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53ページ目 菫さんと傷だらけの元エース 前編


「海ぶどうとオニオンビールで!」


「はーい! 喜んで!」


「俺はジーマーミー豆腐と泡盛のソーダ割り!」


 ある日の水曜日の夜。翌日も平日だというのに飲んでいる客で賑わっているのか、一階からは注文する声と返事をする両親の声がひっきりなしに聞こえてくる。


「………………」


 明るい声や笑い声が下から聞こえてくる中、日向はいつになく浮かない顔で自分の部屋の机に座っている。頬杖をつき、虚ろな視線の先にあるのは……写真立てだ。その中には、自分と一つ上の先輩が肩を組んでいる写真が入っている。この先輩は去年の今頃、水泳部のエースとして大活躍し、オリンピック代表になるかもしれないと囁かれたものの……今年の大会にその姿はなかった。


万波(まんなみ)先輩……今何してるば? まさか部活だけじゃなく学校まで辞めちゃうなんて……)


 ため息をついて、既に辞めてしまった先輩に対して思いを馳せていると、日向のいる二階に向かって母の声が聞こえてきた。


「日向ー! ヤーもちょっと手伝って!」


「今勉強してっからダメさー!」


 日向は思いっきり嘘をついたが、母はまんまと騙され「そーか、仕方ねぇなー」と言う。日向には中学生の妹と小学生の弟がいるが、彼らは塾に行っていて、今家にいない。普段は日向も時折店の手伝いはするのだが、昨日からイマイチ手伝う気になれない。どうしても、その先輩・万波(まんなみ)(はやて)のことが気になって。


(去年はあんち速く泳いで成績も残せたのに……俺じぇんじぇんわからんかったさぁ。心臓に持病があったって……。病気のせいで泳げんで辛かったろうけど何も学校まで辞めんでも……)


 颯は去年の大会後、体調不良で部活を暫く休んだ後……水泳部はおろか学校まで辞めてしまった。日向が持病のことを知ったのは、颯が退学してからのことだった。それからも日向は連絡を取ろうとしたものの、LIMEも繋がらなくなり音信不通になってしまっている。

 写真の中の颯は自分の隣でニッコリ笑い、Vサインをしている。あの頃に戻れたら……と日向が再びため息をついて悲しげに眺めていると……


「日向ー! 聞こえてるばー!?」


 再び母の声が聞こえてきた。またかとうんざりし、日向は頭を掻きながら渋々返事をする。


「だーかーらー、今勉強してるって言ったさー! 何回言わせ……」


「手伝いはいいさー。ドゥシが来てくれてるから降りてきなー」


「ドゥシ…………誰さー?」


 ドゥシとは沖縄方言で「友達」を意味する。てっきりまた手伝わされると思いきや、どうやら誰か来てくれているらしい。それなら行こうと思い、日向は自分の部屋を出て一階へ降りて行った。




「おー!」


「うみんちゅ久しぶりー!」


 一部の客達がどんちゃん騒ぎする中……テーブル席から手を振っているのは、寛斗・悠太・成一の三人だ。彼らの存在に気付いた日向はそれまでの冴えない表情からパッと笑顔に変わり、すぐさま席へと向かった。




 三人はそれぞれ部活が終わってから偶然会い、せっかくだから……と、日向の実家である「うさがみそーれ」という沖縄料理店に足を運んでいた。日向達上原一家は7年前に沖縄から引っ越してきて、この「うさがみそーれ」がオープンしたのは5年前のこと。日向ら子供達は友達に自分の店を度々宣伝しており、こうして来てくれることも時々ある。今回、寛斗と悠太は初めてだが、成一は今までに何回か足を運んでくれている。


 寛斗と悠太がソーキそば定食、成一が豆腐チャンプル定食を頼み、日向はオーダーを取ってから三人と一緒に席に座る。


「はい、うみんちゅ。コレお土産な、伊豆に行った時の」


「えっ! ありがとさー! でーじうまそうだぜ」


 日向が座るなり、寛斗は早速伊豆のお土産を渡す。貰ったものは食べ物……ではなく、魚の干物のストラップである。干物があまりにもリアルに作られているので、日向は思わずそう言ってしまった。そんな日向に成一と悠太はツッコミを入れる。


