は楽しかったものの……ここ最近はつまらない。水泳をやっていた時のような達成感や幸福感は全く感じられず、むしろ更にストレスが溜まって酒やタバコの量が増えている。
同志だと思っていた不良仲間達も、警察に捕まったりクスリでおかしくなったりと、仲良くなってもすぐに縁が切れて深い付き合いになる者はいない。
虚しく思いながら一服している颯に、男が一人近づいてくる。その男はまだら模様のような金髪メッシュ入りの短髪に多数のピアスと、颯同様いかにも素行のよろしくなさそうな容姿である。
「よぉ万波じゃんか! 何シケた顔してんだよー」
「……あ、清原か」
颯に気軽に話しかけてきた男、もとい清原は不良仲間の一人で、颯同様に高校を中退して悪に走ったという。彼は颯以上に色々とヤンチャしているのだが、まだ警察に捕まっておらずに付き合いがある。
「聞いたかー? 今日もまた例のパーティーがあるらしいぞ。お前も行こうぜ」
「いや〜、今日はいい。しこたま飲んで勃たねぇから……」
断られた理由に清原は大笑いしながら、バンッと思いっきり颯の肩を叩く。その衝撃で颯は口からタバコを落としそうになったが、何とか持ち堪えた。
「どんだけ飲んでるんだよテメェ! まぁいいや、俺と何人かで行ってくるよ。……あ、そうだ!」
清原は何かを思い出したように、颯に話を切り出す。
「なんかすっごい金稼げるバイトがあるってダチから聞いたんだよ! 1日10万円とか。凄くね!? お前もやろーぜ!」
「バイト……? めんどくせぇ……」
話を聞いた瞬間、颯は嫌な予感が頭をよぎった。が、清原に本心は言わずにとりあえず面倒とだけ言っておく。しかし、清原はノリノリで半ば強引に颯を誘おうとする。
「めんどくさくなんかねーよ! 物運ぶだけらしいし簡単だってよ。俺もクスリ代欲しいしさ……。とりあえず明日例の場所で打ち合わせするからお前も来いよ!」
それだけ言うと、清原は「例のパーティー」に行くためか足早に去って行った。清原の姿が見えなくなると、颯は気が重くなり大きなため息をつく。と同時に、再び日向と凜の台詞が嫌でも頭に浮かんでくる。
「……俺は信じてますから。先輩はいい人だって。カツアゲとかオヤジ狩りとか悪い事せんって……」
「じゃあ今のアンタはそういう奴らとつるんでる方が楽しいんだな?」
(……楽しい訳ねーだろ! だいたい何なんだよそのバイト……どう見てもヤベエやつじゃねーか。もしそんなのに俺が手を出したら、日向の奴なんて言うんだろ……
……もう付き合い切れねー)
いつの間にか二本目のタバコも吸い終わり、颯は再びタバコの箱を取り出し……パーンと音を立てて地面に力強く投げつけた。
(………………ん?)
