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41ページ目 菫さんの映画デート


「じゃあ……私と勝負してみない?ちょうど期末テストの時期だしね。もしばったんの方が上だったら……一緒に映画行きましょ!」 


 二人で介護体験のレポートを出しに行く途中、直が菫を映画に誘ったところ……菫から逆にそう提案してきたのだった。

 あの時……まさか勝てて、菫とデートに行けるなんて、直は夢にも思わなかった。











 終業式の日の夜、直は祖父の(すすむ)の家にいた。祖父の家は自宅から歩いて5分程の距離にあり、この日のように両親の帰りが遅い日、直は祖父と過ごしている。

 直と進は将棋を指しており、パチンパチンと駒と将棋盤がぶつかる音がテレビの音に混じって響く。直が駒の置かれた将棋盤を見つめる中、後手の進は飛車の駒を摘んでパチンと大きな音を立て、あるマス目の上に置く。


「……っ!」


 王手を取られ、直は思わず歯を食いしばる。対する進は孫の目の前で腕を組み、わかりやすくドヤ顔を見せている。それでも直は顎に指を置いて眉間に皺を寄せながら将棋盤と睨めっこするも……暫くするとがっくり項垂れる。


「…………参りました」


 直が白旗を上げると、進は嬉しそうにガッツポーズをする。そもそも進は数多い将棋仲間の中でも一番強いらしく、たとえ対局相手が孫であっても手加減は一切しない。そもそも直だって手加減されてまで勝ちたくないと思っているが。


「ハハハ、ワシに将棋で勝つなんて10年早いぞ!」


「仰る通りです……」


 ぐうの音も言えず、直は駒を片付ける進を悔しそうに眺めている。これまでに何度も対局させてもらっているが、まだ一度も勝てたことはない。


「何だ、もう一局やりたいのかね?」


「いえ、もういいです」


「もう帰る時間か?そうじゃなかったら囲碁でも……」


 その場で正座したまま、訴えかけてくるような目で見てくる直だが、また対局したり囲碁をしたいという訳ではない。なので首を横に振る。


「いえ、お祖父様……じ、実は……そ、相談したいことが……」


「ほぉ……一体どうしたんだね?」


 進は孫の頼みならと言わんばかりに、早速前のめりになり何のことか訊いてくる。予想以上にグイグイ来られたので、直は顔を赤らめながらおずおずと口を開く。




「実は……僕好きな人がいまして……」




 まずそう切り出すと、進は目を見張った。かなり嬉しそうに。


「おおっ!直ももうそういう年だからのぉ〜。道理でワシも年取る訳じゃな……」


「で、その好きな人を映画に誘いまして……OK頂きました!今度……8月2日に行ってきます!」  


「…………な、何じゃとぉ!!」


 ただ好きな人ができたことだけでなく、デートの約束を取り付けるまでに進展していたことを告げられ……進は仰天し、目を白黒させる。続けて直は深々と土下座をして頼み込んだ。


「ぼ、僕……今まで生きててデート……いや、女の子と二人で出掛けるの、初めてなんです!!

 だから…………色々教えてくださいっ!!」











 来たる8月2日、直は待ち合わせ場所の駅に早速着いていた。もちろん、学校で会う時とは違って緊張し、ソワソワしている。髪型もしっかり整えてきてはいるものの、直は待っている間何度も鏡を見ている。かけている丸眼鏡もいつもと同じだが、綺麗に拭いていて曇りや汚れは一切ない。


(この服で大丈夫ですかねぇ……いや!お祖父様が言うのなら間違いありませんよね)


 祖父の進から、ブランドや値段はどうでもいいからとにかく清潔感のある服装にするよう、直は手解きを受けていた。今着ている服は数日前、部活帰りに買ったばかりである。白いTシャツに黒いパンツ、Tシャツの上には白と黒のギンガムチェックのシャツを羽織っている。一応このコーデは進にも見てもらい、一発合格は貰っている。ただ一つ心配なのは、肝心の菫にダサいと思われたり引かれたりしないかどうかだ。