「おいおいうみんちゅ、食うんじゃねーぞ!」


「気持ちはわかるけど美味しくないから〜」


 日向はゲラゲラ笑いながら首を横に振り、寛斗に先日の伊豆旅行の話題を振る。


「流石に食べんさー! で、きよみー、楽しかったが? 海水浴にチャボテン動植物園に水族館も行ったんやし? 俺も行きたかったさー」


 そう言われた寛斗は、なぜかキョトンとする。


「あぁ、楽しかったけど……なんで知ってんの? 俺まだ言ってないよな、どこそこに行ったかって……」


「……!」


 日向はハッとして一瞬言葉を失うが……なんとかその場を取り繕う。


「あっ、あの……インスタ見せてもらったんさぁ……」


「あっ、そっか。確かにそれなら知ってるよな」

 

 寛斗があっさり納得してくれたので、日向はホッとする。


(危なかったさぁ……下手すりゃバレるところだったばー。俺と……)


「……なぁ、うみんちゅ。お前どうしたんだよ?」


「……はぁ!?」


 しかし安堵したのも束の間……今度は成一が何やら怪訝な顔をしている。なので、日向は再び肝を冷やす。首の後ろをつーっと冷や汗が伝いながらも、今度はとぼける。


「ど、どうしたって……どうもしてねぇさー?」


「そんな訳ないよー、しっかり顔に出てたもん! ここに来る前、ちょっとしょげてたじゃんか……」


「え…………あ……!」


 焦る日向だったが……思っていたのと違う指摘を悠太にされ、動揺して固まってしまう。確かに、ここに降りてくる前の自分はしょげており、何度もため息をついていた。困惑して再び口篭ってしまう日向に、寛はズバリと言い当てた。


「うみんちゅ……もしかして心配してるのか? 万波さんのこと」



 翌日の夜――


「ほんっとごめんね菫ちゃん!!」


 瑠奈はパンと音を立てて勢いよく手を合わせ、申し訳なさそうに謝る。それに対し、菫は首を横に振る。


「いいのよ瑠奈ちゃん。私学校さえなければ暇だし定期もあるから気にしないで。それにしても瑠奈ちゃんちの合鍵持っててよかったわ。はい、コレでしょ?」


「ありがとーー!」


 菫がフューシャピンク色のカバーの手帳を手渡すと、瑠奈は目を輝かせてそれを受け取った。瑠奈はこの手帳に客の情報や連絡先を書き留めており、仕事では必需品なのだ。だが、今日はこの手帳を忘れてしまい、瑠奈の部屋の合鍵を持っている菫に届けてもらっていた。

 二人が今いるのは瑠奈の勤務先のクラブの裏口で、これから仕事を控えている瑠奈は既にヘアメイクを終えドレス姿になっている。それを見た菫はつい懐かしくなってしまう。


「今日のドレスも可愛いじゃない、瑠奈ちゃん」


「何、また着たくなってきたの?」


 菫は再び首を横に振った。流石にもう二度と夜職には戻りたくなくて。


「そんな訳ないじゃな〜い。もう私は足を洗ったんだから……」


「別に着たらいいじゃ〜ん。あっ、そういえばもうすぐ二学期始まるし、二学期は学園祭あるでしょ? その時とかどうよ? キャバ嬢のコスプレってことで」


「いくらなんでもそれはちょっと……てゆーかまだ学園祭何するか決まってないし」


 流石にそんなコスプレは学校に止められるでしょ……と菫が思っていると、クラブの中から瑠奈を呼ぶボーイの声が聞こえてきた。瑠奈は「はーい」と答える。


「じゃ、私そろそろ行かなきゃ。菫ちゃんも……高校生がこんなとこいたらダメだからね?」


「……瑠奈ちゃんが忘れ物したからでしょ? まぁ確かにそうなんだけど」


 最後に軽口を叩き合ってから、瑠奈は仕事に戻り菫もクラブを後にした。19時前の繁華街は平日だが人通りが多く、仕事帰りにアフターファイブを楽しむであろう社会人でごった返している。また彼らに絡んでいる客引きの姿もある。