突如路地裏から何かがぶつかる音が聞こえ、ある人物がちょうどすぐ側を通りかかり、足を止めた。
(アレは……万波って人じゃねーか。なんかスゲー変わったな……)
★
颯がグレて不良と付き合っていると話を聞き、日向と寛斗が悲しんでいるのを見て心を痛めた菫は……自分も動き出すことにした。
菫がまず頼ったのは、警察官でもある葵だ。翌朝、菫は葵に早速訊いてみる。ここ最近で万波颯という人物が捕まったり補導されていないかと。しかし、守秘義務違反になりかねないと断られてしまった。だが……
「今日でよかったら、ちょっと一緒に様子見に行ってみる? その万波って子がちょうどいるかどうかはわかんないけど……」
と誘ってくれた。ちょうどこの日の葵は仕事が休みである。菫はせっかくの休みなのにと申し訳なくなり一旦は断ったが、葵は夜までは休めるから大丈夫と言ってくれたので……お言葉に甘えることにした。
そして菫が頼ったのは、もう一人。
「ツンツンした銀髪にピアスいっぱい開けてて派手な服の男ぉ?」
「そ!」
いつものように膝の上に座るドンキーを撫でながら、菫は頷いた。それを聞いた瑠奈は目をぱちくりさせている。
颯がいるであろう繁華街に葵と向かう前の夕方、菫はまたドンキーを散歩に連れて行くため、瑠奈のマンションにお邪魔させてもらっていた。そのついでに颯の特徴を伝え、見かけたら教えて欲しいと頼んだのだ。
「……もっと他に特徴ってないの?」
「そうね……ちょっと濃い感じの顔かしら? 彫りが深いっていうか……あ! それと身長は180以上はありそうね(生田目君よりもデカかったし)」
思い出せた限りの特徴を伝えたものの……瑠奈は腕を組んで難しい顔をする。
「うーん……ぶっちゃけそんな感じの奴しょっちゅう見かけるんだよね〜。だから見たとしても本当に万波って子なのか……」
「……そうよね〜。まぁもし見かけたらとりあえず言って! 後で葵と一緒にあの辺見に行ってみるし。
さぁドンキー、お散歩行きましょ! 今日もドンキー用のベビーカー借りてっていい?」
「どうぞー!」
菫は瑠奈が淹れてくれたコーヒーを飲み干すと、ドンキーを連れて散歩に出掛けて行った。
部屋に残った瑠奈は、菫とドンキーがいないのを良いことに、ベランダに出ないままタバコに火をつける。反対の手ではスマホを持ち、何となくSNSを立ち上げてぼんやり眺めていたところ……
「…………!!」
とある画像に写り込んだ者に気付き、タバコを口に咥えたままそれを二度見した。
その日の夜……日向は昨日に続き、繁華街へと足を運んでいた。もちろん、颯を捜し出して不良達と付き合うのをやめるよう伝えるために。両親には友達とご飯に行ってくるという口実を使い、家を抜け出して。
(万波先輩……あんな悪い奴らと付き合っちゃダメさー! もし先輩が抜けられんのなら……俺から一言言ってやるさぁ! 正直デージ怖いけど……先輩のためなら……)
意を決して繁華街へと向かったものの……よくよく考えるとこの日は金曜日。なので、人通りは昨日よりも格段に多い。そのせいで……日向の両目2.0の視力でも颯の姿は見当たらない。
(万波さん…………どこにいるんさぁ?)
行き交う人々のほとんどが仕事帰りの会社員か、客引きまたは水商売風の女性で、素行の悪そうな者は時々見かける程度だ。容姿こそよく似ているものの、颯ではない。多くの人が次々と往来する中、何回キョロキョロ見回してもダメで、日向は途方に暮れる。
と、ここで日向はあることを思い出した。
(万波さん……ナバちゃんのバーの近くの公園で倒れてたんやし? だからあの辺に行きゃ……)
そう思った通り、瞬のバーの近くまで行ってみると……
(……いたさーー! 万波先輩!!
………………ん?)
早速颯を見つけ、日向はニヤリと笑ったのも束の間……すぐに建物の陰にサッと隠れた。なぜなら、颯は一人ではなく別の派手な格好の男と一緒にいたからだ。二人は何かヒソヒソ話し込みながら一緒に歩いている。その二人の様子を、日向は物陰からじっと眺める。
(あの人は……誰さぁ? もしかしたら例のつるんでる不良が? とりあえず……ついて行くしかないさー!)
颯を目で追いながら建物の陰から出ようとした時、またしてもスマホが鳴って日向はびっくりして慌てる。しかし、今回は電話ではなくLINEだった。
“本当に大丈夫なの? 絶対怪我しないでよ!”