(そういえば……ホリトモ君、前に女の子とデート行こうとしたら待ち合わせの時点で帰られたって言ってましたね……。全身ハイブランドのロゴ柄で。勝負服って言ってましたけど……)


 その勝負服を着ている知輝の姿を想像し、人知れずぷぷっと笑う直に……コツコツ鳴る足音と共に、遂にあの人物が近付いてくる。




「ばったん、おはよ」





「あっ!おはようございます、宮西さん」


 横から声を掛けられ、直はハッとしながら振り向いた。立っていたのは……菫だ。普段と変わらない笑顔を向けてくれている菫に、直も照れ臭そうに笑いながら返す。


「ごめんね、こんなとこまで来てもらって。ばったんのお家からじゃ遠かったでしょ?」


「いえいえ、全然大丈夫ですよ。たまには電車に1時間ぐらい揺られるのも楽しいですし」


 これから行く映画館のある最寄駅は、どちらかと言えば菫の最寄駅に近い。直は到着するまで1時間以上かかり、2回も乗り換えせざるを得なかったが、全く面倒臭さを感じなかった。菫とデートするためなら。


(宮西さんに会えるんならどこだって行きますよ……

 それに……私服姿も可愛いです)


 それよりも直は真っ先に菫の私服に視線を注いでいた。菫の今日のコーデはというと、華やかな赤いキャミワンピと、その中に白いパフスリーブのカットソーを着ている。特にワンピースの赤色は、童顔だがどこか艶やかな菫によく似合っていると、直は思う。

 直が菫の私服姿を見るのは2回目だが、1回目はパーカーにオーバーオールと、今日とはまた違ってカジュアルな雰囲気だった。尤も、あの時は廃墟に肝試しに行くためで、直もジャージのような服を着ていたのだが。


「……たん、ばったん?」


 暫くの間つい見惚れてしまった直は、菫に再び声を掛けられて我に帰った。


「すっ、すみません……ついぼーっとしちゃいました……」


 見惚れていたなんて恥ずかしくて言えず、直はそう誤魔化した。だが菫はクスッと笑っただけだ。


「そうだったのね。まぁとりあえず行きましょ!まだ時間あるけど先にチケット買った方がいいんじゃない?」


「そうですね!」


 菫に言われるがまま、直は彼女と共に映画館へ向かう。




 10分ほど歩いたところで映画館に到着し、菫と直は真っ先に自動券売機へと向かう。幸い、二人が観る予定の映画の席はまだまだ空いている。


「ど、どこにしましょう?」


 券売機の前で菫と並んでいることにドキドキしながら、直はどの席にするか訊く。すると、菫は画面を暫くじっと見た後、ある席を指差す。


「Mの5、6とかどうかしら?」


 菫が指差した席は、真ん中あたりの列の廊下に面した席だ。それを見た瞬間、直は思わずニヤリと笑みを浮かべる。


「……もしかして、宮西さんも廊下側派ですか?」


「うーん、映画行くの久々だけど……だいたい廊下側選んでるかも」


「本当ですか!?……実は僕もいつも廊下側なんですよ!人の気配が少なくて落ち着きますし」


「ばったんもそうなのね!私はすぐにお手洗い行けるから……なんだけど」


 恥ずかしそうに笑いながら理由を話す菫に、直は納得する。


「確かに!廊下側の方が他のお客さんに気を遣わなくていいですよね。でもたまに真ん中派の人もいるんですよ〜。前にバヤシ君とぽその君と映画行った時、二人とも真ん中派で……」


「あっ、じゃあ真ん中に座ることになっちゃったの?多数決で」


「そうなんですよ〜。宮西さんは僕と同じでよかったです」


「本当それね〜」


 菫は完全に同意し、直へニッコリと笑顔を向ける。もちろん、直はドギマギする。自分に向けてくれた笑顔が頭から離れずうっとりする直をよそに、菫が席を選んだのであっという間に決済画面へと変わる。菫が鞄から財布を出そうとしているのに気付いた直は、慌てて止める。


「あっ、宮西さん!僕が払いますよ!」


「えっ?」


「いいですから……」


 そう言いながら、直は自分の財布から5千円札を取り出し、半ば無理矢理券売機の中に投入する。


「あっ、ちょっと……」


「いいんですよ(デートの時は男が全額払うようにって、お祖父様が言ってましたから!)」


「…………」

 

