転生
「え? あっちって——」
聞き返そうとした、そのとき。
「あの世界は、あなたに何度も救われたわ」
紬がふわりと微笑んで、私の額にそっと手を当てた。
ぱあっと、目の前が真っ白になる。
「ちょ、紬!? 待って、まだ何も——」
中庭も、ベンチも、三月の冷たい空も、光の粒になってさらさらと流れていく。最後に見えた紬の長い髪が、白銀色にきらめいた気がした。
「いってらっしゃい、サラ」
──まぶしい。
目を開けると、目の前に大きな鏡があった。
鏡の中には、女の子がひとり映っている。
桜色の髪。琥珀色の瞳。淡い桜色のドレス。
……私だ。
画面の中で十八年見てきた、サラフィーナ・ローゼンベルクが、ぽかんと口を開けてこっちを見ている。
ほっぺをつねってみる。
「いったぁ……」
痛い。夢じゃない。
「待って待って待って。……どゆこと!?」
鼻をくすぐるのは、薔薇と、ほんのり土のにおい。窓の外から、庭師のおじいさんが芋畑に水をまく音が聞こえる。
本物だ。ぜんぶ、本物だ。
「お嬢様ーっ!!」
ばーんと扉が開いて、赤毛のポニーテールが飛びこんできた。そばかすの散った顔を真っ赤にして、私の侍女のライザが、両手を胸の前で組んで叫ぶ。
「お嬢様、最高です!! 世界一かわいいです!! 今夜の会場の視線、全部持っていけますよ!!」
「ら、ライザ……?」
「はいっ、ライザです! どうなさいました、ぼーっとして。緊張ですか? 大丈夫です、お嬢様が転んだら私も一緒に転びますので!」
「それ、なんの解決にもなってないよね!?」
思わずツッコんでしまって、ライザがきょとんとして、それから楽しそうに笑った。
画面越しじゃない、本物の笑い声。
扉の向こうから、こんこん、と控えめなノックの音がする。
「お嬢様。お支度はお済みですか。……まさか、また芋畑にいらっしゃるのでは」
低くて、少し呆れた声。
胸の奥が、どくんと鳴った。
◇
同じころ。
ある家の二階の、小さな物置部屋で、ひとりの女の人が首をかしげていた。
「……あら?」
物置のはずの部屋が、きれいに片づいている。窓際には小さな机。棚には、マンガとゲームと、古本屋の紙袋。
「お母さん、ここ、誰の部屋だっけ?」
後ろから、小学生の息子がのぞきこむ。
「誰の……って」
答えようとして、言葉が出てこなかった。
誰の部屋でもない。ここは、ただの物置だ。そのはずなのに。
机の上に、ぽつんと置かれた空のお弁当箱が目に入る。
どうしてだろう。
理由なんてひとつもないのに、彼女の頬を、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちていった。
(序章 終わり)