送られたメッセージを見て、日向はふふっと笑う。
(俺は大丈夫さぁ……)
★
19時半頃、菫と葵が待ち合わせ場所へ向かうと……既に彼らは到着していた。
「ごめん、待ったかしら? 清宮君、生田目君……」
「久しぶり〜」
そこに立っていたのは、寛斗と凜。菫は葵と共に繁華街に行く前に、二人を呼び出して落ち合う約束をしていたのだ。何かあったら連絡するようにと、寛斗が言ってくれていたから。
葵は二人に会うのは元教師の山川を確保した日以来なので、懐かしそうに手を振っている。
「いや〜、俺らもさっき来たばっかだぜ。なぁ、凜。葵さん、お久しぶりです。また協力してもらってすみません」
「あぁ。どーも……」
寛斗と凜は葵に軽く挨拶した後、早速本題に入る。
「で、何か手がかりがあったんだよな? すー様」
「ええ、あのね……」
ドンキーの散歩の後、菫は瑠奈からある画像を見せてもらい、颯についての「手がかり」を聞いていた。その画像というのは瑠奈の同僚がSNSに投稿し、菫がドンキーと散歩に行っている間に瑠奈がふと見つけたものだ。その画像は一見キャバ嬢数名で写っている何の変哲もない写真であるが、よく見ると後ろに颯に酷似した男の姿があった。
「私の知り合い(瑠奈)が言うにはね……この近くに何軒かある廃墟の中のどれかに出入りしてるんじゃないかって。不良の溜まり場になってるって噂もあるみたいなのよ」
現に、瑠奈が見つけた画像に写る颯に似た男は、その廃墟があるという方向に向かって歩いていた。それだけでなく、葵もうんうんと頷く。
「確かにあの辺はパクられる奴多いからねー。廃墟をアジトにしてクスリやってる奴もいるし……」
「……前もどっかにいたな、そういうワルが」
「あぁ……」
葵だけでなく、凜と寛斗も同調する。そもそも前に「肝試し」と称して行った廃墟にも不良がたむろっていたから。
と、ここで菫は最も重要な人物の姿がないことに気付く。
「あれ? ……上原君は?」
菫が日向の存在について訊いても、寛斗は顔を曇らせ首を横に振るだけだった。
「実は……うみんちゅと連絡とれなくて。電話は出てくれないしLINEは既読つかないし……」
「ええ〜〜……!」
あれだけ颯を慕っている後輩だというのに何してるのよ……と菫は呆れ返った。その一方で、凜と葵はさっさと例の廃墟へ向かおうとする。
「おい、早く行こーぜ。その廃墟とやらに」
「そうしましょ! とりあえず行けば、万波って子いるかもしれないし」
そうして皆で行こうとしたが……寛斗は未だに立ち止まり、何度か瞬きしながらある方向をじっと眺めている。寛斗の視線の先にあるのは……数軒隣のパチンコ屋だ。
「……どうしたの、清宮君?」
「……なぁ、アレって……」
菫が訊くと、寛斗はパチンコ屋の方を指差す。その方向を見るなり、菫も目を疑った。そのパチンコ屋前の喫煙コーナーで……3組のあるクラスメイトが紫煙を燻らせていたからだ。その彼も菫達の存在に気づいたのか、「あっ」と口走る。
「あっ、じゃないよザワ! 何やってんだよこんなとこで!!」
まさかのクラスメイトの喫煙シーンに、寛斗は居ても立っても居られず、颯のことは一旦置いて幸輔に声を掛けに行く。
「何って……見りゃわかるだろ」
幸輔はタバコを咥えたままパチンコ屋の看板を指差し、あっけらかんと答える。が、寛斗はもちろん後から来た菫と葵も呆れた顔になる。凜は表情を全く変えず無表情のままだが。
「いやわかるけど……パチンコなんかダメだろ未成年なのに!」
「そうよ! あとタバコもダメだからね! ここにちゃんと警察官もいるんだから!」
寛斗と菫が苦言を呈する横で、葵は真面目な顔で警察手帳を出す素振りを見せる。しかし、幸輔はここに警察官がいるにも関わらず、全く焦る様子がない。そればかりか鼻で笑っている。
「……いや〜、大丈夫だぜ。
だって俺………………20歳だし」
幸輔はそう言うと、ポケットから財布を取り出し、そこから更に運転免許証を出して四人に見せた。その種類欄には「普通」と書いており、生まれ年も寛斗や凜よりも3年早く書かれている。