 これだけ人が多いと、公ヶ谷高校の教師が飲み歩いていたり夜職時代の知り合いがいる可能性もあるので、菫は怪しまれない程度で周りをチラチラ見回す。が、今のところ幸い知り合いの姿は確認できない。尤も、菫も髪をサイドで三つ編みにし、帽子とマスクで身バレを防ぐようにはしているが。


(それにしても……もう夜だってのにあっついわね〜。私がこの辺で仕事してた時、もっと涼しかったような気がするわ……)


 スマホでこの辺りの気温を確認すると……未だに30度だ。真っ暗までとは行かないものの、すっかり空が群青色に変わっているというのに。

 周りに知り合いがいないのをいいことに、菫は少々気が抜けてスマホを見ていた……その時だった。




「……また夜職やんのかよ。せっかくやり直してるとこだってのに」


「!!」




 背後から囁かれ、菫はドキッとしてその場に立ち止まる。だが、その声と口調には心当たりがあるうえ、菫は彼がこの繁華街近辺に住んでいることも知っている。菫がくるりと振り向くと、案の定その彼はすぐ後ろに立っていた。


「出戻りなんてする訳ないでしょ……生田目君」




 立ち話もなんなので、菫と凜は繁華街近くの小さな公園のベンチに腰を下ろす。そこに座るなり、凜は激辛ハバネロ味の唐揚げの箱を開ける。「よかったらお姉さんがアイスでも奢ってあげるわよ〜?」と菫に言われるがままコンビニに寄り、アイスではなくそれを選んだからだ。


「私、今の高校生活結構エンジョイしてるんだからね〜? こないだの別荘だって楽しかったもの」


 菫はリンゴ味のアイスキャンディーを齧りながら、先程の話を続ける。持っていたリュックを挟んで隣に座る凜も唐揚げに齧り付いているが……「激辛」と謳った割にはそこまでだったらしく、物足りなさそうな顔をしている。


「……まぁアンタガッツリ満喫してたもんな」


「だって伊豆に行くの初めてだもの。ていうか出戻りとかあり得ないから……もう夜職やりたくないし……」


 心底嫌そうな顔で菫が呟くと、凜は不思議そうな顔でチラリと見てくる。あっという間に唐揚げを平らげ、空になった箱を握りつぶしながら。


「へぇ……稼げんのに?」


「まぁそうだけど……色々あるのよ。稼げる分代償がね……」


 菫もアイスキャンディーを食べ終えてから、大きなため息をつく。そもそも夜職が本当に楽しくて一切苦がなければ辞めていないし、高校に行かずに今も続けているはずなのだから。


「ところで生田目君はこんなとこで何してたの? お家帰るとこかしら?」


 あまり暗い話もしたくないので、菫はそれから話題を変えた。すると、凜は少しだけ黙った後これだけ告げる。


「……ちょっと荷物取りに行ってたんだよ」


「……は? 荷物って何の…………!?」


 何のことかよくわからず聞き返す菫を……凜は迷惑そうにギロリと睨む。言われてみると、今日の凜はリュックを持っていて、恐らくその中に「荷物」が入っているのだろう。ガンを飛ばされてビクッと怯む菫に、凜はため息をつき低い声で冷たく言い放つ。


「……俺だってアンタと同じで色々あんだよ」


「ご、ごめん……。……ちょっとゴミ捨ててくるけど……よかったら一緒に捨てに行くわよ?」


 気まずくなった菫はひとまず謝った後、アイスキャンディーのゴミを捨てに行くことにした。菫に言われるがまま、凜は黙って唐揚げの箱を渡す。それを受け取ると、菫はそそくさとゴミ箱へと向かった。


(あー、怖っ……。まぁ詮索されたくないのはわかるわよ……。でもそんなつもりは……)


 そう思いながら菫はゴミをゴミ箱に入れ、踵を返そうとしたところ……




ドサッ!


「ん?」




 何かが倒れるような音が背後から耳に入り、菫は思わず振り向いた。



 振り向いた菫の視界に飛び込んできたのは……地べたに横向きに倒れている一人の男性。


(……え!? どうしたのかしら!?)