 進に教わった通り、映画代を二人分払った直は得意げな顔をするが……それとは裏腹に、なぜか菫は困惑の表情を浮かべる。


「……どうしましたか?宮西さん」


「……う、ううん!何でもないわよ!まだちょっと時間あるし飲み物とポップコーンでも買わない?」


「あっ、はい!」


 菫はすぐに笑顔に戻ると、映画館の売店の方を指差した。


(あー……10歳も年下の子に奢って貰うなんて……でも下手なリアクションしたら年齢がバレかねないし……。次ご飯行ったら私が払わないと)


 そんなことを菫が考えているとはもちろん知る由もなく、直は売店へ向かう菫について行く。



「いや〜、面白かったですねー!」


「でしょ〜。やっぱり北尾監督の映画はハズレがないんだから!」


 2時間半ほどで映画は終わり、菫達が観ていたシアターから彼女と直を含む客がゾロゾロと出てくる。満員ではなかったものの、度々CMが流れている話題作なので、客の入りようはそこそこだった。そしてこの映画はコメディで、時折どっと客の笑い声が溢れていた。


「やっぱりせっかくの休みなんだから、泣ける映画よりも笑えるのが観たいわよね」


「僕もそう思うんです!僕、『釣りヲタ日記』が好きで、シリーズ全部観たことありますよ!」


 直が好きな映画にまさかの作品名を挙げてきたので、菫は思わず目をぱちくりさせる。


「つ……『釣りヲタ日記』ぃ!?(今時の高校生でも観るのね……)」


「はい!お祖父様が好きなので。テレビで面白そうな番組がない時とか、風邪ひいて学校休んだ時とか、だいたい釣りヲタ観てますよ。配信でありますし」


「そうなのね〜。いいじゃない、学校休んだ時とか。笑ってた方が早く治りそうよね」


「……確かにそうかもしれません。僕風邪ひいてもいつも1日で熱下がるんで」


「ねぇ、『釣りヲタ日記』ってアメプラで配信あるの?」


 思いの外、『釣りヲタ日記』の話に食いついてきた菫に、直は嬉しくなり自然とニヤけてしまう。今まで他の女子にその話をしたら、「おじん臭い」と一刀両断されてきたから。


「ありますよぉ〜。検索したら出てくるはずです」


「どうしても夏休み暇な時もあるからね〜」


「じゃあ……」


「え?」


「…………ぜひぜひ見てくださいね!」


 菫が暇だと言った瞬間、直は「また二人で……」と新たなお誘いをしそうになったが……何とかぐっと言葉を飲み込んで誤魔化した。

 まだ始まったばかりで長い夏休み、もちろん直は今日以外の日も菫に会いたいと、心から熱望している。しかし……祖父の進からはこう釘を刺されてしまった。「自分が会いたいからって、しつこく頻繁に誘うものではないぞ。そんなことをしたら嫌がられる」と。


(お祖父様……恋愛って難しいんですね。もっと会いたいのに、この時期はなかなか会えないなんて……切ないです。でもまた新学期になったら…………


 ……あ!そうだ!)


 一瞬だけ悶々としていた直だったが、ふとあることを思い出した。


「そういえば宮西さん!」


「なになに?どうしたの?」


「昨日きよみー君からLINE来ましたよね?伊豆の別荘に誘ってくださったやつ!」


「あ〜!」


 菫も思い出して、思わず声をあげる。

 ただこれからお昼時で立ち話もなんなので、菫と直はどこかで昼食を食べながら話すことにした。




 映画館のすぐ近くのカフェに入り、菫はオムライスランチ、直はハンバーグランチを注文した。メニューには激辛グリーンカレーなるものもあったが、今回二人とも頼まなかった。料理が来るまで、再び清宮家の別荘の話をする。


「宮西さんは行くんですか?」


「行くつもりよ。お盆特に予定ないし、めめちゃん達も行くみたいだし」


「そうなんですね〜!宮西さんが行くんなら僕も行きたいですよ〜」


「本当?ばったんもぜひ行きましょ!伊豆は温泉と海があるから楽しそうよね」


(よし……!これでこの夏休み、あと3日も宮西さんに会えますね!二人きりではないですけど……贅沢は言いません)