 

 菫は咄嗟に男のすぐ近くまで駆け寄る。まずは息をしているか確認するべく腹のあたりを見てみるが……しっかり動いている。そればかりか暫く待つと、スースーと寝息まで聞こえてくる。


(あっ……寝てるだけなのね。もしかして……こんな時間なのに酔っ払いかしら? ていうかこの人……なんか怪しいわね。まるで半グレか反社みたいな派手なカッコしてるし……)


 よく見ると男の頬は赤く熱っているし、匂いをスンスン嗅いでみると酒とタバコの匂いがしてくる。どうやら酔っ払って倒れたらしい。男の格好はかなり派手な柄の赤いTシャツにジャージで、ツンツンさせた短い銀髪にピアスを多数開けている。その見た目から、菫は怪しい者ではないかと疑うが……すぐに首を横に振る。


(いやそんなことよりも……助けなきゃダメよね? このまま放置するわけにもいかないし……)


 いくら酔っ払いとはいえ放っておけず、菫はとりあえず男に声をかけることにした。


「あの……大丈夫ですか?」


 男は眠ったままで返事をしない。なので、菫は今度は大きな声で呼んでみる。


「すみませーん! 大丈夫ですかー!」




「……?」


 その声は、ベンチに座っている凜にまでも聞こえた。


 菫が何回呼びかけても男は寝たまんまで返事をしない。当然、菫はどうしていいかわからず途方に暮れる。


(あーあ……どうしましょ。このままじゃ警察か救急車……)


「……何だよ酔っ払いか?」


 菫がスマホを取り出して「1」を押したところで、足音が聞こえてきた。咄嗟に振り向くと、そこには凜が立っていた。案の定、面倒臭そうな顔をして。


「なっ、生田目君! そう、たぶん酔っ払いよ! さっきからずっとここで寝てて起きないの。何回も声を掛けてるのに」


「……別にほっとけばよくね?」


 淡々と言い放つ凜に、菫は断固反対する。


「ダメよ、放っとくなんて! 熱中症になるかもしれないじゃない。今日も熱帯夜になるみたいなんだから」


 もうすっかり日没を過ぎ、夜空へと変わっているが……昼の茹だるような暑さはそのまま続いている。こんな暑い中で倒れたまま放っておくと……命の危険に晒される可能性もなきにしもあらずだろう。だから菫は放っておけないのだ。

 

「まぁそうだけど自己責任じゃねーか。どうせどっかで飲んできたんだろうし………………ん?」


 呆れた顔であしらおうとした凜だったが……何かに気付く。そればかりか男へ距離を詰めてしゃがみ込み、寝顔をまじまじと見る。暫く眺めた後、凜は「やっぱりアイツか……」とだけ呟いた。


「……え? もしかして……知り合いなの?」


 どうも凜はこの男のことを知っているらしい。菫が訊くと、凜はあっさり頷いた。


「あぁ……うちのガッコにいた人だぜ。万波っていう……」


「……ってことは未成年!? いやダメでしょこんなに酔ってちゃ! ていうか……まんなみ?」


 まさかの未成年かもしれないと聞き、菫は驚愕する。それと同時に菫はこの男に見覚えはないものの、その苗字だけはどこかで聞き覚えがあった。頭をフル回転させて、万波という苗字をどこで聞いたのか思い出している菫の横で、凜は男の左腕を自分の肩に回す。続いて自分の手を男の腰に回して、凜は男に肩を貸すような姿勢でゆっくりと立ち上がらせる。その間も男は目を覚まさなかったが。

 それでも思い出せない菫に、凜はこれだけ告げる。


「……俺らの一つ先輩で、水泳部のエースだった人だよ」


「…………あ!!」


 そう言われると……菫の頭の中にある記憶がフラッシュバックする。あれは終業式の日、班で校舎裏の掃除をしていた時のことだった。水泳部が強豪という話を寛斗や聡太郎から聞き、そこには去年まで学園のスターと言われるエースがいたという話を。そのエースの苗字が……確か「万波」だったのだ。