 こうして直も清宮家の別荘に一緒に行くことを決めた。別荘へ行くのは2泊3日なので、その間も菫に会えることになる。直は心底ワクワクしており、その勢いでもう一つ菫に訊く。


「そういえば宮西さん、夏休み始まってからどっか行きましたか?」


「そうね……お姉ちゃん(葵)とドライブ行ったのと、生田目君、清宮君、北山君と中華食べに行ったぐらいかしら?」


 菫が答えた瞬間……直の笑顔は引き攣った。


「……え?」


「あまりにも暇過ぎて何となく船橋駅まで行ったら……清宮君と生田目君と遭遇したのよ。で、せっかくだし一緒にどう?って誘って貰ったの」


「そうだったんですか……」


 直は菫が凜達と中華に行ったと聞き……正直なところショックを受けた。今日とは違って予定外だとわかり、少しは安堵したものの……それでも心が晴れない。よりによって相手が相手だけに。


(マジですか……。きたろー君はドラム叩けてカッコいいですし、きよみー君はあの清宮財閥の息子で何でも卒なくこなせますし、生田目君は言わずもがな……。三人とも僕なんかよりずっと魅力的じゃないですか!!)


 目の前の直がため息をついてガックリと項垂れるので、菫は面食らう。


「ば、ばったん……どうしたの?」


「……いえ、何でもないです!」


 心配そうな顔で訊かれたので、直は何事もなかったかのようにパッと顔を上げた。


(ダメですダメです……せっかく今宮西さんと二人きりなんですから、もっと楽しまないと!)


 そうは思ったものの……菫を他の男子に取られまいと、直は焦燥感に駆られ始めていた。



「ばったん……ごちそうさま」


 カフェを出た後で、菫は再び困惑の表情を見せた。それとは裏腹に、直はしたり顔で財布をポケットにしまう。この昼食代こそ菫が支払おうとしたものの……またしてもバッグから出そうとしている時、直に先に支払われてしまったのだ。これで今日かかった費用はほぼ全て直持ちになっている。


「いえいえ!何とかギリギリ足りたんで大丈夫ですよ〜」


 明るい声で直はそう言ってのけた。しかし……菫はすぐに心配そうな表情になる。


「……ちょっと待ってばったん!ギリギリって……もうお金ないの?」


「あと500円ちょいです」


「500円って…………帰りの電車代は?それで足りるの?」


「………………!!!」


 菫に指摘された瞬間……直はスーッと血の気が引いた。直が行きしに払った電車賃は860円だ。なのでどう考えても足りない。

 呆然と立ち尽くす直に、菫はクスクス笑いながら千円札を差し出す。


「ほーら、コレ使いなよ」


「えっ、そ、そんな……」


「いいのよ」


「でも千円は多いですよ、我孫子まで860円ですし……」


「私千円札しかないから。貰ってって!」


「……えっ!?」


 そう言いながら、菫は直の手を取って半ば無理矢理千円札を握らせた。一瞬だけだがガッツリ手と手が触れ、直の心臓は先程よりも早鐘を打つ。だが菫は間髪入れずに次の行き先を提案する。


「ばったん、これから公園でも行かない?まだお昼過ぎだし、公園ならお金かからないでしょ?それにわざわざ蘇我まで来てくれたんだし……」




 菫がリクエストした公園は歩いて10分ほどの距離にある。夏休みと少し曇っている天気のおかげか、遊具で遊んでいる子供の姿は少なくない。上は小学校高学年ぐらい、下は未就学児と幅広い年齢の子供達が滑り台を滑ったり、ジャングルジムのようなものに登ったりし、キャッキャとはしゃぐ声が絶えない。