 そしてその万波の現在はというと……噂によるとグレたという。確かにこの風貌で、未成年飲酒・喫煙もしているようなので……その噂は本当だと思われる。


 こうして菫は胸のつかえが取れたような気分になったのも束の間……新たな疑問が生じた。凜は颯に肩を貸したまま歩き出し、どこかに連れて行こうとしているからだ。


「な、生田目君…………これからどこ行くの?」


「どこって……コイツが安全に寝れるとこ。…………っ!!」


「あっ! 危ない!」


 凜が答えた直後、颯はバランスを崩して転びかけ、凜に再び支えられた。その弾みで、颯のスマホがジャージのポケットから落ちそうになる。


「スマホが落ちそうね……私が持ってた方がいいかしら?」


「いんじゃね? 失くしたら俺らが盗ったって疑われそーだし」


 菫は颯のスマホをポケットから取って手に持つと、凜と颯について行った。



 凜が颯を連れて行った先は……とある店舗兼住宅になっているバーだ。入口のドアには「CLOSED」と書かれており、どうやら今日は定休日らしい。だが、凜はお構いなく鍵を開けて中へと入っていく。中は電気がついており、マスターと思われる20代半ばぐらいの男性がカウンターの向こうにいる。その男性は凜達を見るなり目を丸くする。


「おいおいどうしたんだよ凜〜!? 酔っ払いと女の子なんか連れちゃって〜」


 こんな状況にも関わらず、マスターはニヤニヤしながら開口一番にそう言った。そんなマスターに、凜は睨みながら言い返す。


「うるせーな、この酔っ払いは公園で拾ったんだよ。あとこのチビは俺と同じクラスで偶然会っただけ。ちょっとテーブル席借りるぜ」


「はいはいどーぞ。よかったな〜、今日ウチが定休日で」


 適当に返事するマスターと「チビ」呼ばわりされて苦笑いする菫をよそに、凜はテーブル席のソファの上に颯を寝かせた。相当飲んだのか、やはり颯は眠ったままでいる。菫は今まで持っていた颯のスマホをひとまずテーブルに置く。


「ここってもしかして……生田目君の家なの?」


 キョロキョロ見回しながら菫は凜に訊く。店の中はバー特有のオシャレで落ち着いた雰囲気で、大人の隠れ家と言った感じだろうか。ここだと大衆酒場のようにどんちゃん騒ぎする客はまずいなさそうで、ゆっくりと会話ができそうなのでデートに使う客も少なくなさそうだ。

 すると……凜よりも先にマスターの方が質問に答えてくれた。


「まぁそんなとこだね! コイツいつもここで寝泊まりしてるし。あ、俺……凜の兄の瞬っていいまーす!」


「えっ…………お兄さんなんですか!?」


 まさか凜に兄弟がいるなんてと驚く菫の横で、凜はうんざりした顔をする。しかも、凜と顔は少しばかり似ているものの、雰囲気と態度は全く似てないので菫は余計にびっくりさせられたのだった。




 このバーの店名は「MOONNIGHT」で、凜の兄の瞬が数年前に開業したそうだ。本来、凜は瞬と別居し両親と住んでいるものの、開業後は度々ここに泊まりに来るようになり、特に最近はほぼ転がり込んでいる状態なのだという。

 そんな身の上話を菫相手にする瞬を尻目に、凜はうんざりした顔のまま自分のスマホを取り出し、LIMEの画面を立ち上げる。


「……一応電話しとくか」


 スースー寝ている颯の前の席に座っている凜は、画面を見ながら呟く。


「電話するって……誰に?」


 菫が訊くと、凜は2年3組のあるクラスメイトの名前を挙げた。


「誰って……上原だぜ。同じ水泳部だったんだろ確か」


「あっ……そうだったわね」


「……ぇえ!? ってことは……未成年!? 凜と菫ちゃんと同いってこと!?」


 電話の相手に納得した菫と、少し前の菫同様に呆気に取られる瞬を尻目に、凜はスマホを耳に当てがう。その一方で、菫は実は凜よりも10歳年上なので一瞬ギョッとすると同時に、弟と違って見抜かれていないことに安堵もした。


「いえ、私達より一つ先輩らしいんですけど……」


 電話をしている凜に変わって菫が瞬の質問に答えたところで、繋がったのか凜は「もしもし……」と話し始めた。




 数分前、長引いた部活が終わった日向は学校を出て最寄駅へと向かっていた。昨日から引き続き、冴えない顔で下を向いて歩いている。やはり頭の中に思い浮かぶのは……颯のことだ。


(やっぱりダメやっさー……万波さんがどうしてんのか心配(しわ)で、イマイチ集中できんかったな〜。水泳部に戻って欲しいとは言わんし、元気にやってくれてたらそれでいいんやしが……)


 そんなことを考えながらとぼとぼ歩いている日向の肩を、突如誰かが背後からポンと叩いた。当然、日向はびっくりして咄嗟に振り向く。


「あ……き、きよみー!?」


「よ、お疲れさん。また会ったな」


 すぐ後ろに立っていたのは……寛斗だ。彼もまた部活帰りなのか、日向と同じくTシャツに自分の部活のジャージという格好である。昨日は店に来てくれたので、会うのは二日連続になる。


「も〜、しかんだじゃねぇさー! そんなしかませらんけー」


「……どゆこと?」


「びっくりしたってことさー!」


「ごめんごめん、前にいたからつい……」


 寛斗が謝ったところで、スマホのバイブが鳴った。二人同時にスマホを取り出したところ……


「あいっ、俺のスマホさぁ…………ぇえっ!?」


 鳴ったのは日向のスマホだったが……画面を見るなり日向はびっくり仰天した。


「ど、どうしたんだようみんちゅ……」


「な、な、ナバちゃんから電話がかかってきたわけさぁ! いっ、一体何さぁ!?」


 日向があそこまで驚いていたのは……電話の相手が凜だったからだ。そもそも熱血派の日向とクールな凜は合わないし、教室でまともに話すことすらない。もちろん電話がかかってくることも今が初めてだ。

 こうして狼狽する日向とは裏腹に、寛斗は涼しい顔であっけらかんと言う。


「あぁ、凜なんだ。とりあえず出れば?」


 少し緊張しドキドキしながら、寛斗に言われるがまま日向は電話に出る。


「もしもし……」


「あ、上原? さっき偶然宮西と会って……実は……」




 凜から話を一通り聞いた後……日向はまたしても驚愕させられる羽目になるのだった。


「……ぇええーーー!? ま、万波さんがぁ!?」


 人目も憚らずに叫ぶ日向に、寛斗も何事かと驚きながら聞き耳を立てていた。



「……ん?」


 「MOONNIGHT」に連れて行ってもらってから約30分後……颯は漸く目を覚ました。


(ここ……どこだ……? 俺さっきまで…………覚えてねーや……)


 飲み過ぎたせいで、つい先程までの記憶すら飛んでしまっている。今、颯の目にはダークブラウン色の天井とムーディーな雰囲気の照明が映っており、颯は暫くの間それをぼーっと眺めていた。

 が、やがてその景色はぐるりと大きく歪み、それと同時にズキンと頭に鋭い痛みが走る。


「……いでっ!!」


「大丈夫ですか?」


 あまりの痛みに頭を抑える颯に、菫は心配そうな顔で彼の顔を覗き込んで訊く。


「…………誰だよお前」


 颯は菫の質問に答えず質問で返す。そもそも颯と菫は全くの初対面であり、颯にとっては全く知らない女性が視界に入っている状況だ。すると、菫はふふっと笑ってから答える。


「通りすがりの者よ、ねぇ生田目君」


「……な、なばため……?」


 その苗字は……颯には聞き馴染みがあった。確か既に辞めてしまった高校で、その苗字を何回か聞いたはずだ。確か、自分よりも一つ後輩で成績は毎回学年一位、「学園のスター」扱いされていた自分に匹敵するほどモテていた……。


「…………痛っ!!」


 と、高校にいた時のことを思い出していると、またもや鋭い頭痛に襲われ、颯は再び痛そうに頭を押さえる。菫は再び「あっ、頭痛いんですか!?」と訊き、凜と瞬も颯の元へと駆けつける。瞬はコップに入った水を持って。