 二人は菫が自販機で買った缶ジュースを片手に、公園の木の陰にあるベンチに並んで腰掛ける。


「ここ、思い出の公園なのよ。昔……確か小学校低学年ぐらいの時に遠足で行ったのよね。確かあの辺の芝生の上でお弁当食べたの覚えてるわ」


「ここに遠足に行ったんですね。僕は…………あんまり覚えてないです」


「そうなのね。まぁでも10年ぐらい前だからそんなに……よね」


 この公園と遠足について話している時……直は正直上の空で、菫の話を半分は聞いていなかった。


(これは……まずいかもしれません。よくよく考えたら、宮西さんいつもきよみー君やきたろー君と一緒ですし、生田目君とも時折話してますし……。正直この中の誰かがライバルになったら……勝てる気がしません)


 嫌でも頭の中に思い浮かぶのは……祖父の教え通りにデート代を全て支払うつもりが、お金が足りないという大ポカをやらかした自分。それも、帰りの電車賃を菫に肩代わりしてもらうという有様だ。


(頼りないですよね……お金足りなくなるなんて。きよみー君や生田目君だとこんなミスはしないでしょう……。こんな体たらくじゃ宮西さん取られちゃうかもしれません……


 ……でもそれだけは嫌です!!)


 そう強く思うあまり……直は菫がいる方へぐるっと勢いよく振り向くと、真剣な眼差しで彼女を見つめる。


「みっ、宮西さん!」


「……どうしたの?ばったん」


 ここでも祖父の教えが一瞬だけ頭に浮かんだが……直は今回、敢えてそれを無視することに決めた。

 それは……最初のデートではなく3回目のデートで告白する、ということだ。場所も公園と悪くないこともあって。


(なるべく早くに伝えないと……宮西さん取られちゃうかもしれません。宮西さん可愛いのにどこか大人っぽくて魅力的ですから。

 だから僕は……今言わせて貰います!)


 直は初めて菫を意識し始めた時のことを思い出していた。委員会が始まった頃の放課後の校門前。写真を撮った菫にどんな写真か聞いたところ、軽く上目遣いで内緒のポーズをした時だ。それに直は心を奪われてしまったのである。もちろん、これ以外にも菫の好きなところは沢山あるのだが。

 

 遂にこの時が来たと思いながら、直はおずおずと口を開く。




「宮西さん……、僕…………」





 直が想いを打ち明けようとする、ちょうどその時……彼ら二人の前をビュンッと何かが通過していった。目にも止まらぬ速さで。


「え?」


「ん?」


 二人とも目を疑って何回も瞬きをする中、それに続いて一人の若い男性が全速力で走ってくる。よく見ると彼は首輪のついたリードを持っているが……本来繋がれているはずの犬の姿はない。


「コラー、待てー!サントスーー!」


 男性が追いかけているのは……1匹のラブラドールレトリバーだ。そのサントスと思われる犬はというと、飼い主のことなんかそっちのけで、芝生の上を走り回っている。


「……首輪でも取れちゃったんですかね?」


 告白しようとしたことなどすっかり忘れ……直は菫ではなくサントス及びその飼い主に目を向ける。飼い主の男性も必死に走って追いかけるものの、サントスは軽々と交わす。まるで鬼ごっこでもしているかのように。

 一方、同じくその様子を眺めていた菫は呆れたようにため息をつく。


「もぅ……大きい犬飼ってるくせに頼りないわね」


 間違っても飼い主に聞こえぬよう呟いてから、菫は持っているバッグの中をゴソゴソと探し、あるものを見つけた。それを取り出して、少し離れたところにいるサントスに向けて、シャカシャカ音を立てながら見せびらかす。


「ほぉ〜ら!オヤツよぉ〜〜」


 菫が持っているのは……犬用のビスケットだ。サントスもそれに気付いたのか、こちらをじっと見る。ただ、直だけは「なんで犬のオヤツなんか……」と驚きを隠せない。

 すると……サントスは見るだけにとどまらず、こちらへと向かって走ってくる。先程菫と直の前を横切ったのとほぼ同じ速さで。そればかりかサントスは勢い余って……菫に凄い勢いで飛びついてきた。


「ひゃっ!!」


「だっ、大丈夫ですか!?宮西さん」


 飛びついた後もサントスはテンションが高く、今もなお尻尾を振っている。持っているビスケットが取られそうなので、菫は必死で腕を伸ばすと直がそれを取って同じように腕を伸ばす。サントスは今度は直に飛びついて必死に取ろうとするが、菫よりは上背があるので取れない。

 程なくして「すみませーん!」と叫ぶ声と共に、飼い主が菫達の元に戻ってきた。




「本当にすみませんでした!ありがとうございます!ほら、サントスもおやつくれてありがとうって言いなさい」


 飼い主は菫と直に深々と頭を下げた。それとは裏腹に、サントスは菫から貰ったビスケットを美味しそうに頬張っている。やはり直が推測した通り、首輪が抜けてしまったという。


「いえいえ、今度からはしっかり首輪つけてくださいね〜」


「はい!気をつけます」


 もう一度深々と礼をした後、飼い主はサントスを連れて去って行った。


「いや〜、びっくりしましたね。でも宮西さん、なんで犬のおやつなんか……犬飼ってるんですか?」


 直は菫が持っているビスケットを不思議そうな目で見ながら訊く。すると、菫は首を横に振る。


「うちのマンション犬飼えないのよ。でもたまに知り合いの犬を散歩に連れてくことがあるから……鞄にそのまま入れっぱなしにしてたのね」


「そうなんですね!その知り合いの方が忙しくて代わりに行く感じですか?」


「そうよ。私犬好きだからいつも楽しみなの」


 菫は遠ざかっていくサントスとその飼い主をにこやかに眺めながら、そう言った。直はそんな菫を可愛いと思いつつ、先程のファインプレーを思い出す。


「それにしても……よく咄嗟にこんなこと思いつきましたね〜」


「その知り合いの犬も同じように首輪が抜けて脱走したことあったのよ。その時もおやつでおびき寄せて捕まえたんだから」


「なるほどですね〜!流石宮西さんですよ、どんなトラブルがあっても宮西さんなら解決できそうですね!」


「いやいやそんな……」

 

 年齢がバレそうかと危惧し、菫は勢いよく首を横に振る。と同時に、サントスが乱入する前に直が何か話しかけようとしていたのを思い出す。


「そういえばばったん……さっき何か言いかけてなかった?」


「……あ!!」


 大事なことをここで言うつもりだったが……直はグッと飲み込んだ。




「あの、宮西さんって……


 ……彼氏いますか?」




 そう絞り出すと、菫は目をぱちくりさせてから首を横に振った。


「かっ、彼氏ぃ!?…………いないわよ」


 菫に彼氏がいないとわかった直は、素直に嬉しくなり心の中で「よっしゃ!」と思う。が、それと同時に首を傾げてもいた。


「えっ……いないんですか。……宮西さんならいてもおかしくないでしょうに」


「そんなことないわよ!」


「彼氏作らないんですか?」


「……まぁそんなとこかしらね。今は勉学に専念したくって。せっかく高校に通ってるんだから……ね。

 それに……亡くなったうちのお母さんも、高校生のうちは勉強に専念しなさいって言ってたから」


「……!!そうだったんですね……」


 直は菫が彼氏を作らない理由を黙って聞いていた。耳を傾けながら……心から安堵した。むしろあの時告白していたら……と思うとゾッとするほど。


(危なかったです……もし言ってしまっていたら……間違いなく振られてましたね。

 お爺様……やっぱりあなたの言うことは正しいです。それと、サントス君とその飼い主さんにも感謝です。つい焦って告白しちゃうところでしたが、おかげさまで思いとどまれました。やっぱり……)


 心の中で感謝の気持ちを伝えながら、直は改めて誓う。


(告白するのは3回目のデート……と言わず、もっともっと後にします!宮西さんもああ言っていますし、焦る必要なんか全然ないことがわかったんで!

 宮西さん……待っててくださいね!)


「聞きたかったのって……それだけかしら?」


「……はい!」


 念のためそう訊いた菫に、直は満足したように大きく頷いた。


(はぁ……何とか誤魔化せたわね。これで……暫くは告白してくることはないでしょ。今日みたいに誘われることはあっても。

 いくら想われていても……どうしても私は応えられないから……)


 当の菫がそんなことを思っているなんて、知る由もなく。


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