「ったく……こんなに飲みやがって。そもそも未成年だろ君〜? ほら、とりあえず水飲みな。凜、起こしてあげて」


 瞬に命じられ、凜は渋々颯の両腕を掴んで引っ張り、上半身を起こす。その間、颯は嫌そうな顔をしていたが、いかんせん酔っ払っていて抵抗する気力もないのか、されるがままになっている。それでも颯はだいぶ喉が渇いていたのか、コップの水をゴクゴク飲んで一気に飲み干した。


「……悪いな」


 それだけ言って、颯はコップをテーブルの上に置いた。水を飲んだおかげで少し楽になったのか、颯は先程よりかはシャキッとしており、そのままソファに座っている。流石にまだ本調子ではなく相変わらず顔は赤いままだが。

 そんな颯に、凜は涼しい顔で早速毒舌を飛ばしてくる。




「で、こんなとこで何やってたんだ? 未成年のくせにこんな酔っ払って。ったく、「公ヶ谷のスター」だってのに落ちぶれたもんだぜ。今こんなことになってるなんてバレたら皆ガッカリするんじゃね?」


「ちょっ、生田目君! そんな言い方はないでしょ!」




 凜にとってこれぐらいの発言は通常運転なのだが、いくらなんでもこんな状況では……菫も注意せずにはいられなかった。瞬も弟の無礼な態度と毒舌っぷりに、ため息をついて頭を抱える。そして当の颯はというと……明らかにカッとなって鬼の形相で凜を睨んでいる。が、それでも凜は意に介さない。


「いやどう見たって落ちぶれてるだろコレじゃ」


「も〜! そんなこと言っちゃぶん殴られるわよ!」


「す、菫ちゃん……それフォローになってねぇんじゃねぇか……?」


 こんな凜・菫・瞬のくだらないやり取りに、むしろ颯は笑えてきて……思わずハハッと声を出して笑ってしまう。それに気付いた菫達三人は、きょとんとした顔で颯を見る。


「……何がおかしいんだよ。なんか変なものでも見えてんのか?」


 今度は凜が訝しげに訊くが、颯も凜に負けじと笑いながら毒を吐く。


「んな訳ねーだろ。いや〜……久しぶりに見たからよ……テメーらみてぇなレベルの低い言い合いしてんのをな……」


 高校に通っていた時はこういうやり取りを嫌っていうほど見ていたので……颯は懐かしく思っていた。そもそも笑ったこと自体、颯にとってはだいぶ久しぶりのことで、高校を辞めて以来だっただろうか。今は……笑うことなんてほとんどないと言ってもいいほどだが。

 この返答に対して凜は「ふーん」と言ってから、ドアの方をチラリと見る。


「……そろそろ来るんじゃねーか、アイツ……」


「……アイツ? 誰なん……」


 颯が凜に訊こうとしたところで、ドアがガチャンと開く。そこに入ってきたのは……




「……ま、万波せんぱーい!!!」


「えっ!! ……お前……ッ!」




 颯にとってはかつての後輩である、日向だった。まさかこんなところで会うとは夢にも思わず、颯は目を白黒させる。しかし、日向は今にも泣きそうなほど目を潤ませ、颯の元へ一直線へ向かい……


「!!!」


「今までどこで何してたんすかーーー! ずっと心配(しわ)ーてたんすよーーー!」


 思いの丈をぶつけて叫びながら、抱きついた。まさかの感動の再会を見せつけられ、菫と瞬は呆然とその様子を眺めていた。


(上原君、万波先輩のことすっごく心配してたのね……。まぁそりゃそうなるわよね、同じ部活の先輩だし、ましてや「学園のスター」って呼ばれてた人なんだから。学校もいきなり辞めたらしいし……。

 それにしても、清宮君まで来るなんて……)


 一方、凜はそんな日向と颯をやれやれとでも言いたげに眺めていた。日向に続いて入ってきた寛斗と共に。


「なんで寛斗までいるんだよ……」


「いや〜、偶然うみんちゅと会ったから。ついてきただけだぜ」


 そして今もなお苦しくなるぐらいにギュッと抱きしめられている颯はというと……険しい顔で歯を食い縛り、震えていた。涙ぐんでいる日向とは裏腹に。

 

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